実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

月夜見宮〈豊受⼤神宮(外宮)別宮〉

月夜見宮(つきよみのみや)は 古くは 高河原(たかがわら)と呼ばれ 農耕の神を祀る神社であったと云います 延喜式927年12月編纂内社 伊勢國 度會郡 月夜見神社(つきよみの かみのやしろ)の時は 外宮摂社の首位でした その後 土御門天皇の承元四年(1210宮の嘉例に淮じ豊受神宮(外宮)別宮に昇格しました

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

月夜見宮Tsukiyomi no miya

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

三重県伊勢市宮後一丁目3-19

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》月夜見尊(つきよみのみこと)
   月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)

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【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社
・〈豊受大神宮(外宮)別宮〉

【創  (Beginning of history)】

『伊勢年鑑』に記される内容

【抜粋意訳】

月夜見宮

月夜見宮は宇治山田市宮後町に鎮座し、月夜見尊 竝に月夜見尊荒御魂を奉祀する。
創立の年代不詳なるも、既に延暦の頃、諸社の首に月讀神社の名現はれたれば以て古來特殊の待遇を受けられしことを知る。
土御門天皇の承元四年五月 土宮の嘉例に淮じ別宮に列せらる。

【原文参照】

伊勢新聞社 編『伊勢年鑑』昭和17年,伊勢新聞社,昭和16. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1069778

【由  (History)】

月夜見の由緒と沿革

月夜見尊は『古事記』、『日本書紀』によると、伊弉諾尊、伊弉冉尊の二柱の御親神が、天照大御神をお生みになられ、次に月夜見尊をお生みになられ夜之食国をお治めになるようにご委任になられたと記されています。

また、『日本書紀』には、天照大御神のご神徳は「光華明彩、六合の内に照り徹らせり」とあり、太陽にたとえられていますが、月夜見尊のご神徳はそれに次ぐものとして月になぞらえたと考えられます。

月夜見宮は、伊勢市の中心部に鎮座しますが、古くは高河原と呼ばれ、川の流れと農耕に深いつながりのあるお社です。『延喜太神宮式』には「月夜見社」とあり、外宮の摂社の首位に列せられておりましたが、鎌倉時代のはじめ、第83代土御門天皇の承元4年(1210)に、別宮に昇格されました。

外宮北御門から月夜見宮に真っすぐ伸びる道は、地元の人々に「神路通り」と呼ばれ親しまれています。この道は神様が通う道とされ、真中を歩くことなどを遠慮する習慣があります。

神宮司庁HPよりhttps://www.isejingu.or.jp/about/outerbetsugu/

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・高河原神社 (たかがわらじんじゃ)〈外宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 川原坐國生神社(かわはらのます くなりの かみのやしろ)

・高河原神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

一緒に読む
高河原神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉(月夜見宮 域内)

高河原神社(たかがわらじんじゃ) は 豊受大神宮(外宮)の摂社です 『延喜式神名帳927 AD.』所載 伊勢國 度會郡 川原坐國生神社(かわはらのます くなりの かみのやしろ)とされます その後 応永26年(1419)に焼失し 近世には社地不明となりましたが 寛文3年(1663)現社地(月夜見宮 域内)に再興されました

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・祓所(はらえど)・楠の大木

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・御神木〈戦火から月夜見宮を護った

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

月夜見宮は 豊受神宮(外宮)別宮

・豊受神宮(外宮)

一緒に読む
豐受大神宮〈外宮〉(伊勢市豊川町)〈伊勢神宮〉

豊受大神宮(とようけだいじんぐう)は 今から約1500年前 内宮の御祭神 天照大御神のお食事を司る御饌都神(みけつかみ)として 丹波国から現在の地にお迎えされました 御饌殿では 今日も神々に食事を供える日別朝夕大御饌祭が続けられています 内宮に対して外宮と並び称され 衣食住 産業の守り神としても崇敬されています

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式Engishiki)』巻4神祇四 伊勢太神宮

「巻四 神祇四 伊勢太神宮」には 伊勢大神宮式が述べられています
この式は 伊勢大神宮および豊受大神宮に関する諸規定を集めたもので 伊勢大神宮に属する三箇神郡 (度会・多気・飯野郡)に関する規定含まれ 年中の儀式とその祭料が記されています

【抜粋意訳】

伊勢太神宮

太神宮三座。【在度會郡宇治鄉五十鈴河上。】
天照太神一座
相殿神二座
禰宜一人,從七位官。大內人四人,物忌九人。【童男一人,童女八人。】父九人,小內人九人。

荒祭宮一座。【太神荒魂,去太神宮北二十四丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗、神衣等祭供之。

伊佐奈岐宮二座。【去太神宮北三里。】
伊弉諾尊一座
伊弉冊尊一座

月讀宮二座。【去太神宮北三里。】
月夜見命一座
荒魂命一座

瀧原宮一座。【太神遙宮。在伊勢與志摩境山中。去太神宮西九十餘里。】
瀧原並宮一座。【太神遙宮。在瀧原宮地內。】 

伊雜宮一座。【太神遙宮。在志摩國答志郡。去太神宮南八十三里。】
右諸別宮,祈年、月次、神嘗等祭供之,就中瀧原並宮。伊雜宮不預月次,其宮別各內人二人。【其一人用八位已上,并蔭子孫。】物忌、父各一人,但月讀宮加御巫、內人一人。

度會宮四座。【在度會郡沼木鄉山田原,去太神宮西七里。】
豐受太神一座
相殿神三座
禰宜一人,【從八位官。】大內人四人,物忌六人,父六人,小內人八人。

多賀宮一座。【豐受太神荒魂,去神宮南六十丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗等祭供之。
凡二所太神宮禰宜、大小內人、物忌,諸別宮內人、物忌等,並任度會郡人。【但伊雜宮內人二人、物忌、父等,任志摩國神戶人。】

諸社卌座

太神宮所攝廿四座
朝熊社 園相社 鴨社 田乃家社 蚊野社 湯田社 大土御祖社 國津御祖社 朽羅社 伊佐奈彌社 津長社 大水社
久具都比賣社 奈良波良社 榛原社 御船社 坂手國生社 狹田國生社 多岐原社 川原社 大國玉比賣社 江神社 神前社 粟皇子社

度會宮所攝十六座
月夜見社 草名伎社 大間國生社 度會國御神社 度會大國玉比賣社 田上大水社 志等美社 大川內社 清野井庭社 高河原社 河原大社 河原淵社
山末社 宇須乃野社 小俣社 御食社

右諸社,並預祈年、神嘗祭

以下略

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273518/1/70

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小34座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 月夜見神社
[ふ り が な ]つきよみの かみのやしろ
[Old Shrine name]Tsukiyomi no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

内宮・外宮の別宮・摂社・末社について

・お伊勢さん125社について

一緒に読む
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉

゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉

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『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載のある゛月讀神゛に関連する社について

壱岐島(いきのしま)に祀られる 式内社 月讀神社(名神大)(つきよみの かみのやしろ)

神社考に曰く、顯宗天皇三年二月、天月神命の神託に依り 壹岐縣主先祖押見宿禰の祭る所にして 月讀神社には 高皇産靈尊の裔 天月神命を祀り 高御祖神社には 天月神命の祖 高皇産靈尊を祀る 云々

延寶4年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉では 月讀神社(壱岐市芦辺町国分東触)を式内社と比定しました これは里人が鎮座地の「清月(きよつき)」を「ふかつき」とも呼んでいたことに因ります
しかし「ふかつき」の語源は「深淵 ふかふち」橘三喜の比定は誤りで 式内社の月読神社は箱崎八幡神社とされています

・月讀神社(壱岐市芦辺町国分東触)

一緒に読む
月讀神社(壱岐市芦辺町国分東触)

月讀神社(つきよみじんじゃ)は 延寶4年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者 橘三喜の式内社調査〉により 里人が鎮座地の「清月(きよつき)」を「ふかつき」〈深淵 ふかふち〉とも呼んでいたことに因り 式内社 月讀神社(名神大)(つきよみの かみのやしろ)と比定されましたが この比定は誤りとする説が有力視されます 延寶の調以前は「山の神」と称されていた云われます

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・箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)〈月讀宮〉

一緒に読む
箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)

箱崎八幡神社(はこざきはちまんじんじゃ)は 相殿に天月神命と高皇産霊神が祀られます 式内社・月讀神社(名神大)・高御祖神社の両社は 同じ所に鎮座したと伝わり 当社がそれとされます 故に祭神 天月神命(あめのつきかみのみこと)は『日本書紀』顕宗天皇三年の段に記される壱岐の「月神」〈高皇産霊命を祀れと憑依神勅をした〉であると伝わります

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・男嶽神社(壱岐市芦辺町箱崎本村触)〈箱崎八幡神社の旧鎮座地〉

一緒に読む
男嶽神社(壱岐市芦辺町箱崎本村触)

男嶽神社(おんだけじんじゃ)は 天比登都柱(あめのひとつばしら)・月讀命(つくよみのみこと)が 降臨された地との伝承があり 元の月讀宮とされます すなわち式内社 月讀神社(名神大)〈現 箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)〉の当初の鎮座地です 現在の境内には御祭神 猿田彦命にちなみ並ぶ石猿群が有名です

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壱岐島(いきのしま)に祀られる 式内社 髙御祖神社(たかみおやの かみのやしろ)

神社考に曰く、顯宗天皇三年二月、天月神命の神託に依り 壹岐縣主先祖押見宿禰の祭る所にして 月讀神社には 高皇産靈尊の裔 天月神命を祀り 高御祖神社には 天月神命の祖 高皇産靈尊を祀る 云々

・高御祖神社(壱岐市芦辺町諸吉仲触)

一緒に読む
高御祖神社(壱岐市芦辺町諸吉仲触)

高御祖神社(たかみおやじんじゃ)は 社伝に 嵯峨天皇 弘仁2年(811)に建立とあります 紀州田邊の熊野権現を勧請したとされ 延寶の調(1676)〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉により 式内社 高御祖神社と改められました

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・箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)

一緒に読む
箱崎八幡神社(壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触)

箱崎八幡神社(はこざきはちまんじんじゃ)は 相殿に天月神命と高皇産霊神が祀られます 式内社・月讀神社(名神大)・高御祖神社の両社は 同じ所に鎮座したと伝わり 当社がそれとされます 故に祭神 天月神命(あめのつきかみのみこと)は『日本書紀』顕宗天皇三年の段に記される壱岐の「月神」〈高皇産霊命を祀れと憑依神勅をした〉であると伝わります

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山城國 葛野郡 葛野坐月讀神社(名神大 月次 新嘗)(かとのにます つきよみの かみのやしろ)

『日本書紀』顕宗天皇紀にある 山背国葛野郡歌荒樔田(ウタアラスダ)に奉られた〈月の神〉〈現 月読神社(京都市西京区)〉

・月読神社(京都市左京区)

一緒に読む
月読神社(京都市西京区松室山添町)

月読神社(つきよみじんじゃ)は 『日本書紀』顕宗天皇の段 三年(487)に 壱岐島から月神(つきのかみ)を勧請したと 創建について記されます 『延喜式神名帳927 AD.』所載 山城國 葛野郡 葛野坐月讀神社(名神大 月次 新嘗)(かとのにます つきよみの かみのやしろ)に比定され 現在は 松尾大社の境外摂社となっています

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山城國 綴喜郡 月讀神社(大 月次 新嘗)(つきよみの かみのやしろ)

・月讀神社(京田辺市大住池平)

一緒に読む
月讀神社(京田辺市大住池平)

月讀神社(つきよみじんじゃ)は 大隅國(おほすみのくに)〈鹿児島〉から当地へ来住した隼人らが祀ったともいわれ 大同四年(809)大住山に霊光を拝して神殿が造営され創建 貞観元年(859)八月に月讀宮と称え 延喜式(927)に月讀神社(大月次新嘗)(つきよみの かみのやしろ)とあり 承暦元年(1077)には天下疱瘡に悩むにつき勅使奉幣ありと伝わる古社です

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伊勢神宮の別宮として祀られる゛月讀神゛式内社

伊勢國 度會郡 月讀宮二座(荒御魂命一座・並 大 月次 新嘗)(つきよみのみや ふたくら)

・⽉讀宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉

一緒に読む
月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉〉

月讀宮・月讀荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈彌宮は 各々が皇大神宮(内宮)の別宮で 明治6年(1873)現在の四つ宮並列した形で鎮座しました 『皇太神宮儀式帳(804年)』には「月讀宮一院 正殿四区」と一宮に四殿と記し 『延喜式〈927年〉』には「伊佐奈岐宮・伊佐奈彌社が瑞垣を巡らしたー院」「「月讀宮・月讀尊荒御魂社で一院」と二宮であったと記されています

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伊勢國 度會郡 月夜見神社(つきよみの かみのやしろ)

・月夜見宮〈豊受⼤神宮(外宮)別宮〉

一緒に読む
月夜見宮〈豊受⼤神宮(外宮)別宮〉

月夜見宮(つきよみのみや)は 古くは 高河原(たかがわら)と呼ばれ 農耕の神を祀る神社であったと云います 延喜式〈927年12月編纂〉式内社 伊勢國 度會郡 月夜見神社(つきよみの かみのやしろ)の時は 外宮摂社の首位でした その後 土御門天皇の承元四年(1210)土宮の嘉例に淮じ豊受大神宮(外宮)の別宮に昇格しました

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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

豊受大神宮(外宮)の北御門裏参道から゛神路通゛を抜けて約550m 徒歩8分程度

民家のどの家の軒先にも゛神路通(かみじどおり)゛の提灯が吊るされています

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その由緒については

神路通(かみじどおり)

 古くより外宮(げくう)の裏参道と月夜見宮(つきよみのみや)とを結ぶこの道は、「神の通う路(みち)」といわれています。
外宮の別宮である月夜見の宮の神様(月夜見尊 つきよみのみこと)が、外宮の神様(豊受大神 とようけおおかみ)のもとへ通われる道です。
神様は、夜、宮の石垣の一つに、杖をあて、白馬にかえて、その馬に乗って行かれます。
夜、この道を道る人は、神様に出逢(であ)わないよう畏(おそ)れつつしんで、道の真ん中をさけ端を通ったと伝えられています。

 宮柱立てそめしより月よみの
  神行き交う中の古道(ふるみち)

と古歌にも詠まれています。

神宮司庁刊「伊勢信仰と民話」より

現地案内板より

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伊勢市立厚生小学校の横辺りに 月夜見宮70mとあります

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月夜見宮〈豊受神宮(外宮)別宮〉に参着

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手水舎で清めると 祓所(はらえど)と楠の大木があります

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その先に社殿は 南向き 東西に御殿地と古殿地が並んでいます

古殿地(こでんち)は 社殿の隣の敷地〈20年ごとの式年遷宮の殿地となる場所で 次の式年遷宮を待つ〉

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以前の参拝のときは 東西の殿地と古殿地が現在とは逆の位置でした

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殿にすすみ お祈りをしま

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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境内 月夜見宮の正殿の横を抜けていくと

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その奥に祀られている・高河原神社 (たかがわらじんじゃ)〈外宮域外の摂社〉が鎮座します

延喜式内社 伊勢國 度會郡 川原坐國生神社(かわはらのます くなりの かみのやしろ)

・高河原神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

一緒に読む
高河原神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉(月夜見宮 域内)

高河原神社(たかがわらじんじゃ) は 豊受大神宮(外宮)の摂社です 『延喜式神名帳927 AD.』所載 伊勢國 度會郡 川原坐國生神社(かわはらのます くなりの かみのやしろ)とされます その後 応永26年(1419)に焼失し 近世には社地不明となりましたが 寛文3年(1663)現社地(月夜見宮 域内)に再興されました

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

神路通(かみじどおり)の伝承について

「この道は 月夜見宮の神の月夜見尊(つきよみのみこと)が 夜な夜な外宮へ通い給う、神の通い道であった。つまり御幸道であった。」と記されています

神路通りの歴史

外宮の北御門から、月夜見宮に行く間の宮後(みやじり)町のこの道を小字神路といい、通称「神路(かみぢ)通り」といいます。昔は並木があり、中央を避けて通ったといわれ、今でも中央を歩かない風習があります。
また家並みの不浄所の戸も道の方へは開けず、不吉な行列もこの道を通らないとされています。

「日本の神話」河出書房新社では、この神路通りを次のように解説しています。

「・・・(中略)・・・高河原神社(月夜見宮)と豊受大神宮とを結ぶ一直線の広い道路がある。その道は、神の通い道であると考える気持ちが山田の人々の間には古くからある。・・・(中略)・・・外宮の裏参道の入口と、別宮の月夜見宮(外宮の祗社の高河原神社)とを結ぶ幅広い直線の道路がある。この道は月夜見宮の神の月夜見尊(つきよみのみこと)が夜な夜な外宮へ通い給う、神の通い道であった。つまり御幸道であった。月夜見宮の入口の正面に石垣があるが、

夜になるとその石垣の石の一つが白馬と化して入口にたたずんでいる。白馬は頭を社殿の方へ向けて、神が乗られるのを待っているのだ。夜そこを通りかかった人はその馬を目撃することがあるという。神の乗った白馬が道を通るとき、それにぶつからないように市民は恐れつつしんで、夜はこの道を通らないのだ。

どうしても用があって通らねばならぬ時は、神の馬にふれないように道の端を通るのである。」

この神路通りは、このように神が通る路として昔から神聖なものとして考えられ、昔の人々の生活の作法にも影響していたといえます。

現地案内板より

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 月夜見神社について 所在も含め゛今廃亡す゛とあり 廃絶している と記しています

【抜粋意訳】

月夜見神社

月夜見は都幾與美と訓べし

○祭神明か也
○今廃亡す
○式四、伊勢大神宮 渡会宮所摂十六座の第一に載す、
○神名秘書 渡会宮條 云、式内摂社十六社、月夜見社 沼木合大河原村坐、承元宮號』
神名略記 同上 云、載官帳摂社十六、並在渡会郡田上大水社 慶安5年 氏人再興、除月読社 残十四、寛文年精長朝臣再興、

連胤按るに、神名秘書、神名略記等 別宮月読宮を挙て、また摂社月読社を載す、然ればいよいよ二と知れたり、されど当社は廃亡して年久しけれはいかがはせむ、倩(つらつら)考ふるに、は摂社の月社宮號の後、別宮と崇めしにはあらざるか、精長朝臣再興の時、社のみ残されしも深き旨ありけらし、時節ありて祈年幣帛を奉らむには、別宮月宮にのみ供祭してあやまちなかるべし、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 月夜見神社について 所在を沼水郷山田宮後町〈現 月夜見宮〈豊受神宮(外宮)別宮〉〉と記しています

【抜粋意訳】

月夜見(ツキヨミノ)

〇按 止由氣宮延暦儀式帳、月夜見を月讀に作る、

今 沼水郷山田宮後町に在り、神祇本源神名秘書、神名帳考証、
月讀命を祀る、霊形鏡に坐す、延喜式神名秘書
醍醐天皇 延喜の制、祈年神甞の祭に預る、延喜式
土御門天皇 承元四年五月己酉、宮號を授け、
順徳天皇 建暦元年、遷宮の時、官制を増し、神殿を改造らしむ、神祇本源神名秘書

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神祇志料』https://dl.ndl.go.jp/pid/815490著者 栗田寛 著 出版者 温故堂 出版年月日 明治9[1876]

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 月夜見神社について 外宮所攝 別宮四所之一〈現 月夜見宮〈豊受神宮(外宮)別宮〉〉と記しています

【抜粋意訳】

月夜見神社

祭神 月夜見神

今按神社檢に承元四年五月宮號宣下の後 大社に列して 月讀宮とし月次新嘗にも預り 建暦元年神殿を増大せられ 二十年一度の造替に預り別宮となると云へり

祭日 祈年 二月 月次 六月十二月十八日 神甞 九月十八日
社格 外宮所攝 別宮四所之一

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/971155

月夜見宮〈豊受神宮(外宮)別宮〉 (hai)」(90度のお辞儀)

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お伊勢さん125社について

一緒に読む
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉

゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉

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伊勢国 式内社 253座(大18座・小235座)についてに戻る

一緒に読む
伊勢國 式内社 253座(大18座・小235座)について

伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です

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  • B!

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています