御器所八幡宮(ごきそ はちまんぐう)は 第54代 仁明天皇の勅願所として熱田社の鬼門を守護するために創建と社伝に云う 御器所(ごきそ)の地名は『吾妻鏡』に この地で熱田社の神事に使う土器を焼いていたことから名付けられたと記述があり 尾張國 愛智郡の二つの式内社〈・高牟神社・物部神社〉の論社となっています
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
御器所八幡宮(Gokiso hachimangu)
【通称名(Common name)】
・八所大明神(はっしょだいみょうじん)
【鎮座地 (Location) 】
愛知県名古屋市昭和区御器所4丁目4−24
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》八幡大神(品陀和気命)(ほむたわけのみこと)
木花開耶媛命(このはなさくやひめのみこと)
五男三女神(ごなんさんにょしん)
天兒屋根命(あめのこやねのみこと)
弥豆波能女命(みつはのめのみこと)
菊理姫命(くくりひめのみこと)
天照大御神(あまてらすおほみかみ)
熊野大神(くまのおほかみ)
八剱大神(やつるぎのおほかみ)
高蔵大神(たかくらのおほかみ)
山王大神(さんのうおほかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
創立年代不詳
【由 緒 (History)】
御器所八幡宮御由緒
御祭神 八幡大神 八劔大神 五男三女神 天児屋根命
天照大御神 彌豆波能女命 菊理媛命 木花咲耶媛命
山王大神 高蔵大神 熊野大神御器所八幡宮は御器所の総社として 往古より信仰をあつめ 仁明天皇勅願 熱田神宮鬼門除鎮護の大神として 御器所の聖地に斎鎮祭されたと言い伝えられ、尾張志に 熱田神領にて神祭に用ふる土器を調進する 故に此の名ありと伝ふ、と記され殊に室町初期、八所明神と称え、御器所城主 佐久間家一門の領内総鎭守 居城鎮護の大神と尊崇された如くは嘉吉の棟札をもって知ることが出来る。
その後 永禄の棟札 慶長五年 関ヶ原役が終るや 冬徳川家康 大島雲八郎光吉に依令して寄進する神護感謝の棟札は 将に御器所八幡宮の広大無辺なる御神威を窺い知ることが出来る。 今日では厄除開運はもとより必勝の神の信仰が根強く、入試の必勝祈願 大神さまの神智霊能をいただく人達で日夜賑わう。御例大祭 十月十四日 十五日
赤丸神事 七月三十一日 八月一日御器所八幡宮
現地案内板より
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・御器所八幡宮 社殿
〈拝殿の向かって左 境内社〉・総社宮
《主》熱田大神,津島大神,秋葉大神,《配》熊野大神,美都波能売大神,三宝荒神大神,大国主大神,恵比寿大神,市寸島比売大神,木之花咲耶姫大神,磐長比売大神,歳徳神大神
・〈拝殿向かって右手前 境内社〉白龍社
《主》白竜大神〈右殿・左殿〉
・佐久間社《主》佐久間美作守家勝
〈社殿向かって左手前 神楽殿の右横の境内社〉
・稚児社《主》稚児大神
・五社宮(村上社/洲原社/八幡社/氷上社/春日社)
・英霊社《主》護国の英霊
・稲荷社《主》倉稲魂命
・二の鳥居・三の鳥居
・天満宮《主》菅原道眞公
・蕃塀(ばんぺい)〈朱塀〉
・手水舎・車修祓社
・社頭・鳥居・太鼓橋
・西参道口
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・境外摂社 小桜社
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
御器所八幡宮(名古屋市昭和区御器所)は 二つの式内社〈①高牟神社②物部神社〉の論社となっています
①高牟神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)愛智郡 17座(大4座・小13座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 高牟神社
[ふ り が な ](たかむの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Takamu no kaminoyashiro)
②物部神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)愛智郡 17座(大4座・小13座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 物部神社
[ふ り が な ](もののへの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Mononohe no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 尾張國 愛智郡 高牟神社(たかむの かみのやしろ)の論社について
・高牟神社(名古屋市千種区今池)
高牟神社(たかむじんじゃ)は 元々は尾張物部氏の武器庫であったと云う 境内に 元古井(もとこい)古井ノ坂の地名の由来となった古井戸〈霊泉〉があり 「むすびの神」を祀る神社で゛古井(こい)の水を飲めば恋が生まれる゛と 縁結びのご利益信仰を集めます 延喜式内社 尾張國 愛智郡 高牟神社(たかむの かみのやしろ)の論社です
高牟神社(名古屋市千種区今池)〈古井之八幡(こいのはちまん)〉
・高針高牟神社(名古屋市名東区高針)
・御器所八幡宮(名古屋市昭和区)
御器所八幡宮(ごきそ はちまんぐう)は 第54代 仁明天皇の勅願所として熱田社の鬼門を守護するために創建と社伝に云う 御器所(ごきそ)の地名は『吾妻鏡』に この地で熱田社の神事に使う土器を焼いていたことから名付けられたと記述があり 尾張國 愛智郡の二つの式内社〈・高牟神社・物部神社〉の論社となっています
御器所八幡宮(名古屋市昭和区御器所)〈八所大明神〉
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載 「物部神社」の名称を持つ式内社の論社について
太古の大和朝廷では 物部氏は 神道を奉じ軍事を司る氏族として「八十物部(やそのもののべ)」と云われ 絶大な勢力を保持していました
その後 神道を奉じる物部氏の宗家〈物部守屋大連〉は 仏教を信奉する蘇我氏〈蘇我馬子 大臣〉と戦い敗れ〈用命天皇2年(587)〉 物部氏は徐々に衰退をして行く事になります
『延喜式(Engishiki)』(927年12月編纂)の時代となっても かつての物部氏の勢力の大きさを示すように 広範囲に物部の神社は分布しています
東海道
「伊勢國 飯高郡 物部神社」
・伊勢寺神社(松阪市伊勢寺町)〈合祀〉
「伊勢國 壹志郡 物部神社」
・物部神社(津市新家町)〈山辺の行宮〉
「尾張國 春日部郡 物部神社」
・味美白山神社(春日井市二子町)〈合祀〉
・味美二子山古墳(春日井市二子町)〈旧鎮座地〉
・諸大明神社(春日井市松本町)
・八所神社(豊山町豊場木戸)
「尾張國 愛智郡 物部神社」
・物部神社(名古屋市東区筒井)
物部神社(もののべじんじゃ)は 御神体の霊璽が゛一塊の巨大な石゛で 初代 神武天皇の御代に当地の凶魁を討たれ この石〈俗に要石 鎮撫石 根石とも云う〉を国の鎮めとされ 石神様とも呼ばれます 第11代 垂仁天皇の御代 初めて社殿が造営された云う 延喜式内社 尾張國 愛智郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)です
物部神社(名古屋市東区筒井)〈御神体の霊璽゛一塊の巨大な石゛〉
・御器所八幡宮(名古屋市昭和区)
御器所八幡宮(ごきそ はちまんぐう)は 第54代 仁明天皇の勅願所として熱田社の鬼門を守護するために創建と社伝に云う 御器所(ごきそ)の地名は『吾妻鏡』に この地で熱田社の神事に使う土器を焼いていたことから名付けられたと記述があり 尾張國 愛智郡の二つの式内社〈・高牟神社・物部神社〉の論社となっています
御器所八幡宮(名古屋市昭和区御器所)〈八所大明神〉
「甲斐國 山梨郡 物部神社」
・御室山〈大蔵経寺山〉(笛吹市春日居町)〈旧鎮座地〉
・物部神社(笛吹市石和町)
物部神社(もののべじんじゃ)は 大和朝廷の使者として武内宿禰(たけのうちのすくね)らが東方巡察の折 物部氏の従者により創祀されたと云う 『六国史』には゛物部神゛に神階の奉授が記され 『延喜式』に甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)と所載されます 当初 御室山に鎮座し 鎌倉時代に現在地に遷座と云う
物部神社(笛吹市石和町松本)〈『六国史』物部神・『延喜式』物部神社〉
・大石神社(山梨市西)
大石神社(おおいしじんじゃ)は その名の通り 巨大な花崗岩のご神体〈磐座信仰〉が坐します 社殿の周囲にも数々の巨大な石〈磐座〉があり 不思議な景観となっています 社伝によると 古くは物部神社と称していたとあり 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)の論社となっています
大石神社(山梨市西)〈巨大な花崗岩のご神体が坐します〉
・大石神社(甲州市塩山赤尾)
大石神社(おおいしじんじゃ)は 社伝に 第21代 雄略天皇御宇 詔(みことのり)により海部直赤尾物部兎代宿禰(あまのあたいあかお もののべのとよのすくね)によって勧請されたと伝わります 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)の論社とされ 明治時代には 物部神社と称したと云う
大石神社(甲州市塩山赤尾)〈延喜式内社 物部神社の論社〉
・白山建岡神社(山梨市上栗原)
建岡神社(たておかじんじゃ)は 江戸時代には〔白山権現〕と呼ばれていました 同じく上栗原村にあった〔小市明神〕は 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)であるとの一説もあります 現在〔小市明神〕は 建岡神社に合祀されているのか?
白山建岡神社(山梨市上栗原)〈上栗原村〔小市明神〕を合祀か?〉
「武蔵國 入間郡 物部天神社」
・北野天神社(所沢市小手指元町)
北野天神社(きたのてんじんしゃ)は 三社を合殿に祀る総称で 正式名称は゛物部天神社・國渭地祇神社・天満天神社゛です 元々は 日本武尊が祀ったと伝わる入間郡の式内社 物部天神社とされ さらに国渭地祇神社を(一説には出雲祝神社も)合祀すると云う 長徳元年(995)京都より北野天神を勧請し 坂東第一北野天神と称しました
北野天神社(所沢市小手指元町)〈正式名称゛物部天神社 國渭地祇神社 天満天神社゛〉
東山道
「美濃國 厚見郡 物部神社」
・伊奈波神社(岐阜市伊奈波通)
・伊奈波神社 旧跡(岐阜市赤ケ洞)
・岩戸八幡神社(岐阜市長森岩戸)
・岩戸神社(岐阜市長森岩戸)〈参考論社〉
北陸道
「越中國 射水郡 物部神社」
・物部神社(高岡市東海老坂)
「越後國 頸城郡 物部神社」
・物部神社(上越市清里区)
物部神社(もののべじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「越後國 頸城郡 物部神社」です かつては 武士(もののふ)村に鎮座し 山王権現〈日吉神〉と呼ばれていました その後 田中村新田に遷座 昭和46年4月 圃場整備事業のため現在地〈南田中〉に遷座しました
物部神社(上越市清里区南田中)〈延喜式内社 物部神社(もののへの かみのやしろ)〉
「越後國 三嶋郡 物部神社」
・二田物部神社(柏崎市西山町)
物部神社(もののべじんじゃ)は 祭神 二田天物部命は 天香山命に奉仕て 高志国(越国)に天降りしたと云う 二田を献上する者がおり その地に居を定め その里を「二田」と称したと伝え 命は薨(こう)じて 二田の土生田(はにゅうだ)の高陵に葬られたと云う 延喜式内社 越後國 三嶋郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)です
二田物部神社(柏崎市西山町二田)〈『延喜式』物部神社〉
「佐渡國 雑太郡 物部神社」
・物部神社(佐渡市小倉)
物部神社(もののべじんじゃ)は 穂積朝臣老(ほづみのあそみおゆ)が養老二年(722)佐渡配流の謫居二十年の間 小祠に物部氏の祖神゛宇麻志麻治命゛を祀り 祈り続けたと云う 『續日本紀』〈延暦10年(791)物部天神 従五位下〉と神位の奉叙が記されている 延喜式内社 佐渡國 雑太郡 物部神社(もののべのかみのやしろ)です
物部神社(佐渡市小倉)〈『續日本紀』物部天神・『延喜式』物部神社〉
山陰道
「丹後國 與謝郡 物部神社」
・物部神社(与謝野町石川)
物部神社(もののべじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 『朝野群載』承暦四年(1080)に 御卜〈天皇の身体を亀甲で卜い 卜兆に現れたところを奏上する儀式〉にて゛丹後國 物部神の神祟あるを以て社司に中祓を科す゛と記されており 神威ある神社でした 延喜式内社 丹後國 與謝郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)です
物部神社(与謝野町石川物部)〈延喜式内社 物部神社〉
「但馬國 城崎郡 物部神社」
・韓國神社(豊岡市城崎町)
「石見國 安濃郡 物部神社」
・物部神社(大田市)石見国一之宮
物部神社(もののべじんじゃ)は 大和朝廷が出雲の勢力を牽制するために 御祭神の宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)が 大和の地から物部氏の一族をひきいて尾張・美濃・越国を平定され さらに播磨・丹波を経て石見国に入り この地に宮居を築かれ 祖神として祀られたものと伝わります
物部神社(大田市)〈延喜式内社・石見國一之宮〉
山陽道
「播磨國 明石郡 物部神社」
・可美真手命神社(押部谷町細田)
・惣社(神戸市西区伊川谷町)
西海道
「壱岐島 石田郡 物部布都神社」
・物部布都神社跡(壱岐市郷ノ浦町田)〈旧鎮座地〉
物部布都神社跡(もののべふつじんじゃ あと)は 延宝四年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉で 式内社と比定された物部村に鎮座していた布都ノ宮〈物部布都神社〉の跡地です 昭和40年(1965)5月 天手長男神社に合祀されました
物部布都神社跡(壱岐市郷ノ浦町田)
・天手長男神社(壱岐市郷ノ浦町)〈物部布都神社を合祀〉
天手長男神社(あまのたながおじんじゃ)は 鎌倉時代の元寇により荒廃 その後廃絶し 所在も不明となっていました 延宝4年(1676)平戸藩主の命により藩の国学者 橘三喜が 現地の地名「たなかを」から(たながお)推定し比定したものです それ以前は 天手長男神社の由緒は無いとされていた 櫻江村 若宮と云われた式外社でした
天手長男神社(壱岐市郷ノ浦町田中触)〈壱岐嶋一之宮〉
・國津神社(壱岐市郷ノ浦町)
國津神社(くにつじんじゃ)は 三つの式内社の論社〈『延喜式神名帳927 AD.』所載 壱岐嶋 石田郡・国津神社(くにつかみのやしろ)・津神社(つの かみのやしろ)・物部布都神社(もののへのふつの かみのやしろ)〉とされます 神功皇后が「異国退治して無事帰朝せれば この所の守護神と成る」との伝説があります
國津神社(壱岐市郷ノ浦町渡良浦)〈延喜式内社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
地下鉄 鶴舞線 荒畑駅から南へ約600m 徒歩10分程度
御器所八幡宮(名古屋市昭和区御器所)に参着
一礼をして鳥居をくぐります
珍しいことに 鳥居の台座に青虫がいました
左手には 境内社が並んで祀られています
境内図があり この先にあと二つの鳥居が続いています
三の鳥居をくぐり抜けて
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の向かって右手には 白龍社が祀られています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 高牟神社について 所在は゛古井庄古井村に在す、今 八幡宮と稱す゛〔出船八幡〕〈現 高牟神社(名古屋市千種区今池)〉と記しています
【抜粋意訳】
高牟神社
高牟は多加武と讀り
〇祭神 高皇産靈尊、〔府志〕
○古井庄古井村に在す、今 八幡宮と稱す、〔集説、府志〕
集説に、高向朝臣祖と考へたるも覚束なし、
〔連胤〕按るに、こは春日部郡なると同神なるべけれど共に知れがたし、類社
當國 春日部郡 高牟神社神位
国内神名帳云、從三位高牟天神、〔一本作に高牟久〕
【原文参照】
式内社 物部神社について 所在は゛古井庄古井村に在す、俗 石神堂と称す、゛〈現 物部神社(名古屋市東区筒井)〉と記しています
【抜粋意訳】
物部神社
物部は毛乃々倍と訓べし
〇祭神 宇摩志麻治命、〔府志〕
〇古井庄古井村に在す、俗 石神堂と称す、〔集説、府志〕
集説云、在に高牟神社西北、崇に一巨石為に神靈、古有祠荒撫者歟、元禄中 故権中納言 綱誠卿新建社、
姓氏録、物部氏有に神別皇別二種、物部首、天足國忍人命之後也、物部連、饒速日命之後、而與に尾張氏同祖也、
文徳實録曰、齊衡二年十二月、大僧都傳灯大法師位實敏、姓物部氏、尾張國愛智郡人也、云々、當知當郡昔日有に物部氏人、當社蓋其氏神祠歟、類社
伊勢國飯高郡物部神社の條見合すべし
神位
國内神名帳云、從三位物部天神
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 高牟神社について 所在は゛今 鳴海庄 古井村にあり、゛〈現 高牟神社(名古屋市千種区今池)〉と記しています
【抜粋意訳】
高牟(タカムクノ)神社
〔〇按 國内神名帳一本、高牟を高牟久に作る、〕
今 鳴海庄 古井村にあり、
凡 其祭一月五月九月十五日を用ふ、〔國内帳集説、式社考、尾張式社確定記、愛智縣神社調〕
式内社 物部神社について 所在は゛今 古井村に在り、石神堂と云゛〈現 物部神社(名古屋市東区筒井)〉と記しています
【抜粋意訳】
物部(モノノベ)神社
今 古井村に在り、石神堂と云、一大石を祟て神靈とす、〔國内帳集説、神名帳考証、式社考、張州府志、〕
盖 物部氏の祖 宇摩志麻治命を祭る、〔参酌文徳実録、延喜式、本社傳説〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 高牟神社について 所在は゛鳴海莊古井村 (愛知郡千種町)゛〈現 高牟神社(名古屋市千種区今池)〉と記しています
【抜粋意訳】
高牟神社
祭神 應神天皇
今按 社傳 祭神 應神天皇一座とし 又 高皇産靈神 神産靈神 應神天皇とあり この高皇産靈神は社號の高牟と云によりて云出たる説なるべければ信がたし 其は國内神名帳に高牟久天神ともあれば 高皇産靈神に非ること明けし 神産靈神は産靈神を並べ挙たるにて意義なし かくて思ふに高牟久は こむくにて高牟をも こむくとよみしなるべく 書紀に應神天皇の皇女 澇來田(コムクタ)皇女とあるを 古事記に高目(コムク)郎女とあるに巾ありて 應神天皇を祭りし社なるを高牟と云によりて 後人の産靈神二座を祭る由云そめつるなるべし 故今 應神天皇と云ふ説によりて記せり
祭日 一月五月九月並十五日
社格 郷社所在 鳴海莊古井村 (愛知郡千種町)
式内社 物部神社について 所在は゛鳴海庄古井村゛〈現 物部神社(名古屋市東区筒井)〉と記しています
【抜粋意訳】
物部(モノベノ)神社
祭神 宇摩志麻知(ウマシマヂノ)命
祭日
社格所在 鳴海庄古井村
【原文参照】
御器所八幡宮(名古屋市昭和区御器所)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
尾張国 式内社 121座(大8座・小113座)について に戻る
尾張国(おわりのくに・をはりのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 尾張国には 121座(大8座・小113座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
尾張國 式内社 121座(大8座・小113座)について