宇良神社(うらじんじゃ)【浦嶋神社】は 今から1500年前に 300年の時空を超えて 常世の国から 故郷に甦った神「浦嶋子(urashima no ko)」が坐ます それは当時も奇跡のような出来事として 時の天皇も敬った事柄でした やがて「うらしまたろう」の伝説の元になっていきます
ご紹介(Introduction)
【神社名】(shrine name)
宇良神社(浦嶋神社)
うらじんじゃ ura shrine(urashima shrine)
【通称名】(Common name)
浦嶋神社 うらしまじんじゃ urashima shrine
【鎮座地】(location)
京都府与謝郡伊根町字本庄浜141
【地 図】(Google Map)
【延喜式神名帳】 「旧国名 郡 ・ 神社名」
(927年12月完成) The shrine record was completed in December 927 AD.
【engishiki jimmeicho】「old region name・shrine name」
丹後國 與謝郡 宇良神社
tango no kuni yosagun ura no kaminoyashiro
【御祭神】(God's name to pray)
《主》 浦嶋子(urashima no ko)
別称(浦嶋太郎urashima taro)
《配》 月讀命(tsukiyomi no mikoto)・(tsukuyomi no mikoto)
《配》 祓戸大神(haraedo no okami)
【御神格】(God's great power)
・生命の神様 God of life
・人生の導きの神様 God sees from birth to death
・縁結び Deepen connections and intimacy with people
・北極星の信仰 Pray to polaris
・長寿 Wish of longevity
・農業 God of agriculture
・牛馬 Cow and horse god
・養蚕 God of silkworm
・交通安全 Traffic safety
・海上安全 Maritime safety
・豊漁祈願 Big catch prayer
・家内安全 Safe and comfortable home life
・地鎮祭 Festival to Pray to the god of the ground
・厄祓祈祷 Prayer at an age considered a milestone in life
・学業成就 Want to acquire knowledge and skills
・安産祈願 Healthy childbirth
・初宮祈祷 Baby prays at shrine for the first time
・等 etc
【格式】(Rules of dignity)
延喜式内社(engishikinaisha)
【創建】(Beginning of history)
創祀年代は平安時代
第53代 淳和天皇(junna tenno)825年(天長2年)7月22日のとき
浦嶋子(urashima no ko)を筒川大明神(tsutsukawa daimyojin)として祀る
【由緒】(history)
浦嶋神社は 延喜式神名帳所載によると『宇良神社(うらのかむやしろ)』と記されており、 創祀年代は淳和天皇の天長2(825)年浦嶋子を筒川大明神として祀る。
浦嶋子は日下部首等の祖先に当る。日下部については『新撰姓氏録』の和泉皇別の条に「日下部宿禰同祖、彦坐命之後也」とみえる。
彦坐命は開化天皇(紀元前157~98)の子、従って日下部首は開化天皇の後裔氏族で、 その大祖は月讀命の子孫で当地の領主である。
※「公式HP 由緒」から参照
【境内社】(Other deities within the precincts)
・天照皇大神社《合》天照皇大神
・八幡神社 《合》誉田別命
・市杵島姫神社《合》市杵島姫神
・弁財天神社 《主》弁財天神
・稲荷神社 《主》稲荷大神
【この神社の予備知識】(Preliminary knowledge of this shrine)
神社の名称は「宇良神社(ura shrine)」です 通称「浦嶋神社(urashima shrine)」と呼ばれています
創建は 平安時代の 825年(天長2年)7月22日 第53代 淳和天皇(junna tenno)のとき 浦嶋子(urashima no ko)を筒川大明神(tsutsukawa daimyojin)として祀ったと伝わります
創建の経緯は 案内看板によると この神社に伝わる浦嶋物語によっています
伝承によると
浦嶋子は 第二十一代雄略天皇22年(478)7月7日に美婦に誘われ常世の国に行き、その後三百有余年を経て第五十三代淳和天皇の天長2年(825)に帰って来た。
常世の国に住んでいた年数は347年間で 淳和天皇はこの話を聞き 浦嶋子を筒川大明神と名付け、小野篁(802-853 公爵・文人)を勅旨として派遣し社殿が御造営された。
浦嶋物語は 日本に数ありますが この神社に伝わる物語が 起源が最も古く8世紀の丹後風土記(逸文)・日本書記・万葉集などに すでに記載されています
御祭神 浦嶋子(urashima no ko)は 日下部首等(kusakabe no obito)の祖先に当り その名を「筒川島子(tsutsukawa no shima no ko)」別名 「瑞江浦島子(mizue no urashima no ko)」といって 大変な気品ある美男子であったと伝わっていて
日下部(kusakabe)の姓については『新撰姓氏録』の和泉皇別の条に「日下部、日下部宿禰同祖、彦坐命(hikoimasu no miko)之後也」と書かれていますので
日下部(kusakabe)の祖である 彦坐命(hikoimasu no miko)は 第9代 開化天皇(kaika tenno)の第三皇子(神功皇后の祖でもある)です
従って 日下部首(kusakabe no obito)は 第9代 開化天皇(kaika tenno)の後裔氏族で この子孫が 当地の領主であると伝えています
その大祖は「月讀命(tsukiyomi no mikoto)」となります
こうした理由から 日下部(kusakabe)の一族の氏神として 古代から 浦嶋神社(urashima shrine)に対しての 崇敬の念は 厚く誠に顕著なものがあると伝わっています
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
「本殿が 北極星に向け建てられている」浦嶋神社(urashima shrine)
宮司さまが話される「絵解き」の時にお聞きしましたが
『浦嶋子(urashima no ko)は 日下部首等(kusakabe no obito)の祖先である
日下部(kusakabe)の一族は 古代 丹後半島の海岸部を治めた海人(ama)族で 今日で言えば 漁業だけでなく 色々な技術や文化を大陸との交流をする役割 貿易などもをしていた 海上交通を司る 大きな勢力を持っていた
宮司様は 浦嶋子(urashima no ko)伝承の源流は「中国の神仙思想です」
神仙思想は 中国の道教の不老不死を求める思想で 理想郷とされているのが 「常世の国(tokoyo no kuni)」遥か東方海上に存在すると伝わり 蓬莱山(龍宮城)なのだという
亀(ki)は 中国で四霊(shi rei)の一つ
「麟(rin,麒麟)・鳳(ho,鳳凰)・亀(ki,霊亀)・竜(ryu,応竜)」
国と国とをつなぐ「海神の使い」で 竜宮城へ誘う亀姫(kame hime)を神仙界に住む神だと考えると おとぎ話や昔話ではなくて 古代にあった丹後半島と大陸との関係がわかってくる』と話されていました
一般的には 北極星・北斗七星に対する信仰は 世界各地に太古からありますが 日本では 仏教の「北辰妙見菩薩(hokushin myoken bosatsu)」と 道教の「神仙思想」北極星・北斗七星信仰が 習合して 星辰信仰(seishin suhai)・妙見信仰(myoken shinko)とよばれています
伊勢神宮や八幡信仰などの信仰にも 原点に北辰の影響を持っています
神仏習合の頃には 妙見菩薩(myoken bosatsu)を祭神として 神仏分離後には 天御中主命(amenominakanushi no mikoto)を御祭神にしている神社では相殿に月讀命(tsukiyomi no mikoto)を祀るケースが散見されますが
当社でも 相殿に祀られている御祭神は 「月讀命(tsukiyomi no mikoto)」です 日下部(kusakabe)の一族の大祖として祀られていますが 月と星は切り離せない関係にあり ここにも理由がありそうです
実際に この地は 丹後半島の若狭湾に面していて 海洋航海を糧とする海人(ama)の日下部(kusakabe)が 暮らしていました「北極星と太陽と月の神様」は 海を統べる者には 欠かせません 篤い信仰があったのだと思います
ご参考までに 延喜式神名帳所載には
丹後國 與謝郡 宇良神社
tango no kuni yosa no gun ura no kaminoyashiro
現在 浦嶋神社(urashima shrine)は 宇良神社(ura no kaminoyashiro)の有力な論社です
論社としは 計2社あります
・(論)浦嶋神社 京都府与謝郡伊根町本庄浜191 (当社)
・(論)浦宮神社 京都府宮津市中津宮ノ谷
【神社にお詣り】(Pray at the shrine)
京都府の日本海に面する若狭湾にある 天橋立(ama no hashidate)と籠神社(kono shrine)から R178を海沿いに北上して 24km程度です
「舟屋」で有名な伊根浦から経ヶ岬へ行く途中にあり 丹後半島の先端東側 本庄浜へ注ぐ筒川沿い R178を北上して進むと 右手に本庄小学校があり その先「浦島」の交差点を右折するとすぐ 水之江浦嶋公園の右脇に参道があり そのまま直進すると駐車場 下車徒歩
駐車場から 真っ直ぐ 南に境内があります
浦嶋神社(urashima shrine)に到着
砂利を踏みしめながら 一礼 「石造りの神橋」を渡ると「狛犬」が待ち受け 「石鳥居」をくぐります
鳥居に左手 ちょっと変わった 「鉄製のタライのような手水鉢」があり 清めます
鳥居のすぐ正面に大きな「拝殿」が見え その後ろに「本殿」が続いています
すると 突然 滝のような雨が降り始め 慌てて拝殿に駆け込みました
ひとまず 落ち着こうとキョロキョロと眺めていますと
浦島伝説よろしく 「ウミガメの甲羅」と思しきもの 「弁慶と牛若丸の絵馬」が 拝殿内に掛けられている へえ~と想いながら 雨は更に強くなり 雨の音以外に何も聞こえなくなりました 相殿の祓戸大神(haraedo no okami)の清めの様だと感じながら
ああ いまが お詣りのタイミングかな
拝殿本殿と他の場所が 降りそそぐ雨水で完全に分離して ここだけ異空間になっています
竜宮城に通じているのだろうか??と想えてしまう
賽銭をおさめ お祈りです
本殿に鎮まる御祭神「浦嶋子(urashima no ko)」 相殿に鎮まる御祭神「月讀命(tsukiyomi no mikoto)祓戸大神(haraedo no okami)」を畏れ敬い ご神威に添い給うよう願い届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ 祈ります
瀧のような雨がふり 戻れないこともあり ゆっくりとお詣りを済ませました
賽銭箱の横に 「神亀一刀彫のお守り」や 書き置きの「ご朱印」などを拝領していますと
雨が弱まり 社務所から人が出てこられて 「大丈夫ですか?」と声をかけてくださいましたのが奥様で そのあと宮司様から 暫く絵解きを聞かせて頂き 大変勉強になりました
拝殿から鳥居へと 境内を戻ります 手水舎の横にガラス張りの建屋があり 大きな「北前船」の模型もあったりケースを覗いていると
またしても 大粒の激しい雨が降り始めました
鳥居まで戻り 振り返り一礼
境内社には お詣りが出来なかったと 車に乗ってからわかりました
【神社の伝承】(Old tales handed down to shrines)
「浦嶋太郎(urashima taro)」の物語は 浦嶋神社(urashima shrine)に伝承する「浦嶋子(urashima no ko)」が発祥の元
“むかしむかし 浦島は 助けた亀に連れられて りゅうぐう城へ来てみれば 絵にもかけない美しさ” ご存知 お伽草紙(otogi zoshi)「浦嶋太郎urashima taroの物語」の文部省唱歌です
皆さんが知っている物語は 室町時代に成立した御伽草子(otogi zoshi)で 明治になり児童文学者「巌谷小波( iwaya sazanami)」がまとめた『日本昔噺』や 小学校の教科書に掲載されて 文部省唱歌や童話が作られ日本中で親しまれるようになったものです
物語も自体も 時代とともに変化し 教科書や童話などは 教育的な配慮などで いじめられていた亀を助ける 礼に報いる感謝の気持ちを大切にする 等を盛り込んだ内容になっています
この神社に伝わる物語は 日本に数ある浦嶋物語でも 最も古い起源を持ち 皆さんが知っている物語とは 少し異なります
8世紀の丹後風土記(逸文)・日本書記・万葉集などには すでに記載されています
浦嶋神社(urashima shrine)に伝わるものとして『浦嶋子口伝記( urashima no ko kuden ki)』『續浦嶋子伝記(tsuzuku urashima no ko denki)』があり 室町時代から伝わる『浦嶋明神縁起( urashima myojin engi)』(宇良神社の由来を解説した絵巻)があります
宮司様が 話された絵解きによれば
時代は 第21代 雄略天皇(yuryaku tenno)22年(神代478年)の頃 雲龍山の麓 筒川庄(tsutsukawa no sho)水の江の里に住む「とても美しく優秀な青年」浦嶋子(urashima no ko)は 休みの日に一人で 舟釣りに出たが 一匹も釣れなかった 3日3晩の後 諦めようと竿を上げ始めたその時 なんと「五色の亀」を釣りあげます浦嶋子(urashima no ko)が その亀を眺めていると つい うたた寝をしてしまう 暫くして目を醒ますと 亀はたいそう「美しい乙女の姿」に変わっていて 浦嶋子(urashima no ko)は 誘われるままに常世の国(tokoyo no kuni)へと連れられます これが 蓬莱山(常世=不老不死の理想郷=龍宮城)です
常世の国(tokoyo no kuni)は 立派な宮殿があり これまで見たこともないような世界で とても煌びやかな中を 浦嶋子(urashima no ko)は 乙女の住む屋敷に案内されていきます
乙女は 乙女の両親に「夫婦の契り」の許しを得るからと伝え 浦嶋子(urashima no ko)を門の外に待たせて 一人で門の中に入って行きました そこで待たされていた時に 浦嶋子(urashima no ko)は 乙女の名は「亀姫(kame hime)」と知る事ができます
やがて 浦嶋子(urashima no ko)と亀姫(kame hime)は 「夫婦の契り」の許しを得て 常世の国(tokoyo no kuni)で 夢のような楽しい日々を過ごすことになります あっという間に3年間がたってしまいました
亀姫(kame hime)は 浦嶋子(urashima no ko)に 望郷の念があることを知り 浦嶋子(urashima no ko)に美しい衣を着せて 亀姫(kame hime)の分御霊の入った玉櫛笥(tama kushige)を与え「再会をしたいと想われるならば けっしてこの玉手箱は開けてはなりません」と告げます これを約束した浦嶋子(urashima no ko)は 船にのり 一人 筒川庄(tsutsukawa no sho)水の江の里に帰ります
しかし 戻った故郷には 知る人々は誰もいなく 木々は枯れ 変わり果てた故郷に呆然としていると 丁度 老婆がいて「約300年前に 浦嶋子(urashima no ko)という人が 海に釣りをしたまま帰って来なかった」とこの地に伝わる話を聞きました
浦嶋子(urashima no ko)は 常世の国(tokoyo no kuni)で 300年過ごしたことに気づきます 毎日 毎日 日ごとに亀姫(kame hime)を想い出します
とうとう約束を破って玉櫛笥(tama kushige)を開けてしまいますと 中から紫の煙が立ち上り そのうち浦嶋子は白髪の翁となり 若々しい肉体は 瞬く間に天空に飛び散っていってしまわれた
浦嶋子(urashima no ko)が 第21代 雄略天皇(yuryaku tenno)22年7月7日(478年)に 亀姫(kame hime)に誘われて 常世の国(tokoyo no kuni)に行き その後 347年を経て 平安時代の第53代 淳和天皇(junna tenno)の天長2年(825年)に帰って来たとされていて
825年(天長2年)に 丹後の国で起きた この話を リアルに耳にされた 淳和天皇(在位823~833年)が 勅使として「小野篁(802-853 公爵・文人)(ono no takamura)」に命じて
「筒川島子(tsutsukawa no shima no ko)=浦嶋子(urashima no ko)」を筒川大明神として祀ったのが「宇良神社(ura shrine)」の始りです
ほぼ同様の話は『丹後国風土記』(tango no kuni fudoki)の逸文にも記載されています
それによれば 浦嶋太郎の子供として生まれたのが 当地の領主であった浦嶋子(urashima no ko)です 元来は 浦嶋子(urashima no ko)の伝説が 浦嶋伝説だったのです
『丹後国風土記』(tango no kuni fudoki)は 丹後国(今の京都府北部)の風土記ですが 逸書なので 内容は 『釋日本紀』 などでの引用 風土記編纂が命じられたのが和銅6年(713年)
遠く神代 月讀命(tsukiyomi no mikoto)の末裔にあたる
浦嶋子(urashima no ko)の伝説は 日下部(kusakabe)一族の篤い信仰によって 今に伝わる「浦嶋太郎(urashima taro)物語」 発祥の地であった
1500年前の昔に かつて 時の天皇も敬った奇跡があった 300年の時空を超えて 常世の国(tokoyo no kuni)から 故郷に甦った神 浦嶋子(urashima no ko)が ここに坐ます
浦嶋神社(urashima shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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丹後国(たんごのくに)の式内社とは 平安時代中期 「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧『延喜式神名帳』〈927年朝廷編纂『延喜式』(律令の施行細則 全50巻)の巻9・10を云う〉に所載される 丹後国65座(大7座・小58座)の神を云います
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