若櫻神社(わかざくらじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の古社で 第17代 履中天皇(リチュウテンノウ)〈在位400~405年頃〉の磐余稚桜宮(イワレ ワカザクラノミヤ)跡に充てる説もあります 東殿(若桜神社)西殿(高屋安部神社)の本殿があり 高屋安部神社は 近世(18世紀以前頃)に山崩れがあり 社殿が大破した為 安倍松本山(安倍文殊院の東)から 元々の若櫻神社の鎮座地 こちらに遷座したと伝わります 若桜部(ワカサクラベノ)氏や安倍(アヘノ)氏に所縁のある御祭神を祀ります
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
若櫻神社(Wakazakura Shrine)
(わかざくらじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
奈良県桜井市谷344
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
東殿 若櫻神社
《主》伊波我加利命(Iwakagari no mikoto)
《合》神倭磐余比古命(Kamu yamato iwarehiko no mikoto)
西殿 高屋安倍神
【合祀(It is enshrined together)】
《主》屋主彦太思心命(Yanushihiko futoshitama no mikoto)
大彦命(Ohiko no mikoto)
産屋主思命(Ubuyanushi omohi no kami)
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載 名神大社 高屋安倍神社の記事をご覧ください
高屋安倍神社(たかやあべじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の古社です 東殿(若桜神社)西殿(高屋安部神社)の本殿があり 元々は 若櫻神社の鎮座地です 高屋安部神社は安倍松本山(安倍文殊院の東)から 近世(18世紀以前頃)に山崩れがあり社殿が大破した為 こちらに遷座したと伝わります 阿部氏に所縁の祭神を祀ります
高屋安倍神社(若櫻神社の西殿)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
・国家安泰 Wishing for the security and peace of this country
・商売繁盛 Pray to God that the business will flourish
・家内安全 Pray to God that the home is peaceful
・入学安全 Pray for admission to school
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
この地を 第17代 履中天皇(リチュウテンノウ)〈在位400~405年頃〉の
磐余稚桜宮(イワレ ワカザクラノミヤ)跡に充てる説もあります
磐余稚桜宮(イワレ ワカザクラノミヤ)伝承地
記紀によりますと、第十七代履中天皇は、各地に国司や国史を置き、諸国に意向を広く伝えるとともに、諸国の記録を残すようにするなど、国の仕組みを整え国家を安定させようとしたと記されています。
また、磐余池を造ったとされる一方、磐余 市磯池(いちしのいけ)で船遊びをしていると、杯に季節はずれの桜の花びらが舞い落ちたことから、宮名を磐余稚桜宮としたとされています。
この説話にまつわって、桜樹を等弥郷の清水の湧き出る泉のほとりに植えたという伝説があり、「桜の井戸」、桜井の地名の起こりにもなっています。
桜井市役所 公式HPより
http://www.city.sakurai.lg.jp/miyaato/jp/detail04.html
【由 緒 (History)】
由緒不詳
※『大和志』享保14年編纂(1729~1734)に
桜井谷邑(ムラ)に在り 今 白山権現(ハクサンゴンゲン)と称す
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
東殿 若櫻神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和国 286座
(大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)城上郡 35座(大15座・小20座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 若櫻神社
[ふ り が な ](わかさくらの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Wakasakura no kamino yashiro)
西殿 高屋安倍神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和国 286座
(大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)城上郡 35座(大15座・小20座)
[名神大 大 小] 式内名神大社
[旧 神社 名称 ] 高屋安倍神社 三座(延・並名神大 月次新嘗)
[ふ り が な ](たかやあへの かみのやしろ)
(さんざ ならびに みょうじんだい つきなめにいなめ)
[Old Shrine name](takayaahe no kamino yashiro)
(sanza narabini myojindai tsukinameniiname)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)
「大和國 城上郡 若櫻神社」の論社は2ヶ所あります
①若櫻神社(桜井市谷)〈当神社〉
若櫻神社(わかざくらじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の古社で 第17代 履中天皇(リチュウテンノウ)〈在位400~405年頃〉の磐余稚桜宮(イワレ ワカザクラノミヤ)跡に充てる説もあります 東殿(若桜神社)西殿(高屋安部神社)の本殿があり 高屋安部神社は 近世(18世紀以前頃)に山崩れがあり 社殿が大破した為 安倍松本山(安倍文殊院の東)から 元々の若櫻神社の鎮座地 こちらに遷座したと伝わります 若桜部(ワカサクラベノ)氏や安倍(アヘノ)氏に所縁のある御祭神を祀ります
若櫻神社(桜井市谷)
➁稚櫻神社(桜井市大字池之内)
稚櫻神社(わかざくらじんじゃ)は 『日本書紀』第17代 履中天皇(リチュウテンノウ)〈在位400~405年頃〉の条にある 天皇が船遊びをされた「磐余(イワレ)の市磯池(イチシノイケ=磐余池)」や 物部長真胆連(モノノベノ ナガマイノムラジ)が 桜の花を捜し出した「掖上室山(イケノヘ ノ ムロヤマ)」が 隣接していたと伝わっていて 磐余稚桜宮(イワレノ ワカサクラノミヤ)の舞台とする説もあります
稚櫻神社(桜井市池之内)
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
桜井駅南口から 県道154号を南へ約600m 徒歩10程度
古墳のような丘陵上に鎮座します
社号標「式内 若櫻神社」とあります
若櫻神社(Wakazakura Shrine)に参着
鳥居の扁額は銅板「式内 若櫻神社」で刻されています
一礼して鳥居をくぐると 丘陵へ階段が続きます
すぐ右手には 復元された 若櫻の井戸があります
石段を登ると 拝殿前の斎庭に出ます 最初に祓戸神が鎮座します
桜井駅方面からの参拝順路は 先ず 祓戸神の前で心身を清めます
境内には 金毘羅大権現も祀られています
拝殿にすすみます
拝殿のすぐ脇に石碑
平成5年8月8日
高屋安倍神社 御祭神の大彦命 御分霊を越前の鯖江市 松阜神社に奉持して奉祝
鐡斎の 古き墨付 かみことは
高屋安倍なる 大彦の神
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
本殿は 拝殿の奥 漆喰の瑞垣内にあります
東殿は 若櫻神社(ワカザクラジンジャ)
西殿は 高屋安倍神社(タカヤアベジンジャ)
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載 名神大社 高屋安倍神社の記事をご覧ください
高屋安倍神社(たかやあべじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の古社です 東殿(若桜神社)西殿(高屋安部神社)の本殿があり 元々は 若櫻神社の鎮座地です 高屋安部神社は安倍松本山(安倍文殊院の東)から 近世(18世紀以前頃)に山崩れがあり社殿が大破した為 こちらに遷座したと伝わります 阿部氏に所縁の祭神を祀ります
高屋安倍神社(若櫻神社の西殿)
拝殿前で一礼をして 参道を戻り 鳥居を抜けて 再度一礼をします
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『日本書紀(nihon shoki)』養老4年(720)に記される伝承
第17代 履中天皇(リチュウテンノウ)〈在位400~405年頃〉の磐余稚桜宮(イワレノ ワカサクラノミヤ)の説話には
若桜部(ワカサクラベ)について 2流が記されています
第17代 履中天皇(リチュウテンノウ)〈在位400~405年頃〉の条
即位3年 冬11月6日条天皇は両枝船(フタマタノフネ)を磐余(イワレ)の市磯池(イチシノイケ=磐余池)に浮かべ 妃とそれぞれ分かれて乗って遊ばれた
膳臣(カシワデノオミ)余磯(アレシ)が酒を献じた
その時 桜の花が 盃に散り落ち 天皇は不思議に思われて 物部長真胆連(モノノベノ ナガマイノムラジ)を召して
詔(ミコトノリ)して
「この花は 非時(トキシクアラジ)〈季節ではない〉のに来た これは何処の花だろうか お前が探してこい」といわれた
そこで 長真胆連(ナガマイノムラジ)は一人 花を尋ねて 掖上室山(ワキノカムノムロノヤマ)で桜を見つけて 献上しました天皇は その珍しさに喜ばれ 宮の名とされた
それが 磐余稚桜宮(イワレノ ワカサクラノミヤ)といわれる由縁ですこの日に 長真胆連(ナガマイノムラジ)の元の姓(カバネ)を改め 稚桜部造(ワカサクラベノミヤツコ)とされた
また 膳臣(カシワデノオミ)余磯(アレシ)を名付けて 稚桜部臣(ワカサクラベノオミ)とされました
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』(720年)選者 舎人親王/刊本 文政13年 [旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047528&ID=M2017042515415226619&TYPE=&NO=画像利用
『新撰姓氏録(Shinsen Shoji roku)』815年(弘仁6年)に記される伝承
若桜部(ワカサクラベ)について 日本書紀と同様に 2流が記されています
①は 阿部氏系 皇別氏族・大彦命(オオヒコノミコト)の流れ
②は 物部氏系 神別氏族・饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の流れ
①右京(ウキョウ)皇別(コウベツ)の条では
若桜部朝臣(ワカサクラベノアソミ)は 孝元天皇の皇子・大彦命の後裔と記しています
➁右京(ウキョウ)神別シンベツ 天神(アマツカミ)の条では
若桜部造(ワカサクラベノミヤツコ)は 饒速日神(ニギハヤヒノカミ)出雲色男命(イズモシコオノミコト)の後裔 物部長真胆連(モノノベノ ナガマイノムラジ)の後裔と記しています
当神社「若櫻神社(桜井市谷)」は ①の流れになります
①右京(ウキョウ)皇別(コウベツ)の条
意訳
右京(ウキョウ)皇別(コウベツ)
若桜部朝臣(ワカサクラベノアソミ)
安倍朝臣(アベノアソミ)同祖(オナジキオヤ)大彦命(オオヒコノミコト)の孫 伊波我牟都加利命(イハガムツカリノミコト)之(ノ)後也(スエナリ)
➁右京(ウキョウ)神別シンベツ 天神(アマツカミ)の条意訳
意訳
右京(ウキョウ)神別シンベツ 天神(アマツカミ)
若桜部造(ワカサクラベノミヤツコ)
饒速日神(ニギハヤヒノカミ)三世(ミツギノ)孫(ヒコ)出雲色男命(イズモシコオノミコト)之(ノ)後也(スエナリ)四世(ヨツギノ)孫(ヒコ)物部長真胆連(モノノベノ ナガマイノムラジ) ~・・・・(以下 『日本書紀(nihon shoki)』履中天皇(リチュウテンノウ)の磐余稚桜宮(イワレノ ワカサクラノミヤ)の説話が記されます)
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『新撰姓氏録』選者:万多親王/校訂者:橋本稲彦[書誌事項]刊本(後印) ,文化04年[旧蔵者]教部省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000038380&ID=M2017051017170432508&TYPE=&NO=画像利用
『五畿内志(Gokinaishi)』享保14年(1729~1734)編纂に記される伝承
江戸幕府による最初の幕撰地誌と見なされる『五畿内志(Gokinaishi)』
※著者の並河 誠所(Namikawa seisho)〈江戸時代中期に活躍した儒学者・地理学者〉は『五畿内志』を編纂する調査の過程で『畿内』の数々の延喜式式内社の比定も行こないました
『大和志』 十市(トヲチノ)郡 神廟の条 に 所属する郡(コオリ)について
延喜式の頃には 城上(シキノカミノ)郡であったが 江戸期には十市(トヲチノ)郡に属していた様子が 記されています
『大和志』十市郡の条 神廟に
若櫻神社
桜井谷邑(ムラ)に在り 今 白山権現(ハクサンゴンゲン)と称す高屋安倍神社 三座 並大 月次新嘗
〇父老の云う
昔 桜井谷の邑(ムラ)管内の安倍松本山に在り 近くの若桜神社の傍らに移る 今尚(イマナオ)高屋明神(タカヤミョウジン)と称す〇等彌〈等彌神社〉若櫻〈若櫻神社〉安倍〈高屋安倍神社〉式に所載在り
城上郡 蓋し(ケダシ)〈考えてみるのに〉
十市(トヲチノ)城上(シキノカミノ)2郡(コオリ)は
犬牙相雑す〈隣りあう2つの領土が犬のきばのように入り組くんで接していて雑然としている〉
故に 境界は不明で ちなみに安倍山の背地は 当初はトミと察す
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『五畿内志』著 並河永 著 編纂 享保14年(1729)[他] 出版 昭和4(1929年)日本古典全集刊行会
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179429『五畿内志』1 『五畿内志』2
『神名帳考証土代(jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承
意訳
若櫻(ワカサクラノ)神社
姓氏『新撰姓氏録(Shinsen Shoji roku)』に
「若桜部朝臣(ワカサクラベノアソミ)
安倍朝臣(アベノアソミ)同祖(オナジキオヤ)大彦命(オオヒコノミコト)の孫 伊波我牟都加利命(イハガムツカリノミコト)之(ノ)後也(スエナリ)」書紀『日本書紀(nihon shoki)』に
履中天皇(リチュウテンノウ)紀3年に 稚桜の事 可(アリ)考今 十市郡 櫻井谷村に在り 白山権現(ハクサンゴンゲン)と称す
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876年)に記される内容
若櫻部(ワカザクラベノ)氏には 2流の氏があるので どちらの祖神(オヤガミ)を祀っているのかは 詳しくは判らないと記しています
意訳
若櫻神社 白山社と称す
祭神
今按〈今考えるに〉
『日本書紀(nihon shoki)』
〈第17代 履中天皇(リチュウテンノウ)〈在位400~405年頃〉の条
即位3年 冬11月6日条の磐余稚桜宮(イワレノ ワカサクラノミヤ)の説話が記されます〉・・・と云う
若櫻部(ワカザクラベノ)氏には
稚桜部造(ワカサクラベノミヤツコ)と稚桜部臣(ワカサクラベノオミ)の両氏があるを以って
いずれの祖(オヤ)を祀るのか 詳(ツマビラカ)ならず〈詳しい事は不明〉祭日
社格 村社 明十市郡谷村
所在 櫻井谷村
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』出版 大正14年(1925年)磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』
『大和志料(Yamato shiryo)』大正3年(1914)に記される伝承
式内社として 当神社 櫻井町大字谷にあり 白山権現(ハクサンゴンゲン)を比定して
もう一つの論社「稚櫻神社」が 阿倍村 大字 池之内 宮地にあるが これは採用できないとしています
意訳
若櫻(ワカザクラ)神社
櫻井町大字谷にあり 白山権現(ハクサンゴンゲン)と称せり
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』に城上郡に所載す又
郡(コオリ)の境界が 変遷によりて 然(サ)るのみ〈そのようになった〉阿倍村 大字 池之内 宮地にも 同名の神社ありて 或いは 以って
式内社の若櫻神社と称するも 彼は〈あれは〉 磐余稚桜宮(イワレ ワカザクラノミヤ)の跡地に付き 他の神を祭りたるなるのみならず 池之内は 所謂(イワユル)磐余池の故趾にして
古来 本郡の分内にして 城上郡に属すべきにあらざれば 今これを取らず祭神 詳(ツマビラカ)ならず〈詳しい事は不明〉
倘(モシ)くは 稚櫻部(ワカサクラベ)氏の祖(オヤ) 物部長真胆連(モノノベノ ナガマイノムラジ)を祭れる所ならん
長真(ナガマイ)の 膳(カシワデ)の事は 磐余稚桜宮(イワレ ワカザクラノミヤ)の下りに詳(ツマビラカ)なり〈詳しくある〉(註)
神社明細帳に
十市郡谷村字西浦
指定村社 若櫻神社 祭神 伊波我加利命(Iwakagari no mikoto)
由緒不詳 延喜式内とあり
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『大和志料』著者 奈良県 編 出版年月日 大正3年 出版者 奈良県教育会
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813『大和志料』
若櫻神社(Wakazakura Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
①若櫻神社(桜井市谷)〈当神社〉
若櫻神社(わかざくらじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の古社で 第17代 履中天皇(リチュウテンノウ)〈在位400~405年頃〉の磐余稚桜宮(イワレ ワカザクラノミヤ)跡に充てる説もあります 東殿(若桜神社)西殿(高屋安部神社)の本殿があり 高屋安部神社は 近世(18世紀以前頃)に山崩れがあり 社殿が大破した為 安倍松本山(安倍文殊院の東)から 元々の若櫻神社の鎮座地 こちらに遷座したと伝わります 若桜部(ワカサクラベノ)氏や安倍(アヘノ)氏に所縁のある御祭神を祀ります
若櫻神社(桜井市谷)
➁稚櫻神社(桜井市大字池之内)
稚櫻神社(わかざくらじんじゃ)は 『日本書紀』第17代 履中天皇(リチュウテンノウ)〈在位400~405年頃〉の条にある 天皇が船遊びをされた「磐余(イワレ)の市磯池(イチシノイケ=磐余池)」や 物部長真胆連(モノノベノ ナガマイノムラジ)が 桜の花を捜し出した「掖上室山(イケノヘ ノ ムロヤマ)」が 隣接していたと伝わっていて 磐余稚桜宮(イワレノ ワカサクラノミヤ)の舞台とする説もあります
稚櫻神社(桜井市池之内)
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載 名神大社 高屋安倍神社の記事をご覧ください
高屋安倍神社(たかやあべじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の古社です 東殿(若桜神社)西殿(高屋安部神社)の本殿があり 元々は 若櫻神社の鎮座地です 高屋安部神社は安倍松本山(安倍文殊院の東)から 近世(18世紀以前頃)に山崩れがあり社殿が大破した為 こちらに遷座したと伝わります 阿部氏に所縁の祭神を祀ります
高屋安倍神社(若櫻神社の西殿)
大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る
大和国(やまとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 大和國の286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)の神社のことです
大和国 286座(大128座(並月次新嘗就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)