実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

矢作神社(八尾市南本町)〈『三代實録』掃部神『延喜式』矢作神社・長柄神社〉

矢作神社(やはぎじんじゃ)は 鎮座する八尾の地名は当社から由来したと云う 一帯は物部氏一族の矢作連の屋敷跡と伝わり その祖神である「経津主命」を祀る 延喜式内社 河内國 若江郡 矢作神社(やはぎの/やつくりの かみのやしろ)です 又 明治40年(1907)式内社 長柄神社(なからの かみのやしろ)を合祀しています

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

矢作神社(Yahagi shrine

通称名(Common name)

・別宮の宮さん(べっくのみやさん)

【鎮座地 (Location) 

大阪府八尾市南本町6丁目6-72

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》経津主命(ふつぬしのみこと)

   住吉三神(すみよしさんしん)
  〔
表筒男命(うわつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・底筒男命(そこつつのおのみこと)

   品陀別命(ほむだわけのみこと)

《合祀》八重事代主命(やえことしろぬしのみこと)〈明治40年(1907)合祀 長柄神社の御祭神〉

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

 初宮詣 厄除 地鎮祭 交通安全 結婚式 七五三 商売繁盛

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【格  (Rules of dignity) 

・ 国史見在社(こくしげんざいしゃ)
〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』)に記載されている神社〉

貞觀十六年十二月廿九日癸未 授河內國正六位上「掃部神」從五位下とあるは 即 矢作神社の事であると云う説があります

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

矢作神社 由来

 当社は創建は不詳であるが、主祭神 経津主神の後裔である矢作連の一族は早く此の地に住して朝命を受け矢作り業に從事した。当時この地方は豪族 物部氏の繁栄に伴ない祖先を氏神として経津主命を祭祀したものと伝えられている。

付近には 物部氏と関連した地名遺跡を多く残している。

 醍醐天皇 延長五年(九二七年)に編纂した延喜式の巻の神名帳(日本国中の天神地祇の国別郡別一覧表)に河内国若江郡に記載されていて 延喜式内社として古くより名高い神社であった。
河内国神名帳には從三位矢作神社とある。

 平安時代この地は 石清水八幡宮が荘園として領しており 後三条天皇 延久元年(一〇六九年)には荘園整理令が出て 延久四年の石清水八幡領荘園に対する文書が残っており承認された荘園の中に掃部別宮とある。

 この頃より 八幡宮(品陀和命)を祀り別宮八幡宮とも言はれて来た。

 長久二年(一〇四二年)の後 朱雀天皇の綸旨には 河内国若江郡 八尾八幡掃部別宮とある八尾の地名が出る一番古い記録とう。

鎮座地 八尾市南本町丁目十番地

御祭神
 経津主命
 住吉三神〔表筒男命 中筒男命 底筒男命
 品陀別
 八重事代主命(長柄神社)

摂社
 白山神社(白山姫命 豊玉姫命
 琴平神社(大国主命)
 稲荷神社(宇加之御魂神)

現地石碑文より

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矢作神社

 別宮八幡ともいわれ、式内社で経津主命をまつる。 この地一帯は古くから矢作連の居住地で、その祖神をまつったものである。
 石鳥居には「矢作神社」とあり、境内の石灯篭には「八幡宮」となっている。 
 境内には慶長十四年(一六〇九)銘の経碑がある。東方の田んぼのなかに塚があり、この附近から室町時代の古瓦片が出土した。

八尾市教育委員会

現地石碑文より

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【由  (History)】

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

〇大阪府 河内國 中河内郡八尾町大字別宮

郷社 矢作(ヤハキノ)神社

祭神

 津主(フツヌシノ)
 表筒男(ウハツツノヲノ)
 中筒男(ナカツツノヲノ)
 底筒男(ソコツツノヲノ)
 品陀別(ホムタワケノ)

年代詳ならずと雖も、國に布郡努志命の裔なる矢作連なるもの住みたる事 姓氏録に見ゆれば、此等が其祖神を祀り創めたるものなる事は推定せらるべきが如し、住吉神三座の合祀せられ給ひし年代亦明なら、醍醐天皇 延喜の制小社に定まり、若江郡二十二座の内に加へらる(延喜式)、後朱雀天皇 長久年間 品陀和気命を合祀す(社記)、其後の沿革明かなら、俗に八幡とす(河内志)、明治年郷社に列す、境内九百十餘坪(官有地第一種)、社殿は本殿。拝殿、幣殿、神輿舎等の建物を備ふ。

境内神社
 白山神社 八坂神社 琴平神社 稲荷神社

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

『大阪府誌』第5編,明364月に記される内容

【抜粋意訳】

長柄神社

 同村の大字庄ノ内に在り 式内の神にして 八重事代主命を祀れり、明治五年村社に列せられ 境内百七十一坪あり。

矢作神社

 同村の大字別宮の中央に鎮座せる式内の社にして 経津主命を主神とし表筒男命、中筒男命、底筒男命、品陀別氣命を配祀せり、創建の年月詳かならざれとも往古 此の地に方いて弓矢を造らしめ給ひしとあるより 主神たる經津主命を祀りて 掃部宮と稱せしと傳へ、弓作弓場等の地名 今なほ存せり、

姓氏錄に依れば當園 矢作連は布都怒志乃命の後なり後、八幡大神、住吉大神を併せ祀り、是れより士人稱して八幡宮と云ふ、往古より著名の社たりしを以つて 神護景雲三年 稱徳天皇 由義宮に行傘の砌 勅使参向奉幣ありきと傳ふ、

貞觀十六年十二月廿九日癸未 授河內國正六位上 掃部神從五位下(三代実録)とあるは 即本社の事なりと云ふ、

 元弘 建武の頃は 大社にして多くの神領を有し 神宮社僧の奉仕せるもの少なからざりしが、延元の兵燹に社殿全く島有に歸し 其の後、再建して遂に舊に復する能はず、
現時 社域は九百餘坪ありて街道に接し、本殿、幣殿、拜殿、神輿庫の外、白山神社、八阪神社、琴平神社、稻荷神社等の末社四座あり、明治六年郷社に昇格せり。

社に長久年中の綸旨を蔵せり。
 河內國若江郡 八尾八幡 掃部別宮 建立之砌 金色鳩鳥數連影向持種々奇異 前代未聞也 依之棒一書之間神領等 任目錄 社僧 神宮家來 万雜公事  臨時課役 今免許之專修造 祭禮彌可奉祈 寶算之長久天下安全者天氣如此悉以狀
長久二年三月廿日 權右中將花押
當宮社僧神官中

【原文参照】

『大阪府誌』第5編,大阪府,明36.4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/76547

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

矢作神社 社殿

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・〈拝殿向かって左 境内社〉稲荷神社《主》宇加之御魂神
・ 御神木 クスノキ

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・〈境内社〉白山神社《主》白山姫命、豊玉姫命
・〈境内社〉八坂神社《主》須佐之男命
・〈境内社〉琴平神社《主》大物主神

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・弁慶の七ツ石

弁慶の七ツ石

境内地内に大石七箇ありて俗に弁慶の七ツ石と称せらる
この石はその一つで当社の旧社殿の基礎石と伝えられる

現地立札より

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・大銀杏

大銀杏

この銀杏の大樹のその蟠根は(まがりくねった根)数坪に及び所々に乳房状の垂下物があり昔からこの部分の薄皮を剥ぎ煎じて用いると乳房の病を治癒し、乳汁を豊かにすることで不思議なりと言い伝えられています。

推定樹令六〇〇年と云われ八尾市文化会館大ホールの緞帳の図柄に用いられています。

現地立札より

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・〈境内入り口〉注連柱

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・参道

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・社頭・鳥居

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・長柄神社跡(八尾市東本町)

明治401907109 矢作神社へ合祀され 社域には今も古木が残る「長柄神社跡」となっています

延喜式内社 河内國 若江郡 長柄神社(鍬)(なからの かみのやしろ)

長柄神社跡(八尾市東本町)の記事を参照

旧 鎮座地
長柄神社跡(八尾市東本町)(『延喜式』長柄神社の跡地)

長柄神社跡(ながらじんじゃ あと)は 『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』に『河内国若江郡 長柄神社(鍬)』とある祈年祭に鍬一口を加えられた由緒ある式内社ですが 明治40年(1907)10月神社統合令で「矢作神社(八尾市)」に合祀されました

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阪合神社(八尾市小阪合町)

阪合神社(八尾市小阪合町)は 明治401907820日矢作神社に合祀された後 昭和321957旧社地〈現在地〉に復興しまし

延喜式内社 河内國 若江郡 坂合神社二座(貞加一座)(さかひの かみのやしろ ふたくら)

・阪合神社(八尾市小阪合町)の記事を参照

一緒に読む
阪合神社(八尾市小阪合町)〈『三代實録』堺神・『延喜式』阪合神社二座〉

阪合神社(さかあいじんじゃ)は 創建年代等は不祥ですが 六国史『三代實録』堺神・『延喜式』河内國 若江郡 坂合神社二座(貞加一座)(さかえの かみのやしろ ふたくら)とされる由緒ある古社です 明治40年(1907)矢作神社(八尾市南本町)に合祀された後 昭和32年(1957)旧社地〈現在地〉に復興しました

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

貞觀十六年十二月廿九日癸未 授河內國正六位上「掃部神」從五位下とあるは 即 矢作神社の事であると云う説があります

【抜粋意訳】

卷二十六

貞觀十六年(八七四)十二月癸未廿九日

○癸未廿九日


常陸國 正五位 薩都神 從四位下
    從五位下 天之白羽神 天之速玉神に 從五位上

河内國 正六位上 掃部神
佐渡國 正六位上 花村神に 從五位下

是日。詔以權律師法橋上人位興照爲少僧都。權律師法橋上人位宗叡爲權少僧都。傳燈大法師位平恩。傳燈大法師位眞然。傳燈大法師位圓宗並爲律師。傳燈大法師位長朗。傳燈大法師位平智。傳燈大法師位豐榮。傳燈大法師位延壽並爲權律師。』酉時。地大震動。

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

矢作神社(八尾市南本町)は 二つの式内社の論社です

①河内國 若江郡 矢作神社〈本社 長柄神社〉
②河内國 若江郡 長柄神社 鍬〈明治401907矢作神社へ合祀 長柄神社〉

①河内國 若江郡 矢作神社〈本社 長柄神社〉

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)河内國 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)若江郡 22座(大2座・小20座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 矢作神社
[ふ り が な ]やはぎの/やつくりの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Yahagi/Yatsukuri no kaminoyashiro

②河内國 若江郡 長柄神社 鍬〈明治401907矢作神社へ合祀 長柄神社〉

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)河内國 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)若江郡 22座(大2座・小20座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 長柄神社 鍬
[ふ り が な ](なからの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Nakara no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

矢作神社(八尾市南本町)は 二つの式内社の論社です

①河内國 若江郡 矢作神社〈本社 長柄神社〉
②河内國 若江郡 長柄神社 鍬〈明治401907矢作神社へ合祀 長柄神社〉

延喜式内社 河内國 若江郡 矢作神社(やつくりの かみのやしろ)

矢作神社(八尾市南本町)

一緒に読む
矢作神社(八尾市南本町)〈『三代實録』掃部神『延喜式』矢作神社・長柄神社〉

矢作神社(やはぎじんじゃ)は 鎮座する八尾の地名は当社から由来したと云う 一帯は物部氏一族の矢作連の屋敷跡と伝わり その祖神である「経津主命」を祀る 延喜式内社 河内國 若江郡 矢作神社(やはぎの/やつくりの かみのやしろ)です 又 明治40年(1907)式内社 長柄神社(なからの かみのやしろ)を合祀しています

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延喜式内社 河内國 若江郡 長柄神社(鍬)(なからの かみのやしろ)

長柄神社跡(八尾市東本町)

旧 鎮座地
長柄神社跡(八尾市東本町)(『延喜式』長柄神社の跡地)

長柄神社跡(ながらじんじゃ あと)は 『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』に『河内国若江郡 長柄神社(鍬)』とある祈年祭に鍬一口を加えられた由緒ある式内社ですが 明治40年(1907)10月神社統合令で「矢作神社(八尾市)」に合祀されました

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・矢作神社(八尾市)合祀

合祀先
矢作神社(八尾市南本町)〈『三代實録』掃部神『延喜式』矢作神社・長柄神社〉

矢作神社(やはぎじんじゃ)は 鎮座する八尾の地名は当社から由来したと云う 一帯は物部氏一族の矢作連の屋敷跡と伝わり その祖神である「経津主命」を祀る 延喜式内社 河内國 若江郡 矢作神社(やはぎの/やつくりの かみのやしろ)です 又 明治40年(1907)式内社 長柄神社(なからの かみのやしろ)を合祀しています

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR八尾駅から東へ約1.3km 徒歩での所要時間は15~25分程度

社殿 境内参道は西を向いています
社頭の鳥居から 社殿までは100メートル近くあると想います 

矢作神社(八尾市南本町)に参着

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一礼をして鳥居をくぐり抜けて 参道を進みます

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境内には 玉垣が廻されて入口の注連柱をくぐります
注連柱をくぐった左側(北側)には樹齢600年とも云う大イチョウの木があります

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正面に拝殿 拝殿の向かって左には御神木

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社殿の真正面に 八幡宮と刻字のある灯籠があります
拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 矢作神社について 所在は゛八尾別宮村 矢作械樋西北に在す、今八幡と゛〈現 矢作神社(八尾市南本町)〉と記しています

【抜粋意訳】

矢作神社

矢作は夜波宜と訓べし

○祭神 矢作連祖神歟

○八尾別宮村 矢作械樋西北に在す、今八幡とす、河内志

○姓氏録、未定雑姓河内國矢作連、布都努志乃命之後也、

氏人
 續日本紀、寳亀元年月癸卯、正八位上矢作造辛姓宿禰、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

式内社 長柄神社について 所在は゛長八尾村に在す、今小守勝手宮とす、゛〈現 長柄神社跡(八尾市東本町)〉と記しています

【抜粋意訳】

長柄神社 鍬

長柄は奈賀良と訓べし

○祭神詳ならず

○長八尾村に在す、今小守勝手宮とす、河内志、同名所圖繪〕

考証云、長田村、

類社
 大和國 葛上郡 長柄神社の條見合すべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 矢作神社について 所在は゛ 八尾別邑矢作槭樋の西北あり、゛〈現 矢作神社(八尾市南本町)〉と記しています

【抜粋意訳】

矢作(ヤハギノ)神社、

 八尾別邑矢作槭樋の西北あり、〔河内

 矢作連の祖神 布都奴志乃命を祭る、〔新撰姓氏録、本社傳説〕

凡 六月十五日祭を行ふ、〔式社細記〕

式内社 長柄神社について 所在は゛今 庄之内村 東郷村の堺にあり゛〈現 長柄神社跡(八尾市東本町)〉と記しています

【抜粋意訳】

長柄(ナガラ)神社

今 庄之内村 東郷村の堺にあり、〔式社細記〕已上二社、

醍醐天皇 延喜の制、祈年祭に鍬各ー口を加奉る、〔延喜式〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 矢作神社について 所在は゛別宮村 (中河内郡八尾町大字別宮)゛〈現 矢作神社(八尾市南本町)〉と記しています

【抜粋意訳】

矢作(ヤハキノ)神社

祭神 經津主神

今按 社傳 經津主命を祭りしに 後世 譽田別命 住吉大神を配すと云り
姓氏錄 河内未定雜姓に矢作 布都努志乃(フツヌシノ)之後者とあるを以て考るに 社説の如く 主神は經津主神ー座にますこと著し

祭日 六月十五日
社格 郷社

所在 別宮村 (中河内郡八尾町大字別宮)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

式内社 長柄神社について 所在は゛庄之内村  界(中河内郡八尾町大字庄ノ内 現今同町 郷 矢作神社へ合併゛〈現 長柄神社跡(八尾市東本町) 現今 矢作神社(八尾市南本町)に合併された〉と記しています

【抜粋意訳】

長柄(ナガラノ)神社

祭神 事代主命

社格 村社

所在 庄之内村  界(中河内郡八尾町大字庄ノ内 現今同町 郷 矢作神社へ合併

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

矢作神社(八尾市南本町) (hai)」(90度のお辞儀)

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河内国 式内社 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣)について に戻る

一緒に読む
河内国 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣)

河内国(かは〈わ〉ちのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 河内国の 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣)の神社のことです

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7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています