道相神社(どうそうじんじゃ)は 第十代崇神天皇御宇<前97~前30年>四道将軍として丹波地方に遣わされた丹波道主命が この地方開発のため宮脇の地に野々宮御所を創建されたのが起源と云う 社傳には允恭天皇の皇子 木梨軽皇子が この地に潜まれた時に土地を経營し給ひ 神日本磐余彦命 五瀬命の二柱を奉祀したとも云う
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
道相神社(Douso shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
京都府南丹市美山町宮脇ヒノ谷43番地1
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》神日本磐余彦命(かむやまといはれひこのみこと)〈神武天皇〉
五瀬命(いつせのみこと)
木梨輕野皇子(きなしかるぬのみこ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
『京都府神社略記』に記される内容
【抜粋意訳】
郷社 道相神社 宮島村字宮脇
祭神
神日本磐余彦命(かみやまといはれひこのみこと)
五瀬命(いつせのみこと)
輕野皇子(かるぬのみこ)由緒
創祀年代不詳であるが、社傳には允恭天皇の皇子 木梨軽皇子 故ありてこの地に潜ませられ次第に土地を経營し給ひ、その功全く就つた時、神日本磐余彦命 五瀬命の二柱を奉祀して河内國古市に還られ、その王子がその後を継がせられた。
武烈天皇の二年に至り、鄉民皇子の御徳を慕ひ皇子の神靈を奉祀したが、爾後合祀して道祖神社と稱したといふことである。
本殿は應永十九年に火災にかかり直に再建したが、次第に汚損したので文政五年に改築した。今の社殿 即ち是れである。境内神社 二社
例祭 十月九日
【原文参照】
京都府神職会 編『京都府神社略記』,京都府神職会本部,昭11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1228340
【由 緒 (History)】
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
○京都府 丹波國 北桑田郡宮島村大字宮脇
鄉社 道相神社
祭神
神日本磐余彦(カムヤマトイハレヒコノ)命
五瀬(イツセノ)命
輕野皇子(カルノワウシジ)本社 創建年代詳ならずと雖も、古來 當村の産土神にして、明治六年六月郷社となる、社殿一宇、境內坪數九百七十七坪(官有地第一種)あり。
境内神社
三吉神社 若宮神社例祭日
神饌幣帛料供進指定年月日
明治四十年三月一日告示第八十四號氏子戸數
七百八十五戸
【原文参照】
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244
由緒
当神社は 伝承古文書によりその由来が明らかにされ近郷最古の歴史を持つとされている。又 本殿破風には菊の御紋章を奉戴し その尊厳を弥が上にも崇め 産土の神々を御祭神とし 古代よりこの地方の総氏神として崇拝されて来た御社である。
抑当神社の由来は 第十代崇神天皇御宇<前97年~前30年>に四道将軍の一人としてこの丹波地方に遣わされた丹波道主命が この地方開発のためここ宮脇の地に野々宮御所を創建されたのが起源とされている。
爾来2000年、時代の変遷と共に御社名も野々宮、道主一ノ宮大明神、軽野神社そうして延長7年<929年>に道相神社と改名したとされている。今の社殿は文政5年、野々村33ケ村[大野、河谷、岩江戸、向山、樫原、小渕、萱野、肱谷、音海、小笹尾、嶌、宮脇、原、市場、和泉、棚田、板橋、下吉田、上司、沢田、中、大内、安掛、上久保、下平屋、上平屋、野添、深見、長尾、荒倉、砂木、栃原、棚、今宮、亦林]氏子の尊い寄進により再建されたのである。
又 一際参拝者の目を引く山門は 寺院造りであり神仏混淆の時代<700年~1868年>に建立され 明治35年<1902年>復元 往時の名残を今に留めている。
氏子たちは毎年10月9日を例際日とし秋の豊穣を祝いあって来た。とりわけ大正2年<1913年>には郷社昇格を祝い、昭和44年<1970年>には軽野神社 創建1500年を記念して共に大祭を執り行って来たところである。更に本年平成4年<1992年>は氏子総参加の元に古代を追憶しつつ、野々宮御所創建2000年記念大々祭を執り行うべく、着々とその準備を進めている。
今、この静かな鎮守の森は先人達によって築かれた尊い長い歴史の重みを秘め丹波美山の人々の幸せを見つめつつ21世紀という新たな時を刻もうとしている。※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・道相神社 本殿
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・〈本殿両脇の境内社〉・向かって右 三吉神社・向かって左 若宮神社
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・〈本殿に座す〉狛犬
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・〈本殿の裏山 境内摂社〉榧森社(ひのもりのやしろ)
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・道相神社 拝殿〈神楽殿〉
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・神門
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・〈社頭〉狛犬
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・〈社頭〉鳥居
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹波國 71座(大5座・小66座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)桑田郡 19座(大2座・小17座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 神野神社
[ふ り が な ](かむのの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kamuno no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 丹波國 桑田郡 神野神社(かむのの かみのやしろ)の論社について
・宮川神社(亀岡市宮前町宮川神尾山)
宮川神社(みやがわじんじゃ)は 第42代文武天皇 大宝年間(701~708)京都下賀茂神社の祭神 玉依姫命の母神゛伊賀古夜姫命゛を祭神として神野山の山上に鎭めたのが起源〈現在も下賀茂神社との関係は深く葵祭の行列に毎年宮川神社の氏子が参列奉仕します〉延喜式内社 丹波國 桑田郡 神野神社(かむのの かみのやしろ)とされます
宮川神社(亀岡市宮前町宮川神尾山)〈『延喜式』神野神社〉
・玉依神社(亀岡市東別院町湯谷岳山)
玉依神社(たまよりじんじゃ)は 『特選神名牒〈明治9年(1876)完成〉』に「村老の説に山城加茂明神の分社也」とあり 延喜式内社 丹波國 桑田郡 神野神社(かむのの かみのやしろ)の論社として挙げられています 鎮座地の湯谷(ゆや)は 口伝には 小野小町が当地に来て 薬師堂にて参籠して湯浴み〈湯治〉をしたと伝えています
玉依神社(亀岡市東別院町湯谷岳山)〈『延喜式』神野神社〉
・道相神社(南丹市美山町宮脇ヒノ谷)
道相神社(どうそうじんじゃ)は 第十代崇神天皇御宇<前97~前30年>四道将軍として丹波地方に遣わされた丹波道主命が この地方開発のため宮脇の地に野々宮御所を創建されたのが起源と云う 社傳には允恭天皇の皇子 木梨軽皇子が この地に潜まれた時に土地を経營し給ひ 神日本磐余彦命 五瀬命の二柱を奉祀したとも云う
道相神社(南丹市美山町宮脇ヒノ谷)〈『延喜式』神野神社〉
・住吉神社〈下鴨宮〉(南丹市八木町観音寺裏山)
住吉神社〈下鴨宮〉(すみよしじんじゃ)は 元々は熊野社でしたが 明治時代の神社整理により 明治六年四月大字刑部の住吉神社の祭神を遷座 改称したものです 『大日本地名辭書』に依れば 延喜式内社 桑田郡 神野神社(かむのの かみのやしろ)は大宇觀音寺に在り と記されており式内論社となっています
住吉神社〈下鴨宮〉(南丹市八木町観音寺裏山)〈『延喜式』神野神社〉
延喜式内社 丹波國 氷上郡 神野神社(かむの かみのやしろ)の論社について
・円通寺(丹波市氷上町御油字マガリ)〈神野神社の南300m 古社地〉
・神野神社(丹波市氷上町御油字マガリ)
・鴨神社(丹波市市島町梶原字カモ)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR山陰本線 園部駅から府道19号を北上して約25.6km 車で35分程度
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府道19号の旧道沿いに鳥居が建ちます
道相神社(南丹市美山町宮脇ヒノ谷)に参着
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鳥居の扁額には゛道相神社゛(どうそうじんじゃ)と記されています
一礼をして 鳥居をくぐると 神門が構えています
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神門をくぐり抜けると 境内の中央に拝殿があり その奥に一段高い境内に本殿が建てられています
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本殿にすすみます
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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本殿の両側には境内社が祀られています
社殿に一礼をして 境内を戻ります
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鳥居を抜けて一礼
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 神野神社について 所在は゛宮傍村に在す゛〈現 道相神社(南丹市美山町宮脇ヒノ谷)〉と記しています
【抜粋意訳】
神野神社
神野は 加美乃と訓べし
〇祭神 伊可古夜日女命
〇宮傍村に在す〔啓蒙〕
〇頭注云、賀茂建角身命 錨伊賀古彌日賣命也、玉依彦玉依姫母也、玉依姫鴨御祖神也、玉依彦可茂縣主等遠祖也、
〇當國 氷上郡 神野神社もあり
【原文参照】
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『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 神野神社について 所在は゛今 観音村に在り、下鴨宮と云ふ、゛〈現 住吉神社〈下鴨宮〉(南丹市八木町観音寺裏山)〉と記しています
【抜粋意訳】
神野(カミヌノ)神社
今 観音村に在り、下鴨宮と云ふ、〔三才圖會、國華万葉記、〕〔〇按 観音疑らくは、神野の轉音也、〕
賀茂建角身命の妃、神野神伊加古夜比賣命(カミノ カムイカコヤヒメノミコト)を祀る、〔参取袖中鈔引賀茂縁起、山代風土記、神名帳頭注、〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 神野神社について 所在は゛丹波國桑田郡宮脇村゛〈現 道相神社(南丹市美山町宮脇ヒノ谷)〉と記しています
又 宮川村神尾山金輪寺鎭守とする説もあるが 寺に言い伝えが無く
宮川村の宮川神社は神尾山の麓に鎭座す
又 湯谷嶽の麓 湯谷村に玉依神社あり との説も挙げています
【抜粋意訳】
神野(カムヌノ)神社
祭神 神伊加古夜日女(カムイカコヤヒメノ)命
今按 山城風土記に賀茂建角身命 娶 丹波國 神野神伊可古夜日女 生子名 玉依日子 次曰 玉依日賣とみえたるを思ふに此神に神野の字を冠らせたるは其鎭座の地名なるべし
祭日
社格所在
今按 丹波式社啓蒙云 軽野社在 丹波國桑田郡宮脇村 按神野之轉乎とあり 今之を考るに宮脇村は氏子数十ヶ村にわたり 土人は木梨軽王子を祭ると云ふ 盖 神野の轉に非る也
或云 同郡宮川村神尾山金輪寺鎭守かと云れど 同寺に其説を傳ふることなし 宮川村の宮川神社は神尾山の麓に鎭座す 此亦古社なり
又 湯谷嶽の麓 湯谷村に玉依神社あり樹木繁茂 眞に幽邃の古社なり 神前釣燈籠に承安元年辛卯源三位賴政奉之とあり 村老の説に山城加茂明神の分社也と 蓋此社 玉依彦か玉依姫か共に伊可古夜日女の子也 神野神社に所緣ありと云れど 古記の證とすべきものなければ今詳ならず
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
道相神社(南丹市美山町宮脇ヒノ谷)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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丹波国 式内社 71座(大5座・小66座)について に戻る
丹波国(たんばのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 丹波国には 式内社 71座(大5座・小66座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
丹波國 式内社 71座(大5座・小66座)について