実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

行相神社(対馬 田)

行相神社(ゆきあいじんじゃ)は 『延喜式神名帳(927年12月編纂)所載の對馬嶋 上縣郡 行相神社(ゆきあいの かみのやしろ)論社とされています 鎮座地は 豊玉町 田ですが この地は もともと 寛元4(1246)以前は 上県郡に属していたとしています

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

行相神社Yukiai Shrine)
(ゆきあいじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

長崎県対馬市豊玉町田1058

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》皇孫命Sumemima no mikoto)
   大己貴命Ohonamuchi no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

・不詳

【由  (History)】

行相神社

旧村社 田船蔵鎮座
  皇孫命(すべみまのみこと)大己貴命(おうあなむちのみこと

  大己貴命 天下を経営したまいて 鳥獣昆虫の災をはんの法を創め 又 百薬草を製して医薬禁の法を伝へりなり 天下四方の蒼生(たみこき)の神の恩頼(みたまふゆ)蒙る由りて 対馬中央西海岸の良港にして 古代 海神の神蹟に祠を建て鎮守の神として祀る
延喜式神名帳に載上県郡 行相神社はの社なり 本社鎮座の地は 寛元4年以前は元 上県郡に属したり
清和天皇 貞観1235 従五位上に叙せられ神事造営は上より行 国司国の崇敬篤く 社領を所有する神社なり
明治76月社格村社に列位され大正41112日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
社殿 神殿 拝殿 祝詞殿

付属来社 旧格祭
一、天道社 祭神 多久頭魂神 祭日6月ウマ日 年中一度

一、嶽神社 祭神 霊町命 雷大臣命 祭日6月15日

一、山形社 祭神 山祇神 祭日 12月3日

一、住吉神社 祭神 住吉大神草不合命

境内案内板より

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

山形神社《主》山祇神
天道神社《主》多久頭魂神
矢嶽神社《主》霊町命雷大臣命

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 行相神社
[ふ り が な ]ゆきあいの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Yukiai no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載の
對馬嶋 上縣郡 行相神社」の論社は2つです

① 行相神社(対馬 田)

一緒に読む
行相神社(対馬 田)

行相神社(ゆきあいじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「對馬嶋 上縣郡 行相神社(ゆきあいの かみのやしろ)」の論社とされています 鎮座地は 豊玉町 田ですが この地は もともと 寛元4年(1246)以前は 上県郡に属していたとしています

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② 志多留能理刀神社(対馬 伊奈)

一緒に読む
志多留能理刀神社(対馬 伊奈)

志多留能理刀神社(したるのりとじんじゃ)は 対馬の稲作の発祥伝承〈伊奈に 白い鶴が飛来して稲穂を落とし それを志多留の榎田に植えたのが 対馬での米作りの始まり〉を持つ式内社の「伊奈久比(イナクイ)神社」の山麓にある 湿地帯の小高い地 伊奈の志多留に鎮座しています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「對馬嶋 上縣郡 行相神社」の論社です

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

対馬空港から R382号経由 約28.5Km 車 37分程度
豊玉町 (タ)に到着 田ノ浦に注ぐ 川沿いの道を進みます

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道路に面して鳥居が建ち その横に駐車スペースが設けられています
行相神社Yukiai Shrine)に参着

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正面には 新たに奉納された石灯籠が建ち その先に古い 狛犬と鳥居があり
鳥居の扁額には「行相神社」とあり 一礼をして くぐります

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さらに 石段の手前には 石灯籠 古い鳥居が建ち 手水舎 案内板と整備されています 清めてから 鳥居をくぐり 石段を上がります 石段はすぐに右に折れます

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参道の石段は 再び 左に折れると 三の鳥居が建ち 石段の先に社殿が見え始めます そのまま 木々に囲まれた石段を上がっていきます

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拝殿にすすみます 

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社殿向かって右側が開けていましたので 本殿を拝せるかと覗いてみると
本殿の上の崖地に 大きな動くものが2体 小さな1体は素早く茂みに逃げましたが 大きな一体がこちらの様子を見つめています
近年 農林業被害発生させている「対馬鹿」です しかし 何度か対馬に来ていますが 始めて見ました 流石に野生です カメラを構えると踵を返して 素早く茂みに走り去りました

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鹿が消えた後 本殿を仰ぎます

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拝殿の扉を開き 中に入ると
本殿建て替えの記録と写真が張られていました

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行相神社」と扁額が掛けられていて 綺麗な拝所が整えられています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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参道石段を下ると 見たことのないカエル参道にいて 暫くにらめっこをしてから 珍しい生き物に出逢う日だと想いながら 戻ります

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折れた参道の石段を下ると 鳥居の先には 川沿いの平地に田があり 昔から田だったのだろうか? そうだとすると対馬には田が少ないので それで地区の名が田(タ)??などと勝手に想いながら 鳥居を抜けて 振り返って 一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』延喜元年(901年)成立 に記される伝承

對馬嶋(上縣・下縣)の式内社の神々とともに 神階の昇叙が記されています
行相神(ユキアイノカミ)と記されます

意訳

貞観12年(870)3月5日 丁巳の条

詔(ミコトノリ)を授(サズ)くに

對馬嶋(ツシマノシマ)の

正5位上 多久都神(タクツノカミ)に 従4位下

従5位上 
和多都美神(ワタツミノカミ)
胡簶神(コロクノカミ)
御子神(ミコノカミ)
嶋大國魂上(シマオオクニタマノカミ)
高御魂神(タカミタマノカミ)
住吉神(スミヨシノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
太祝詞上(フトノリトノカミ)
平神(タイラノカミ)
並びに 正5位下

大吉刀神(オオヨシカタナノカミ)
天諸羽神(アマノモロハノカミ)
天多久都麻神(アマノタクツマノカミ)
宇努神(ウノノカミ)
吉刀神(キトノカミ)
小枚宿祢神(ヲヒラノスクネノカミ)
行相神(ユキアイノカミ)
奈蘇上金子神(ナソカミカネコノカミ)
嶋御子神(シマミコノカミ)
国本神(クニモトノカミ)
銀山神(カナヤマノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
敷嶋神(シキシマノカミ)
並びに 従5位上

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス
『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

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『神名帳考証土代(jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』の神階の昇叙が記されるのみで 詳細はありません

意訳

行相(ユキアヒノ)神社

神位 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・従5位上

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』明治3年(1870年)に記される伝承

式内社として 志多留能理刀神社(対馬 伊奈)をこれとしています

意訳

行相神社

行相は 由岐安比と訓ずべし
〇祭神 詳(ツマビラカ)ならず

〇佐護 伊奈二郷の堺村に在す

神位 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・従5位上

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876)に記される内容

式内社として 行相神社(対馬 田)をこれとしています

意訳

行相神社

祭神
今 按〈考えるに〉
明細帳 長崎県式内記に祭神 邇邇芸命とあれど いかなる由ありて 祭られ給へりと云う事 詳(ツマビラ)かならねば 信じがたし 姑附て考を俟つ

神位 清和天皇 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・従5位上

祭日 9月9日
社格 村社
所在 田村 字 氏神山

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

行相神社Yukiai Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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波自采女(ハジノウネメ)の伝承の地

すぐ近くには六国史『続日本紀(Shoku Nihongi)797年』の神護景雲2年(768)2月5日の条全国から選ばれた善行の者9人が記され その一人として 貞婦として表彰され終生の税を免ぜられとして 對馬島の波自采女(ハジノウネメ)の伝承の地があります

波自采女の碑(対馬 豊玉町田

一緒に読む
波自采女の碑(対馬 豊玉町田)

波自采女(ハジノウネメ)の碑は 六国史『続日本紀(Shoku Nihongi)797年』の神護景雲2年(768)2月5日の条に 全国から選ばれた善行の者9人が記され その一人として 貞婦として表彰され終生の税を免ぜられたとして 對馬島の波自采女(ハジノウネメ)の伝承が記されています 豊玉町 田のR382号の沿道にあります

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『對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について』に戻る

一緒に読む
對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています