実践和學 Cultural Japan heritage

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八雲社(三木市久留美)〈延喜式内社の論社・旧 郷社〉

八雲社(やくものやしろ)は 創立年月は詳らかではありませんが 今から約千五百年前 億計王(後の仁賢天皇)弘計王(後の顕宗天皇)が この地にお忍びの際 久留美皇子ヶ谷の当神社に祈られたと伝えられています 境内社垣田大神(住吉社)は 式内社 播磨国 賀茂郡 垣田神社(かきたの かみのやしろ)の論社です

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

八雲社(Yakumo no yashiro)

通称名(Common name)

久留美八雲社(くるみやくものやしろ)

【鎮座地 (Location) 

兵庫県三木市久留美1840

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》素盞嗚尊(すさのをのみこと)

五男神
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)
天之菩卑能命(あめのほひのみこと)
天津日子根命(あまつひこねのみこと)
活津日子根命(いくつひこねのみこと)
熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)

〈三女神〉
多紀理毘賣命(たぎりひめのみこと)
市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)
多岐都比賣命(たきつひめのみこと)

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【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

交通安全祈願 等

【格  (Rules of dignity)

境内社 垣田社延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

由 緒
 延元2年(1337)、皇子谷より宮の西に遷座。社殿この年に創立。
 天正6年(1578)、豊臣秀吉三木城攻めるおり、当社に祈願す。城落後、奉賽の為、五色の幣及び、白旗奉納す。あわせ田地寄進。
 文政8年(1825)、落雷の為、社殿・古文書・その他焼失。再建に着手し、翌年再建す。
 明治7年(1874)、郷社に列せられる。

兵庫県神社庁HPより
https://www.hyogo-jinjacho.com/data/6310001.html

【由  (History)】

御由緒

創立年月は詳らかではありませんが、今から約千五百年ほど前、
億計王(後の仁賢天皇)弘計王(後の顕宗天皇)がこの地にお忍びの際、久留美皇子ヶ谷の当神社に祈られたと伝えられています。

御祭神は素盞鳴尊を主祭神に、五男神、三女神の神々を御奉斎し、古く久留美の庄の東北(うしとら)の方角の守護神(方除神)として祀られたとされています。

因みに久留美の庄の区域は、久留美配分坂より平井の笠松、宿原の境松、広野、小林の境松、南は広谷川を境として小林、興治の境松、東這田、高木の境松、加佐、平田の境松、久留美皇垣内に至る区域を久留美の庄と定めたとあります。(現在の三木市街地全域)

延元二年(紀元一九九七年)に皇子ヶ谷より現在の地に遷座せられ久留美、与呂木、平井、跡部の地区の産土神として尊崇せられております。
天正六年、豊臣秀吉が三木城主別所長治を攻むるに際し当社に祈り、落城後報賽のため五色の幣及び白旗を奉納し、御供田を寄進せられました。

 毎年一月六日御弓祭、二月二十一日祈年祭、五月八日うら祭、七月七日祇園祭(七日間)、十月四日御酒口開祭、十月十日例祭、十一月二十五日新嘗祭、十二月八日御火焚祭の祭儀を古儀のままに斎行して氏子中を始め社会の安泰と繁栄を祈願し神恩に感謝しております。

三木市八雲社公式サイトより
https://www.yakumo-sha.com/%E5%BE%A1%E7%94%B1%E7%B7%92/

拝殿

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本殿

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能舞台と楽屋

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社頭

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・東参道鳥居

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

垣田大神(住吉社)

〈『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 播磨国 賀茂郡 垣田神社(かきたの かみのやしろ)の論社

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金毘羅社天満社

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水神社八柱神愛宕社廣峯武大神伊和大神天照皇大御神八百萬大神八坂大神西宮戎大神藪大神兵主大神秋葉山大神

八幡社

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かまど〈社殿向かって左横〉

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神宮遙拝所

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水天宮歳徳神雄岡山と雌岡山

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

本社は 創立年月は詳らかではありませんが 今から約千五百年ほど前 億計王(後の仁賢天皇)弘計王(後の顕宗天皇)がこの地にお忍びの際 久留美皇子ヶ谷の当神社に祈られたと伝えられています

境内社垣田大神(住吉社)が 式内社の論社となっています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陽道 140座…大16(うち預月次新嘗4)・小124
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)播磨国 50座(大7座・小43座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 8座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 垣田神社
[ふ り が な ]かきたの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Kakita no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

式内社 播磨国 賀茂郡 垣田神社(かきたの かみのやしろ)の論社について

・垣田神社(小野市小田町)

一緒に読む
垣田神社(小野市小田町)

垣田神社(かきたじんじゃ)は 大同2年(807)に垣田神社の元宮〈國玉稲荷神社〉から遷座しました 昌泰2年(899)勅使 藤原公方を御差遣になり奉幣の儀がおこなわれて 垣田大神の勅号を贈られたと云われます 『延喜式神名帳927 AD.』所載 播磨国 賀茂郡 垣田神社(かきたの かみのやしろ)の論社です

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・国玉稲荷神社〈神ノ木の宮跡〉 (小野市小田町)〈垣田神社の旧鎮座地〉

一緒に読む
國玉稲荷神社〈神ノ木の宮跡〉 (小野市小田町)

国玉稲荷神社(くにたまいなりじんじゃ)は 大同2年(807)〈約1200年前〉に遷座した 現 垣田神社(小野市小田町)の旧鎮座地〈元宮〉とされ 神ノ木の宮跡と呼ばれます 神社の創建は弥生時代初期か あるいは縄文時代後期あたりまでさかのぼるのではなかろうかといわれています

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・住吉神社〈恒田大明神〉(加東市秋津)

一緒に読む
住吉神社〈恒田大明神〉(加東市秋津)

住吉神社(すみよしじんじゃ)は 神功皇后の勅願社の伝承が残り 摂津 住吉大社の別宮であったと考えられ 創始は古墳時代後期とされています 奈良時代後期に現在の鎮座地・秋津字清水に遷座し 水田に由来して恒田明神と称され今日に至るので 二つの式内社〈住吉神社・垣田神社〉の論社となっています

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・八雲社の境内社 垣田社(三木市久留美)

一緒に読む
八雲社(三木市久留美)〈延喜式内社の論社・旧 郷社〉

八雲社(やくものやしろ)は 創立年月は詳らかではありませんが 今から約千五百年前 億計王(後の仁賢天皇)弘計王(後の顕宗天皇)が この地にお忍びの際 久留美皇子ヶ谷の当神社に祈られたと伝えられています 境内社の垣田大神(住吉社)は 式内社 播磨国 賀茂郡 垣田神社(かきたの かみのやしろ)の論社です

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※境内社垣田大神(住吉社)式内社の論社となっています

【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

神戸電鉄 栗生線 三木上の丸駅から県道20号を北上 約2.7km 車7分程度

久留美公民館隣に社頭があり 大きな社号標には「億計弘計皇子 秀吉ゆかりの宮 八雲(やくものやしろ)」と記されています

八雲社(三木市久留美)に参着

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社頭の鳥居の扁額には 八雲宮 と記されています
一礼をして 鳥居をくぐります

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社殿 境内 参道は南向きです
参道を抜けると 白砂利の敷き詰められた広々とした境内があり 能舞台が建てられています

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正面 拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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八雲大神記された扁額の神は
大神〈素盞嗚尊〉・五男神・三女神をさしているのだと思われます

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拝殿の奥には 幣殿 本殿が祀られています

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八雲社(三木市久留美)は 久留美四ヶ村の産土神と云われていますが 境内の奉献石碑を見ると 近辺の神社の氏子の寄付が記されていて 改めて感じ入りました

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この奉献石碑の一番端に神宮遙拝所あり 遥拝をします
あわせて社殿に一礼をして 東参道から鳥居をくぐり表に出ます

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東側の参道は祈祷をする車の入口のようです

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新設された境内の玉垣が長く続き整備されています

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 住吉神社の所在について 賀東郡 喜多島村〈現 小野住吉神社(小野市垂井町)別説には 宮脇村と記されています

式内社 垣田神社の所在について 東條小田村〈現 垣田神社(小野市小田町)〉と記しています

【抜粋意訳】

住吉神社

住吉は 須美乃江と訓べし
〇祭神 詳ならず 住吉朝臣の祖神歟
〇賀東郡 喜多島村に在す
例祭 六月丗日、九月九日
〇旧事記 国造本記 針間鴨国造、上毛野同祖、姓氏録、住吉朝臣、上毛野朝臣同祖、豊城入彦命 五世孫多奇波世君之後也

式社記に、宮脇村にありと云り、國圖を見るに、奇多島、宮脇両村相隣れり、さて同社の事か國人に尋ねて憶に定むべし

類社 摂津国住吉郡 住吉坐神社の條すべし

社領 高十石

氏人
續日本紀
延暦十年(七九一)四月乙未〉(辛卯朔五)の条
○夏四月乙未
近衛将監従五位下兼常陸大掾池原公綱主等言。池原。上毛野二氏之先。出自豊城入彦命。其入彦命子孫。東国六腹朝臣。各因居地。賜姓命氏。斯乃古今所同。百王不易也。伏望因居地名。蒙賜住吉朝臣。勅綱主兄弟二人。依請賜之

垣田神社

垣田は 加支多と訓べし
祭神 詳ならず
〇賀東郡東條小田村に在す
例祭 九月九日

式社記は、加東郡常田村にあり、古跡便覧、其の所しれずと云り、尚考ふべし

類社 和泉國 日根郡 加支田神社

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 住吉神社の所在について 喜多村 住吉明神〈現 小野住吉神社(小野市垂井町)〉と記しています

式内社 垣田神社の所在について 東條小田村〈現 垣田神社(小野市小田町)〉と記しています

【抜粋意訳】

神祇志料 巻十八 播磨國 賀茂郡八座 並小

住吉神社

今、加東郡 垂井庄 古は河内庄と云ふ 喜多村にあり、住吉明神と云ふ 盖 住吉大神を祭る
〇按 播磨風土記云、昔 住吉大神 河内里に到坐時、御伴の神等 人の苅置る草を敷物とせるを、草主愁訴へけるに、大神汝か田苗は草を敷ねと、敷が如くに生なんと詔ひき、故今も此村は草を敷ずして苗代を作る、と云ふ事みたり、是に拠りて思ふに、蘆上古大神経歴の地なるを以て之を祭る歟、姑附て考に備ふ

垣田神社

今、加東郡 東條小田村にあり

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神祇志料』著者 栗田寛 著 出版者 温故堂 出版年月日 明治9[1876]https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 住吉神社の所在について 宮脇村 喜多島村 垂井村〈現 小野住吉神社(小野市垂井町)〉久保木村 西寺内村にも同名の社があると記しています 

式内社 垣田神社の所在について 東條小田村〈現 垣田神社(小野市小田町)〉と記しています

【抜粋意訳】

住吉神社

祭神
底筒之男
中筒之男
表筒之男

今按〈今考えるに〉
播磨風土記 賀毛郡 河内里 上中下 右田川焉名 此里の田不敷草下苗子所以然者 住吉大神上坐之時 食於 此村両従神等 人苅置草解散為坐両時大患訴於大明判云 汝田苗者必 雖不敷草如敷草生 故其村 田干 今不敷草作苗代とある所縁によりて此 大神を祭れるものなる事著し

祭日 四月三日
社格 郷社

所在 宮脇村(明細帳に垂井村字宮の上)(加東郡下東條村大字垂井)
今按〈今考えるに〉
播磨事始 神社覈録 共に喜多島村とあり 注進状に元和中の文書に此村を垂井村と記せり 今の社地は宮脇村 島村 太郎大夫村 三村の境にて 垂井住吉神社と唱来りしを明治六年より宮脇村地所となる 今に山田村を河内の山田と云ふ 播磨鑑に 上古 此地を河内庄と云しか 近代 垂井庄と改むとあり 上に引る風土記の文と合せ考べし 久保木村 西寺内村にも同名の社ありと云へども證なければとらず

垣田神社

祭神
底筒男
中筒男
表筒男
神功皇后

祭日 九月九日
社格 郷社
所在 東條郡上小田村(加東郡下東條村大字小田)

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

八雲社(三木市久留美)は 明治七年二月郷社に列しています

【抜粋意訳】

兵庫縣 播磨美囊郡 久留美村大字久留美

郷社 八雲(ヤクモノ)神社

祭神
素戔嗚命(すさのをのみこと)
天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
穂日(あめのほひのみこと)
天津根命(あまつひこねのみこと)
活津根命(いくつひこねのみこと)
櫲樟日命(くすびのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
島比賣命(いちきしまひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)

文政八年雷火の為め 古記灰燼に帰し、創立年月等を知る能はず、古来 久留美四ヶ村の産土神にして、明治七年二月郷社に列す。社殿は本殿、祓殿、拝殿、能舞殿、楽屋を備へ、境内地は千六百三十五坪あり、三十八年内務省指令甲第八六三號を以て、更に上地林一町七畝十七歩を境内に編入せらる。

境内神社
天照大神社(あまてらすおほかみのやしろ)
垣田神社(かきたのかみのやしろ)

【原文参照】

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

八雲社(三木市久留美)に (hai)」(90度のお辞儀)

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播磨国 式内社 50座(大7座・小43座)について に戻る

一緒に読む
播磨国 式内社 50座(大7座・小43座)について

播磨国(はりまのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 播磨国 50座(大7座・小43座)の神社です 播磨国は 和銅6年(713) の詔によって『播磨国風土記』が編纂されていますので 7世紀には成立したとされています

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています