実践和學 Cultural Japan heritage

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度津神社(佐渡市羽茂飯岡)〈佐渡國一之宮・延喜式内社〉

度津神社(わたつじんじゃ)は 御祭神に 五十猛命を祀り 陸上海上の守護神として 島民から篤く信仰されています 佐渡国の一之宮と格式高い神社です ただし 1470年に大洪水があり 社地や由緒や縁起など古文書等が悉く流失したため 現在地に遷座したと伝わり その為 創立年月 その他詳かではありません

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

  度津神社(watatsu shrine)
 (わたつじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

  一の宮(ichinomiya)

【鎮座地 (location) 】

新潟県佐渡市羽茂飯岡550-4

 [地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》五十猛命(itakeru no mikoto)
《配》大屋都姫命(oyatsuhime no mikoto)五十猛命の妹神
   抓津姫命(tsumatsuhime no mikoto)五十猛命の妹神

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

・陸上海上交通の守護神 God of traffic safety at sea and land
・交通安全 Pray for Traffic safety  

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
・ 佐渡国一之宮(sado no kuni ichinomiya)
・ 別表神社

【創 建 (Beginning of history)】

度津神社(わたつじんじゃ) 御由緒

「延喜式」神名帳(927年)に記載されている神社を式内社と言い 当時 佐渡の国には九社あり、その第一の宮として古来より 一ノ宮と称し格式の高い神社でありましたが 文明2年(1407年)羽茂川の大洪水により社地・古文書等ことごとく流出した為 その由緒、縁起など詳らかでありません。その後現在の地に御遷座申し上げたもので 明治4年国幣小社に列せられました。現在の御本殿は宝永6年(1709年)に、幣殿・拝殿は 昭和12年の御造営によるもので、全部台湾産の檜が用いられております

御祭神 五十猛命(いそたけるのみこと)
素盞鳴尊(すさのおのみこと)の御子にして 父神に似て勇猛なことから名付けられました
初め天降ります時、樹木の種子を持ち降り 父神と共に朝鮮に渡り のち日本に帰り 全土にわたり植林を奨められたので皆青山うつ蒼として繁茂し為に「植林の神」として崇められました。

そして宮殿・家屋・船・車から日用器具の材料に至るまでこの神の御功績に依るところから「有功(いさおし)の神」とも申します
又、人々に造船・航海の術を授けられ各地に港を開かれた事から御社号を度津と称しております。尚植林と共に道を拓き車の普及に当られた御神徳により今は海上、陸上の交通安全の守護神として全島民から信仰されております

主な祭日
例祭 4月23日
歳旦賽 1月1日
全島交通安全祈願祭 4月21日
全島海上安全大漁満足祈願祭4月24日
新嘗祭11月23日

社頭石碑より

【由 緒 (history)】

当社は 佐渡国、延喜式内九社の第一にして、古来一ノ宮と称せられる。
文明2年(1470)6月の羽茂川大洪水に社地流失し、由緒、縁起、古文書はもとより別当坊に至まで悉く烏有に帰したるため、創立年月其の他詳かではない。

その後、今の地を卜占し 新築御遷座申し上げたるものにして、
明治4年、国幣小社に列格仰出されました。
現在の御本殿は宝永6年(1709)に、幣殿、拝殿は 昭和12年、御造営申し上げたるものですが、幣殿拝殿は全部台湾アリ山産の桧で造られ、其の形態、技法、共に日本建築の粋をあつめた御社殿であります。

「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から

【境内社 (Other deities within the precincts)】

 ・八幡宮(hachiman gu)
 《主》誉田別命・豊受大神・宇迦之御魂神・家都御子神

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)The shrine record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)佐渡國 9座(並小)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)羽茂郡 2座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社名 ] 度津神社
[ふ り が な  ](わたつの かみのやしろ)
[How to read ](watatsu no kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

現在の御祭神(3柱の神)の杜撰には 江戸時代初期の神道家「橘三喜(tachibana mitsuyoshi)」が係わっているのではないかと云われています

1470年に大洪水があり 社地や由緒や縁起など古文書等が悉く流失しました
現在地に遷座しましたが 創立年月 その他詳かではないと伝わります

元々の旧社地についても 幾つかの説があって 定かではありません

江戸時代初期の神道家「橘三喜(tachibana mitsuyoshi)」が 延宝3年(1675)から23年間かけて 全国の一宮を参拝した記録を『諸国一宮巡詣記(shokoku ichinomiya jumpaiki)』全13巻として著しました
当神社には 延宝6年(1678)に参詣してます 橘三喜が巡拝した時期が 当神社の祭神杜撰の山場であった頃なので 五十猛命(itakeru no mikoto)の妹神2柱を配祀したのは 橘三喜ではないかとの説があります

神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

佐渡島の小木港から 県道45号 県道81号経由 約7.3km 車15分程度
羽茂川にかかる御神橋のような朱色の橋を渡ります

橋の先には 社号標には「交通安全之神 佐渡一ノ宮 渡津神社」と朱色の「一の鳥居」が建ちます

「一の鳥居」をくぐると 社頭の「二の鳥居」が見えてきます

注連縄のかかる「二の鳥居」の扁額には「一宮」とあり 石造りの社号標には「佐渡一ノ宮 渡津神社」と刻まれています

渡津神社に参着

一礼して「二の鳥居」をくぐり抜けると 境内は 松や杉などの古木・大木が立ち並びます 軽く弧を描くような参道の左手に手水舎があります 清めます

境内にせせらぎのような小川が 社殿の周りを結界を創るように流れます

参道には 朱色の橋が掛かります 高い社地へと誘います 橋のたもとで一礼します

小川を渡って階段をあがったところに神門があります

神門の奥に 拝殿が見えます

拝殿にすすみます
拝殿内には「渡津神 五十猛命(いたけるのみこと) 釣り岩と亀石」と立札があり 写真もあります

賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

本殿は 拝殿の奥の傾斜地に建っています 宝永6年(1709年)の造営 かなりの大きさがあります 大木に囲まれています

本殿への通路は 拝殿内部から 内階段で上がるように設計されています

拝殿や末社等は 昭和12年(1937年)に台湾産の総ヒノキ材により造営されたと記されています

社殿の向かって右側の境内社(獅子殿・八幡宮)にお詣りをします

・八幡宮(hachiman gu)
 《主》誉田別命・豊受大神・宇迦之御魂神・家都御子神

神門へ戻ります

参道へ戻ります

二の鳥居の手前 手水舎のところで曲ると 社務所がありますので お守り ご朱印などを授与頂けます

二の鳥居から一の鳥居へ一直線に参道が延びています

鳥居をくぐり抜けて振り返り一礼します

神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『橘三喜(tachibana mitsuyoshi)諸国一宮巡詣記抜粋(shokoku ichinomiya jumpaikibassui)』に記される伝承

延宝6年(1678)に参詣した時の記録として「佐渡一ノ宮 加茂郡 度津明神 五十猛命」とあります

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『橘三喜 諸国一宮巡詣記抜粋 乾』(1675年~1697年)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039344&ID=M2014090119552785625&TYPE=&NO=画像利用

御祭神は五十猛命を祀り陸上海上の守護神として 島民から篤く信仰されています 佐渡国の一之宮と格式高い神社です
度津神社(watatsu shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

「全国 一之宮(Ichi no miya)」について に戻る

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