魚海神社(うおみじんじゃ)は 天照大神が伊勢の地に鎮座する三年八ヶ月前にこの地に祀られたと伝わる 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 魚海神社二座(いをうみの かみのやしろ ふたくら)の論社で 明治5年に村社に列せられた後 明治42年(1909)大国玉神社に合祀され その後 昭和10年(1935)分祀され古社地に再興されました
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
魚海神社(Uwomi shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
三重県松阪市川島町183
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》豊玉彦命(とよたまひこのみこと)
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
月讀荒魂命(つきよみあらみたまのみこと)
《合》天之忍穗耳命(あめのほひのみこと)
須佐之男命(すさのをのみこと)
大山津見尊(おほやまつみのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
延喜式内 魚海神社
御祭神
主神
豊玉姫命(龍宮 彦火出見尊 后)
豊玉彦尊(彦火出見尊)
月読荒魂尊(月の神)
天之忍穂耳尊(天照大神の御子)〈明治三十一年四月 十間通り宇気比神社 奥垣内 合祀〉
須佐男尊〈明治三十一年四月 古屋敷 須賀神社 合祀〉
大山津見尊(山の神)御由緒
垂仁天皇御代二十三年二月十一日 倭姫命 天照大神を奉載し大神鎮座の地をさがし求め、櫛田川を下られて此の地に御幸さられし時
「御船に乗りたまいて 入り江にこられし時 潮引きて干満となるに魚自然に集まりきたりて御船にとびこみたり。命それを見給うて大いに喜ばれ、魚海社をこの地に定めたまわった。」
(倭姫世記 大神宮本記より訳文)当社御創始は天照皇大神 伊勢の地に御鎮座ましませるよりさかのぼること三年八ヶ月前なり
附記
海の魚を見て喜び給い此処に 天照皇大神 御拝所 並びに 龍宮の神 豊玉姫命を祀られ 此の日を記念して今も神宮において海幸祭をとり行われている
天武天皇御神託により七年十一月十一日 月読荒魂尊を魚海神社に奉遷合祀された。
(伊勢二所四王天神鎮座伝記神記)現地案内板より
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【由 緒 (History)】
『勢陽五鈴遺響』に記される内容
【抜粋意訳】
式内 魚海神社
北魚見川嶋邑にあり 本郡井口村 麻績織機殿より十八丁
祭神二座 豊玉彦命 豊玉姫命 月讀命荒魂両黑部邑より土手堤を歷川橋をわたり 久保村の堤の上に登り 川嶋邑にいたる 字は盬つつみと云處に坐す 垣内田邑 須磨比賣社より坤位八丁
【原文参照】
安岡親毅 著『勢陽五鈴遺響』8 飯野郡 全,飯高郡 自1ノ巻至7ノ巻,鈴木嘉兵衛,明16. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/765791
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・大國玉神社(松阪市六根町)
大國玉神社(松阪市六根町)は 明治42年(1909)井口中の須賀神社・中河原の仲神社・腹太の宇留布津神社・保津の天香山神社・新開の室垣不知元神社・魚見の魚見神社・川島の魚海神社・東久保の宇気比神社をそれぞれ合祀しました
その後 昭和10年(1935)先に合祀した須賀神社他八社を氏子崇敬者の熱意により旧社地に分祀しました
・大国玉神社(松阪市六根町)
大国玉神社(おおくにたまじんじゃ)は 近世には御薗神社と称し近郷の氏神として人々の崇敬を集めていました 明治以降 延喜式内社 伊勢國 度會郡 大國玉神社(おほくにたまの かみのやしろ)とする説が有力視され 明治16年(1883)社名を御薗神社より大國玉神社に変更しています
大國玉神社(松阪市六根町)〈『延喜式』大國玉神社〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢國 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多氣郡 52座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 魚海神社 二座
[ふ り が な ](いをうみの かみのやしろ ふたくら)
[Old Shrine name](Iwoumi no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 伊勢國 多氣郡 魚海神社二座(いをうみの かみのやしろ ふたくら)の論社
・魚見神社(松阪市魚見町)
魚見神社(うおみじんじゃ)は 『倭姫世記』によれば 倭姫命が天照大神を奉じ櫛田社を定めて 御船に乗り 櫛田川の河口に至った時 魚が自然に集り御船に飛びこんできたのを見て喜ばれので その所に魚見社を定められたと云う 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 魚海神社二座(いをうみの かみのやしろ ふたくら)とされます
魚見神社(松阪市魚見町)〈『延喜式』魚海神社 二座〉
・魚海神社(松阪市川島町)
魚海神社(うおみじんじゃ)は 天照大神が伊勢の地に鎮座する三年八ヶ月前にこの地に祀られたと伝わる 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 魚海神社二座(いをうみの かみのやしろ ふたくら)の論社で 明治5年に村社に列せられた後 明治42年(1909)大国玉神社に合祀され その後 昭和10年(1935)分祀され古社地に再興されました
魚海神社(松阪市川島町)〈『延喜式』魚海神社 二座〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
近鉄山田線 櫛田駅から櫛田川沿いに北上して約4.6km 車で8分程度
櫛田川の右岸〈東岸〉の田畑の中に鎮座します
魚海神社(松阪市川島町)に参着
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境内の入口は東向きで 社殿は南を向いています
一つの鳥居は東向き 社殿の前の鳥居は南向きです
拝殿にすすみます
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 魚海神社二座について 所在は゛北魚見村に在す、俗潮積社と称す、今 飯野郡に属す、゛〈現 魚見神社(松阪市魚見町)〉と記しています
『倭姫世記』に 倭姫命が天照大神を奉じて櫛田社を定められて 御船に乗り 櫛田川の河口に至った時 魚が自然に集り御船に飛びこんできた これを見られて喜ばれので その所に魚見社を定められたと云う
【抜粋意訳】
魚海神社二座
魚海は伊乎美と訓べし
〇祭神両説あり、一座 月読命荒魂、〔世記〕三座 月読命、豊玉彦命、豊玉姫命、〔機殿儀式帳〕
〇北魚見村に在す、俗潮積社と称す、今 飯野郡に属す、〔考証俚諺〕
○倭姫世記云、垂仁天皇二十二年、櫛田社定賜支、從に其処〔志天〕、御船乗給弖幸行、其河後江爾到座、于時魚自然集出天、御舶参来支、爾時倭姫命見悦給弖、其処爾 魚見社定賜支、
機殿儀式帳云、魚見社三前、是 月讀命、豊玉彦命、豊玉姫命、合三柱也、
又云、荒魂命、飛鳥宮御宇丙寅年十二月十一日、遷に魚見神社也、〔連胤〕按るに、此帳二座とあるは、月読命荒魂は内宮別宮に坐は當社にて、祈年祭の幣は豊玉彦姫の両神に奉りしなるべし、さはいへ荒魂をも合祀して、實は三座なりけむ、此類ひ多き事也、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 魚海神社二座について 所在は゛今 魚見村の產神即是也、゛〈現 魚見神社(松阪市魚見町)〉と記しています
【抜粋意訳】
魚海(ウヲミノ)神社二座
今 魚見村の產神即是也、〔伊勢式内社検録〕
月読尊荒魂 及 豐玉彦命、豐玉姫命を祀る、〔神名秘書引機殿儀式〕
月読尊は滄海原の潮之八百重を治し給ひ、豊玉彦命、豊玉姫命は海を掌り坐神也、〔日本書紀〕
初 垂仁天皇御世、倭姫命大神を頂奉り、竹田國より御船に乗て河後江に至坐時、魚自ら参乗き、故其を見悅給て魚見社を定給ひき、〔倭姫世紀〕
天武天皇 丙子歲十一月乙亥、神宣に依て、月讀荒魂命を始て比社に遷祀る、形鏡に坐せり、〔神名秘書、神祇本源、〇按 本書丙子を丙寅に作る、然れど天武御世 丙寅年なし、故今之を訂す〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 魚海神社二座について 所在は゛三重縣飯野郡魚見村(明細川島村)゛〈現 魚見神社(松阪市魚見町)〉と記しています
又゛検録に川島村の北なる潮積と稱する小祠を當社に配すれど゛〈現 魚海神社(松阪市川島町)〉とする説があるが この地は新開墾の地で古社のある場所ではない とも記しています
【抜粋意訳】
魚見神社二座
祭神 豊玉彦命
豊玉姫命今按 祭神 倭姫命卅紀には 月讀命荒魂とみえ 機殿儀式帳には魚見社三前 是 月読命 豊玉彦命 豐玉姫命合三柱也とあるによらは 月読命を祀らるる如くなれど 二座は月読命を除きての座数なるべく思はる 故今かく定めて記せり
祭日
社格 村社所在 三重縣飯野郡魚見村(明細川島村)
今按 検録に川島村の北なる潮積と稱する小祠を當社に配すれど 彼處は新開墾の地にて 舊社のあるべき地勢ならず 雑例集神鳳抄等に魚見新御薗とある新開村よりも猶北方なる川島村にあるを式社には配しがたし 木邑魚見村にあるを眞とすべしと云へり
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
魚海神社(松阪市川島町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です
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