実践和學 Cultural Japan heritage

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⑫幸魂奇魂・御諸山(みもろやま)に坐(ましま)す神

御諸山(みもろやま)に 坐(ましま)す神
それは 
大和国(やまとのくに)を治める神 として描かれる

小名毘古那神(すくなひこなのかみ)が 常世に渡られてしまい 大国主神(おほくにぬしのかみ)は 一人で国造りすることとなり 憂いていると 海を光(てら)して 依来(よりくる)神があった これが 大和国(やまとのくに)御諸山(みもろやま)に 坐(ましま)す神 とされます

・大神神社(桜井市三輪)《主》大物主大神大己貴神 少彦名神

『古事記』神話には「私を 大和国(やまとのくに)を 青々と取り囲んでいる山々 その東の山上に斎(いつ)き 祀れ と答えられた
これが 御諸山(みもろやま)に坐(ましま)す 神なり」と記されます

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大神神社(桜井市三輪)

大神神社(おおみわじんじゃ)は 神社の社殿が成立する以前の祭祀の姿を今に伝えている 古来から本殿は設けず 拝殿の奥にある三ッ鳥居を通し 三輪山〈御神体〉に祈りを捧げる原初の神祀りで 我が国最古の神社と呼ばれています 『古事記』『日本書紀』の記紀神話には 創建に関わる伝承が記され 『延喜式』には名神大社とされる 大和国一之宮です

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『古事記(Kojiki)〈和銅5年(712)編纂〉』 に記される伝承

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【抜粋意訳】

大国主神(おほくにぬしのかみは 心(こころ)憂(うれ)い 言われた
「わたしは 一人で どうように この国を作ればよいだろうか
どの神と共に わたしは この国を作りましょうか」

この時 海を光(てら)して 依来(よりくる)神がいました その神の言うには
「私を丁寧に祀りなさい わたしが あなたと共に 国を作りましょう もしそうでなければ 国が成るのは難しいでしょう」

大国主神(おほくにぬしのかみ
「それならば どのように 祀り奉(たてまつ)ればよいでしょう」と言うと

「私を 大和国(やまとのくに)を 青々と取り囲んでいる山々 その東の山上に斎(いつ)き 祀れ」と答えられた 

これが 御諸山(みもろやま)に坐(ましま)す 神なり

【原文参照】

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

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大年神(おおとしのかみ)・羽山戸神(はやまとのかみ)の系譜 に進む

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⑬大年神(おおとしのかみ)・羽山戸神(はやまとのかみ)の系譜

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”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)
『古事記』に登場する神話の舞台 に戻る

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”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)『古事記』に登場する神話の舞台

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