葭原神社(あしはらじんじゃ)は 『日本文徳天皇實録』天安2年(858)2月に官社に預った記録がある古社で 皇大神宮(内宮)の末社16社のうち 第3位の末社です 『延喜式神名帳』所載 伊勢國 度會郡 荻原神社(貞)(をきはらの かみのやしろ)の論社ですが 中世に廃絶しました 明治6年(1873)現在地〈内宮の別宮゛月讀宮゛境内〉に再興されました
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
葭原神社(Ashihara shrine)〈皇大神宮末社〉
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
三重県伊勢市中村町字向垣外813
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》佐佐津比古命(ささつひこのみこと)
宇加乃御玉御祖命(うかのみたまのみおやのみこと)
伊加利比賣命(いかりひめのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・田野守護の五穀の神
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・ 皇大神宮 末社
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代不詳
※『皇太神宮儀式帳〈延暦23年(804)〉』(延暦儀式帳)に記載があり 同帳成立の以前の創建
伝説には 倭姫命が定めたと伝わる
【由 緒 (History)】
『神宮摂末社巡拝 下』
葭原(あしはら)神社
北中村の部落の北の端れに、月讀(つきよみ)の森があり、その南端に皇大神宮の末社 葭原神社が祭られてゐる。
延喜神名式には荻原(あしはら)神社と見えてゐる。御祭神は大歳神(おほとしのかみ)の兒 佐々津比古命(ささつひこのみこと)と宇加乃御玉御祖命(うかのみたまのみおやのみこと)と伊加利比女命との三柱の神を祭ってゐる。何れも葭原(あしはら)になってわる田野守護の五穀の神である。中世、他の神社と共に社地不明となったものを、明治六年現地に再興したものである。
【原文参照】
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
葭原神社は 月讀宮の境内に鎮座します
・月讀宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮は 各々が皇大神宮(内宮)の別宮で 明治6年(1873)現在の四つ宮並列した形で鎮座しました 『皇太神宮儀式帳(804年)』には「月讀宮一院 正殿四区」と一宮に四殿と記し 『延喜式〈927年〉』には「伊佐奈岐宮・伊佐奈彌社が瑞垣を巡らしたー院」「「月讀宮・月讀尊荒御魂社で一院」と二宮であったと記されています
月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉〉
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
葭原神社は 皇大神宮(内宮)の域外にある末社です
・皇大神宮(内宮)
皇大神宮(こうたいじんぐう)は 私たち日本人の総氏神「伊勢へ行きたい 伊勢路が見たい せめて一生に一度でも」と全国の人々で賑わう伊勢詣が有名です 通称を゛伊勢の内宮(ないくう)゛鎮座は゛垂仁天皇26年〈今から2000年前〉 御祭神は゛皇祖神 天照大御神゛御神体は皇位のしるし三種の神器の一つ゛八咫鏡(やたのかがみ)゛です
皇大神宮〈内宮〉(伊勢市宇治館町)〈伊勢神宮〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『日本文徳天皇実録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)〈元慶3年(879年)完成〉』に記される伝承
葭原神が 官社に預ったことが記されています
【抜粋意訳】
卷十 天安二年(八五八)二月丙戌〈廿三〉
○丙戌
在に 伊勢國に 正六位上 葭原神は 預る官社に
【原文参照】
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 荻原神社(貞)
[ふ り が な ](おきはらの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Okihara no kami no yashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 伊勢國 度會郡 荻原神社(貞)(をきはらの かみのやしろ)の論社について
・葭原神社(伊勢市中村町)〈皇大神宮末社〉
葭原神社(あしはらじんじゃ)は 『日本文徳天皇實録』天安2年(858)2月に官社に預った記録がある古社で 皇大神宮(内宮)の末社16社のうち 第3位の末社です 『延喜式神名帳』所載 伊勢國 度會郡 荻原神社(貞)(をきはらの かみのやしろ)の論社ですが 中世に廃絶しました 明治6年(1873)現在地〈内宮の別宮゛月讀宮゛境内〉に再興されました
葭原神社(伊勢市中村町)〈皇大神宮末社〉
・定神社〈佐田神社〉(大台町檜原字向假屋)
定神社〈佐田神社〉(さだじんじゃ)は 明治44年 地域の神社を荻原神社に合祀 佐田神社と改称 昭和28年 宮川ダム築造でダム湖に沈む集落の地より現在地に遷座゛定神社゛と改称 前身の成立ちは・奥定(榎村神社)・中定(中の宮)・口定(定古清宮・萩原神社)の三神社で その内の・奥定(榎村神社)は榎村神社・口定(定古清宮・萩原神社)は荻原神社と 二つの式内社論社です
定神社〈佐田神社〉(大台町檜原字向假屋)
・根倉神社 跡地・國之御神社 跡地(明和町根倉)
〈畠田神社に合祀 根倉神社(明和町根倉)〈萩原神社の論社〉の旧鎮座地〉
・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀 根倉神社(明和町根倉)〈萩原神社の論社〉〉
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
近鉄鳥羽線 五十鈴川駅から約1.4km 車5分程度
月讀宮の南側にある駐車場を目指します
・月讀宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮は 各々が皇大神宮(内宮)の別宮で 明治6年(1873)現在の四つ宮並列した形で鎮座しました 『皇太神宮儀式帳(804年)』には「月讀宮一院 正殿四区」と一宮に四殿と記し 『延喜式〈927年〉』には「伊佐奈岐宮・伊佐奈彌社が瑞垣を巡らしたー院」「「月讀宮・月讀尊荒御魂社で一院」と二宮であったと記されています
月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉〉
葭原神社は 月讀宮 境内の南側に鎮座します
社号石には゛皇大神宮 末社 葭原神社゛とあります
葭原神社(伊勢市中村町)〈皇大神宮末社〉に参着
境内の楠の巨木は 御神木でしょうか?
社殿にすすみ
お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿の隣には 小さいながらも 白玉石が敷き詰められた式年遷宮の古殿地があります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 葭原神社〈荻原神社〉について 所在は 月読宮南に在す宇加屋社〈現 葭原神社(伊勢市中村町)〈皇大神宮末社〉〉とし
文徳実録 天安2年にすでに官社に預っているのに 延喜の伊勢大神宮式には載せていない これは疎漏である と記しています
【抜粋意訳】
葭原神社
葭原は與之波良と訓べし
○祭神 佐々津比古命、宇加乃御玉御祖命、伊加利比女命、
○月読宮南に在す、宇加屋社此乎、神名略記
○儀式帳云、未官帳社十五処の中に載す 大歳神兒佐々津比古命、形石坐、又宇加乃御玉御祖命、形無、又伊加利比女、形無、
官社
文徳実録、天安2年2月丙戌、在伊勢國正六位上葭原神預官社、連胤按るに、當社既に官社に預れり、然れば延喜の伊勢大神宮式には、大神宮所摂官社の中に入べきを、延暦の儀式帳に官社廿四処、とあるままを執て、後に當社の官社に加はる事の沙汰なきは疎漏也といふべし、往昔もかかる不調子の事ある、恐るべし、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 葭原神社〈荻原神社〉について 所在について多氣郡根倉村 御玉社〈現 定神社〈佐田神社〉(大台町檜原字向假屋)〉としつつ
文徳実録には 〈現 葭原神社(伊勢市中村町)〈皇大神宮末社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
荻原(ヲギハラノ)神社
〇按 延暦儀式帳、文徳実録、に萩原を葭原に作る、
今 多氣郡根倉村 御玉社 蓋是也、伊勢式内社険録
大歳神兒 佐佐津比古命、加乃御玉御祖命、伊加利比女を祭る、佐佐津比古命形石に坐す、倭姫命 祝並 御刀代田を充奉りき、延暦儀式帳、
文徳天皇 天安二年二月丙戌、正六位上 葭原神官就に預る、即是也、文徳実録、
凡 本郡伊佐奈伎宮、伊佐奈彌宮、月讀宮坐荒御魂命三座 及 朝熊社以下 四十六座、並に齋宮祈年祭に預り坐神也、延喜式
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 葭原神社〈荻原神社〉について 所在は 度會郡北中村〈現 葭原神社(伊勢市中村町)〈皇大神宮末社〉〉とし その他の説を紹介しています
多気郡久豆村 荻原神社あり口定社と云〈現 定神社〈佐田神社〉(大台町檜原字向假屋)〉
又 根倉村と云〈現 根倉神社 跡地・國之御神社 跡地(明和町根倉)〉
【抜粋意訳】
荻原神社
祭神 佐々津比古命 大歳神兒
今按
荻原を大神宮儀式帳には葭原とあり 葭と萩と通はして用たるにや 儀式解に葭原はヲギハラとよむべしアシハラとよむはわろしと云り 姑附て考を俟つ官社 文德天皇天安二年二月丙戌在 伊勢國 正六位上 葭原神 預官社
祭日
社格 (明細帳 葭原神社 皇大神宮末社とせり 度會郡北中村)(内宮末社)
所在 (度會郡四郷村大字北中)今按
度會縣注進狀に 多気郡久豆村 荻原神社あり口定社と云 祭神 須佐之男命とあり 式社調帳には矢野村川邊社の南にイカリノモリあり 積良村の地なり此地にやと云り
檢錄には儀式帳に祭神を佐々津比古命とす 佐々津葦原の所由を以て多氣郡根倉村の御玉社と云ふや當社なるべきとあり 大神宮儀式解には社地は奧定村 熊野と伊勢の界 大杉谷の邉 より九里はかりせまりにあり 深山中にて九里の間人家なしとあるは 奥定社を謂ふなり
又 同書に宇治中村月夜見宮の南にー小社あり これならんと云へど 此邊イカヒと云ひイカヒの森と云より 葭原神社にます伊加利比女より思ひよせたるにて從ひがたしとみえたれば 積良中村に處のイカリノモリと云もうけがたく
又 口定奥定二處も深山幽遼の地にて式社はあるましく
又 根倉村と云も 祭神の名より推當たる説なれば據がたし猶考べし
【原文参照】
葭原神社(伊勢市中村町)〈皇大神宮末社〉に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
・お伊勢さん125社について
゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉
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伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です
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