実践和學 Cultural Japan heritage

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鶴ヶ峰八幡神社(大和町宮床赤坂)〈『延喜式』須伎神社〉

鶴ヶ峰八幡神社(つるがみねはちまんじんじゃ)は 寛文3年(1663)古縁起等を焼失し創祀年代等は不祥 一説には推古天皇6年(598)一宮波神 賀茂三社を本社に合祀と云う 又 別当正善院清範は この賀茂明神社を延喜式内社 陸奥國 黒川郡 須伎神社(すきの かみのやしろ)と伝えます 又 賀茂明神社は境内社との説もあります

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

鶴ヶ峰八幡神社(Tsurugamine hachiman shrine

通称名(Common name)

鶴ケ峯八幡宮(つるがみねはちまんぐう

宮中八幡(みやなかはちまん)

【鎮座地 (Location) 

宮城県黒川郡大和町宮床字赤坂73

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》応神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
玉依姫
命(たまよりひめのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社
 〈式内論社の鳴上賀茂明神宮は 境内社であるとも 本社に合祀の両説があります〉

【創  (Beginning of history)】

鶴ケ峯八幡宮

 古来八幡宮があった。長徳元年(九九五年)に宮内少輔が京都の賀茂明神の御幣を申し下して鶴ケ峯に勧請して、宮中大明神として祀った。

 鴇田淡路実清が斯波宮内大輔氏直(黒川氏)の家臣となり、信州より諏訪明神を勧請して、宮中八幡に祀った。
 諏訪明神に神剣の怒撃丸(正和四年一三一五年備前景光作)を鴇田氏が奉納した。

元和七年(一六二一年)二月、伊達政宗が社参した。
宝永元年(一七〇四年)八月、五代藩主の吉村が社参した。
同年十月、社領三十石の地を伊達吉村が寄付した。
享保十五年(一七三〇年)藩主吉村が八幡宮を造営した。その後たびたび吉村の社参があった。
延享元年(一七四四年)六月、六代藩主の伊達宗村が社参。
安永三年(一七七四年)七月
鶴峯八幡宮  九尺三寸  九尺
拝殿  一丈二尺六寸  九尺四寸五分
長床  七間  二間半
別当 羽黒派当村修験鶴峯山正善院
社殿は、明治九年の山火事で焼失した。
平成十一年 七ツ森観光協会

現地案内板より

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鶴ケ峯八幡神社

 古来八幡宮があった 長徳元年(九九五年)に宮内少輔が京都の賀茂明神の御幣を申し下して鶴ケ峯に勧請して 宮中大明神として祀った 社殿明治九年の山火事で焼失した。

現地標柱より

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【由  (History)】

由緒

当社は、寛文3年 古縁起等を焼失したので創祀年代を明かにすることが出来ない。或は推古天皇6年と記し、一(市)宮波神、賀茂三社を合祭すという(観聞志、名跡志)又、別当正善院清範はこの賀茂明神社を式内須伎神社であると伝えているという。
宝永元年8月25日藩主伊達吉村(獅山公、この人は宮床領主田手氏の出である)社参の節、一ノ宮の社号が、鹽竈大社と紛らはしいというので宮中と改めた。(同上)享保15年八幡宮を新造した際、これを本体としたので賀茂神をはじめ鴇田伊豆国種(宇和多手城主)の建てたという諏訪と、稲荷、愛宕、白山社を末社とした。
宝永元年10月獅山公は三貫文を社領に、正徳4年五百文を別当領に寄進した。忠宗・吉村ら藩主並びに領主田手氏の参詣納物、社殿の修営、祭事の興行が絶えず行われた。

宮城県神社庁HPより
https://miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310020366

『奥羽観蹟聞老志 : 第20巻』101883年〉に記される内容

【抜粋意訳】

鶴峯ノ山祠

在に 同村に 祭る市宮波神 賀茂三社を 推古帝 聖德六年所建也 藏むに雄劔一枚〔長 二尺七尺〕有 銘曰く 備前ノ景元 今稱に雷光丸と珍藏

【原文参照】

佐久間義和 著『奥羽観蹟聞老志 : 第20巻』10,宮城県,1883. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/993130

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

鶴ヶ峰八幡神社 社殿

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鶴ヶ峰八幡神社 拝殿・狛犬

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・〈本殿向かって左 境内社〉諏訪神社・鳴上賀茂明神宮・稲荷神

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・〈境内社〉諏訪神社・石仏〈5体

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諏訪神社

伊達氏の前の領主であった鴇田国種(黒川氏の家臣)が 信州の諏訪神社を勧請(かんじょう)してこの地に祀った
伊達吉村が社領三十石を寄進、明治維新に至り没収 明治九年 社殿焼失後 鶴ヶ峰八幡社に合祀した

祭神は大国主命の子である建御名方命である。宮原村史より

昭和五十七年六月 七ッ森観光協会

現地案内板より

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・石仏〈5体

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・〈境内向かって左手 境内社〉鳴上賀茂明神宮・稲荷神

〈境内社〉鳴上賀茂明神宮

〈境内社〉鳴上賀茂明神宮は 延喜式内社 陸奥國 黒川郡 須伎神社(すきの かみのやしろ)の論社とされています

二つの小祠がありますが どちらかが〈境内社〉鳴上賀茂明神宮だとおもいます

又 式内論社の鳴上賀茂明神宮は 鶴ヶ峰八幡神社に合祀されているとの説もあります

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・参道石段

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・社頭 鳥居

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)陸奥國 100座(大15座・小85座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)黒川郡 4座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 須伎神社
[ふ り が な ](すきの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Suki no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載されている「須伎神社(すきの かみのやしろ)」について

延喜式内社 伊勢國 河曲郡 須支神社(すきの かみのやしろ)の論社

・須伎神社(鈴鹿市長太栄町)

一緒に読む
須伎神社(鈴鹿市長太栄町)〈『延喜式』須支神社・大木神社〉

須伎神社(すぎじんじゃ)は 社伝には 上古 津島の神を奉じて南下した人々が長太村に祠を建て祀ったと云う 元禄三年(1690)当地に移転鎮座した 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 須支神社(すきの かみのやしろ)とされ 又 明治40年(1907)大木神社(長太の大樟)を合祀し 同じく式内社 大木神社(おほきの かみのやしろ)の論社でもあります

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延喜式内社 陸奥國 黒川郡 須伎神社(すきの かみのやしろ)の論社

・須岐神社(大衡村駒場下宮前)

一緒に読む
須岐神社(大衡村駒場下宮前)〈『延喜式』須伎神社〉

須岐神社(すきじんじゃ)は 創祀年代 鎮座 由来等は詳かでない 昔時は今の社地の西方の宮高森上に在り 建久二年(1191)に地頭 児玉弥太郎がここに遷座して 赤崎大明神と称え椚千本を植え神境としたと伝わります 延喜式内社 陸奥國 黒川郡 須伎神社(すきの かみのやしろ)の論社です

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・鶴ケ峯八幡宮(大和町宮床赤坂)
〈本殿合祀 賀茂明神〉
〈境内社 鳴上賀茂明神宮〉

一緒に読む
鶴ヶ峰八幡神社(大和町宮床赤坂)〈『延喜式』須伎神社〉

鶴ヶ峰八幡神社(つるがみねはちまんじんじゃ)は 寛文3年(1663)古縁起等を焼失し創祀年代等は不祥 一説には推古天皇6年(598)一宮波神 賀茂三社を本社に合祀と云う 又 別当正善院清範は この賀茂明神社を延喜式内社 陸奥國 黒川郡 須伎神社(すきの かみのやしろ)と伝えます 又 賀茂明神社は境内社との説もあります

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延喜式内社 加賀国 加賀郡 須岐神社(すきの かみのやしろ)の論社

・須岐神社(金沢市東蚊爪町)

〈参考〉延喜式内社 但馬国 出石郡 湏義神社(すきの かみのやしろ)の論社

・須義神社(豊岡市出石町荒木字竹ヶ原)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR仙台駅から県道264号経由で北上 約20.7km 車での所要時間は30~35分程度

県道264号経由で北上し 七ツ森を目指しながら 大和町へと入って行きます

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鶴ヶ峰八幡神社(大和町宮床赤坂)に参着

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鳥居の前に敷き詰められた小石の上に「ニホンアマガエル(日本雨蛙)」のお出迎えがありました

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鳥居の横に 駐車スペースがあり 車を停めて 一礼をしてから鳥居をくぐり抜けます
鳥居の扁額には「鶴ヶ峰八幡神社」と刻字されています

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鳥居をくぐり抜けると「湯殿山 月山 羽黒山」と刻まれた「出羽三山の修験道」の名残りが色濃く残っています

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参道を進んでいくと 右手の杉木立の中に長い石段が表れます
石段の下に 鶴ヶ峰八幡神社の標柱がありますので ここが参道の石段です

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長い石段を上がって行くと 途中 踊り場があり 更に上に 社殿が見えてきます 

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石段を上がり切ると ちょつと かわいい狛犬が座していて 正面に拝殿があります

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿は 明治九年の山火事で焼失したらしく その後再建されたもの
拝殿の奥には 幣殿 本殿が一体となっています

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社殿の向かって左には〈境内社〉諏訪神社が祀られています
〈境内社〉諏訪神社の横には・石仏〈5体

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さらに〈境内向かって左手 境内社〉二つの小祠(鳴上賀茂明神宮・稲荷神)がありますが どちらかが延喜式内社 陸奥國 黒川郡 須伎神社(すきの かみのやしろ)の論社〈境内社〉鳴上賀茂明神宮だとおもいます

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社殿に一礼をして 石段を下ります

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石段を下りて 参道を戻ります

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社頭まで戻ります 鳥居のすぐ先は県道264号です

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 須岐神社について 所在は゛駒塲村に在す、゛〈現 須岐神社(大衡村駒場下宮前)〉と記しています

【抜粋意訳】

須岐神社

須岐は假字也

○祭神 伊弉諾尊〔参録〕

○駒塲村に在す、〔参録〕

類社

 伊勢園河曲郡 須伎神社の條見合すべし

【原文参照】

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『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 須岐神社について 所在は゛ 駒場村にあり、赤崎明神と云ふ、゛〈現 須岐神社(大衡村駒場下宮前)〉と記しています

【抜粋意訳】

須岐(スキノ)神社、

 駒場村にあり、赤崎明神と云ふ、〔封内風土記、巡拝舊祠記、○按 黒川郡行神社あり、行と須岐と並へる社にて、古へ大嘗の悠紀主基の事に由ありて、八神などを祭れる歟、姑附て考に備ふ、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 須岐神社について 所在は゛駒場村 〇今稱 陸前國 (黑川郡大衝村大字駒場)゛〈現 須岐神社(大衡村駒場下宮前)〉と記しています

【抜粋意訳】

○黑川郡四座並小 〇今宮城縣管下

須岐神社 赤崎大明神

祭神

 今按 神社覈錄に祭神 伊弉諾尊 本社緣起には素盞鳴命とあり されど下に行神社あるは ユキスキ と並べる社にて古へ大嘗の悠紀主基のとにありて 彼八神などを祭れには非 姑附て考に備ふ

祭日
社格 郷社

所在 駒場村 〇今稱 陸前國 (黑川郡大衝村大字駒場)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

鶴ヶ峰八幡神社(大和町宮床赤坂) (hai)」(90度のお辞儀)

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陸奥国 式内社 100座(大15座・小85座)について に戻る

一緒に読む
陸奥國 式内社 100座(大15座・小85座)について

陸奥国(むつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 陸奥国には 100座(大15座・小85座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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