宇藝神社(うげじんじゃ)は ここより西方500m程に 神成山中腹 峻立した岩壁があり゛宇賀神様(ウガジンサマ)゛と呼ばれる磐座信仰の古社地があります 社殿創建は 天武天皇の御代(672~686年)とされ 倉稲魂神(うかのみたまのかみ)が祀られる古社です 延喜式内社 上野國 甘楽郡 宇藝神社(うけの かみのやしろ)とされる由緒を持ちます
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
宇藝神社(Uge shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
群馬県富岡市神成1178
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》倉稲魂神(うかのみたまのかみ)
《配》建御名方神,速玉之男命,伊邪那美命,大山津見神,事解之男命,大日孁尊
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
宇芸(うげ)神社
927年に延喜式という法典がつくられました。その中の延喜式神明帳に記された神社を延喜式内社といいます。 平安時代には社として認定された由緒ある神社です。群馬県内には十二社あり、その一つがここ宇芸神社です。創立は天武天皇の時代(672~686)と伝えられています。ここには、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)が祭られています。
環境省・群馬県
現地案内板より
【由 緒 (History)】
現在地の朱色の両部鳥居の扁額には゛宇藝神社゛と゛赤城大明神゛とあります
これは 神成山の山頂の稜線にあった宇藝神社の社殿が 江戸時代後期の天明年間(1781~1789年)火災により焼失し 享和元年(1801)神成山の麓 赤城大明神が祀られていた現在地に遷座再建された為と伝わります 境内社として赤城神社があるとのことですが どの祠かは不明
・旧鎮座地は 宇芸神社背後 神成山の山頂の稜線
・磐座信仰の古社地として゛宇賀神様(ウガジンサマ)゛西方500m程 神成山中腹 峻立した岩壁の割れ目に 小祠と゛延喜式内社 宇藝神社磐境゛の石碑あり
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・本殿
・本殿の見事な彫刻
・拝殿
・境内社〈社殿向かって右〉
・境内社〈社殿向かって左〉
・神楽殿
・神庫
・手水舎・神饌殿?
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・〈宇藝神社 旧鎮座地〉旧宇芸神社跡 神成山頂の標式
宇芸神社背後 神成山の山頂の稜線にあり
・宮崎公園の案内看板゛西上州 神成山 九連峰 ハイキングコース゛に゛第4ピーク 宇芸神社跡゛と記載あり
・〈宇藝神社 磐境〉宇賀神(うがじんさま)
宇藝神社(富岡市神成)より西方500m程 神成山中腹 峻立した岩壁の割れ目に小祠と゛延喜式内社 宇藝神社磐境゛の石碑あり
・ウガジンサマ(富岡市神成)
〈宇藝神社の旧鎮座地 磐座〉
宇賀神さま(うがじんさま)は 宇賀神〈宇迦之御魂神の別称〉を祀る磐座で 宇藝神社の旧鎮座地とされ 現在の宇藝神社(富岡市神成)より西方500m程 神成山中腹 峻立した岩壁の割れ目に小祠が祀られ その横に゛延喜式内社 宇藝神社磐境゛と刻字された石碑が建立されています
宇賀神さま(富岡市神成)〈宇藝神社旧鎮座地 磐境〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)上野国 12座(大3座・小9座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)甘楽郡 2座(大1座・小1座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 宇藝神社
[ふ り が な ](うけの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Uke no kamino yashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
御祭神 倉稲魂神(うかのみたまのかみ)について
『古事記』 では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表記します
御神名の゛宇迦(うか)゛は 穀物・食物のことを司る意味で 穀物の神とされます
また
゛宇迦(うか)゛は 食物の古語゛ウケ゛であり 特に稲霊を表します
゛御(み)゛ は・神秘・神聖
゛魂(たま)゛は・霊
゛宇迦之御魂神゛の神名の意は゛稲に宿る神秘な霊゛とされる 穀霊神
又 御饌津神(みけつかみ)とは 倉稲魂神(うかのみたまのかみ)の別名でもあります
御饌津神(みけつかみ)には 大宜都比売神・保食神・倉稲魂神・豊宇気毘売神・若宇迦乃売神など
敦賀の気比神も御饌津神(みけつかみ)
宇賀御魂神(うかのみたまのかみ)と称して゛稲荷の神゛の神名でもあります
延喜式内社 上野國 甘楽郡 2座(大1座・小1座)の論社について
式内社 宇藝神社 ゛宇藝゛の文字は゛うけ゛と読みます
゛うけ゛と云う言葉には 食を司る 御饌津神(みけつかみ)の意味があります
こうしたことから
伊勢神宮において 内宮 天照大御神の神饌〈御食事〉を司る御饌津神(みけつかみ)として 外宮に豊受大御神を祀るように
上野國の一之宮 貫前神社の御饌津神(みけつかみ)として 宇藝神社が祀られたとも考えられています
あるいは 貫前大神の姉妹神との伝承もあります
上野國 甘楽郡 貫前神社(名神大)(ぬきのさきの かみのやしろ)の論社
・〈貫前神社の旧鎮座地〉咲前神社(安中市)
咲前神社(さきさきじんじゃ)は 一の宮貫前神社(抜鉾神社)の旧鎮座地(前宮)です その由緒はとても古く 遠く神代に 経津主大神(ふつぬしのおおかみ)が 健御名方神(たけみなかたのかみ)を追って 上野国と信濃国の国境にある荒船山に御出陣をされた時の行在地であると伝わっています
咲前神社(安中市鷺宮)
・貫前神社(富岡市)
一之宮 貫前神社(いちのみや ぬきさきじんじゃ)は 菖蒲(綾女・あやめ)谷といわれる渓間に南面して鎮座しますが ご参拝には 一度 南の参道をのぼって大鳥居をくぐります 平坦な参道が弧を描くように総門に至ります するとそこからは 急な下りの石段となっていて 真下に社殿が建っています 上って 平らになって 今度は下りになる 全国でも珍しい「下り参道」でお詣りする神社です 古くからの由緒格式を持つ 上野国一之宮として崇敬を集めています
一之宮 貫前神社(富岡市一ノ宮)
上野國 甘楽郡 宇藝神社(うけの かみのやしろ)の論社
・宇藝神社(富岡市神成)
宇藝神社(うげじんじゃ)は ここより西方500m程に 神成山中腹 峻立した岩壁があり゛宇賀神様(ウガジンサマ)゛と呼ばれる磐座信仰の古社地があります 社殿創建は 天武天皇の御代(672~686年)とされ 倉稲魂神(うかのみたまのかみ)が祀られる古社です 延喜式内社 上野國 甘楽郡 宇藝神社(うけの かみのやしろ)とされる由緒を持ちます
宇藝神社(富岡市神成)
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
上信電鉄 神農原駅からR254号を西へ進み 社号標と鳥居の所で右折〈北側〉
R254号を社号標と鳥居の所で右折〈北側〉して 鳥居を抜けると 上信電鉄の踏切から真っ直ぐに 西上州 神成山 九連峰に向かって 参道が伸びています 私は参道を行過ぎてしまい曲がれず 一本西側の道を進みます
一際 高く聳えているのが゛第四ピーク 神成山゛です その麓に鎮座します
社頭には 特に鳥居は無く 駐車場が整備されていて 宇芸神社の案内板があります
宇藝神社(富岡市神成)に参着
一礼をして 石段を上がり始めます
御朱印の案内が張り出されていました
玉石の石垣の中 石段を上がると 朱色の両部鳥居が建ち 扁額には゛宇藝神社゛と゛赤城大明神゛とあり 一礼をして くぐり抜けます
これは 神成山の山頂の稜線にあった宇藝神社の社殿が 江戸時代後期の天明年間(1781~1789年)火災により焼失し 享和元年(1801)神成山の麓 赤城大明神が祀られていた現在地に遷座再建された為と伝わります 境内社として赤城神社があるとのことですが どの祠かは不明
両部鳥居のすぐ横に 天井絵が描かれた神楽殿が建ちます
さらに石段は続き その先に拝殿が見えています
拝殿にすすみます
拝殿前の賽銭箱は 床下に埋め込まれています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥には 覆屋根の下に本殿が祀られています
本殿には 見事な彫刻が施されています
良く見ると 拝殿にも彫刻は施されています
社殿に一礼をして振り返ると 鏑川(かぶらがわ)〈長野県と群馬県の境 物見山に源を発し 南東に流れ 下仁田市街地から富岡盆地から高崎へ流れる〉が削り出した平坦地〈稲作 こんにゃく芋栽培などがされる〉が広がっています
石段を下ります
帰りは 南へと真っ直ぐに伸びる表参道を戻ります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『上野国神名帳(kozuke no kuni jimmeicho)』〈寛政5年(1793)〉に記される伝承
上野国神名帳の十二社として 上野國 式内社の十二社が 記されています
【抜粋】
上野国神名帳 上埜国捴五百七十九座 鎮守十二社
正一位
抜鉾大明神 赤城大明神 伊香保大明神
榛名大明神 甲波宿祢大明神 小祝大明神
火雷大明神 倭文大明神 大国玉大明神
加茂大明神 美和大明神 宇藝大明神
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 宇藝神社について 所在は神成村〈現 宇藝神社(富岡市神成)〉と記しています
【抜粋意訳】
宇藝神社
宇藝は假字なり、和名妙、郷名部 有只、
〇祭神 保食神 地名記〇神成村に在す 地名記
神位
国内神名帳云、従一位 宇藝大明神
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 宇藝神社について 所在は神成村〈現 宇藝神社(富岡市神成)〉
又 上野国内神名帳の宇伎明神がそれであると引用しています
【抜粋意訳】
宇藝(ウケノ)神社
〇按 和名鈔、本郡有只郷あり、国内神名帳に宇伎明神とあり、
今 神成村の中澤に在り、宇計乃神と云ふ、上野國志、山吹日記、巡拝舊祠記
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 宇藝神社について 所在は神成村〈現 宇藝神社(富岡市神成)〉と記しています
【抜粋意訳】
宇藝神社
祭神
祭日 九月二十九日
社格 村社所在 神成村(北甘楽郡吉田村大字神成)
【原文参照】
『上野國志(Kozukekokushi)』に記される伝承
式内社 宇藝神社について 所在は神成村〈現 宇藝神社(富岡市神成)〉祠官 梅澤氏 と記しています
【抜粋意訳】
宇藝神社
神成村にあり、
延喜式神名帳曰、甘羅郡宇藝神社、祠官 梅澤氏
【原文参照】
宇藝神社(富岡市神成)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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上野国(かみつけのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 上野国には 12座(大3座・小9座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
上野國 式内社 12座(大3座・小9座)について