実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

〈知知夫國新一之宮〉秩父神社(秩父市番場町)

秩父神社(ちちぶじんじゃ)は 秩父の武甲山(ブコウサン)を神奈備の山として遥拝する聖地で 10 崇神(スジン)天皇〈在位BC97~BC30年頃〉の勅命で 初代 知知夫国(ちちぶくにのみやつこに任命された 八意思兼命の十世の子孫知知夫彦(チチブヒコ)が 大神をお祀りしたのが創建と伝わります 武蔵国(むさしのくに)成立以前から栄えていた 知知夫国(ちちぶのくに)の総鎮守として 『延喜式神名帳(927年12月編纂)に所載される 関東でも屈指の古社に数えられています

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

秩父神社Chichibu Shrine) 
(ちちぶじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

妙見さま

【鎮座地 (Location) 

埼玉県秩父市番場町1-3

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》八意思兼命Yagokoro omoikane no mikoto)
   知知夫彦Chichibuhiko no mikoto)

《配》天之御中主神Ameno minakanushi no kami)
   秩父宮雍仁親王Chichibunomiya yasuhito shinno)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

(政治 学問 工業 開運の祖神)
(秩父地方開拓の祖神)
(北辰妙見と同神格)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社
・ 知知夫国新一之宮Chichibu no kuni shin ichinomiya)2006(平成18)年
・ 別表神社1948(昭和23)年に指定

【創  (Beginning of history)】

武甲山を神奈備として遥拝する聖地に 第10代 崇神天皇スジンテンノウ)の御代〈在位BC97~BC30年頃〉 初代 知々夫国造に任命された「知知夫彦命「大神を拝祠」したのが始まりと伝わります

※かつての武甲山の写真/撮影 清水武甲/が 社務所に飾られていました

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御祭神

八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)
(政治 学問 工業 開運の祖神)
知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)
(秩父地方開拓の祖神)
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
(北辰妙見と同神格)
秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう)
(先帝昭和天皇の弟宮)


御由緒
 当社のご創建は 平安初期の典籍「先代旧事紀(せんだいくじき)-国造本紀(こくぞうほんぎ)-」によれば、人皇第10代の崇神(すじん)天皇の時代に、八意思兼命を祖とする知知夫彦命が、知知夫国の初代 国造(くにのみやつこ)に任命され大神を祀ったことに始まるとされており、武蔵国 成立以前より栄えた知知夫国の総鎮守として現在に至っています。

 元慶(がんぎょう)2年(878年)には神階 正四位下に昇叙され、延長5年(927年)に編纂された「延喜式(えんぎしき)」にも掲載されるなど、関東でも屈指の古社のひとつに数えられています。
また、中世以降は関東武士団の源流、秩父平氏が奉じる妙見信仰と習合し長く「秩父妙見宮(ちちぶみょうけんぐう)」として隆盛を極めましたが、明治の神仏分離令により秩父神社の旧社名に復しました。


 現在の権現造(ごんげんづく)りのご社殿は、天正20年(1592年)に徳川家康公が寄進されたもので、江戸時代初期の建築様式をよく留めていることから、埼玉県の有形文化財に指定されています。
また、毎年123日に行われる例大祭は「秩父夜祭り」として国の重要無形民俗文化財に指定され、京都の祇園祭り、飛騨高山祭りと共に日本三大曳山祭(ひきやままつ)りに数えられ全国に知られています。

 古くこのお祭りは妙見祭(みょうけんまち)とも呼ばれ、妙見様の星祭りとして親しまれてきました。妙見様のご利益は、国土守護、除災招福、貧窮を救い、一切の諸願を満たしてくれる天女のような神様であり、庶民の様々な願いを叶えてくれるご神徳があるとされています。これにちなんで、当社に古くから伝わる妙見様の御姿を記した掛軸とお守りを奉製しました。霊験あらたかな妙見様のご加護により、皆様に幸せが訪れますことをお祈り申し上げております。

◎縁起物「妙見御姿」  秩父神社社務所

境内案内板より

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【由  (History)】

秩父神社

当社は、市の中央柞の森に鎮座し、秩父地方の総社であり、
延喜式神名帳にものっている、二千有余年の歴史をもつ関東屈指の古社であります。
人皇十代、崇神天皇の御代、知夫彦命がその祖神 八意思兼命を奉祀したのに始まるといわれております。

一、 御社殿
現在の社殿は、天正20年 徳川家康の寄進により建立されたもので見事な権現造りです。特に「つなぎの龍」と「子育ての虎」は名工「左甚五郎」の作といわれています。

一、 御祭神
八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)
 政治、学問、工業、開運の祖神
知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)
 郷土開拓の神。
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
 宇宙創造神、俗に北斗七星の神として妙見様といわれる。
秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう)

一、 御祭礼
2  節分祭(古式による鬼やらい行事が行われる)
44日 御田植祭
720日 夏祭り(川瀬祭り)悪疫払いの行事、神輿を荒川にもみ込み、屋台笠鉾を曳きまわされる。
123日 秩父夜祭り(冬季例大祭)
 日本三大曳山祭の一つで、国指定重要民俗資料 秩父祭屋台、笠鉾六基が、県指定無形文化財の秩父屋台ばやしのリズムに乗って街中を夜を徹して曳かれる

境内案内板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

本殿の奥
天神地祇社《主》全国の一之宮を中心として計75座の神々

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天神地祇社(てんじんちぎしゃ)について

 平安時代から中世にかけて、朝廷の「二十二社」奉幣制度と共に、全国の各国毎に「一ノ宮」「総社」の運営、祭祀の 尊重が図られるようになりました。かつて秩父地方は、知知夫国として独立した存在でありましたが、その当時には既に武蔵国に属しており、現在の東京都府中市に鎮座致します大国魂神社(別称 六所宮)が武蔵国の総社とされ、その第四ノ宮に当社のご祭神が奉祀されました。
 古くから当神社の境内社の一つとされて参りましたこの天神地祇社は、全国の一ノ宮(計七十五座)をお祀りしています。これほど多くの一ノ宮の神々を、境内社としてお祀りしている事例は全国的にも珍しいものと思います。
 何故、このような形でお祀りされたのかは定かではありませんが、一説によると当社のご祭神である八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)多くの神々の意見を纏められ、折々のご聖断を下される神様として古典神話の中で活躍されていることから、たくさんの一ノ宮の神様がお祀りされたとも云われています。ともあれ、これも秩父の歴史風土に深く根差した独自の信仰の表れで あると云えるかもしれません。
 この天神地祇社それぞれのご神前にお参りすることによって、合せて全国の一ノ宮を遥拝することになりますので、ご案内申上げます。 秩父神社社務所

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本殿の東西

皇大神宮《主》天照大御神(アマテラスオオミカミ)

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豊受大神宮《主》豊受大御神(トヨウケノオオミカミ)

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境内の東側

禍津日社《主》禍津日神(マガツヒノカミ

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天満天神社《主》菅原道真公(スガワラノミチザネコウ)

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・東照宮《主》徳川家康公(トクガワイエヤスコウ)

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境内の西側

日御碕宮《主》須佐之男命(スサノヲノミコト)

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柞稲荷神社《主》倉稲魂命ウガノミタマノミコト

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諏訪神社《主》建御名方神タケミナカタノカミ八坂刀売神ヤサカトメノカミ

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前全国の官社(式内社)一覧表で「2861の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」所載されています

延喜式神名帳】(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵国 44座(大2座・小42座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)秩父郡 2座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 秩父神社
[ふ り が な ]ちちぶの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Chichibu no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

武藏總社「大国魂神社(Ookunitama Shrine)」六所宮については 次の通りです

一ノ宮 小野神社 東京都
御祭神 天ノ下春命(国造の祖神)

一緒に読む
小野神社(府中市住吉町)

小野神社(おのじんじゃ)は 社伝によれば 第3代天皇「安寧天皇」18年の創建とされていますので 2000余年の由緒を持つ古社となります 御祭神「天下春命(ameno shitaharu no mikoto)」は 思金神の御子神で武蔵秩父国造の先祖とされています 境内にある「小野宮廟碑」に詳しく語られています 古くは武蔵国一之宮とされています

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二ノ宮 二宮神社(小河神社)あきる野市二宮
御祭神 国常立尊

三ノ宮 氷川神社 さいたま市大宮区高鼻町
御祭神 須佐之男命・稲田姫命・大己貴命

一緒に読む
大宮氷川神社(さいたま市大宮区高鼻町)〈武藏國一之宮〉

大宮氷川神社(おおみや ひかわじんじゃ)は およそ2400年前から遷座せずにこの地に鎮座する勝運に添える太古の社です 古代 出雲族がこの地に移住して創建した神社です 現在の「大宮」(埼玉県)の地名は 「大いなる宮居」と氷川神社を称えたことに由来していると云われます

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四ノ宮 秩父神社 埼玉県秩父市番場町
御祭神 八意思金命 知知夫彦命 天之御中主神

一緒に読む
〈知知夫國新一之宮〉秩父神社(秩父市番場町)

秩父神社(ちちぶじんじゃ)は 秩父の武甲山(ブコウサン)を神奈備の山として遥拝する聖地で 第10代 崇神(スジン)天皇〈在位BC97~BC30年頃〉の勅命で 初代 知知夫国造(ちちぶくにのみやつこ)に任命された 八意思兼命の十世の子孫「知知夫彦(チチブヒコ)命」が 大神をお祀りしたのが創建と伝わります 武蔵国(むさしのくに)成立以前から栄えていた 知知夫国(ちちぶのくに)の総鎮守として 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される 関東でも屈指の古社に数えられています

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五ノ宮 金鑚神社 埼玉県児玉郡神川町二ノ宮
御祭神 天照大神 素戔鳴尊 大和武尊

一緒に読む
金鑽神社(神川町二ノ宮)〈武藏國二之宮〉

金鑽神社(かなさなじんじゃ)は 背後の山全体〈禁足地 御室ケ獄〉を御神体として とくに本殿はなく 自然の山を祀る太古の信仰形態を残しています 社伝には景行天皇の御代 (西曆100年頃 )日本武尊(やまとたけるのみこと)が火打石・火鑽金を鎮め祀ったことを創始とし 延喜式神名帳には武蔵國 兒玉郡 金佐奈神社(名神大)(かなさなの かみのやしろ)と所載の古社です

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六ノ宮 杉山神社 神奈川県横浜市緑区西八朔町
御祭神 五十猛命 大日孁貴命 素戔鳴尊

一緒に読む
杉山神社(横浜市緑区西八朔町)

杉山神社(すぎやまじんじゃ)は 武蔵国の総社 大国魂神社の六之宮とされ 式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の有力な論社とされます 但し 都筑郡(横浜市北部)と周辺には70社程の゛杉山神社(杉山社 椙山神社)゛があり その数多い式内社 論社の所在についても 諸説があり  しかも いずれも證(あかし)はなく 未だに比定がなされていません

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当神社「秩父神社Chichibu Shrine)」は 武藏總社「大国魂神社(Ookunitama Shrine)」六所宮「四ノ宮」です

大国魂神社(Ookunitama Shrine(別称 六所宮)東京都府中市宮町3-1は 武蔵国の総社とされていて その第四ノ宮に当神社のご祭神が奉祀されています

ご祭神
中 殿 大國魂大神 
配 祀 御靈大神 国内諸神

東 殿 小野大神(一宮) 小河大神(二宮)
    氷川大神(三宮)

西 殿 秩父大神(四宮) 金佐奈大神(五宮)
    杉山大神(六宮)

大国魂神社(東京・府中)の記事をご覧ください

一緒に読む
大國魂神社(府中市宮町)〈武藏總社六所宮〉

大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)は 景行天皇41年(111)大神の託宣によって創立と伝わり 武蔵国の守神として大國魂神が祀られます 平安時代には各諸神を合祀゛総社゛となり 平安時代末期頃 武蔵国の著名な六所の神社を合祀゛武藏總社六所宮゛と称されます 社伝には 延喜式内社 武蔵國 多磨郡 大麻止乃豆乃天神社(おほまとのつのあまつかみのやしろ)とも伝わります

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初代 知知夫(チチブ)国造(クニノミヤツコ)について

「知知夫彦Chichibuhiko no mikoto)・知知夫姫命Chichibuhime no mikoto)」居住した地域と伝わる 金崎神社(皆野町)

一緒に読む
金崎神社(皆野町)

金崎神社(かなさきじんじゃ)は 第10代 崇神天皇〈在位BC97~BC30年頃〉の勅命を賜り 初代国造として知知夫国に降ったとされる・知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)・知知夫姫命(ちぢひめのみこと)を祀ります 以前の鎮座地は 国神方面を一望する社中山(シュチュウヤマ)でしたが 地滑り地帯にあり 社殿が老朽化したため これを奥社として 昭和53年(1978)八坂神社跡地〈現在地〉に新社殿を造営して 今に至ります

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初代 国造(クニノミヤツコ)の夫婦神
「知知夫彦Chichibuhiko no mikoto)・知知夫姫命Chichibuhime no mikoto)」の墳墓と伝わる「国神塚古墳」

国神の大イチョウ知知夫彦Chichibuhiko no mikoto)

一緒に読む
国神の大イチョウ〈知知夫彦命の国神塚〉

国神の大イチョウ〈知知夫彦命の国神塚〉は 〈第10代 崇神天皇〈在位BC97~BC30年頃〉知知夫国(チチブノクニ)の初代 国造(クニノミヤツコ)に任命された「知々夫彦命」「知々夫姫命」の墳墓であったといわれています かつて周囲に 数基の古墳があったと伝えられ 今は 墳形はありません 「国神の大イチョウ」は 知知夫彦命(Chichibuhiko no mikoto)の墳墓のほとりに植えられた木 といい伝えられています

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「国神知知父姫命Chichibuhime no mikoto)のイチョウ

一緒に読む
国神の姫イチョウ〈知知父姫命〉

国神(くにかみ)の姫(ひめ)イチョウは 〈第10代 崇神天皇〈在位BC97~BC30年頃〉知知夫国(チチブノクニ)初代 国造(クニノミヤツコ)「知知父姫命(ちちぶひめのみこと)」の墓のほとりに植えられた木 と言い伝えられ ここから西北西 約150メートルのところにも「国神の大イチョウ」というイチョウの巨木(埼玉県指定天然記念物)があり こちらは「知知父彦命(ちちぶひこのみこと)」の墓のほとりに植えられた木 と言い伝えられています

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知知夫彦Chichibuhiko no mikoto)まつわる その他の神社

三峯神社 境内 秩父神社 埼玉県秩父市三峰

椋神社 境内 秩父彦之大神 埼玉県秩父郡皆野町皆野

一緒に読む
皆野 椋神社(皆野町皆野)

皆野 椋神社(みなのむくじんじゃ)は 延喜式内社 武蔵國 秩父郡 椋神社(むくの かみのやしろ)の5つある論社の一つです 社記には 景行天皇四十年日本武尊が知知夫国を巡見した折 この地に至り御矛を立て猿田彦命・大己貴命・ 八意思兼命を鎮祭したことを創祀としています

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楡山神社 境内 知々夫神社 埼玉県深谷市原郷

一緒に読む
楡山神社(深谷市原郷)

楡山神社(にれやまじんじゃ)は 創建年代等は不詳ですが 第5代 孝昭天皇の御代〈紀元前〉の御鎮座という言い伝えがあり 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の「武蔵国 幡羅郡 四座」のうちの一社「楡山神社」の論社です

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

秩父鉄道「秩父駅」から約400m 徒歩5分程度
境内南には 見事な紅葉に大鳥居

秩父神社Chichibu Shrine) に参着

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一礼をして 鳥居をくぐると 真っ直ぐに参道が延び左手に 見事な彫刻の手水舎があり 清めます

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右手には社務所が建ちます

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御垣に囲まれた境内へと神門をくぐります

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神門の内側は 一段高い境内となっていて 参道の正面に社殿が建ちます

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境内左手の境内社にお詣りをします

日御碕宮柞稲荷神社諏訪神社

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傍らに

・神降石(ジコウセキ)

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秩父宮御手植銀杏と勢津子妃殿下御手植銀杏が植えられています

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境内の右手には 御神木の銀杏

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その傍らに鎮座する境内社にお詣りをします

・東照宮天満天神社禍津日社

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拝殿にすすみます 

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賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿は 見事な彫刻に囲まれて 掛かる 扁額に「知知夫神社」とあります

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素晴らしい彫刻の中でも代表されるのが4つ

①社殿南面「子宝 子育ての虎」左 甚五郎 作

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➁社殿東北面(裏鬼門)「つなぎの龍」左 甚五郎 作

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③社殿西側「お元気 三猿(サンザル)」

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④社殿北側「北辰(ホクシン)の梟(フクロウ)」

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本殿を仰ぎます

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拝殿壁にも彫刻は施されています

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社殿に一礼をして 参道を戻ります
名水武甲山伏流水「あまが池」があります

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神門を抜けて 振り返り一礼をします

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下の境内には神楽殿があり 「秩父の夜祭」の案内板があります

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秩父夜祭(ちちぶよまつり)

秩父市の中央柞(ははそ)の森に鎮座する秩父神社は秩父地方の総社延喜式神名帳にのっている関東屈指の古い社である。

創立は、遠く崇神(すじん)天皇(約二千年前)の御代、知知夫国造(ちちぶくにのみやつこ)として来任された知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)とその祖神の八意思兼命 (やごころおもいかねのみこと)、それに天之御中主命(あめのみなかぬしのみこと )の三柱を祀(まつ)ったと言う。

神仏習合の時代には、秩父 妙見宮(みょうけんぐう)として栄え、毎年123日、この社の例大祭が秩父夜祭りである。また、寛延(かんえん)年間以来、絹織物の絹大市がたち、諸国から商人が多く入り、取引が盛んに行われたため、別名「お蚕(かいこ)祭り」ともいわれ、秩父織物産地の基盤ができたのもこの頃からである。

この祭に曳(ひ)かれる笠鉾(かさぼこ)と屋台(やたい)は、寛文(かんぶん)年間(約三百年前)にはほぼ現在の形が整ったようである。中近(なかちか)と下郷(したごう)の二基は笠鉾で、他の屋台四基は、いずれも芸能屋台で、江戸の歌舞伎舞台が祭礼 曳山(ひきやま)に仕組まれた発達過程をそのまま物語るものであり、祭礼 曳山によって庶民劇場を街中に短時間で組み上げることは、劇場発達史的見地からも 極めて貴重な存在である。

夜祭りというと夜だけの祭りと思われがちだが、朝9時ごろから各町内を始め、神社で屋台芝居、曳き踊りが見物できる。祭りのクライマックスは、3日夜、お旅所(たびしょ)下の急坂を豪快な屋台ばやしで一台一台曳き上げる時で、正に動く不夜城の絵巻であり、折から打ち上げられる大仕掛け花火との競演は、祭りを見る人々の心を興奮のるつぼ へ誘い込むのである。

寛政(かんせい)、天保(てんぽう)の改革等その都度禁止の圧力を受けながらも、夜祭りの灯は秩父の人々の 生命の灯となって護(まも)りつづけられ、現在は二十万余の観光客で賑(にぎ)わっている。

また、この笠鉾、屋台の六基、屋台芝居、曳き踊りと屋台ばやし、神社の神楽と一連の祭行事が国の文化財に指定されており、秩父夜祭、飛騨高山祭、京都祇園祭が日本三大曳き山祭として知られている。

昭和563 秩父市 

境内案内板より

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『先代旧事本紀(Sendai KujiHongi)』〈平安初期(806~906)頃の成立〉に記される伝承

『先代旧事本紀(Sendai KujiHongi)造本紀』に
第10代 崇神天皇スジンテンノウ)の御代 初代 知々夫国造に任命された「知知夫彦命「大神を拝祠」したと記されています

意訳

第10巻 國造本紀(クニノミヤツコノホンギ)
知知夫(チチブノ)國造(クニノミヤツコ)の条

瑞籬朝(ミズカキノミカドノ)〈第10代 崇神(スジン)天皇〉の御代

八意思兼命(ヤツゴコロオモイガネノミコトの十世(トツキノ)孫
知知夫彦命(チチブヒコノミコト)を國造(クニノミヤツコ)に定(サダメ)賜(タマワ)るに 大神(オオカミ)を拝祠(オガミマツル)

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『先代旧事本紀』刊本(跋刊) ,延宝06年 校訂者:出口延佳 [旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000038380&ID=M2017051017170432508&TYPE=&NO=画像利用

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『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』延喜元年(901年)成立 に記される伝承

神階の昇叙が記されています

意訳

貞観4年(862年)7月21日の条

地震(ジシン)あり 
武蔵国(ムサシノクニ)
正五位下 勲七等 秩父神(チチブノカミ)に 正五位上を 授(サズク)

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貞観13年(871年)11月10日の条

武蔵国(ムサシノクニ)
正五位上 勲七等 秩父神(チチブノカミ)に 従四下を 授(サズク)

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元慶2年(878年)12月8日の条

武蔵国(ムサシノクニ)
従四上 勲七等 秩父神(チチブノカミ)に 正四下を 授(サズク)

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【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

『神名帳考証土代(jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

意訳

秩父(チチブ)神社

三実『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』の神階昇叙・・・・・が記されています
『先代旧事本紀(Sendai KujiHongi)造本紀』・・・・が記されています

〇今 大宮妙見宮と称す ご朱印57
 棟札に神宮 秩父彦命とあり 

武話 秩父郡大宮町の北端に 神宮司様(ジングウジサマ)という祠あり これ延喜式なる秩父神社の祭神 知々父彦命なりと云う 国造本記に見えたり
本地主にて 妙見は 地かりなるべし さて この神社 上世より2月3日 田植の神事あり 古稚に云う 
又6月15日 秩父妙見に社の神輿洗いありと云う

兵家茶話 日夏氏
三峯社は 秩父神社なり 日本武尊祭り奉る社はなくて 石7つあり ゆえに七石大明神と云うこれ 奥の社なり 甲信武の3国の界にて 白鳥郷 大瀧村と云うなり
当郷66村あり これ土人〈里人〉の説なり

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』明治45年(1912)に記される伝承

意訳

縣社 秩父(チチブノ)神社

  八意思兼(ヤゴコロオモイカネノ)
    夫彦(チチブヒコノ)

祭神 大国主(オオクニヌシノ)命
    素戔嗚(スサノヲノ)命

本社は もと 妙見社 又は (ハハソ)社とも称せり 創立年代詳ならず
但し 天正20年の棟札に 当社開基者 仁王30代 欽明天皇の御代 明要6年丙寅 奉祝 云々と

三代実録
清和天皇 貞観4年7月戊子 
正五位下 勲七等 秩父神(チチブノカミ)に 正五位上を 授(サズク)るよし見え
次いで 同13年11月壬牛 従四下を賜り 陽成天皇 元慶2年12月己巳 従四より正四位下を授けるよし見え

延喜の制 小社に列せられる

後世 当国の四ノ宮たり 
往古 甚だ 盛大にして「中古までは 末社も75宇建てり」と新編武蔵風土記稿に見えるも

近古 兵乱の為 末社焼失 神田略奪の厄に逢い わずかに瑞垣内を存するのみ
しかるに 徳川家康 天下の権を握るに当たり 社殿復興 社領57石寄進せられ 暫く旧観に復することを得たりと

当社 社殿は
天正20年の棟札に 延慶2年造営 のち元亀元年 放火に逢い 天正元年再興すと 雖(イエド)も粗造り 

即ち 天正20年 徳川家康 大旦那となり再興せられたるよし見えたるが


当社の縁起によれば
喜禎元年9月に雷火に逢いて 社は灰燼となり

延慶2年10月 仮殿に遷宮
慶永4年7月に本殿が再興
永禄12年 武田信玄が隣国侵掠の祭 兵火にかかり 再び灰燼に帰す
天正7年に至り 北条氏邦仮殿造営 圭田7石を附すが
同19年11月 徳川家康50石を加増し 20年本殿造営 云々と

明治4年 縣社に列せられる
社殿は 本殿 幣殿 拝殿 神楽殿
境内は 3185坪(官有地第一種)内530坪 21年に公園地に組み替えしが 32年 公園地 1町3反8畝5歩 別に1反7畝20歩 境内に編入

社記に記して云う
「新地11,484坪 これを(ハハソ)森と称す ・杉・松・ケヤキの大木多く繁茂し 古社の様に思い知らる

旧 社家の神主「園田筑前」が 家に伝わる所の古文書2通 同書見えたり
正和2年 当社造営の事に関し 鎌倉将軍に致すの書たり

境内神社
・・・・・・
・・・・・・

【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

「つなぎの龍」-左甚五郎作-伝承

「つなぎの龍」-左甚五郎作- 

その昔、秩父札所十五番小林寺近くに「天ヶ池」という池がありました。その池に住みついた龍があばれた際には、必ずこの彫刻の下に水溜りができていたことから、この彫り物の龍鎖でつなぎ止めたところ、その後、龍は現れなくなったという不思議な伝説が伝わっています。

 ご本殿東側の鎖で つながれた青い龍の彫刻こそ、この伝説に語られた「つなぎの龍」の姿なのです。

 昔から日本人は、家や地域の四方を青龍、朱雀、百虎、玄武という神使が守っていると信じてきました。この彫刻も、当社の東北(表鬼門)を守護する青龍の姿を、名工左甚五郎が社殿彫刻に施したもの なのです。
・・・・
・・・・秩父神社社務所

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