実践和學 Cultural Japan heritage

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荒井神社(南丹市八木町美里字荒井)〈『三代實録』荒井神『延喜式』嶋物部神社〉

荒井神社(あらいじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが『三代實録』元慶6882丹波 荒井神従五位を授け記され 又 この付近には延喜式内社 丹波國 船井郡 嶋物部神社しまもののへの かみのやしろがあったとされるが その所在は不明となっていて 荒井神社は嶋物部神社の有力候補と云われます

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

荒井神社(Arai shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

京都府南丹市八木町美里字荒井1

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》荒魂神(あらみたまのかみ
   健御雷命(たけみかづちのかみ)
   経津主命(ふつぬしのみこと)
   屋根命(あめのこやねのみこと)
   (ひめのかみ)

※物部氏祖神 宇摩志麻遅命とする説もあり 荒魂神も宇摩志麻遅命の荒魂であると云う

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社
・ 国史見在社(こくしげんざいしゃ)
 〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』)に記載されている神社〉

【創  (Beginning of history)】

荒井神社

八木町美里に鎮座する荒井神社。本殿は永禄9年(1566)に建立されたもので、京都府登録文化財・南丹市指定文化財、境内は京都府指定文化財環境保全地区です。

「三代実録」元慶6年(882)10月9日条に丹波国荒井神として従五位を授けられたという記録があり、その当時には存在していたことがわかります。この付近には延喜式内社(延長5年/西暦927年の延喜式神名帳に記載された神社)の嶋物部神社があり、その所在は不明となっていますが、荒井神社は嶋物部神社の有力候補と言われています。真言宗西光寺の参道口に鎮座し、明治の神仏分離までは西光寺禅学院の両部僧(真言宗の神仏習合思想による僧侶)が神勤していました。

西光寺

八木町美里にある西光寺。天平勝宝8年(756年)に奈良東大寺の良弁僧正によって創建された真言宗寺院。高雄の神護寺の末寺。本堂は寛政11年(1799)に再建されたもので、南丹市指定文化財です。

文覚上人ゆかりの寺で、文覚上人得度の地とも、高雄の神護寺の別院としたとも伝えられています。最盛期には寺領三千石、塔頭36寺、本坊住持は日野・北小路家から出るという勢力を持っていました。民俗行事を伝承していて、8月20日と23日に行われる六斎念仏踊りは京都府指定無形民俗文化財です。船井ごおり西国三十三ヶ所観音霊場第21番札所で、桜と紅葉の名所としても知られています。

南丹市総合ガイド『南丹生活』HPより
https://tanbarakuichi.sakura.ne.jp/nantan/sightseeing/sightseeing04.html#araijinja

【由  (History)】

八木町指定文化財 昭和六十年三月三十日指定

荒井神社本殿

 当社の創建年代は明らかでないが、『日本三代実録』の元慶六年(八八二)十月九日の条に荒井神社の名が記されている。現本殿については、永生十六年(一五一九)九月八日桧皮屋根葺替時の寄付者名を書いた板札があることと、 明治八年の『寺社取調帳』に、「永禄九年十月吉日造作」の板札が一枚あると記されていることから、室町時代後期の建立と考えられる。

 本殿は、桧皮葺の一間社流造で、身舎は円柱、向拝は面取角柱である。柱は長押と頭貫で固められ、柱上には実肘木付出三斗が組まれる。軒は二重繁垂木で妻飾は豕扠首である。明暦三年(一六五七)の修理では、屋根葺替とともに軒より上の部分も補修されたが、当初の垂木が背面に 一部転用されるなど、当初材がよく残る。向拝の木鼻の彫 刻は地方色が濃く、実肘木や板蟇股の意匠や構造は、室町 時代末期の丹波地方の神社建築を知る上で重要である。

現地立札より

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『船井郡誌』に記される内容

【抜粋意訳】

第八章 社寺 神社

京都府編築の式内神社考證により、此等式内社の沿革を見るに左の如し

島物部神社

祭神 宇麻志麻治命歟 同郡神田村 荒井神社 此歟

 按するに島物部神社 必 志麻郷の內に鎭座あるへし、今 荒井神社 舊志麻郷の內 神田村に在て最古社なり、是 島物部神社歟、然而三代實錄に見れたる丹波國 荒井神も 又 當社歟、蓋し一社にして古来兩號を稱するなるへし

【原文参照】

船井郡教育会 編『船井郡誌』,船井郡教育会,大正4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/950928

【抜粋意訳】

村社 荒井神社  明治六年三月 大字神田小字荒井

 荒井神社は最古き社にして 永正十六年九月上屋根葺替の時 多数寄進者の氏名を錄せる板札一枚、永祿九年十月社殿修造の時の板札一枚、明暦三年八月屋根葺替同年九月二十四日正遷宮の時 多數寄進者の氏名を錄せる板札一枚あり、
延喜式内 島物部神社を以て 此の荒井神社に充て、三代實錄に出でたる丹波國 荒井神をも之に充てんとすること 通誌第八章に記述したるが如し。

【原文参照】

船井郡教育会 編『船井郡誌』,船井郡教育会,大正4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/950928

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

丹波國 荒井神に神階の奉授が記されています

【抜粋意訳】

卷四十二 元慶六年(八八二)十月九日戊申

○九日戊申


薩摩國 從四位上 開聞神正四位下

近江國 從五位上 小杖神
越中國 楯桙神
筑前國 鳥野神 從五位上

近江國 從五位下 牟佐上神 牟佐下神 栢板神從五位上

近江國 正六位上 物部布津神 海北神 海南神
美濃國 長友神
丹波國 荒井神 城埼神に 從五位下

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹波國 71座(大5座・小66座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)舩井郡 10座(大1座・小9座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 嶋物部神社
[ふ り が な ]しまもののへの かみのやしろ
[Old Shrine name]Shima mononohe no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載 「物部神社」の名称を持つ式内社の論社について

太古の大和朝廷では 物部氏は 神道を奉じ軍事を司る氏族として「八十物部(やそのもののべ)」と云われ 絶大な勢力を保持していました
その後 神道を奉じる物部氏の宗家〈物部守屋大連〉は 仏教を信奉する蘇我氏〈蘇我馬子 大臣〉と戦い敗れ〈用命天皇2年(587)〉 物部氏は徐々に衰退をして行く事になります

『延喜式(Engishiki)』(927年12月編纂)の時代となっても かつての物部氏の勢力の大きさを示すように 広範囲に物部の神社は分布しています

東海道

「伊勢國 飯高郡 物部神社」 

・伊勢寺神社(松阪市伊勢寺町)〈合祀〉

一緒に読む
伊勢寺神社(松阪市伊勢寺町)〈式内論社3社〈大神神社・物部神社・堀坂神社〉を合祀〉

伊勢寺神社(いせでらじんじゃ)は 寛正2年(1461)当村で疫病が流行し多くの村人が亡くなり 疫病鎮めの神として一志郡多気村の牛頭天王社を当地に勧請し高福大明神と称したのが始めと言う 明治41年(1908)式内社の論社3社〈大神神社・物部神社・堀坂神社〉を含む35社を合祀します 昭和5年(1930)伊勢寺神社と改称

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「伊勢國 壹志郡 物部神社」 

・物部神社(津市新家町)〈山辺の行宮〉

一緒に読む
物部神社(津市新家町)〈山辺の行宮〉〈延喜式内社〉

物部神社(もののべじんじゃ)は 古代この地方を支配した物部氏の一族 新家氏の氏神とされます 寛保元年(1741)の洪水により 古記録等が流失し創立当時の確かな記録はないが 当社は所替せず古来の地にあると云う 〈山辺の行宮〉の跡地ともされる 延喜式内社 伊勢國 壹志郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)とされます

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「尾張國 春日部郡 物部神社」 

・味美白山神社(春日井市二子町)〈合祀〉

・味美二子山古墳(春日井市二子町)〈旧鎮座地〉 

・諸大明神社(春日井市松本町)

・八所神社(豊山町豊場木戸)

「尾張國 愛智郡 物部神社」 

・物部神社(名古屋市東区筒井)

一緒に読む
物部神社(名古屋市東区筒井)〈御神体の霊璽゛一塊の巨大な石゛〉

物部神社(もののべじんじゃ)は 御神体の霊璽が゛一塊の巨大な石゛で 初代 神武天皇の御代に当地の凶魁を討たれ この石〈俗に要石 鎮撫石 根石とも云う〉を国の鎮めとされ 石神様とも呼ばれます 第11代 垂仁天皇の御代 初めて社殿が造営された云う 延喜式内社 尾張國 愛智郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)です

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・御器所八幡宮(名古屋市昭和区)

一緒に読む
御器所八幡宮(名古屋市昭和区御器所)〈八所大明神〉

御器所八幡宮(ごきそ はちまんぐう)は 第54代 仁明天皇の勅願所として熱田社の鬼門を守護するために創建と社伝に云う 御器所(ごきそ)の地名は『吾妻鏡』に この地で熱田社の神事に使う土器を焼いていたことから名付けられたと記述があり 尾張國 愛智郡の二つの式内社〈・高牟神社・物部神社〉の論社となっています

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「甲斐國 山梨郡 物部神社」 

・物部神社(笛吹市石和町)

一緒に読む
物部神社(笛吹市石和町松本)〈『六国史』物部神・『延喜式』物部神社〉

物部神社(もののべじんじゃ)は 大和朝廷の使者として武内宿禰(たけのうちのすくね)らが東方巡察の折 物部氏の従者により創祀されたと云う 『六国史』には゛物部神゛に神階の奉授が記され 『延喜式』に甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)と所載されます 当初 御室山に鎮座し 鎌倉時代に現在地に遷座と云う

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・御室山〈大蔵経寺山〉(笛吹市春日居町)〈旧鎮座地〉

・大石神社(山梨市西)

一緒に読む
大石神社(山梨市西)〈巨大な花崗岩のご神体が坐します〉

大石神社(おおいしじんじゃ)は その名の通り 巨大な花崗岩のご神体〈磐座信仰〉が坐します 社殿の周囲にも数々の巨大な石〈磐座〉があり 不思議な景観となっています 社伝によると 古くは物部神社と称していたとあり 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)の論社となっています

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・大石神社(甲州市塩山赤尾)

一緒に読む
大石神社(甲州市塩山赤尾)〈延喜式内社 物部神社の論社〉

大石神社(おおいしじんじゃ)は 社伝に 第21代 雄略天皇御宇 詔(みことのり)により海部直赤尾物部兎代宿禰(あまのあたいあかお もののべのとよのすくね)によって勧請されたと伝わります 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)の論社とされ 明治時代には 物部神社と称したと云う

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・白山建岡神社(山梨市上栗原)

一緒に読む
白山建岡神社(山梨市上栗原)〈上栗原村〔小市明神〕を合祀か?〉

建岡神社(たておかじんじゃ)は 江戸時代には〔白山権現〕と呼ばれていました 同じく上栗原村にあった〔小市明神〕は 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)であるとの一説もあります 現在〔小市明神〕は 建岡神社に合祀されているのか?

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「武蔵國 入間郡 物部天神社」 

・北野天神社(所沢市小手指元町) 

一緒に読む
北野天神社(所沢市小手指元町)〈正式名称゛物部天神社 國渭地祇神社 天満天神社゛〉

北野天神社(きたのてんじんしゃ)は 三社を合殿に祀る総称で 正式名称は゛物部天神社・國渭地祇神社・天満天神社゛です 元々は 日本武尊が祀ったと伝わる入間郡の式内社 物部天神社とされ さらに国渭地祇神社を(一説には出雲祝神社も)合祀すると云う 長徳元年(995)京都より北野天神を勧請し 坂東第一北野天神と称しました

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東山道

「美濃國 厚見郡 物部神社」 

・伊奈波神社(岐阜市伊奈波通)

・伊奈波神社 旧跡(岐阜市赤ケ洞)

・岩戸八幡神社(岐阜市長森岩戸)

・岩戸神社(岐阜市長森岩戸)〈参考論社〉

北陸道

「越中國 射水郡 物部神社」 

・物部神社(高岡市東海老坂)

「越後國 頸城郡 物部神社」 

・物部神社(上越市清里区)

一緒に読む
物部神社(上越市清里区南田中)〈延喜式内社 物部神社(もののへの かみのやしろ)〉

物部神社(もののべじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「越後國 頸城郡 物部神社」です かつては 武士(もののふ)村に鎮座し 山王権現〈日吉神〉と呼ばれていました その後 田中村新田に遷座 昭和46年4月 圃場整備事業のため現在地〈南田中〉に遷座しました

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「越後國 三嶋郡 物部神社」 

・二田物部神社(柏崎市西山町)

一緒に読む
二田物部神社(柏崎市西山町二田)〈『延喜式』物部神社〉

物部神社(もののべじんじゃ)は 祭神 二田天物部命は 天香山命に奉仕て 高志国(越国)に天降りしたと云う 二田を献上する者がおり その地に居を定め その里を「二田」と称したと伝え 命は薨(こう)じて 二田の土生田(はにゅうだ)の高陵に葬られたと云う 延喜式内社 越後國 三嶋郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)です

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「佐渡國 雑太郡 物部神社」 

・物部神社(佐渡市小倉)

一緒に読む
物部神社(佐渡市小倉)〈『續日本紀』物部天神・『延喜式』物部神社〉

物部神社(もののべじんじゃ)は 穂積朝臣老(ほづみのあそみおゆ)が養老二年(722)佐渡配流の謫居二十年の間 小祠に物部氏の祖神゛宇麻志麻治命゛を祀り 祈り続けたと云う 『續日本紀』〈延暦10年(791)物部天神 従五位下〉と神位の奉叙が記されている 延喜式内社 佐渡國 雑太郡 物部神社(もののべのかみのやしろ)です

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山陰道

「丹波國 船井郡 嶋物部神社」

・荒井神社(南丹市八木町美里字荒井)

一緒に読む
荒井神社(南丹市八木町美里字荒井)〈『三代實録』荒井神『延喜式』嶋物部神社〉

荒井神社(あらいじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが『三代實録』元慶6年(882)丹波國 荒井神に従五位を授けると記され 又 この付近には延喜式内社 丹波國 船井郡 嶋物部神社(しまもののへの かみのやしろ)があったとされるが その所在は不明となっていて 荒井神社は嶋物部神社の有力候補と云われます

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「丹後國 與謝郡 物部神社」 

・物部神社(与謝野町石川)

一緒に読む
物部神社(与謝野町石川物部)〈延喜式内社 物部神社〉

物部神社(もののべじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 『朝野群載』承暦四年(1080)に 御卜〈天皇の身体を亀甲で卜い 卜兆に現れたところを奏上する儀式〉にて゛丹後國 物部神の神祟あるを以て社司に中祓を科す゛と記されており 神威ある神社でした 延喜式内社 丹後國 與謝郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)です

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「但馬國 城崎郡 物部神社」 

・韓國神社(豊岡市城崎町)

一緒に読む
韓國神社(豊岡市城崎町飯谷)〈延喜式内社 物部神社〉

韓國神社(からくにじんじゃ)は 第25代 武烈天皇の命を受け 物部眞鳥(もののべのまとり)が 韓國へ派遣された後 但馬の楽々浦に着き 都へ報告に上った その功績により 韓國連を賜わり 物部韓國連眞鳥と称し その子・墾麿(こま)は 城崎郡司に任命され その孫・物部韓國連 鵠(くくひ)が創建した物部神社とされます

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「石見國 安濃郡 物部神社」 

・物部神社(大田市)石見国一之宮

一緒に読む
物部神社(大田市)〈延喜式内社・石見國一之宮〉

物部神社(もののべじんじゃ)は 大和朝廷が出雲の勢力を牽制するために 御祭神の宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)が 大和の地から物部氏の一族をひきいて尾張・美濃・越国を平定され さらに播磨・丹波を経て石見国に入り この地に宮居を築かれ 祖神として祀られたものと伝わります

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山陽道

「播磨國 明石郡 物部神社」 

・可美真手命神社(押部谷町細田)

一緒に読む
可美真手命神社(押部谷町細田)〈延喜式内社 物部神社〉

可美真手命神社(うましまでのみこと じんじゃ)は 成務天皇十九年(149)に創建されたと伝えられる 延喜式内社 播磨國 明石郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)とされ 又 天平勝宝六年(754)摂津国住吉大社の社家「津守連」が楯神・鉾神と共に住吉大神を勧請したと伝えられる押部谷 住吉神社 最初の鎮座地です

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・惣社(神戸市西区伊川谷町)

一緒に読む
伊川谷惣社(神戸市西区伊川谷町上脇)〈延喜式内社 物部神社〉

伊川谷惣社(いかわだに そうしゃ)は 神功皇后が三韓征伐の帰途 明石川から伊川を船でのぼり ここで一休みして「大国主命をここに祀れ」と命じたのが創始であると伝わります 『国内鎮守大小明神社記』では 延喜式内社 播磨國 明石郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)としています

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西海道

「壱岐島 石田郡 物部布都神社」 

・物部布都神社跡(壱岐市郷ノ浦町田)〈旧鎮座地〉

一緒に読む
物部布都神社跡(壱岐市郷ノ浦町田)〈『延喜式』物部布都神社〉

物部布都神社跡(もののべふつじんじゃ あと)は 延宝四年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉で 式内社と比定された物部村に鎮座していた布都ノ宮〈物部布都神社〉の跡地です 昭和40年(1965)5月 天手長男神社に合祀されました

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・天手長男神社(壱岐市郷ノ浦町)〈物部布都神社を合祀〉

一緒に読む
天手長男神社(壱岐市郷ノ浦町田中触)〈壱岐嶋一之宮〉

天手長男神社(あまのたながおじんじゃ)は 鎌倉時代の元寇により荒廃 その後廃絶し 所在も不明となっていました 延宝4年(1676)平戸藩主の命により藩の国学者 橘三喜が 現地の地名「たなかを」から(たながお)推定し比定したものです それ以前は 天手長男神社の由緒は無いとされていた 櫻江村 若宮と云われた式外社でした

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・國津神社(壱岐市郷ノ浦町)

一緒に読む
國津神社(壱岐市郷ノ浦町渡良浦)〈延喜式内社〉

國津神社(くにつじんじゃ)は 三つの式内社の論社〈『延喜式神名帳927 AD.』所載 壱岐嶋 石田郡・国津神社(くにつかみのやしろ)・津神社(つの かみのやしろ)・物部布都神社(もののへのふつの かみのやしろ)〉とされます 神功皇后が「異国退治して無事帰朝せれば この所の守護神と成る」との伝説があります

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

山陰本線 吉富駅から北西方向へ約1.2km 車での所要時間は2~5分程度

園部川と大堰川の合流点近くの山の麓に在る西光寺の南側〈参道の隣〉に鎮座しています

大堰川と園部川の合流点であつて 嶋のような地形だったのか?
元々は現在地よりも 50~60メートル程 上に鎮座していたと云います

荒井神社(南丹市八木町美里字荒井)に参着

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一礼をしてから鳥居をくぐります 鳥居の扁額には゛正一位 荒井大明神゛とあります

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拝殿にすすみます

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拝殿の奥には 本殿が納められている覆い屋があり 覆い屋の入口が拝所となっています

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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本殿は 京都府登録文化財に登録されています

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 物部神社について 所在は゛在所詳ならず゛〈所在は不明〉と記されています

【抜粋意訳】

物部神社

島は志麻、物部は毛乃々倍と訓べし、和名鈔、〔郷名部〕志麻、

〇祭神 宇麻志麻治命

〇在所詳ならず

類社
 伊勢國飯高郡 物部神社の條見合すべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 物部神社について 所在は゛ 神田村にあり・・神田村に荒井神社あり゛〈現 荒井神社(南丹市八木町美里字荒井)〉と記しています

又゛荒井神と島物部神と同神に坐す゛として 荒井神社と島物部神社は同じとも記しています

【抜粋意訳】

物部(シマモノベノ)神社

 神田村にあり、〔丹波式社考証〕

盖 物部連の祖神を祭る、〔舊事本紀、延喜式〕〔〇按 島物部神と云に據は、志麻郷内にあるべき事著きを、今 其郷内 神田村に荒井神社ありて、島物部神社なきは、荒井神と島物部神と同神に坐す故なるへし、故今 此に併載て、後の考に備ふ〕

陽成天皇 元慶六年十月戌申、正六位上 荒井神に従五位下を授く、〔三代実録〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 物部神社について 所在は無記入〈所在は不明〉と記されています

一説として゛神田村 荒井神社゛〈現 荒井神社(南丹市八木町美里字荒井)〉もあるが 決め難いとも記しています

【抜粋意訳】

物部(シマモノノベノ)神社

祭神
祭日
社格

所在
 今按 式内神社考證に神田村 荒井神社これか本社  志麻郷内にあるべし 荒井神社 當郷内に在て尤古社なればなり されども三代實錄に見えたる丹波國 荒井神あり 蓋一社にして両號なるべしと云るが如く 今何れとも定めがたし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

荒井神社(南丹市八木町美里字荒井) (hai)」(90度のお辞儀)

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丹波國 式内社 71座(大5座・小66座)について

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