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鎮魂(ちんこん)とは? 意味・鎮魂祭・魂振・慰霊との違い

SHD-0008 鎮魂(ちんこん)とは?意味・鎮魂祭・魂振・慰霊との違い

鎮魂(ちんこん)は、古代宮廷祭祀では遊離しようとする魂を招き、身体の中に鎮めることを中心とした語です。宮中の鎮魂祭、魂振との関係、鎮魂八神、石上神宮・物部神社の祭祀、現代の慰霊・追悼との違いを、『令義解』『日本書紀』『古語拾遺』『貞観儀式』『延喜式』と公式情報に基づいて解説します。

鎮魂の基本情報
項目 内容
記事番号 SHD-0008
制作区分 Edition 1 Official Master
見出し語 鎮魂
読み方 ちんこん/みたましずめ
古代祭祀上の中心義 遊離しようとする魂を招き、身体の中に鎮めること
現代の一般的用法 死者・犠牲者の霊を慰め、安らぎを祈ること
関連祭祀 鎮魂祭、鎮魂の儀、魂振
主要史料 『令義解』『日本書紀』『古語拾遺』『貞観儀式』『延喜式』
関連語 御魂、魂振、招魂、慰霊、追悼、新嘗祭、御霊信仰

第1章 鎮魂とは

1-1 古代祭祀と現代語では意味の中心が異なる

鎮魂(ちんこん)とは、文字どおりには「魂を鎮める」ことを意味します。しかし、神道史・古代祭祀史でいう鎮魂は、現在広く使われる「亡くなった人の霊を慰めること」だけを指す語ではありません。

古代の宮廷祭祀では、主として生きている天皇の魂が身体から遊離しないように招き戻し、身体の中に安定させる祭儀として理解されました。これに対して現代では、災害・事故・戦争などで亡くなった人々の霊を慰める意味でも広く用いられています。両者は対象と目的が異なるため、同一の意味として扱わないことが大切です。

1-2 鎮魂を理解する二つの視点

第一は、生者の魂を身体に鎮める古代祭祀上の意味です。第二は、死者の霊の安らぎを祈る現代的な意味です。現代の用法を誤りとする必要はありませんが、古代の鎮魂祭を死者供養の儀礼として説明すると、その祭祀構造を見失います。

第2章 「鎮魂」の読み方と語義

2-1 「ちんこん」と「みたましずめ」

「鎮魂」は一般に「ちんこん」と音読します。祭祀の文脈では「みたましずめ」と読まれることもあり、鎮魂祭には「みたましずめのまつり」「みたまふりのみまつり」などの読みが伝えられています。ただし、読みの違いだけから祭儀の機能を確定することはできません。

2-2 『令義解』が示す鎮魂

養老令の公的注釈書である『令義解』は、職員令の神祇官条にみえる鎮魂について「離れ遊ぼうとする魂を招き、身体の中府に鎮める」という趣旨で説明します。ここでは死者の霊を慰めるのではなく、生者の魂を身体にとどめることが中心です。

この説明は古代の鎮魂を理解する重要な手がかりですが、古代の霊魂観全体を一文だけで説明できるわけではありません。『令集解』に引用された諸説や儀式書も併せて検討する必要があります。

2-3 魂振との関係

魂振(たまふり)は、魂を振り動かし、生命力を呼び起こす働きとして説明されます。「鎮魂は静的作用、魂振は動的作用」と整理すると理解しやすい一方、この区分は古代史料が一律に示した定義ではありません。鎮魂祭の所作をどのように解釈するかについては複数の学説があります。本記事では、魂を身体に安定させる働きと、活力を振り起こすと解釈される働きが祭儀の中で関係していた、と慎重に捉えます。

第3章 鎮魂祭の成立と最初期の記録

3-1 『日本書紀』天武天皇十四年条

鎮魂祭の最初期の記録として、『日本書紀』天武天皇十四年(685)十一月二十四日条が挙げられます。同条には「招魂(みたまふり)」を行ったことが記されています。後世の『延喜式』に定められた鎮魂祭と完全に同一の祭式であったと断定はできませんが、七世紀後半の宮廷で魂に関わる祭儀が行われていたことを示す重要な記録です。

3-2 律令制度の中の鎮魂

『延喜式』巻一「四時祭式上」は、鎮魂祭を小祀に分類します。「小祀」は祭りの価値が低いという意味ではなく、斎戒期間や奉仕体制に関する制度上の区分です。鎮魂祭は宮廷の年間祭祀に組み込まれ、新嘗祭に先立って行われました。

第4章 『延喜式』にみる宮中の鎮魂祭

4-1 十一月中の寅日に行われた祭儀

『延喜式』巻二「四時祭式下」鎮魂祭条によれば、鎮魂祭は十一月中の寅の日の日暮れ時に宮内省で行われました。翌日の卯の日には新嘗祭が行われるため、鎮魂祭は新嘗祭の前日に位置します。現在の固定日を古代の祭日にそのまま当てはめるのではなく、当時の暦日規定として理解する必要があります。

天皇と中宮の鎮魂祭は寅の日に行われ、東宮の鎮魂祭は三日後の巳の日に行うと定められていました。祭儀には神祇官、宮内省、中務省、大舎人寮、掃部寮、大膳職、造酒司、大蔵省などが関係し、各官司が人員・物品・饗膳などを分担しました。

4-2 鎮魂八神と大直神

祭られたのは、神祇官西院の八神殿に祀られた八座と、大直神一座です。『延喜式』巻九「神名式上」の「神祇官西院坐御巫等祭神二十三座」には、神産日神、高御産日神、玉積産日神、生産日神、足産日神、大宮売神、御食津神、事代主神の八座が掲げられています。

各神の働きを神名から一対一で割り当てる説明には注意が必要です。また、史料にみえる「大直神」と、後世の文献や神名解釈にみえる「大直日神」は、表記を無条件に統一せず、引用史料に従って区別します。

4-3 関係諸式が伝える奉仕体制

鎮魂祭に関する規定は、巻二だけに収められているわけではありません。巻十二「中務式」鎮魂祭条は、祭日の五日前に和舞の舞人を選び、侍従・内舎人・大舎人などを充てることを定めます。巻十三「大舎人式」和舞条、巻三十一「宮内式」新嘗寅日条、巻三十四「木工式」、巻三十六「掃部式」などにも、祭儀に必要な人員・設備・物品の規定があります。

第5章 『貞観儀式』と『古語拾遺』

5-1 『貞観儀式』鎮魂祭儀

『貞観儀式』巻五「鎮魂祭儀」は、鎮魂祭の進行を知る主要史料です。御巫、猿女、内侍、神祇官・宮内省の官人などが関わり、舞や御衣などを伴う祭儀が記されています。ただし、『延喜式』は諸官司の職掌を規定する法典であり、『貞観儀式』は儀式の次第を記す史料です。両者の記述を同じ性格の史料として混同しないことが必要です。

5-2 『古語拾遺』と天鈿女命の所作

斎部広成が大同二年(807)に撰した『古語拾遺』は、天岩戸の場面で天鈿女命が槽を伏せて踏み鳴らした所作を述べ、それを鎮魂の儀の由来と結び付けます。これは鎮魂祭を考える重要な古代伝承ですが、祭儀の歴史的起源をそのまま証明する記録ではありません。祭祀氏族の伝承と平安初期の説明として位置づけます。

5-3 祭具と所作の解釈

宇気槽を伏せて突く所作、御衣を振る所作、玉の緒を結ぶ所作などは、鎮魂祭の説明でしばしば取り上げられます。しかし、史料の成立時期や伝承の系統が異なり、所作の意味についても学説があります。魂を招く、生命力を振り起こす、身体にとどめるといった解釈は、史料の文言と研究上の推論を分けて示す必要があります。

第6章 鎮魂と物部氏・石上神宮

6-1 神剣と生命回復の伝承

『日本書紀』神武天皇紀には、熊野で危機に陥った神武天皇と軍勢が、神剣・韴霊(ふつのみたま)によって目覚めたという物語があります。石上神宮は布都御魂大神、布留御魂大神、布都斯魂大神を祀り、物部氏の祖神と神宝に関わる伝承を伝えます。

また、『先代旧事本紀』には十種瑞宝と「布瑠の言」に関する伝承があります。同書は『日本書紀』や『延喜式』と成立事情が異なるため、律令祭祀の直接史料ではなく、物部氏系の伝承を考える史料として区別します。

6-2 石上神宮の鎮魂祭と玉の緒祭

石上神宮では、十一月二十二日の夜に鎮魂祭が斎行されます。一方、「玉の緒祭」は節分前夜に行われる別の祭典です。両祭を同じ名称の祭典として扱うことはできません。祭日、名称、由緒は石上神宮の公式案内に従って区別します。

石上神宮―物部氏の祭祀伝承と鎮魂祭を伝える古社

https://shrineheritager.com/isonokami-jingu/

石上神宮(天理市布留町)〈『延喜式』石上坐布留御魂神社〔名神大 月次 相嘗新嘗〕〉

石上神宮(いそのかみじんぐう)は 『古事記』『日本書紀』にも 石上神宮と記されています この当時「神宮(かみのみや)」と称されているのは 伊勢神宮と石上神宮だけです 記録の上では日本最古設立の「神宮」とされています 伊勢神宮の古名は「磯宮(いそのみや)」で「石上(いそのかみ)」とは何らかの関係があるのかもしれません

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6-3 物部神社の鎮魂祭

島根県大田市の物部神社では、十一月二十四日に鎮魂祭が行われます。同社は、御祭神の宇摩志麻遅命が神武天皇の鎮魂宝寿を祈ったという由緒を伝えています。これは神社に伝わる祭祀伝承として紹介し、古代宮中の制度的な鎮魂祭と完全に同一であるとは断定しません。

物部神社―宇摩志麻遅命の鎮魂宝寿伝承を伝える石見国一之宮

https://shrineheritager.com/mononobe-shrine/

物部神社(大田市)〈延喜式内社・石見國一之宮〉

物部神社(もののべじんじゃ)は 大和朝廷が出雲の勢力を牽制するために 御祭神の宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)が 大和の地から物部氏の一族をひきいて尾張・美濃・越国を平定され さらに播磨・丹波を経て石見国に入り この地に宮居を築かれ 祖神として祀られたものと伝わります

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第7章 鎮魂・魂振・招魂・慰霊・追悼の違い

鎮魂と関連語の違い
用語 主な対象・作用 説明
鎮魂 古代祭祀では主として生者の魂 遊離しようとする魂を招き、身体の中に鎮めます。現代では死者の霊を慰める意味にも用いられます。
魂振 生者の魂・生命力 魂を振り動かし、活力を呼び起こす働きとして説明されます。鎮魂との関係には複数の学説があります。
招魂 離れた魂 魂を招き寄せることを中心とする語です。『日本書紀』天武天皇十四年条の「招魂」は鎮魂祭の初期記録として論じられます。
慰霊 死者・犠牲者の霊 霊を慰め、安らぎを祈ります。災害・事故・戦争の犠牲者に対する祭祀などで用いられます。
追悼 亡くなった人 生者が死者を思い、その死を悼む行為です。特定の霊魂観や祭祀を必ずしも前提としません。

現在の「鎮魂」は慰霊・追悼と重なる場面が多く、その用法自体は誤りではありません。ただし、古代の鎮魂祭を説明するときは、対象が生者か死者か、史料が何を記しているかを確認する必要があります。

第8章 鎮魂祭と新嘗祭・大嘗祭

8-1 新嘗祭前日の祭儀

新嘗祭は、新穀を神々に供え、天皇も新穀を召し上がる宮中祭祀です。古代の鎮魂祭がその前日に行われたことから、両祭は暦日の上で密接に関係していました。

鎮魂祭を「新嘗祭に臨む祭祀主体の生命力を整える前行儀礼」と捉える説明がありますが、これは祭日の連続と鎮魂の語義を踏まえた解釈です。『延喜式』の条文がその意味を直接説明しているわけではありません。

8-2 大嘗祭前一日の鎮魂の儀

即位後初めて行われる大嘗祭に際しては、その前日に「大嘗祭前一日鎮魂の儀」が行われます。宮内庁は、すべての行事が滞りなく行われるよう、天皇をはじめ関係諸員の安泰を祈念する儀式と説明しています。古代史料の祭式と現在の儀式を単純に同一視せず、継承と変化の双方を確認することが大切です。

第9章 現代における鎮魂

現代日本語では、鎮魂は災害・事故・戦争などで亡くなった人々の霊を慰める意味で広く用いられます。「慰霊鎮魂」「鎮魂の祈り」「鎮魂碑」などがその例です。

古代の鎮魂祭と現代の慰霊鎮魂には、対象と目的に違いがあります。両者を同じ祭祀として説明することはできません。一方、現代の用法を単なる誤用とするのでもなく、言葉の意味が歴史の中で広がったものとして理解できます。

神社ごとの祭典や慰霊行事を紹介する際は、各神社の公式説明を確認し、古代の宮中祭祀、神社に伝わる由緒、現代の追悼行事を区別して記述します。

第10章 よくある質問(FAQ)

鎮魂に関するよくある質問
質問 回答
鎮魂とは死者の供養ですか? 現代ではその意味でも使われますが、古代の宮中祭祀では、主として生きている天皇の魂を身体に鎮める意味が中心でした。
鎮魂と魂振は同じですか? 完全な同義語とは断定できません。両者を静的作用と動的作用に分ける説明は分かりやすいものの、祭儀の解釈には複数の学説があります。
古代の鎮魂祭はいつ行われましたか? 『延喜式』では十一月中の寅の日の日暮れ時です。翌日の卯の日に新嘗祭が行われました。
鎮魂八神とは誰ですか? 神産日神、高御産日神、玉積産日神、生産日神、足産日神、大宮売神、御食津神、事代主神の八座です。史料により表記の異同があります。
石上神宮の鎮魂祭は玉の緒祭ですか? 同じ祭典ではありません。鎮魂祭は十一月二十二日、玉の緒祭は節分前夜に行われる別の祭典です。
鎮魂は御霊信仰と同じですか? 同じではありません。御霊信仰は怨霊の慰撫と災厄の防止を中心とし、古代宮廷の鎮魂祭とは対象・目的が異なります。

第11章 Shrine Heritager編集部考察

鎮魂祭では、魂を身体の中に安定させると理解される働きと、舞や所作を通じて生命力を呼び起こすと解釈される働きが、対立せずに結び付いていたと考えられます。ただし、個々の所作の意味は史料に明記されていない場合があり、後世の伝承や研究上の解釈を事実として断定すべきではありません。

また、現在の慰霊鎮魂には、亡くなった人々の安らぎを願う祈りと、遺された人々が悲しみを抱えながら歩みを進める願いが重なる場合があります。古代と現代を直結させるのではなく、語義が変化しながら受け継がれてきた過程として捉えることが適切です。

第12章 関連神社総覧

鎮魂に関係する神社・祭神の記事
記事・神社名 URL 記事との関係
石上神宮 https://shrineheritager.com/isonokami-jingu/ 物部氏の祭祀伝承と十一月二十二日の鎮魂祭
物部神社 https://shrineheritager.com/mononobe-shrine/ 宇摩志麻遅命と十一月二十四日の鎮魂祭
八神殿(宮中神殿) https://shrineheritager.com/hashinden/ 鎮魂祭で祀られた八神を史料別に確認
高御魂神社 https://shrineheritager.com/takamimusubi-shrine/ 高御産日神に関係する神社
宇奈多理坐高御魂神社 https://shrineheritager.com/unatariniimasutakamimusubi-shrine/ 高御魂尊を祀る式内大社
鴨都波神社 https://shrineheritager.com/kamotsuwa-shrine/ 事代主神を祀る式内大社

八神殿―鎮魂祭で祀られた八神を史料から確認する

https://shrineheritager.com/hashinden/

八神殿(宮中三殿)〈『延喜式』御巫祭神8座(並大月次新嘗・中宮東宮御巫亦同)〉

八神殿(はっしんでん)は 「天皇守護の神」と言われる「八神」を祀り 古代日本において 国家祭祀の中枢として「宮中神祇官 西院」に祀られ 神祇官が祭祀を司ってきた神殿です
神祇官西院の西北に八神殿として 八社南北に東面して並んでいたと伝わります
現在は 宮中三殿の「神殿」において 祭祀は 継承していると云われています

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第13章 関連項目(See also)・内部リンク

鎮魂に関する内部リンク
記事名 URL 説明
荒御魂(あらみたま) https://shrineheritager.com/aramitama/ 神の荒々しく活動的な働き
和御魂(にぎみたま) https://shrineheritager.com/nigimitama/ 神の穏やかで調和的な働き
八神殿(宮中神殿) https://shrineheritager.com/hashinden/ 鎮魂祭で祀られた八神を史料別に確認
石上神宮 https://shrineheritager.com/isonokami-jingu/ 物部氏の祭祀伝承と鎮魂祭
物部神社 https://shrineheritager.com/mononobe-shrine/ 宇摩志麻遅命と鎮魂祭の由緒

第14章 一次史料・参考文献

本文で使用した一次史料
史料 該当箇所 本文での用途
『令義解』 職員令・神祇官条 鎮魂の古代的な語義
『日本書紀』 巻第二十九・天武天皇十四年十一月二十四日条 招魂の最初期の記録
『日本書紀』 巻第三・神武天皇紀 韴霊と生命回復の伝承
『古語拾遺』 天岩戸・天鈿女命関係記事 槽を踏む所作と鎮魂の儀の由来伝承
『貞観儀式』 巻五「鎮魂祭儀」 鎮魂祭の次第と奉仕者
『延喜式』 巻一「四時祭式上」 鎮魂祭を小祀に分類
『延喜式』 巻二「四時祭式下」鎮魂祭条 祭日、時刻、祭神、東宮祭など
『延喜式』 巻九「神名式上」 神祇官西院の八神
『延喜式』 巻十二「中務式」鎮魂祭条 和舞の舞人と奉仕者
『延喜式』 巻十三「大舎人式」和舞条 和舞奉仕
『延喜式』 巻三十一「宮内式」新嘗寅日条 祭神、供奉者、饗膳
『先代旧事本紀』 天神本紀・天孫本紀 十種瑞宝と物部氏系伝承
校訂本・研究文献
著者・編者 書名・掲載誌 出版情報
虎尾俊哉編 『延喜式 上』訳注日本史料 集英社、2000年、ISBN 978-4-08-197008-7
斎部広成撰・西宮一民校注 『古語拾遺』岩波文庫 岩波書店、1985年、ISBN 978-4-00-300351-0
國學院大學日本文化研究所編・鎌田純一執筆 『先代旧事本紀の研究』校本の部/研究の部 吉川弘文館、1960年/1962年
塩川哲朗 「鎮魂祭の祭祀構造に関する一考察」 『神道研究集録』第32輯、2018年
宮内庁書陵部 『貞観儀式』巻第一―五(図書寮文庫所蔵写本) 書陵部所蔵資料目録・画像公開システム、資料詳細ID 1000451180000

第15章 External Links(外部リンク)

鎮魂の史料・祭祀を確認できる外部サイト
サイト名 URL 確認内容
國學院大學デジタル・ミュージアム「延喜式祭祀関連条文対応データベース」 https://d-museum.kokugakuin.ac.jp/esj/ 『延喜式』の鎮魂祭関係条文
宮内庁「ご即位・大礼の主な儀式・行事」 https://www.kunaicho.go.jp/20years/20kiroku/sokui-01.html 大嘗祭前一日鎮魂の儀
宮内庁書陵部「貞観儀式」 https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Toshoryo/Detail/1000451180000 『貞観儀式』巻五の鎮魂祭儀
石上神宮「鎮魂祭・玉の緒祭」 https://www.isonokami.jp/shinwa/shinwa2.html 別祭である鎮魂祭と玉の緒祭の由緒・祭日
物部神社「鎮魂祭」 https://www.mononobe-jinja.jp/event/november/359 十一月二十四日の鎮魂祭と由緒
國學院大學学術情報リポジトリ https://k-rain.repo.nii.ac.jp/record/2332/files/shintokenkyusyuroku_032_004.pdf 鎮魂祭の祭祀構造に関する研究

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メタディスクリプション 鎮魂とは何かを、古代宮廷の鎮魂祭、魂振との関係、鎮魂八神、石上神宮・物部神社の祭祀、現代の慰霊・追悼との違いから、古典史料と公式情報に基づいて解説します。
主要検索語句 実際の検索データ確認後に設定します。制作段階で推測設定はしません。
検索語句候補(参考) 鎮魂とは/鎮魂 意味/鎮魂祭/魂振/みたましずめ ※主要検索語句とは別に管理します。
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更新履歴(Revision History)

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日付 更新内容
2026年8月12日 Edition 1 Official Master 史料名・祭日・石上神宮祭典名を訂正し、参考文献、内部・外部リンク、STINGER投稿ID、HTML表、SEO情報を再監査しました。

Research Note

鎮魂祭の起源、鎮魂と魂振の関係、宇気槽・御衣・玉の緒などの所作の意味には複数の学説があります。本記事は、『令義解』『日本書紀』『古語拾遺』『貞観儀式』『延喜式』の成立時期と史料の性格を区別し、神社の由緒は各社の公式説明として扱いました。

品質保証

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本文図版:Shrine Heritager「八神殿」記事の史料別八神対照表

 

 

 

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