実践和學 Cultural Japan heritage

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宇奈多理坐高御魂神社(奈良市法華寺町)

宇奈多理坐高御魂神社(うなたりにいますたかみむすびじんじゃは 創建年代は不詳ですが 奈良時代中期天平17年(745)法華寺(ほっけじ)が創建されるとその後 鎮守社になったと云われていて 江戸時代に楊梅神社とも云われていました 境内一帯は 第51代 平城天皇〈在位806~809年〉の楊梅宮址とか春日斎宮の斎院址とかの学説もあります

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

宇奈多理坐高御魂神社(Unatariniimasutakamimusubi shrine

 [通称名(Common name)]

・うなたり社
・西の宮さん

【鎮座地 (Location) 

奈良県奈良市法華寺町

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主祭神
中座高御魂尊(たかみむすびのみこと)
東座天太玉命(あめのふとたまのみこと)
西座思兼命(おもいかねのみこと)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

創建年代不詳

【由  (History)】

宇奈多理坐高御魂神社 略記

鎮座地
奈良市法華寺町六百番地六〇〇番地

御祭神 三座

高御魂尊(たかみむすびのみこと)(中座)
高天原にましました神で、天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)・神産日尊(かみむすびのみこと)と共に造化の三神として御徳極めて高く鎮魂の神であらせ給う。
高天原に大事ある毎に主長として諸神を率いて事に当たり、常に天照大神を助け、八百万の神を指揮し給うた神。

天太玉命(あめのふとたまのみこと)(東座)
高御魂尊の御子、神事を掌り給う神で天岩戸の祈祷のとき、その御前で太玉串を奉持され祭祀を以て天照大神にお仕え遊ばされた神。

思兼命(おもいかねのみこと)(西座)
高御魂の御子、数多くの思慮を一身に兼ね持ち給うたと言う意で、高天原に大事のあった時畫策して事ならなかったことは無いと言う。

由緒
延喜式内の大社で月次(つきなみ)・相嘗(あいなめ)・新嘗(にいなめ)の幣に預かっていた。
古文書では宇奈足とも菟名足とも菟足とも書いている。武内宿祢の勧請と伝えられ「日本書紀」によると持統天皇六年(西暦六九二)十二月二十四日には、新羅の調を伊勢、住吉、紀伊、大倭、菟名足の五社に奉るとある。
その一社でこの神社の神戸(かんべ)は正倉院文書の天平二年(西暦七三〇)大和税帳新抄格勅符抄に載っているが、何れも神名は菟名足となっている。
江戸時代には楊梅神社と呼ばれたこともあり、今「うなたり社」とか「西の宮さん」とか言っているのは近郷だけでの通俗の略称である。

本殿は室町時代の遺構を残し、三間社流造(みましゃながれづくり)、檜皮葺(ひはだぶき)で、国指定の重要文化財である。
境内一帯は、平城天皇の楊梅宮址とか春日斎宮の斎院址とかの学説もある。

境内社
みな天孫降臨に随従された神々を祀る。

天鈿女命(あめのうずめのみこと)社
天岩戸の前で神楽を舞い、天孫降臨に随従された女神
芸能の祖神

猿田彦命(さるたひこのみこと)社
天孫降臨のとき、先頭に立って八衢の邪神を祓い交通安全に導かれた神。

手力男命(たじからおのみこと)社
天岩戸の変の時岩戸を開いて、天照大神を助け申し上げた力の強い神で、天孫降臨に随従された神。

大宮媛命(おおみやひめのみこと)社
太玉命の御子、天照大神に仕え、世を平和に導かれた神

豊岩窓命(とよいわまどのみこと)社
天太玉命の子で亦の名を天石門(あめのいわとわけ)神、御門(みかど)の神(門戸の守護神・門の神)。天孫降臨のとき天照大神の勅を承り 思兼命・手力男命と共に豊葦原に降り給うた神。

現地案内板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

本殿の左右に鎮座

天鈿女社《主》天鈿女命
・猿田彦社《主》猿田彦命
・手力雄社《主》手力雄命
・大宮媛社《主》大宮媛命
・豊岩窓社《主》豊岩窓命

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次

月次祭つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)

「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」

大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています

【抜粋意訳】

月次祭つきなみのまつり

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 三百四座 並大 社 一百九十八所

座別に絁五尺、五色の薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、倭文纏刀形(まきかたなかた)、絁の纏刀形、布の纏刀形各一口、四座置一束、八座置一束、弓一張、靫(ゆき)一口、楯一枚、槍鋒(ほこのさき)一竿、鹿角一隻、鍬一口、庸布一丈四尺、酒四升、鰒、堅魚各五両、腊二升、海藻、滑海藻、雑の海菜各六両、堅塩一升、酒坩(かめ)一口、裹葉薦五尺、祝詞(のとこと)座料短畳一枚、

前一百六座
座別絁五尺、五色薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、四座置一束、八座置一束、楯一枚、槍鋒一口、裹葉薦五尺、
 右所祭之神、並同祈年、其太神宮(かむのみや)、度会宮(わたらひのみや)、高御魂神(たかむすひのかみ)、大宮女神(おほみやめのかみ)には各加ふ馬一疋、〈但太神宮、度会宮各加籠(おもつを)頭料庸布一段、〉
前祭五日、充忌部九人、木工一人を、令造供神調度を、〈其監造并潔衣食料、各准祈年、〉祭畢即中臣の官一人率て宮主及卜部等を、向て宮内省に、卜の定供奉神今食に之小斎人(みのひと)を、
供神今食料
 紵一丈二尺、〈御巾料、〉絹二丈二尺、〈篩(ふるい)の料、〉絲四両、〈縫篩等料、〉布三端一丈、〈膳部巾料、〉曝布一丈二尺、〈覆水甕料、〉細布三丈二尺、〈戸座襅(へさたまき)并褠料、〉木綿一斤五両、〈結ふ御食(みけ)料、〉刻柄(きさたるつか)の刀子二枚、長刀子十枚、短刀子十枚、筥六合、麁(あら)筥二合、明櫃三合、御飯、粥料米各二斗、粟二斗、陶瓼(すえのさかけ)[如硯瓶以上作之]瓶【瓦+并】(かめ)各五口、都婆波、匜(はふさ)、酒垂各四口、洗盤、短女杯(さらけ)各六口、高盤廿口、多志良加[似尼瓶]四口、陶鉢八口、叩盆四口、臼二口、土片椀(もひ)廿口、水椀八口、筥代盤(しろのさら)八口、手洗二口、盤八口、土の手湯盆(ほん)[似叩戸采女洗]二口、盆(ほとき)四口、堝十口、火爐二口、案(つくえ)十脚、切机二脚、槌二枚、砧二枚、槲四俵、匏廿柄、蚡鰭(えひのはた)槽[供御手水所]二隻、油三升、橡の帛三丈、〈戸の座服の料、冬絁一疋、綿六屯、履一両、〉
右供御の雑物は、各付内膳主水等の司に、神祇官の官人率神部等を、夕暁(よひあかつき)両般参入内裏に、供奉其の事に、所供雑物、祭訖て即給中臣忌部宮主等に、一同し大甞会の例に

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式Engishiki)』巻2四時祭下中の相嘗祭神七十一座

【抜粋意訳】

巻2 神祇2 四時祭下 十一月祭
相甞祭神七十一座相嘗祭神(あひむへのまつりのかみ)七十一座

宇奈(うなたりのやしろ)一座

絹二疋、絲一絇一両三分二銖、調布三端四尺、庸布一段一丈四尺、木綿十三両、海藻二斤十両、鮑十両、堅魚(カツヲ)二斤十両、腊四斤、塩一升、筥一合、瓼、缶(ホトキ)、水瓫、山都婆波、小都婆波、筥瓶、酒垂、匜、等呂須伎、高盤、片盤、短女坏、筥坏、小坏、陶臼各二口、酒稲五十束、〈神税〉

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭

嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り

大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われる

春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する

【抜粋意訳】

新嘗祭(にいなめのまつり)

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所

座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿
社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺

前一百六座
座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を
右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る
伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和国 286座(大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)添上郡 37座(大9座・小28座)

[名神大 大 小] 式内大社

[旧 神社 名称 ] 宇奈太理坐高御魂神社(大 月次 相嘗 新嘗)
[ふ り が な ]うなたりにますたかみむすひの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Unatarinimasu Takamimusuhi no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

井栗神社(いぐりじんじゃ)は 式内社 宇奈太理坐高御魂神社(うなたりにますたかみむすひ かみのやしろ)の論社の一つです

式内社 宇奈太理坐高御魂神社(大 月次 相嘗 新嘗)(うなたりにます たかみむすひの かみのやしろ)の論社

・宇奈多理坐高御魂神社(奈良市法華寺町) 

一緒に読む
宇奈多理坐高御魂神社(奈良市法華寺町)

宇奈多理坐高御魂神社(うなたりにいますたかみむすびじんじゃ)は 創建年代は不詳ですが 奈良時代中期〈天平17年(745)〉法華寺(ほっけじ)が創建されるとその後 鎮守社になったと云われていて 江戸時代には楊梅神社とも云われていました 境内一帯は 第51代 平城天皇〈在位806~809年〉の楊梅宮址とか春日斎宮の斎院址とかの学説もあります

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・井栗神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町) 

一緒に読む
井栗神社・穴栗神社〈春日大社境内社〉(奈良市春日野町)

井栗神社(いぐりじんじゃ)・穴栗神社(あなぐりじんじゃ)は もとは奈良市横井町付近〈横井村〉に鎮座していた 井栗神社は 雨多利(ウタリ)と云う田畝にあり 式内社の宇奈太理坐高御魂(うなたりにますたかみむすひ)神社とされていました 保延元年(1135)八月三日 穴栗(穴吹)・井栗の二社を現在地の春日大社境内へ遷座したと伝わります

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・穴栗神社(奈良市) 

一緒に読む
穴栗神社(奈良市横井)

穴栗神社(あなぐりじんじゃ)は 元々は 横井村の北西に鎮座していたが 江戸時代初期の寛文年間〈1661~1673年〉に現在地〈古市村〉に遷座したと伝わります 二つの式内社「宇奈太理坐高御魂神社(うなたりにますたかみむすひの かみのやしろ)」「穴次神社(あなつきの かみのやしろ)」の論社とされています

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

近鉄奈良線 新大宮から北西へ徒歩20分
平城宮跡歴史公園の東側に 称徳天皇時代の庭園を復元し「東院庭園」があります そのすぐ北側に鎮守の杜があります

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遊歩道沿いに 南を向いて 鳥居が建ちます
宇奈多理坐高御魂神社(奈良市法華寺町)に参着

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鳥居の扁額には「高御魂神社」とあります
一礼をして鳥居をくぐり 参道を進みます

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宇奈多理座高御魂神社本殿〈室町時代建築〉は 国指定の重要文化財案内の立札があります

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建屋の前には 社号刻まれた石碑があります

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門扉締まっていて 中には入れませんでしたので こちらより

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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境内を手入れしている方にお聞きすると 毎月1日と15日には門が開くとの事です

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 宇奈太理坐高御魂神社について 現 宇奈多理坐高御魂神社(奈良市法華寺町論社として記しています

【抜粋意訳】

宇奈太理坐高御魂神社(大 月次 相嘗 新嘗)

宇奈太理は假字なり 高御魂は多加美武須毘と訓べし
〇祭神明らかなり
〇法華寺村に在す 今 楊梅天神と称す 大和志
〇式二 四時祭下 相嘗祭神七十一座 中略 宇奈足一座
比保古に 三代実録 貞観八年三月二日 大和國 神皇産霊神 授位を当社に配て 此 神皇産霊神なり 神代巻曰 神皇産霊尊 此録落高字歟 と云るは社撰なり 故に今祭事記に従うて 爰に出さず 式外の所に参す

類社
山城國 乙訓郡 羽束束師坐髙御日神社の下見合すべし

神寶
日本紀 持統天皇六年十二月甲申 遣 大夫等奉新羅於莵名足社

神位
三代実録
貞観元年(八五九)四月十日乙未 授法華寺從三位薦枕高御産栖日神 正三位

元慶三年(八七九)六月庚申朔 授法華寺薦枕高御産栖日神從二位
比保古 祭事記 別社として式外に収む 古事記傳 古史傳等 当社の事といへり 按るに 現在 法華寺村に在すといへば 伝の説可ならんかと爰に収む

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 宇奈太理坐高御魂神社について 法華寺村の佐保殿村と法華寺村との間の田地の字に雨多利とかけるが見え待るは 宇奈太利社の旧跡にて とあり
宇奈多理坐高御魂神社(奈良市法華寺町遷座したと記しています

【抜粋意訳】

宇奈太理坐高御魂(ウナタリニマスタカミムスビノ)神社
(大 月次 相嘗 新嘗)
〇称 楊梅天神

祭神 髙皇産霊(タカミムスビノ)尊

神位
三代実録
貞観元年(八五九)四月十日乙未 授法華寺從三位薦枕高御産栖日神 正三位

元慶三年(八七九)六月八日庚申朔 授法華寺薦枕高御産栖日神從二位

祭日 九月一日
社格 村社

所在 法華寺村字楊梅谷(添上郡佐保村大字法華寺)
今按 繭笠ノ滴に古き検地帳を見待るに法華寺村の佐保殿村と法華寺村との間の田地の字に雨多利とかけるが見え待るは 宇奈太利社の旧跡にて待るべきを社は廃して 今は字のみ残れりとあるに因りて考るに 古へ神社 この地にありし時 宇奈太理坐高御魂神社云けんを 後に今の地に移したりしにやあらん
さて 清和天皇の御世頃は既に法華寺域内にてありし 故に三代実録には法華寺云々と申せしにて別に神社ありしには在べからず 姑附て後考を俟つ

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

『大和志料(Yamato shiryo)』〈大正3年(1914)〉に記される伝承

式内社 宇奈太理坐高御魂神社について 法華寺村の宇奈多理坐高御魂神社(奈良市法華寺町と 春日大社の境内社 井栗神社を論社と記しています

【抜粋意訳】

宇奈多理坐高御魂(ウナタリニマスタカミムスビノ)神社

延喜式神名帳に「宇奈太理坐高御魂神社(大 月次 相嘗 新嘗)」とありて往時盛大なる社頭なるしも稍く衰微し 今その所を確知する能はざるに至れり
按ずるに春日若宮神主 祐房ノ長承註進状に「井栗明神 又 実名 宇奈理坐高御魂」又 山稜廻り日記に「古き検地帳を見待りしに法華村の佐保殿村と法華寺との間の田地の字に雨多利(ウタリ)と書きたるか見え待るは宇奈太利の旧跡にて待るへきを今は社廃して字のみ存せり」と これによれば もと彼の雨多利に在りしを荒廃の後 春日の境内に遷し祀り 更に之を井栗社と称せしか 後考を俟つ 今 奈良市法華寺町楊梅谷にあるものを以て当社となし 現に村社たり

祭神
祭神社号にて自ら明らかなり 神名帳頭注に「武内宿祢勧請之」と見ゆ

神戸
天平二年十二月 大倭國正税帳 正倉院文書 曰 莵足神戸 稲五拾捌束参把・・・・・

奉幣
日本書紀曰 持統天皇六年十二月甲申遣大夫等 奉に新羅調於・・・莵名足社

雑事
三代実録曰
元慶三年(八七九)六月八日庚申朔 授法華寺薦枕高御産栖日神從二位
延喜式曰
平城法華寺大神 神子(ミコ)二人春秋装束料絹六疋五丈八尺・・・・・

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『大和志料』著者 奈良県 編 出版年月日 大正3年 出版者 奈良県教育会https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813

国立公文書館デジタルコレクション『大和志料』著者 奈良県 編 出版年月日 大正3年 出版者 奈良県教育会https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813

国立公文書館デジタルコレクション『大和志料』著者 奈良県 編 出版年月日 大正3年 出版者 奈良県教育会https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813

宇奈多理坐高御魂神社(奈良市法華寺町) (hai)」(90度のお辞儀)

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大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る

一緒に読む
大和国 286座(大128座(並月次新嘗就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)

大和国(やまとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 大和國の286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)の神社のことです

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています