三崎神社〈氷川神社(宍道町)に合祀〉は 出雲国風土記 延喜式には見えないが元祇園社と称し 貞観18年(876)この地方に流行した悪病の平癒を祈願して京都より勧請 祇園社を氷川神社と改称し 明治7年 猪道山にあった三崎神社(完道社)及び町内にあった客社 恵美須社焼火社を合祀して宍道町の氏神となった
ここからは 掲載神社の呼称名を時代順に説明していきます
①まず初めは 今から約1300年前・天平5年(733年)2月30日に完成した『出雲國風土記』
➁次に 今から約1100年前・平安時代中期(延長5年927年)に完成した『延喜式神名帳』
➂最後に『出雲國風土記』と『延喜式神名帳』の論社(現在の神社)となっています
①【約1300年前】About 1300 years ago
【出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in February 733 AD.
猪道山にあった三崎神社(完道社)〈氷川神社(宍道町)に合祀〉
【國】 出雲國(izumo no kuni)
【郡】 意宇郡(ou no kori)
神祇官社(jingikan no yashiro )
【社名】宍道社
【読み】(ししぢ)のやしろ
【How to read】(shishiji no) yashiro
国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国風土記』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用
➁【約1100年前】About 1100 years ago
【延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in December 927 AD.
猪道山にあった三崎神社(完道社)〈氷川神社(宍道町)に合祀〉
【國】 出雲國(izumo no kuni)
【郡】 意宇郡(ou no kori)
【社名】完道神社
【読み】ししみちの かみのやしろ
【How to read】shishimichi no kami no yashiro
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1442211/160画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 : 校訂. 上巻(昭和4至7)
➂【現在】At the moment の【論社】Current specific shrine
【神社名】(shrine name)
・氷川神社(ひかわじんじゃ)
(Hikawa jinja)
・猪道山にあった三崎神社(完道社)〈氷川神社(宍道町)に合祀〉
(みさきじんじゃ)
【通称名】(Common name)
・祇園社 ぎおんのやしろ〈氷川神社〉
・穴道社 しんじのやしろ〈氷川神社〉
【鎮座地】(location)
〒699-0401 島根県松江市宍道町宍道858
【地 図】(Google Map)
【御祭神】(God’s name to pray)
《主》建早須佐之男命(たてはやすさのおのみこと)
櫛稲田媛命(くしいなだひめのみこと)
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
天穂日命(あめのほひのみこと)
天津日子根命(あまつひこねのみこと)
活津日子根命(いきつひこねのみこと)
熊野久須昆命(くまのくすびのみこと)
多紀理毘女命(たきりひめのみこと)
多岐都比売命(たきつひめのみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
《配》大己貴命 大国主命 事代主命 客大明神 焼火大神 大日霊貴尊
【御神格】(God’s great power)
・病気平癒・開運・厄除け
【格式】(Rules of dignity)
・『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』所載社
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )』所載社
【創建】(Beginning of history)
氷川神社 ひかわじんじゃ
通称(祇園社 ぎおんのやしろ・穴道社 しんじのやしろ)
祭神 建早須佐之男命(たてはやすさのおのみこと)
櫛稲田媛命(くしいなだひめのみこと)
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
天穂日命(あめのほひのみこと)
天津日子根命(あまつひこねのみこと)
活津日子根命(いきつひこねのみこと)
熊野久須昆命(くまのくすびのみこと)
多紀理毘女命(たきりひめのみこと)
多岐都比売命(たきつひめのみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)配祀神 大己貴命 大国主命 事代主命 客大明神 焼火大神 大日霊貴尊
由緒・沿革
本社は、出雲国風土記、延喜式には見えないが元祇園社と称し地方民の深く崇敬する神社で、貞観18年この地方に流行した悪病の平癒を祈願して同年丙申10月11日に勧請 京都祇園社と同体なり云々と見えている。以後、疾病退散・無病息災・開運長寿の守護神として 地方民の崇敬をあつめ 中世には佐々木氏・宍道氏・近世では堀尾氏・京極氏・松平氏の歴代松江藩主より祭典料を寄進して祈願した。
また、千家、北島両出雲国造が火継神事の際、大庭へ参向の途中休息された由緒ある神社である。
明治3年、祇園社を氷川神社と改称し 明治7年、猪道山にあった三崎神社(完道社)及び町内にあった客社、恵美須社焼火社を合祀して宍道町の氏神となった。
なお、明治40年4月には神饌幣帛供進社に指定され昭和50年には県特別神社に指定された。境内案内板より
【由緒】(history)
由緒
当地に病気が発生し、萬民痕病に苦しみ、宍道社の境内に貞観18年10月祇園社の神を祀り、其の病を除く。依って病気平癒・開運の神として信仰せらる。祇園祭(一名蓮花祭)は町内に仮殿を造り、神輿を奉安し、3日間祭典、遷幸式の際八雲本陣前で古式練りの行事を行う。
神社史研究会HPより
【境内社】(Other deities within the precincts)
・道守・清向稲荷神社 《主》倉稲魂命,土祖神,大宮比売命
・天満宮 《主》菅原道真公
・蚕養国神社 《主》保食之命
・歳徳神社 《主》大年之神
・庚申神社 《主》猿田彦命
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』所載社の 宍道社(ししぢ)のやしろ の論社 4ヶ所について
・石宮神社
石宮神社(いしのみやじんじゃ)は 出雲國風土記(天平5年(733)編纂)に「大国主命が猪狩りに出掛けた時 2匹の猪が現れ 犬を使い追い詰めたところ 犬と2匹の猪は石となったので このあたりは“猪の道=宍道”と呼ばれるようになった」と逸話が記述されています この犬と猪が化した石が“宍道社”と呼ばれた石宮神社の境内にあります
石宮神社(松江市宍道町)
・大森神社
大森神社(おおもりじんじゃ)は 『雲陽志(unyo shi)』に大森大明神と記されています 遠い神代に 「大国主大神が 猪を追い詰め給い その猪が 石となった物」と伝わる「猪石」が「女夫岩遺跡(meotoiwa iseki)」にあり これを旧鎮座地としています
大森神社(宍道町佐々布)
・女夫岩遺跡〈大森神社の旧社地〉
女夫岩遺跡(めおといわいせき)は 『出雲國風土記』に「所造天下大神命(ameno shita tsukurashishi okami)=大国主命」が 猪狩りに犬を使って追わせたところ 犬と猪が 石に姿を変えたという伝承があり その「猪の像(shishi no kata)」が「女夫岩遺跡」とされていて 風土記所載の「宍道社(shishiji no) yashiro」の旧蹟です
女夫岩遺跡(宍道町白石)
・〈氷川神社に合祀〉三崎神社
三崎神社〈氷川神社(宍道町)に合祀〉は 出雲国風土記 延喜式には見えないが元祇園社と称し 貞観18年(876)この地方に流行した悪病の平癒を祈願して京都より勧請 祇園社を氷川神社と改称し 明治7年 猪道山にあった三崎神社(完道社)及び町内にあった客社 恵美須社焼火社を合祀して宍道町の氏神となった
三崎神社〈氷川神社(宍道町)に合祀〉
【神社にお詣り】(Pray at the shrine)
宍道駅から 北へ350m程度 徒歩5分 宍道公民館の隣に鎮座します
参道石段には 来待石の狛犬が座し 隋神門が建ちます
三崎神社〈氷川神社(宍道町)に参着
隋神門をくぐると 左手に拝殿が建ちます
正面の一段高い社地に 本殿が建っています
本殿の扁額には「氷川神社とあります」
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
境内社にお詣りをします
本殿向かって左には 神札の納め所 と境内社・蚕養国神社
一段低い 拝殿の建つ社地には 境内社・道守稲荷神社・天満宮
境内社・道守稲荷神社から宍道湖方面を眺める
【神社の伝承】(Old tales handed down to shrines)
それぞれの文献では 次のように伝承しています
『雲陽志(unyo shi)』意宇郡 宍道 にある伝承
『雲陽志(unyo shi)』では
「祇園社」と記されています
素戔嗚尊(すさのをのみこと)八王子の神を祀ると 貞観18年(876)この地方に流行した悪病の平癒を祈願して勧請した と記しています
※『雲陽志(unyo shi)』[黒沢長尚著]天保6 [1835]
国立公文書館デジタルアーカイブ『雲陽志』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002424&ID=&TYPE=&NO=画像利用
『原文』参照
『出雲国式社考(izumo no kuni shiki no yashiro ko)』意宇郡 にある伝承
意訳
『 完道(宍道)神社(shishimichi no kamino yashiro)
「完」今の本は誤りです 風土記は「宍道社(shishiji no)yashiro」とあり 宍道郷白石村なり 石宮明神の事なり
風土記では・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今 白石宍道 佐々布 三村を宍道郷というなり ・・・・・
この猪石は今 白石村の山中にあって「獅子石」という またの名を「夫婦石」といいます ・・・・・・・・・・・』
※『出雲国式社考((izumo no kuni shiki no yashiro ko))』[選者:千家梅舎/校訂者:岩政信比古]写本 ,明治02年(1906)
『原文』参照
三崎神社〈氷川神社(宍道町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳(Jimmeicho)』に戻る
出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています
『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳』399社
『出雲国 式内社 187座(大2座・小185座)について』に戻る
出雲國の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている当時の官社です 出雲國には 187座(大2座・小185座)の神々が坐します 現在の論社についても掲載しています
出雲國 式内社 187座(大2座・小185座)について