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宇佐神宮 境内外社(摂社・末社)&関連社について

全国4万社余りの八幡社の総本宮 宇佐神宮(usa jingu)の 境内外社(摂社・末社)&関連社についてご紹介します

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

  宇佐神宮(usa jingu)
 (うさじんぐう)

 [通称名(Common name)]

  宇佐八幡宮(usa hachiman gu)

【鎮座地 (location) 】

大分県宇佐市南宇佐2859

 [地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

・一之御殿 八幡大神(hachiman okami)
      [誉田別尊(hondawake no mikoto) 応神天皇(ojin tenno)]

・二之御殿 比売大神(hime okami)
      [多岐津姫命 市杵島姫命 多紀理姫命(宗像3女神)]

・三ノ御殿 神功皇后(jingu kogo)
      [息長帯姫命(okinaga tarashihime no mikoto)]

※主祭神は 一之御殿「八幡大神(hachiman okami)」とされますが 実際には 中央の本殿 大きな拝殿に祀られているのは 二之御殿「比売大神(hime okami)」です 何故でそうであるのかは謎とされています

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社(名神大)
・ 豊前国一之宮(sado no kuni ichinomiya)
・ 別表神社
・ 勅祭社

【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)The shrine record was completed in December 927 AD.

宇佐神宮の御祭神は 3座です 3座ともに 宇佐郡 3座(並大)となっています

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)豊前国 6座(大3座・小3座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)宇佐郡 3座(並大)
[名神大 大 小] 式内 名神大社

①一之御殿 八幡大神(hachiman okami)

[旧 神社名 ] 八幡大菩薩宇佐宮(名神大)
[ふ り が な  ](はちまんだいぼさつ うさのみや)(みょうじんだい)
[How to read ](hachimandaibosatsu usanomiya)(myojindai) 

➁二之御殿 比売大神(hime okami)

[旧 神社名 ] 比売神社(名神大)
[ふ り が な  ](ひめ かみのやしろ)(みょうじんだい)
[How to read ](hime kamino yashiro)(myojindai) 

➂三ノ御殿 神功皇后(jingu kogo)

[旧 神社名 ] 大帯姫廟神社(名神大)
[ふ り が な  ](おほたらひめのびょう かみのやしろ)(みょうじんだい)
[How to read ](ohotarahime no byo kamino yashiro)(myojindai)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

【由 緒 (history)】

宇佐神宮について 詳しくは 記事をご覧ください

一緒に読む
宇佐神宮(宇佐市南宇佐)

宇佐神宮(うさじんぐう)は 全国4万社余りの八幡社の総本宮です 豊前国一之宮でもあります 神亀2年(725)創建以来 皇室から「伊勢神宮」につぐ「第二の宗廟(sobyo)」としての崇敬を受けています 信仰の地となってから約1300年 境内に足を踏み入れれば 日本の息吹が伝わります

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宇佐神宮 境内外社(摂社・末社)&関連社について
(About Usa Jingu Shrine (sessha/massha) & affiliated Shrine)

宇佐神宮資料より 境内図

下宮(geku)

《主》一之御殿 八幡大神(hachiman okami)
   二之御殿 比売大神(hime okami)

   三ノ御殿 神功皇后(jingu kogo)

嵯峨天皇の弘仁年間(810年代)勅願によって創建され、上宮の御分神をご鎮祭になったことがきっかけで、八幡大神様・比売大神様・神功皇后様は上下御両宮のご鎮座となりました。「下宮参らにゃ片参り」と云われる所以です。下宮の八幡大神は、御饌(みけ)を司るとともに、農業や一般産業の発展、充実をお守りになるご神威を発揮されます。古くから日常の祭祀には、とくに国民一般の祈願や報賽(ほうさい)が行われてきました。

公式HPより

摂社(sessha) (下宮一之御殿の中に奉斎)

・大神祖(ogaso)神社
《配》大神比義翁(oga no higi no okina)

欽明天皇32年、八幡大神を御顕わしになった大神比義(おおがのひぎ)を祀る神社で、下宮一之御殿の中に奉斎している。

宇佐神宮配布資料より

・頓宮(tongu)

 《主》八幡大神(hachiman okami)

頓宮(とんぐう)は 仮殿(かりどの)、御仮屋(おかりや)ともいわれ、当神宮では夏越神幸祭(なごしのしんこうさい)(7/31~8/2)が斎行される際に3基の神輿(みこし)(御鳳輦 ごほうれん)が この頓宮まで御巡幸ののち遷御(せんぎょ)される。

この大祭は明治以前まで御祓会(おはらいえ)御禊会(みぞぎえ)とも称されたが 古式による独特な祓の儀、菅貫神事(すがぬけしんじ)が今も行われている。
 また現在の頓宮は昭和7年より始まった昭和大造営の折に新築されたものである。
 古く元慶4年(880)には33年毎の式年造替が行われ、この頓宮一帯に上宮、外宮、若宮の各本殿と寸分たがわない白木造りの「仮殿」が建てられた。
 しかしこの仮殿の造営も中世戦乱のため次第に行われなくなり、延宝8年(1680)には神橋付近に頓宮が造営され昭和初期まで使用された。
 尚、宝物殿には我が国最古の建築指図である「宇佐宮仮殿地判指図」(国重文・鎌倉時代)や、「応永の古図」また「宇佐宮絵図」が展示されており参考にされたい。 案内板より

摂社(sessha)
・宇佐祖(usaso)神社(頓宮に合祀)
《主》菟狭津彦命(usatsuhiko no mikoto)

神武天皇が御東征のとき、天皇を御迎えして一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)で大御饗(おおみあえ)を催された菟狭津彦命(うさつひこのみこと)を祀る神社で宇佐の国造、大宮司家の御祖神である。

宇佐神宮配布資料より

神宮内郭の上宮本殿の御垣内に鎮座する 摂社・末社について
(About (sessha/massha)shrines that are settled in the Migaki of the Uemiya main hall of the Jingu)

宇佐神宮資料より 境内図

摂社(sessha)  ・住吉(sumiyoshi)神社

《主》表筒之男命(uhazutsu no o no mikoto)
   中筒男命(nakazutsu no o no mikoto)
   底筒男命(sokozutsu no o no mikoto)

三之御殿、神功皇后の脇殿。神功皇后に数々のご神威を与えられた住吉大神を弘仁14年(823年)よりお祭りしています。

公式HPより

末社 (massha)  ・春日(kasuga)神社

《主》天児屋根命(amenokoyane no mikoto)

一之御殿、八幡大神の脇殿です。ご祭神の天児屋根命(あめのこやねのみこと)は春日大明神とも言われ、神功皇后をお助けになった尊神です。

公式HPより

末社 (massha)  ・北辰(hokushin)神社

《主》天御中主神(ameno minakanushi no kami)
   高皇産霊神(takamimusuhi no kami)
   神皇産霊神(kamimusuhi no kami)

神宮の上宮内、第一殿の西北に南面して祀られる小社で、比売大神の脇殿といわれ、本宮の地主神と伝えられる造化三神を祀っています。上宮西中門の中に鎮座しています。社殿は八幡造です。

公式HPより

末社 (massha)  ・八子(yako)神社

《主》八子神(yako no kami)

八幡大神の八王子神をお祀りしております。社殿の構えはなく、上宮、西回廊の楠の木に鎮まっておられます。
公式HPより

末社 (massha) ・善神王(zejino)神社

《主》高良大明神(kora daimyojin)
   阿蘇大明神(aso daimyojin)

神宮内郭の南正門。勅使門で通常は開かずの門です。入母屋造桧皮葺楼門、正面5.34m、側面3.17m、背は10.6m。高良大明神、阿蘇大明神の二神を御門の神としてお祀りしています。

公式HPより

境内の 摂社・末社について(About (sessha/massha)  in the precincts)

摂社(sessha)  ・若宮(wakamiya)神社

《主》大鷦鷯命(osazaki no mikoto)
   大葉枝皇子(obae no miko)小葉枝皇子(kobae no miko)
   雌鳥皇女(medori no miko)隼別皇子(hayabusawake no miko)

天長元年(824)同7年、ご神託があって、仁壽2年(852)に造営使を派遣して造営創祀されました。
応神天皇の若宮であられる大鷦鷯命(仁徳天皇)と皇子をお祀りしています。

除災難・厄難の神様として有名です。

公式HPより

摂社(sessha)  ・黒男(kuroo)神社

《主》武内宿禰命(takenochi no sukune no mikoto)

武内宿祢は、景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、応神天皇、仁徳天皇と、五代の天皇に二百四十余年もの間大臣として仕えたと伝えられます。数多くの功労があり、忠誠を尽くされたことをもってお祀りされています。八幡大神にご奉仕された神であり、古くから大鳥居の外に鎮座になって大神をお護りされています。長寿、忠誠、奉仕などの高いご神徳を授けられます。

公式HPより

摂社(sessha)  ・春宮(togu)神社

《主》菟道稚郎子(ujinowakinoiratsuko no mikoto)

応神天皇の御子神で、勉学に励み寵愛されていましたが、兄の大鷦鷯命に皇太子の座を譲りました。学問の神としてご守護くださいます。

公式HPより

末社 (massha)  ・亀山(kameyama)神社

《主》大山積命(oyamatsumi no mikoto)

上宮が鎮座している小椋山(おぐらやま)は亀山といいます。亀山神社は、亀山の山の神である大山積命(おおやまづみのみこと)を祀る神社です。

公式HPより

末社 (massha)  ・八坂(yasaka)神社

《主》須佐之男命(oyamazumi no mikoto)

須佐之男命(すさのおのみこと)をお祀りしています。この神社の西側に昔の神宮寺弥勒寺の金堂や講堂の旧蹟があります。この神社の前で、毎年二月十三日に鎮疫祭(ちんえきさい)が行われます。

公式HPより

末社 (massha)  ・養蚕(yozan)神社(八坂神社に合祀)

《配》天棚機姫命・稚日女尊・誉田別尊

末社 (massha)  ・木匠祖(mokushoso)神社

《主》手置帆負命(taokihoi no mikoto)
   比古狭知命(hikosashiri no mikoto)

宮大工・寺大工・桧皮師・塗師の職人達と、近郷近住の職人の守護神です。

公式HPより

末社 (massha)  ・水分(mimakuri)神社

《主》高龗神(takaokami no kami)
   天水分神(ameno mimakuri no kami)
   国水分神(kunino mimakuri no kami)
   天汲抱持神(ameno kuhizamochi no kami)
   国汲抱持神(kunino kuhizamochi no kami)

水を司る五神を祀る神社です。菱形池、御霊水前の小島に鎮座され、中島の竜宮様とも申し上げます。

公式HPより

末社 (massha)  ・金刀比羅神社(kompira jinja)

《主》大物主大神《配》崇徳天皇

末社 (massha) ・粟島神社(awashima jinja)・兪加神社(yuka jinja)

《主》少彦名命(sukunahikona no mikoto)

末社 (massha) ・天満神社(temman jinja)

《主》菅原道真公(sugawara no michizane ko)

末社 (massha)  ・稲荷社(inari sha)

《配》宇賀魂命・大宮売命《合》猿田彦命

・女祢宜神社《主》大神杜女

※現在 社殿はありませんが祭典は執り行われています

 

末社 (massha)  ・護王(goo)神社

《主》和気清麿朝臣命(wakeno kiyomaro ason no mikoto)

道鏡事件の際、八幡大神様の神託を受けて国の危機を救った和気清麻呂をお祀りしています。

公式HPより

護王神社の記事をご覧ください

一緒に読む
護王神社(宇佐市)

護王神社(ごおうじんじゃ) は 皇統が守護された聖跡"大尾山"鎮座します 和気清麻呂公が 八幡大神の御託宣を受けたのは山頂〈摂社 大尾神社が鎮座〉で このご神託を受け 弓削道鏡の野望はくじかれます 当社は 山頂から少し下った中腹に 和気公を祀り鎮座します 宇佐神宮の境外末社です

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宇佐の原始八幡信仰の神社について
(About the shrines of the primitive Hachiman worship around Usa Shrine)

神が降臨する聖地 御許山(大元山)の山頂にある奥宮

摂社(sessha)  ・大元(omoto)神社

 《主》比売大神(hime okami)

摂社(sessha)  ・大元八坂(omotoyasaka)神社

 《主》健速須佐之男命(takehaya susanowo no mikoto)

宇佐神宮 奥宮とされて 比売大神(hime okami)の降臨の地とされています

詳しくは 大元神社の記事もご覧ください

一緒に読む
大元神社(宇佐神宮 奥宮)

大元神社(おおもとじんじゃ)は 宇佐神宮の奥宮といわれ 神代の昔に 三柱女神の比賣大神が降臨された神山「御許山(omoto san)」の9合目に鎮座します 山頂近くには3つの巨石を祀る神籬岩があるらしく 古代の磐座信仰が当初の形態ともいわれています

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神が降臨する聖地 御許山(大元山)の麓にある里宮(3社)

境外(Shrines outside)末社 (massha)  ・椎宮(shii no miya)

《主》椎根津彦命(shiinetsuhiko no mikoto)

神武天皇が御東征のとき、海の案内をした椎根津彦命(しいねつひこのみこと)を祀る。この場所が椎根津彦の上陸地点であると伝えられている。

宇佐神宮配布資料より

詳しくは 境外末社 椎根津彦神社(椎宮)の記事をご覧ください

一緒に読む
椎根津彦神社(椎宮)

椎根津彦神社(しいねつひこじんじゃ)(椎宮)は 紀元前667年に東征を開始した神武天皇が 海を導く者として任命した国津神の椎根津彦命(しいねつひこのみこと)を祀ります この場所が 神武天皇一行の宇佐への上陸地点であると伝えられています

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境外(Shrines outside)末社 (massha)  ・阿良礼(arare)神社(阿良礼宮)

「八幡大神の奇瑞を現された阿良礼神社」と伝わります
阿良礼とは 神の御誕生の意「御阿礼(miare)・御生れ」が転じたと解釈されています 玉垣内は 聖地であり立入は出来ません

小橋を渡り 玉垣の外から「阿良礼宮」と刻まれた石碑にお詣りをします

境外(Shrines outside)末社 (massha)  ・鉾立(hokotate)神社(鉾立宮)

末社 鉾立(ほこたて)神社

宇佐市大字南宇佐字大宮迫
祭神 八幡大神

欽明天皇三十一(570)年に応神天皇の神託が大神比義(おおがのひぎ)翁にあり、翁がここに鉾を立てて神座とした。
以来 和銅五(712)年までの一四二年の間、朝廷の詔(みことのり)により比義翁が玉垣の中の鉾に向かって祭文を奏した聖地である。

境内案内板より

放生会(hojoe)に関連する神社

仲秋祭(放生会)について

奈良時代より明治13(1880)年まで「放生会」と呼ばれていましたが、以後仲秋祭と名称が変更となりました。

 養老4(720)年、大隈・日向の隼人(はやと)の反乱を鎮圧するため、大和朝廷は八幡神へ祈請し、薦枕(こもまくら)を神験(みしるし)として神輿に奉じ、戦地である大隅・日向に赴きました。この時の輿が、日本で初めての神輿とされています。

鎮定のため同5年両国に行幸、3ヵ年にわたって抵抗する隼人を平定して、同7年ご還幸になられました。

 このとき、百人もの隼人の首をもち帰って葬った所が、神宮より西約1キロの所にある「凶首塚」です。また、隼人の霊を祠(まつ)る百太夫殿(現在の「百体神社」)が造立されました。
さらに、神亀元年(724)には「隼人の霊を慰めるため放生会をすべし」との託宣があり、天平16年(744)八幡神は和間(わま)の浜に行幸され、鎮圧された隼人の霊を慰めるため、蜷(にな)や貝を海に放つ「放生会」の祭典がとり行われました。これが「放生会」の始まりです。

公式HPより

境外(Shrines outside)末社 (massha)  ・百体(hyakutai)神社

《主》大隅日向隼人霊

境外(Shrines outside)末社 (massha)  ・和間(wama)神社

《主》応神天皇・比売大神・神功皇后

「宇佐八幡 行幸会(gyokoe)」について

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています

「行幸会(gyokoe)」の行幸順は 次のように伝わります


宇佐八幡→①田笛社→②鷹居社→③郡瀬社→④泉社→⑤乙咩社→⑥大根川社→(薦神社)→⑦妻垣社→⑧小山田社→宇佐八幡

かつては 宇佐八幡の境外8摂社とされていました

詳しくは「宇佐八幡 行幸会(gyokoe)」について の記事をご覧ください

一緒に読む
「宇佐八幡(Usahachiman) 行幸会(gyokoe)」について

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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宇佐神宮(usa jingu)の創建由来にかかわる「元宮・祖宮&奥宮」について

【元宮と云われる】

・金富神社(kintomi shrine) (矢幡八幡宮 福岡県築上郡築上町)
詳しくは 金富神社の記事もご覧ください

一緒に読む
金富神社(築上町湊)

金富神社(きんとみじんじゃ)は 当初は「矢幡(ヤハタ)」と呼ばれ 大分県宇佐市に鎮座する「宇佐神宮」の元宮とされています 宇佐神宮は 全国にある八幡宮の総本社ですので その元宮にあたる金富神社は 八幡神(ヤハタノカミ・ヤワタノカミ・ハチマンノカミ)の元宮となり 「八幡神顕現の霊地」と呼ばれていて 原始八幡神創祀遺跡(学説)もあります

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【祖宮と云われる】

・薦神社(komo shrine) (大貞八幡宮 大分県中津市)
詳しくは 薦神社の記事もご覧ください

一緒に読む
薦神社(中津市大字大貞)

薦神社(こもじんじゃ)は 日向・大隅の隼人が 養老4年(720)三度目の反乱を起こした 対し中央政府の征討軍は 豊前軍と共に 本殿の背後にある三角池に自生している真薦(まこも)で造った枕状の八幡神の御験「薦枕(こもまくら)」を神輿に乗せて奉じ鎮圧に向かい 日向まで行幸し 乱を鎮めたと伝わります このため神社のご神体を「三角池」として 内宮と呼びます 神社別称を大貞八幡とも云い 全国八幡宮の総本社である宇佐神宮の祖宮ともされます 

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【奥宮と云われる】

・大元神社(omoto shrine)(大元神社 大分県杵築市)
詳しくは 大元神社の記事もご覧ください

一緒に読む
大元神社(宇佐神宮 奥宮)

大元神社(おおもとじんじゃ)は 宇佐神宮の奥宮といわれ 神代の昔に 三柱女神の比賣大神が降臨された神山「御許山(omoto san)」の9合目に鎮座します 山頂近くには3つの巨石を祀る神籬岩があるらしく 古代の磐座信仰が当初の形態ともいわれています

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「宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)」(九州 五所別宮(kyushu gosho betsugu)について

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

「宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)」の記事をご覧ください

一緒に読む
「宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)」(九州 五所別宮(kyushu gosho betsugu)について

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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豊後国への分祀として 別宮として扱われた 豊後国一之宮 柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)

・柞原八幡宮(大分市上八幡三組)

一緒に読む
柞原八幡宮(大分市上八幡三組)

柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)は 天長四年(827)延暦寺の名僧・金亀和尚が宇佐神宮の参篭にて神告を蒙り 柞原山に勧請したのを 当宮の創設起源とします その後も 国司の厚い崇敬を受け 一方 皇室も厚く尊崇せられた豊後国一之宮とされます

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全国4万社余りの八幡社の総本宮

宇佐神宮(usa jingu)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

宇佐神宮について 詳しくは 記事をご覧ください

一緒に読む
宇佐神宮 境内外社(摂社・末社)&関連社について

全国4万社余りの八幡社の総本宮 宇佐神宮(usa jingu)の 境内外社(摂社・末社)&関連社についてご紹介します

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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