都夫久美神社(つぶくみじんじゃ)は 『延喜式神名帳』に 河内国高安郡 都夫久美神社とある式内社ですが 明治40年(1907)12月 神社統合で 玉祖神社(八尾市)に合祀されました その後 昭和49年(1974)10月 65年ぶりに社殿を新築して 元の鎮座地に復興しました
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(shrine name)】
都夫久美神社(tsubukumi shrine)
(つぶくみじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (location) 】
大阪府八尾市水越8丁目
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》宇摩志摩治命(umashimaji no mikoto)
※ 合祀2神 明治5年(1872)(大阪府誌・1903)ともあります
《合》軻遇突智命(kagutsuchi no kami)
《合》大歳神(otoshi no kami)
【御神格 (God's great power)】
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代は不明
【由 緒 (history)】
都夫久美神社
延喜式神名帳では小社に列せられており、古代の大豪族 物部(もののべ)氏の祖 宇摩志摩治命(うましまじのみこと)を祭神とする。
ヅブクミという社名は、物部氏の一族 積組連(つぶくみのむらじ)に由来する。(新撰姓氏録による)
近世頃には 香森大明神と呼ばれ 社地を中の森と言っていた。この神社の西方には 弥生時代の集落跡である水越遺跡が広がっており その関連がうかがえる。
平成4年3月 八尾市教育委員会境内案内石碑より
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)The shrine record was completed in December 927 AD.
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)河内国 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)
・小90座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)高安郡 10座(大4座・小6座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社名 ] 都夫久美神社
[ふ り が な ](つふくみの かみのやしろ)
[How to read ](tsufukumi no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』に『河内国高安郡 都夫久美神社』とある式内社ですが 明治40年(1907)12月「玉祖神社(八尾市)」に合祀されましたが 旧社地に復興します
玉祖神社は 江戸時代には 高安郡の総氏神として「本社 三所大明神」と呼ばれ三座の神を祀っていたと伝わります
「玉祖大明神縁起」によると
玉祖神社は 三所大明神と呼ばれた神仏習合の神は 次の通りです
・第一 玉祖大明神 十一面観音(男神)当社の御祭神(神立)
・第二 香森大明神 釈迦如来 (女神)都夫久美神社の神(水越)
・第三 鴨森大明神 地蔵菩薩 (男神)鴨神社の神(大竹)
玉祖神社は 水越・大竹など近傍の集落の氏神を包括していたようです
都夫久美神社は この第二の神として 氏神の座を明け渡していたようです
明治時代 以後については 下記に詳しくあります
都夫久美神社
明治40年12月6日、神社統合で玉祖神社へ移され、社殿は佐麻多度神社の境内末社である天満宮の本殿として移築された。
その後 昭和49年10月13日、65年ぶりに社殿を新築、復興し、ご神体も玉祖神社から帰った。この神社にも力石が2つ残っている。
【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室 市政情報課・八尾市郷土文化研究会、1999年)より抜粋】 一般社団法人 八尾市観光協会HPよりhttp://www.yaomania.jp/data/InfoDetail.asp?id=1250
明治遷座以前の都夫久美神社の本殿は 佐麻多度神社「境内の天満宮」の本殿として祀られています
神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
近鉄信貴線 服部川駅から 1.2km 徒歩17分程度
玉祖神社の境内から 真っ直ぐに下った道沿いに鎮座します
都夫久美神社(tsubukumi shrine)に到着
境内の左手には 現在地が 旧社地であった頃の石碑があります
「式内 都夫久美神社 址」「皇紀 二千六百年 記念 氏子中」と刻まれていますので 昭和15年(1940)に建てられたかと思います
境内には かつての大木が残っていて その木々に囲まれるように 復興時の社殿が建っています 社殿の横には だんじり倉庫「水越 太鼓台格納庫」が建っています
拝殿の前には 鳥居が建てられていて扁額には「都夫久美神社」とあります 一礼して鳥居をくぐり抜けると すぐに狛犬が構えて 拝殿となります
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿の裏は 一段高い土地(旧本殿地か?)があり その後ろを川が流れています 稲作を彷彿とさせる この辺り独特のため池などがあり 神の地であったことを想像できます 写真はため池ですが 水草が生い茂り畑のように見えます
境内に戻り 社殿に向けて 振り返り一礼します
神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
当社の創建年代は不明で 神階授与の記録もありません 創建後の経緯も不明
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』に『河内国高安郡 都夫久美神社』とある式内社です
都夫久美神社(tsubukumi shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
明治時代から昭和時代まで 合祀先であった玉祖神社(八尾市)の記事もご覧ください
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玉祖神社(八尾市神立)
玉祖神社(たまのおやじんじゃ)は 和銅3年(710)周防国一之宮「玉祖神社」から分霊を勧請したもので 御祭神は櫛明玉命です 通称「高安明神」とも呼ばれていて 高安11ヶ村の氏神です 鎮座地は 生駒・信貴連山の中腹の高台にあり 社頭にある「大楠」から一望する 河内平野は絶景です
河内国 式内社 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣)について に戻る
河内国(かは〈わ〉ちのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 河内国の 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣)の神社のことです
河内国 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣)