実践和學 Cultural Japan heritage

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津田神社(多気町井内林)〈『延喜式』林神社・櫃倉神社〉

津田神社(つだじんじゃ)は 元々は林神社と称しており 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 林神社(はやしの かみのやしろ)の論社です 明治41年1908旧津田村内無格社3社〈この内 菅原神社〈天神社〉が延喜式内社 伊勢國 多氣郡 櫃倉神社の論社とされています〉と境内社27社を合祀し社名を津田神社と改称しました

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

津田神社(Tsuda shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

三重県多気郡多気町井内林 159-1

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

津田神社祭神

《主》
木俣神(きのまたのかみ)

合祀
天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
天津子根命(あまつひこねのみこと)
熊野久須比命(くまのくすひのみこと)
天之菩卑能命(あめのほひのみこと)
活津日子根命(いくつひこねのみこと)
多紀理毘(たきりびめのみこと)
市寸島姫命(いちきしまひめのみこと)
田岐都比(たきつひめのみこと)
久久野智命(くくのちのみこと)
大山祇命(おおやまつみのみこと)
蛭子命(ひるこのみこと)
大物主命(おおものぬしのみこと)
木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
田別尊(ほんだわけのみこと)
(あめのこやねのみこと)
火之加具土命(ひのかぐつちのみこと)
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
猿田彦命(さるたひこのみこと)
八衢比古命(やちまたひこのみこと)
八衢比(やちまたひめのみこと)
久那斗命(くなとのみこと)
建速素戔嗚命(たてはやすさのおのみこと)
木ノ国熊野三所明神(きまくにくまのさんしょみょうじん)
菅原道眞公(すがはらみちざねこう)
火産霊命(ほむすびのみこと)
春日大神(かすがおおかみ)
不祥四座(ふしょうよんざ)

拝殿内の銘板

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【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

『勢陽五鈴遺響』9に記される内容

津田神社は 旧名を林神社と称していました

【抜粋意訳】

式内 林神社

 井ノ內林村の中間にあり 祭神 麓山祗神 相可上社より西一里
 度會延經 神名帳考證云 林神社 木靈木股神  御井神 在林村井內村西
度會正身 神名帳再考證云 林神社 地名直くに林村と云 井ノ內村の西なり 祀る神前に見えたり
 今詳にするに延經考證は 林神社の名に據て 多氣郡林村にある處の神社 其地に據りて指す 又 林の義に據て木靈 木股神を奉祀する處とす
 正身再考證は 林神社は 直に林村に在りと前證に從ひて異なし 祭神は相鹿牟山神社の條に所言のごとく 日本書紀第一卷を引據め五山祗を出の林神社は麓山祗を奉祀する處と云前に見へたりと記すは是の謂なり
 前考證に 林村の名に寓の林神社を合し林に據て木靈神を祭ると云と牽强なり 御井神と方俗稱するに曁て此地 相可川の水涯にあり其水遥を祀るも誣へきにいたれり 然れも後 考證に日本書記 五山祇中の麓山祇を此に祀ると云は是に似たり
 姑く從ふべし 式社案内記 及 勢陽雜記 拾遺古屋草紙  祭神 木股神とす これ前 考證に倣ひて異なしと憶へり 然れも未 其考を詳にせざるにあり猶稽へし

【原文参照】

安岡親毅 著『勢陽五鈴遺響』9,伊東太三郎,1903. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991425

『北野誌』に記される内容

津田神社に合祀されている「菅原神社(鍬形村)〈櫃倉神社の論社〉」について記しています

鍬形村には 村社 八雲八柱神社・無格社 菅原神社・無格社 鍬山神社があって この内の菅原神社〈天神社〉が 櫃倉神社の論社とされていました
明治40年に村社 八雲八柱神社に 無格社 菅原神社と無格社 鍬山神社が合祀されて 八雲八柱神社は櫃倉神社と改称しました

その後 明治41年に櫃倉神社は 津田神社に合祀され 現在に至ります

【抜粋意訳】

三重縣多氣郡津田村大字鍬形字釋尊寺

村社 櫃倉神社

一 祭神 素盞鳴尊
 別殿 天忍穂耳命 天之菩毘能命 天津彥根命 活津日子根命 熊野久須比命 多紀理毘賣命
 合祀 菅原道眞公 不詳

一 由緒 不詳
 明治四十年從前八雲神柱神社と稱せしを櫃倉神社と訂正す
同年 同村 字風ノ木 無格社 菅原神社 及 釋尊寺 無格社 鍬山神社を合祀す

【原文参照】

北野神社々務所 編『北野誌』天,国学院大学出版部,明43. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/899627

【由  (History)】

由 緒

 元村社で、さかのぼれば延喜式内林神社に由来し、明治41年、旧津田村内に座す、無格社3、境内無格社27社を合祀し社名を津田神社と改称奉齋いたしてまいりました。延喜式内社にさかのぼる古い歴史を有し、また境内には樹齢一千年を超えるとされる大杉があり、伊勢白龍大明神と崇めお祀りもしおります。

三重県神社庁教化委員会HPより
http://kyoka.mie-jinjacho.or.jp/shrine/%E6%B4%A5%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE/

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・白龍神社《主》伊勢白竜大神(樹高38mの大きな御神木)

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 一度見上げて見て下さい
・木の回り7m40cm

・木の太さ2m35cm
・木の高さは約38mあります。

上記は目の高さです
近くの神社にもない大きさです。

現地案内板より

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

津田神社(多気町井内林)は 二つの式内社の論社です

①(伊勢國多氣郡 林神社) 津田神社は 旧名を林神社と称していた
②(伊勢國多氣郡 櫃倉神社)〈合祀 菅原神社(鍬形村)〈櫃倉神社の論社〉〉

①(伊勢國多氣郡 林神社) 津田神社は 旧名を林神社と称していた

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多氣郡 52座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 林神社
[ふ り が な ](はやしの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Hayashi no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

②(伊勢國多氣郡 櫃倉神社)〈合祀 菅原神社(鍬形村)〈櫃倉神社の論社〉〉

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多氣郡 52座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 櫃倉神社
[ふ り が な ](ひつくらの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Hitsukura no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

津田神社(多気町井内林)は 二つの式内社の論社です

①(伊勢國多氣郡 林神社) 津田神社は 旧名を林神社と称していた
②(伊勢國多氣郡 櫃倉神社)〈合祀 菅原神社(鍬形村)〈櫃倉神社の論社〉〉

それぞれの論社については 別記事を参照

伊勢國 多氣郡 林神社(はやしの かみのやしろ)の論社

・津田神社(多気町井内林)

一緒に読む
津田神社(多気町井内林)〈『延喜式』林神社・櫃倉神社〉

津田神社(つだじんじゃ)は 元々は林神社と称しており 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 林神社(はやしの かみのやしろ)の論社です 明治41年(1908)旧津田村内の無格社3社〈この内 菅原神社〈天神社〉が延喜式内社 伊勢國 多氣郡 櫃倉神社の論社とされています〉と境内社27社を合祀し社名を津田神社と改称しました

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〈二十五柱神社に合祀された林神社の旧鎮座地(松阪市出間町)〉現在は私有地の田畑の為 未参拝

〈二十五柱神社に合祀 林神社〉二十五柱神社(松阪市柿木原町)

一緒に読む
二十五柱神社(松阪市柿木原町)〈多氣郡の式内社論社8つを合祀〉

二十五柱神社(にじゅうごはしらじんじゃ)は 三重県令に依り旧東黒部村内25社の神社を明治41年(1907)9月30日に合祀して二十五柱神社が創建 合祀社の内 伊勢國多氣郡の8つの式内社〈・須麻漏賣神社・服部伊刀麻神社・林神社・服部麻刀方神社二座・流田神社・流田上社神社・火地神社・牛庭神社〉の論社を含みます

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伊勢國 多氣郡 櫃倉神社(ひつくらの かみのやしろ)の論社

・根倉神社 跡地・國之御神社 跡地(明和町根倉)
〈畠田神社に合祀 根倉神社(明和町根倉)〈櫃倉神社の論社〉の旧鎮座地〉

・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀 根倉神社(明和町根倉)〈櫃倉神社の論社〉〉

一緒に読む
畠田神社(明和町大字中村)〈『延喜式』畠田神社三座&〈合祀〉式内社十座〉

畠田神社(はたけだじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 多気郡 畠田神社三座(はたけたの かみのやしろ みくら)です 明治41年4月に下御系地区11ヵ字に鎮座していた神社を すべて北藤原の畠田神社に合祀 更に同年8月に中村の畠田神社へ遷し現在に至ります 合祀前の下御系地区24座の中で12座が延喜式内社となっています

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・津田神社(多気町井内林)
〈津田神社に合祀 菅原神社(鍬形村)〈櫃倉神社の論社〉〉

一緒に読む
津田神社(多気町井内林)〈『延喜式』林神社・櫃倉神社〉

津田神社(つだじんじゃ)は 元々は林神社と称しており 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 林神社(はやしの かみのやしろ)の論社です 明治41年(1908)旧津田村内の無格社3社〈この内 菅原神社〈天神社〉が延喜式内社 伊勢國 多氣郡 櫃倉神社の論社とされています〉と境内社27社を合祀し社名を津田神社と改称しました

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR紀勢本線 相可駅から櫛田川を遡るように西へ約3.3km 車での所要時間は6~10分程度

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多気町立津田小学校の北側の水田の中にあり 社殿・境内・参道ともに南を向いています

津田神社(多気町井内林)に参着

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一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて参道を進みます

境内の入口には 二の鳥居があり 社殿の前には 三の鳥居が建ちます

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社務所があり 今月(六月 水無月)の予定が書きだされていました

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境内の案内板には゛神事頭番帳 一巻゛室町時代の書について記されています

三重県指定有形文化財 書跡

多気町大字井内林 津田神社

神事頭 一卷

 室町時代 指定昭和三二年十二月五
 二十六センチ 横三十センチ

これは、応永三四年(一四七)から元亀三年(一五七二)に至る殆んど室町時代全期にわたり、多気郡相可郷中村天王八王子寺社の神事に関する当番帳(神事を行う人名を書いた帳面)である。

この中には「右結衆等天長地久御願円満皆令满足 延徳四年」(一四九二)とその趣旨を述べて宮座神事を行う人々の仲間)のあった事なども推測される。

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鳥居の右横の御神木(樹高38mの大きな御神木)は 白龍神社《主》伊勢白竜大神として祀られています

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左手には手水舎があり 正面の鳥居の先にある

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 林神社について 所在は゛林に在す゛〈現 津田神社(多気町井内林)〉と記しています

【抜粋意訳】

林神社

林は波夜之と訓べし

〇祭神詳ならず、林氏の祖神歟

○林に在す、證、俚諺、〕

 云、木祖句々廼馳、」
 勢陽俚諺云、木俣神、」共にを志らず、
連胤按るに、姓氏録、左京皇別上、河内國皇別林朝臣、』

 同、河内神別林宿禰、』
 同、諸蕃林史、林連、林等の数姓あり、此等の中の氏社も量りがたし、猶國に氏人の有無を考ふべし、

類社
 越中國砺波郡、播磨國明石郡 林神社各一座

氏人
 日本後紀、延暦二十四月丁巳、近江人正六位上 林朝臣茂継云々、附

于左京、
 續後紀、承和年正月正六位上 林朝臣常継、
 文徳録、齊衡元年十二月庚辰、散位正六位上 林朝臣並人等改姓紀朝臣と見え、此他にもあり、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

式内社 根倉神社について 所在は゛根倉村に在す゛〈現 根倉神社 跡地・國之御神社 跡地(明和町根倉)〈畠田神社に合祀 國之御神社(明和町根倉)〈國之御神社の論社〉の旧鎮座地〉〉と記しています

【抜粋意訳】

根倉神社

根倉は禰久良と訓べし

〇祭神 根倉甕星神

○根倉村に在す、證、俚諺

○御鎮座本紀云、以大土祖宇賀魂神為根倉甕星神、

〇儀式帳、神宮院行事事條多氣佐々牟延宮坐支、彼時竹首吉此古乎、汝國名何問賜支、即櫛田根倉神御田進支、」
外宮儀式帳職掌事條根倉物忌父、根倉社、二所神殿造理掃浄奉、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 林神社について 所在は゛今 相可郷 林村にあり゛〈現 津田神社(多気町井内林)〉と記しています

【抜粋意訳】

(ハヤシノ)神社

今 相可郷 林村にあり、〔神名帳考証、勢陽雑記、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

式内社 櫃倉神社について 所在は゛鍬方村の北方 河副に當れば、其 天神と稱する産神社‘〈現 津田神社(多気町井内林)〈津田神社に合祀 菅原神社(鍬形村)〈櫃倉神社の論社〉〉〉と記しています

【抜粋意訳】

(ネクラ)神社

〔〇按 式内社検録に、近長谷寺資財帳云、多氣郡相可郷十六條一當惠里十二十三坪 同六反四至、東限ニ横倉ノ社 並岡ヲとあるを條里の制にて、推考ふるに、鍬方村の北方 河副に當れば、其 天神と稱する産神社 即當社なるへしと云り、附て考に備ふ、

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 林神社について 所在は゛三重縣相可郷林村゛〈現 津田神社(多気町井内林)〉と記しています

【抜粋意訳】

(ハヤシノ)神社

祭神
祭日
社格 村社

所在 三重縣相可郷林村 (多氣郡津田村大字井内林 ) 

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

式内社 櫃倉神社について 所在は゛三重縣 (多氣郡津田村大字鍬形 )今 飯高郡鍬形村゛〈現 津田神社(多気町井内林)〈津田神社に合祀 菅原神社(鍬形村)〈櫃倉神社の論社〉〉と記しています

【抜粋意訳】

倉神社

祭神
祭日
社格 (村社)

(明細帳 飯高郡に鍬形村なし 多気郡根倉村に根倉神社あれども 彼は葭原神社なりと由緒中にありて 當社に一定せず 兎に角 判明せず)

所在 三重縣 (多氣郡津田村大字鍬形 )今 飯高郡鍬形村

 今按 檢錄に近長長谷寺資財帳云 多氣郡相可郷十六條一當惠里十二十三坪同六反 四至東限 社並岡南峯 西限 公田 北限 櫛田河とあるを 條里の制にて 推按ずるに相可郷の西極 北牧より東一里の内 十二十三坪の地は鍬方村の北方河副にあたるべければ 其處に在る天神と稱する神社即 當社なるべきこと明亮なり 然るを神名帳考證に横を根の誤字として根倉村に當社を配するは疎忽なり迷ふべからずと云るはまさりて聞ゆ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

津田神社(多気町井内林) (hai)」(90度のお辞儀)

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伊勢国 式内社 253座(大18座・小235座)についてに戻る

一緒に読む
伊勢國 式内社 253座(大18座・小235座)について

伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です

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