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⑧八千矛神(やちほこのかみ)の妻問い〈沼河比賣(ぬなかわひめ)〉

八千矛神(やちほこのかみは 武神〈いくさがみ〉ありながら 愛の歌を詠む 知性と教養のある神として描かれる

八千矛神大国主が 高志国(こしのくに)に 美しく賢い女性〈沼河比売(ぬなかはひめ〉が居ると聞き 結婚しようと通いました そして 求婚し 結ばれるシーンが 優雅な恋歌によって描かれます 

これは 当時 祭祀〈政治(まつりごと)〉を司る上で 「玉(ぎょく・たま)」は 大変に貴重なもので 材料は 上質の翡翠ヒスイ)原石であった 産出地の高志国〈王女 沼河比売〉は 重要な拠点とされていた これ出雲〈八千矛神勢力下へ併合する為に 婚姻関係を迫った時の 両国の駆け引きの様子が 〈王と王女の〉優雅な恋歌〈妻問い〉によって描かれたものとされます

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・天津神社・奴奈川神社(糸魚川市)《主》奴奈川姫命 八千矛神

『古事記』神話には
この 八千矛神(やちほこのかみ高志(こしのくに)沼河比売(ぬなかはひめ)と結婚しようと行かれた時 沼河比売(ぬなかはひめ)の家に着き 歌を詠まれた」と記されます

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『古事記(Kojiki)〈和銅5年(712)編纂〉』 に記される伝承

【抜粋意訳】

八千矛神(やちほこのかみ)妻問い の段

この 八千矛神(やちほこのかみ
高志(こしのくに)沼河比売(ぬなかはひめ)と結婚しようと行かれた時

沼河比売(ぬなかはひめ)の家に着き 歌を詠まれた

"八千矛神(やちほこのかみのみこと 八島やしまのくに)で 好ましい妻を娶れず ついに 遠い遠い越国(こしのくに)に 賢い女が居ると聞
美しい女性が居ると聞き 結婚しようと通いました
太刀緒(たちのお) いまだ解かず 羽織ものも いまだ解きかねて
少女寝ている家戸を揺さぶると 山のヌエ鳥が鳴き 野の雉(きじ)が鳴き 先でニワトリが鳴く 腹の立つ 鳴き声だ あの鳥どもを打ち 静かにしてくれる"

下におります走り使をする者の 事の語り伝えは かようでございます

すると 沼河比売(ぬなかはひめ)は 戸を開けず中から歌いました

"八千矛神(やちほこのかみのみこと
しおれた草のような女ですから 浦渚の水鳥のように 夫を慕います
こそ わたしの も後に あなたを慕う水鳥のようになりましょう
命ながく 生かし遊ばせ"

下におります走り使をする者の 事の語り伝えは かようでございます

"山に太陽が隠れたら 暗い夜になるでしょう
朝日のように にこやかな顔で来られて
コウゾの網のような白い腕 泡雪のよう若い胸を そっと叩き 手をとりかわし 玉のよう手を枕にし 足を伸ばしてお休みなさいませ
ですから あまり わびしく されないでください
八千矛神(やちほこのかみのみこと"

事の語り伝えは かようでございます

それで その夜は 会わ 翌夜 お会いになりました

【原文参照】

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

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神語りかむがたり)八千矛神(やちほこのかみ)と須勢理毘賣(すせりびめ) に進む

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