実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

豐受大神宮〈外宮〉(伊勢市豊川町)〈伊勢神宮〉

豊受神宮(とようけだいじんぐう・とようけのおほかみのみや)は 今から約1500年前 内宮の御祭神 天照大御神のお食事を司る御饌都神(みけつかみ)として 丹波国から現在の地にお迎えされました 御饌殿では 今日も神々に食事を供える日別朝夕大御饌祭が続けられています 内宮に対して外宮と並び称され 衣食住 産業の守り神としても崇敬されています

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

豊受神宮(Toyouke daizingu

通称名(Common name)

外宮(げくう)
・伊勢神宮 外宮(いせじんぐう げくう)

【鎮座地 (Location) 

三重県伊勢市豊川町279

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》豊受大御神(とようけのおみかみ)

《配》相殿神三座〈御伴神(みとものかみ)三座 ・東一座・西二座〉

相殿神三座について 次の三座とする説もある
・天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほににぎのみこと)
・天児屋根命(あめのこやねのみこと)
・天太玉命(あめのふとだま)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

・衣食住・広く産業の守護神

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

伊勢の神宮

 神宮は、皇大神宮(こうたいじんぐう) (内宮 ないくう)と豊受大神宮(とようけだいじんぐう) (外宮 げくう)の両正宮(しょうぐう)を中心として、十四所の別宮(べつぐう)を数える摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)・所管社(しょかんしゃ)からなりたっている。

豊受神宮(外宮

 豊受神宮には豊受大御(とようけのおおみかみ)をおまつり申し上げる。
第二十一代雄略(ゆうりゃく)天皇の御代 (約千五百年前)に、天照大御神のご神慮によって、丹波(たんば)の国 (現在の京都府北部 )から、この度会(わたらい)の山田原におむかえしたと伝えられる。豊受大御神は、天照大御神のおめしあがりになる大御饌(おおみけ)(食物)の守護神であり、私たちの暮らしをささえる産業の守り神である。

 豊受神宮には四所の別宮がある。別宮は、ご正宮 (本宮 ほんぐう)の「わけみや」の意味で、ご正宮についで尊崇されるお宮である。豊受神宮の域内には多賀宮(たかのみや)、土宮(つちのみや)、風宮(かぜのみや)の三宮がご鎮座になり、域外には月夜見宮がご鎮座される。

 多賀宮は、豊受神宮の第一別宮である。豊受大御荒御魂(とようけおおみかみのあらみたま)をおまつり申し上げる。荒御魂とは、和御魂(にぎみたま)のご神霊(しんれい)に対して、格別顕著なご神威を発揚(はつよう)されるご神霊である。ご正宮に引続いて祭典が奉仕され、祈年祭(きねんさい)、神嘗祭(かんなめさい)、新嘗祭(にいなめさい)の奉幣(ほうへい)の儀には勅使(ちょくし) (天皇のお使い)が参向される。

 土宮は、豊受神宮の宮地の地主(じぬし)の神、大土御祖神(おおつちみおやのかみ)をおまつり申し上げる。

 風宮は、風の神、級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸辺命(しなとべのみこと)をおまつり申し上げる。農業に関係深い風と雨の順調をお祈りする。

 月夜見宮は、伊勢市宮御(みやじり)にご鎮座される。月夜見尊(つきよみのみこと)と月夜見尊荒御魂(つきよみのみことあらみたま)をおまつり申し上げる。
皇大神宮別宮の月讀宮におまつり申し上げる、月讀尊と御同神である。
神宮配布紙より

【由  (History)】

豊受神宮(とようけだいじんぐう)(外宮 げくう

御祭神 豊受大御神(とようけのおおみかみ)
御鎮座 雄略(ゆうりゃく)天皇二十二年

 豊受大御神はお米をはじめ衣食住の恵みをお与えくださる産業の守護神(しゅごしん)です

 約千五百年前の雄略天皇の御代に丹波国(たんばのくに) (現在の京都府北部 )から天照大御神(あまてらすおおみかみ)のお食事をつかさどる御饌都神(みけつかみ)としてお迎え申し上げました

 御垣内(みがきうち)の御饌殿(みけでん)では毎日朝タの二度 天照大御神に神饌(しんせん)をたてまつるお祭りがご鎮座以来絶えることなく行われています

 御遷宮(ごせんぐう)は内宮と同じく二十年に一度行われ平成二十五年十月五日に第六十二回式年遷宮が行われました

現地案内板より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・案内図

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勾玉池〈まがたまいけ〉

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大庭〈おおば〉

九丈殿と五丈殿の前の石原

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清盛楠〈きよもりくす〉

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三ツ石(みついし)

三ツ石は 川原祓所〈かわらのはらえしょ〉場所を示す石です

式年遷宮〈20年に一度の様々な祭祀は 遷宮諸祭<せんぐうしょさい>゛と云い その時 修祓を行う場所が「川原祓所<かわらのはらえしょ>」です
この三ツ石の前には 五色の幣串<ごしきのへいぐし>という特別な御幣<ごへい>を立てて修祓が行われます

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忌火屋殿〈いみびやでん〉

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御厩〈みうまや〉

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九丈殿〈くじょうでん〉五丈殿〈ごじょうでん〉

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旧豊宮崎文庫 〈きゅうとよみやざきぶんこ〉

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宮の別宮・摂社・末社について

外宮 別宮(べつぐう)4宮

別宮とは ゛正宮のわけみや゛の意味
神宮の社宮のうち正宮に次いで尊いとされます

多賀宮 (たかのみや)外宮の別宮〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 髙宮(大 月次 新嘗)(たかのみや)

・多賀宮〈豊受神宮(外宮)別宮〉
《主》豊受大御神荒御魂(とようけのおおみかみのあらみたま)

一緒に読む
多賀宮〈豊受⼤神宮(外宮)別宮〉

多賀宮(たかのみや)〉は 今から約1500年前 第21代 雄略天皇22年 天照大御神の御神勅によって豊受大御神が丹波の国から御饌都神として迎えられ 豊受大神宮が創立されたのと同時に創建されたと伝えられています 豊受大神宮(外宮)には・多賀宮・土宮・月夜見宮・風宮の四別宮があり その第一の宮とされます

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土宮 (つちのみや)外宮の別宮〉

土宮〈豊受神宮(外宮)別宮〉
《主》大土御祖神(おおつちみおやのかみ)

一緒に読む
土宮〈豊受大神宮(外宮)別宮〉

土宮(つちのみや)は 外宮鎮座以前から山田原に祀られていた鎮守神でした 外宮が鎮座した後 宮域の゛地主神゛となり その後 大治3年(1128)宮川の洪水から外宮を守る堤防の守護神として゛別宮゛に昇格しました ご祭神は大土乃御祖神(おほつちのみおやのかみ)で 神域内の御池にかかる「亀石」を渡った西側に 他の宮とは異なり〈外宮鎮座以前の姿のまま〉社殿は東を向き鎮座します

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月夜見宮 (つきよみのみや)伊勢市宮後

延喜式内社 伊勢國 度會郡 月夜見神社(つきよみの かみのやしろ)

・月夜見宮〈豊受神宮(外宮)別宮〉
《主》月夜見尊(つきよみのみこと)月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)

一緒に読む
月夜見宮〈豊受⼤神宮(外宮)別宮〉

月夜見宮(つきよみのみや)は 古くは 高河原(たかがわら)と呼ばれ 農耕の神を祀る神社であったと云います 延喜式〈927年12月編纂〉式内社 伊勢國 度會郡 月夜見神社(つきよみの かみのやしろ)の時は 外宮摂社の首位でした その後 土御門天皇の承元四年(1210)土宮の嘉例に淮じ豊受大神宮(外宮)の別宮に昇格しました

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風宮 (かぜのみや)外宮の別宮〉

風宮〈豊受神宮(外宮)別宮〉
《主》級長津彦命(しなつひこのみこと)級長戸辺命(しなとべのみこと)

一緒に読む
風宮〈豊受大神宮(外宮)別宮〉

風宮(かぜのみや)は 鎌倉時代 蒙古襲来・2度の元寇(1274年文永の役・1281年弘安の役)の時 伊勢の神風を吹かせ給い 国難を救ったと伝えられ 皇大神宮(内宮)の風日祈宮(かざひのみのみや)とともに 末社の格「風神社(かぜのかみのやしろ)」から 正応6年(1293)豊受大神宮(外宮)別宮に昇格し゛風宮゛と号します

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外宮 摂社(せっしゃ)16社

摂社は 『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に記載の神社
〈定義では 正宮 別宮を除く 摂社は全て式内社〉
※戦国時代に ほぼすべてが廃絶となり 江戸時代の寛永年間(1624~1644年)~明治初頭(1870年代頃)にかけて復興されたものです

1.草奈伎神社 (くさなぎじんじゃ)〈宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 草名伎神社(くさなきの かみのやしろ)

・草奈伎神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

一緒に読む
草奈伎神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

草奈伎神社(くさなぎじんじゃ)は 豊受⼤神宮(外宮)の第一摂社であり その祭神は・神名祕書に草薙劔・類聚神祇本源所引の社記に標劔杖(ミシルシノツルギ)とあります 中世に頽廃しましたが 正保二年(1645)に現在地に再興されています 延喜式内社 伊勢国 度會郡 草奈伎神社(くさなきの かみのやしろ)です

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2.大間生神社二座 (おおまくなりじんじゃ)〈宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 大間國生神社(をほまの くななりの かみのやしろ)

・大間國生神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉

一緒に読む
大間國生神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

大間國生神社(おおまくなりじんじゃ) 〈豊受大神宮(外宮)摂社〉は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 大間國生神社(をほまの くななりの かみのやしろ)です 『倭姫命世記』に゛雄略天皇二十二年(478)の條に大若子(オホワカゴ)命の社を定む 大間社是なり゛とあります 中世に廃絶し 江戸時代に現在地に祀られました 玉垣内には 正殿が二殿〈大間社(祭神・大若子命)國生社(祭神・乙若子命)〉あります

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3.度会御神社 (わたらいくにみじんじゃ)〈宮域の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 度會國御神社(わたらひの くにみの かみのやしろ)

・度會國御神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

一緒に読む
度會國御神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

度会国御神社(わたらい くにみ じんじゃ)は  豊受大神宮(外宮)宮域内に鎮座する摂社です しかし かつての鎭座地は宮域外とされ『度會元長の内外宮諸社記』に 室町時代の文明(1469~1487)の頃までは 豊受大神宮の神域より堀を隔てた所〈現在の山田工作場の辺り〉と記載があり その後頽廃して社地を失い 正保二年(1645)に禰宜 常晨が その位置に再興したが 古今その旧社地には諸説があり定まっていません

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4.度会大国玉比賣神社 (わたらいおおくにたまひめじんじゃ)〈宮域の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 度會乃大國玉比賣神社(わたらひの をほくにたまひめの かみのやしろ)

・度會乃大國玉比賣神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

一緒に読む
度會乃大國玉比賣神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

度會大國玉比賣神社(わたらいおほくにたまひめじんじゃ)は 神武天皇の御代 伊勢国造の祖・天日別命(あめのひわけのみこと)が伊勢の國覓(くにまぎ)〈平定〉の時 地主神に梓弓を以て橋と為して出迎えられ 歓んで゛刀自に度り會ひぬ゛と云い度會の名を為したという故事を持つ古社で 中世時代にも頽廃せずに祭祀が継続されていた神社であったと伝わる 豊受大神宮(外宮)摂社です

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5.田上大水神社 (たのえおおみずじんじゃ)〈宮域外の摂社〉
6.田上大水御前神社 (たのえおおみずみまえじんじゃ)〈宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 田上大水神社(たのへのおほみつの かみのやしろ)

・田上大水神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

一緒に読む
田上大水神社〈御同座 田上大水御前神社〉〈豊受大神宮(外宮)摂社〉

田上大水神社(たのえおおみずじんじゃ)・御同座 田上大水御前(たのえおおみずみまえ)神社は 『止由気宮儀式帳〈延暦23年(804)〉』に記載ある古社ですが 中世に頽廃してしまい 権禰宜 出口延良が承応元年(1652)度会四門の氏人らとともに現地に再建したものです 寛文三年の再興では取り上げられず 明治四年の神宮御改正までは氏人により社殿の造替えが続けられました

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7.志等美神社 (しとみじんじゃ)〈宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 志等美神社(しとみの かみのやしろ)

・志等美神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

一緒に読む
志等美神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

志等美神社(しとみじんじゃ)は 豊受大神宮(外宮)の摂社として『止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に゛蔀野井庭(シトミノヰバ)神社゛と載り 『延喜式神名帳(927年)』に伊勢國 度會郡 志等美神社(しとみの かみのやしろ)と所載ある古社 中世に廃絶して旧址も不明でしたが 明治十六年(1883)神宮司廳による研究の結果 現在地に奉遷

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8.大河内神社 (おおこうちじんじゃ)〈宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 大川内神社(おほかはちの かみのやしろ)

・大河内神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

一緒に読む
大河内神社(伊勢市辻久留)〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

大河内神社(おおこうちじんじゃ)は 豊受大神宮(外宮)の摂社で『止由気宮儀式帳』〈延暦23年(804)〉に゛大河内社゛と載り 『延喜式神名帳(927年)』に伊勢國 度會郡 大川内神社(おほかはちの かみのやしろ)と載る古社 中世に廃絶して旧址も不明でしたが 明治十六年(1883)神宮司廳による研究の結果 現在地に奉遷

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9.清野井庭神社 (きよのいばじんじゃ)〈宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 清野井庭神社(しのヰての かみのやしろ)

・清野井庭神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

一緒に読む
清野井庭神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

清野井庭神社(きよのいばじんじゃ)は 『止由気宮儀式帳』〈延暦23年(804)〉に載る豊受大神宮(外宮)の摂社で 『延喜式神名帳〈927 AD.〉』には伊勢國 度會郡 清野井庭神社(しのゐての かみのやしろ)と所載される古社です 中世に頽廃し社地不明となりました 現在の社地は 寛文三年(1663)大宮司・河邊精長により 再興されたものです

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10.高河原神社 (たかがわらじんじゃ)〈宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 川原坐國生神社(かわはらのます くなりの かみのやしろ)

・高河原神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

一緒に読む
高河原神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉(月夜見宮 域内)

高河原神社(たかがわらじんじゃ) は 豊受大神宮(外宮)の摂社です 『延喜式神名帳927 AD.』所載 伊勢國 度會郡 川原坐國生神社(かわはらのます くなりの かみのやしろ)とされます その後 応永26年(1419)に焼失し 近世には社地不明となりましたが 寛文3年(1663)現社地(月夜見宮 域内)に再興されました

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11.河原神社 (かわらじんじゃ)〈宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 川原大社(かはらの おほやしろ)

・河原神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

一緒に読む
河原神社〈御同座 毛理神社〉〈豊受大神宮(外宮)摂社〉

河原神社(かわらじんじゃ)〈御同座 毛理神社(もりじんじゃ)〉は どちらも『延曆儀式帳(804年成立)』に川原社(かはらのやしろ)毛理社(もりのやしろ)と記載される千年以上の古社 川原社は寛文三年に当地に再興された『延喜式神名帳(927年)』所載の伊勢國 度會郡 川原大社(かはらの おほやしろ)の論社 毛理社は明治三年(1870)に御同座御再興されて 今日に至ります

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12.河原淵神社 (かわらぶちじんじゃ)〈宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 川原淵神社(貞)(かはらふちの かみのやしろ)

・河原淵神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

一緒に読む
河原淵神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

河原淵神社(かわらぶちじんじゃ) 〈豊受大神宮(外宮)摂社〉は 延喜式内社 伊勢國 度會郡 川原淵神社(かはらふちの かみのやしろ)に比定される古社です 中世に社地が湮滅し 寛文三年(1663)船江町檜尻(ひのきじり)の檜尻社の境内に再興されました この檜尻社が 式内社 川原大社(かはらの おほやしろ)の論社になっています 明治十一年(1878)現社地に遷座しました

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13.山末神社 (やまずえじんじゃ)〈宮域の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 山末神社(やますえの かみのやしろ)

・山末神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

一緒に読む
山末神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

山末神社(やまずえじんじゃ)は 豊受大神宮(外宮)の摂社 『止由気宮儀式帳〈延暦23年(804)〉』には゛山末社(やまずえのやしろ)゛とあり 『延喜式神名帳〈927 AD.〉』には 伊勢國 度會郡 山末神社(やますえの かみのやしろ)と記載されます 中世に廃絶し 廃亡した為 寬文三年(1663)に旧地が判明せず 現在地に再興されたものです

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14.宇須乃野神社 (うすののじんじゃ)〈宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 宇須乃野神社(うすののの かみのやしろ)

・宇須乃野神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

一緒に読む
宇須乃野神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉〈御同座 縣神社(外宮 末社)〉

宇須乃野神社(うすののじんじゃ) 〈御同座 縣神社(あがたじんじゃ)〉は 豊受大神宮(外宮)の摂社・末社で 両社ともに『止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に載る古社です 中世に廃絶し社地も不明となり 寛文三年(1663)宇須乃野神社は現在地に再興され 明治三年(1870)縣神社は御同座されました

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15.御食神社 (みけじんじゃ)〈宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 御食神社(みけの かみのやしろ)

・御食神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

一緒に読む
御食神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

御食神社(みけじんじゃ) 〈豊受大神宮(外宮)摂社〉は 『倭姫命世紀』には 倭姫命が皇大神宮御遷幸の時 鷲取老翁(わしとりのをきな)が清水を奉り その功績を賞し 水饗社(みけのやしろ)を定めたと起源を傳えている 中世に廃絶しますが 寛文3年(1663)現社地で再興されました 延喜式内社 伊勢國 度會郡 御食神社(みけの かみのやしろ)とされます

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16.小俣神社 (おばたじんじゃ)〈宮域外の摂社〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 小俣神社(をまたの かみのやしろ)

・小俣神社〈豊受⼤神宮(外宮)摂社〉

一緒に読む
小俣神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉&八柱神社(伊勢市小俣町元)

小俣神社(おばたじんじゃ)は 『止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に載る古社で 豊受大神宮(外宮)の摂社です 中世に頽廃するも 産土神として八王子祠と称し里人に祀られてきました 小俣神社は 寛文三年(1663)現地に一社両殿として再興されました 明治6年(1873)境内を〈神宮側・村側〉の二等分にして現在に至ります

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外宮 末社(まっしゃ)8社

末社は 『延暦儀式帳』に記載される神社〈正宮 別宮 摂社を除く〉

1.伊我理神社 (いがりじんじゃ
2.県神社 (あがたじんじゃ
3.井中神社 (いなかじんじゃ
4.打懸神社 (うちかけじんじゃ
5.赤崎神社 (あかさきじんじゃ
6.毛理神社 (もりじんじゃ-)
7.大津神社 (おおつじんじゃ
8.志宝屋神社 (しおやじんじゃ

外宮 所管社(しょかんしゃ)4社

所管社は 正宮・別宮・摂社・末社以外の神社

1.御酒殿神 (みさかどののかみ)
2.四至神 (みやのめぐりのかみ)
3.上御井神社 (かみのみいのじんじゃ
4.下御井神社 (しものみいのじんじゃ

 詳しくは お伊勢さん125社について

一緒に読む
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉

゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次

月次祭つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)
「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」

大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています

【抜粋意訳】

月次祭つきなみのまつり

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 三百四座 並大社 一百九十八所

座別に絁五尺、五色の薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、倭文纏刀形(まきかたなかた)、絁の纏刀形、布の纏刀形各一口、四座置一束、八座置一束、弓一張、靫(ゆき)一口、楯一枚、槍鋒(ほこのさき)一竿、鹿角一隻、鍬一口、庸布一丈四尺、酒四升、鰒、堅魚各五両、腊二升、海藻、滑海藻、雑の海菜各六両、堅塩一升、酒坩(かめ)一口、裹葉薦五尺、祝詞(のとこと)座料短畳一枚、

前一百六座
座別絁五尺、五色薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、四座置一束、八座置一束、楯一枚、槍鋒一口、裹葉薦五尺、
 右所祭之神、並同祈年、其太神宮(かむのみや)、度会宮(わたらひのみや)、高御魂神(たかむすひのかみ)、大宮女神(おほみやめのかみ)には各加ふ馬一疋、〈但太神宮、度会宮各加籠(おもつを)頭料庸布一段、〉
前祭五日、充忌部九人、木工一人を、令造供神調度を、〈其監造并潔衣食料、各准祈年、〉祭畢即中臣の官一人率て宮主及卜部等を、向て宮内省に、卜の定供奉神今食に之小斎人(みのひと)を、
供神今食料
 紵一丈二尺、〈御巾料、〉絹二丈二尺、〈篩(ふるい)の料、〉絲四両、〈縫篩等料、〉布三端一丈、〈膳部巾料、〉曝布一丈二尺、〈覆水甕料、〉細布三丈二尺、〈戸座襅(へさたまき)并褠料、〉木綿一斤五両、〈結ふ御食(みけ)料、〉刻柄(きさたるつか)の刀子二枚、長刀子十枚、短刀子十枚、筥六合、麁(あら)筥二合、明櫃三合、御飯、粥料米各二斗、粟二斗、陶瓼(すえのさかけ)[如硯瓶以上作之]瓶【瓦+并】(かめ)各五口、都婆波、匜(はふさ)、酒垂各四口、洗盤、短女杯(さらけ)各六口、高盤廿口、多志良加[似尼瓶]四口、陶鉢八口、叩盆四口、臼二口、土片椀(もひ)廿口、水椀八口、筥代盤(しろのさら)八口、手洗二口、盤八口、土の手湯盆(ほん)[似叩戸采女洗]二口、盆(ほとき)四口、堝十口、火爐二口、案(つくえ)十脚、切机二脚、槌二枚、砧二枚、槲四俵、匏廿柄、蚡鰭(えひのはた)槽[供御手水所]二隻、油三升、橡の帛三丈、〈戸の座服の料、冬絁一疋、綿六屯、履一両、〉
右供御の雑物は、各付内膳主水等の司に、神祇官の官人率神部等を、夕暁(よひあかつき)両般参入内裏に、供奉其の事に、所供雑物、祭訖て即給中臣忌部宮主等に、一同し大甞会の例に、

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式Engishiki)』巻2四時祭下」「九月祭 伊勢太神宮神嘗祭

【抜粋意訳】

 神祇 四時祭下 九月祭

伊勢太神宮(イセノヲホンカムノミヤノ)神嘗祭(カンナメマツリ)

幣帛二筥 內藏寮供設。絁三疋,絲八絇。倭文一端一丈。席二枚,鞍二具,馬四疋。籠頭料布一端一丈四尺。

 右,當月十一日平旦,天皇(スヘラミコト)臨大極後殿奉幣。事見儀式。
其使諸王五位已上,及神祇官中臣、忌部,官各一人給當色。執幣五人,使從者三人,各給潔衣布一端。但齋王初參入之時,設御座於大極殿。事見儀式。

【原文参照】

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『延喜式Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭

嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り

式内大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われ
春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する

【抜粋意訳】

新嘗祭(にいなめのまつり)

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所

座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿
社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺

前一百六座
座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を
右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る
伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に

【原文参照】

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『延喜式Engishiki)』巻4神祇四 伊勢太神宮

「巻四 神祇四 伊勢太神宮」には 伊勢大神宮式が述べられています
この式は 伊勢大神宮および豊受大神宮に関する諸規定を集めたもので 伊勢大神宮に属する三箇神郡 (度会・多気・飯野郡)に関する規定含まれ 年中の儀式とその祭料が記されています

【抜粋意訳】

伊勢太神宮

太神宮三座。【在度會郡宇治鄉五十鈴河上。】
天照太神一座
相殿神二座
禰宜一人,從七位官。大內人四人,物忌九人。【童男一人,童女八人。】父九人,小內人九人。

荒祭宮一座。【太神荒魂,去太神宮北二十四丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗、神衣等祭供之。

伊佐奈岐宮二座。【去太神宮北三里。】
伊弉諾尊一座
伊弉冊尊一座

月讀宮二座。【去太神宮北三里。】
月夜見命一座
荒魂命一座

瀧原宮一座。【太神遙宮。在伊勢與志摩境山中。去太神宮西九十餘里。】 

瀧原並宮一座。【太神遙宮。在瀧原宮地內。】 

伊雜宮一座。【太神遙宮。在志摩國答志郡。去太神宮南八十三里。】
右諸別宮,祈年、月次、神嘗等祭供之,就中瀧原並宮。伊雜宮不預月次,其宮別各內人二人。【其一人用八位已上,并蔭子孫。】物忌、父各一人,但月讀宮加御巫、內人一人。

度會宮四座。【在度會郡沼木鄉山田原,去太神宮西七里。】
豐受太神一座
相殿神三座
禰宜一人,【從八位官。】大內人四人,物忌六人,父六人,小內人八人。

多賀宮一座。【豐受太神荒魂,去神宮南六十丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗等祭供之。
凡二所太神宮禰宜、大小內人、物忌,諸別宮內人、物忌等,並任度會郡人。【但伊雜宮內人二人、物忌、父等,任志摩國神戶人。】

諸社卌座。
太神宮所攝廿四座
朝熊社 園相社 鴨社 田乃家社 蚊野社 湯田社 大土御祖社 國津御祖社 朽羅社 伊佐奈彌社 津長社 大水社
久具都比賣社 奈良波良社 榛原社 御船社 坂手國生社 狹田國生社 多岐原社 川原社 大國玉比賣社 江神社 神前社 粟皇子社
度會宮所攝十六座
月夜見社 草名伎社 大間國生社 度會國御神社 度會大國玉比賣社 田上大水社 志等美社 大川內社 清野井庭社 高河原社 河原大社 河原淵社
山末社 宇須乃野社 小俣社 御食社 右諸社,並預祈年、神嘗祭。

以下略

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273518/1/70

『延喜式Engishiki)』巻八 神祇八 祝詞(ノトコト)

【抜粋意訳】

伊勢太神宮

二月祈年、六月・十二月月次祭

 天皇が我御命以て氐,度會の乃宇治の乃五十鈴川上の乃下津石根に爾,稱辭竟奉る流皇太神宮の能太前に爾申く久。常も毛進る流二月祈年,【月次祭唯以六月月次之辭相換。】大幣帛を乎,某官位姓名を乎為使て天,令捧持て氐進給ふ布御命を乎申給くと久止申。

豐受宮

 天皇が我御命以て氐,度會の乃山田原の乃下津石根に爾稱辭竟奉る流豐受皇神前に爾申く久。常も毛進る流二月祈年,【月次祭唯以六月月次之辭相換。】大幣帛を乎,某官位姓名を乎為使て天,令捧持て氐進給ふ布御命を乎申給くと久止申。

四月神衣祭【九月准此。】

 度會の乃宇治五十鈴川上に爾大宮柱太敷立て天,高天原に爾千木高知て天,稱辭竟奉る留天照坐皇太神の乃太前に爾申く久。服織、麻續の乃人等の乃,常も毛奉仕る留和妙、荒妙の乃織の乃御衣を乎進事を乎申給と止申。荒祭宮にも爾毛如是申て天進と止宣。【禰宜、內人,稱:「唯。」】

六月月次祭【十二月准此。】

 度會の乃宇治五十鈴の乃川上に爾,大宮柱太敷立て天,高天原に爾千木高知て天稱辭竟奉る留,天照坐皇太神の乃太前に爾申進る留。天津祝詞の乃太祝詞を乎神主部、物忌等諸聞食と止宣。【禰宜、內人等,共稱:「唯。」】

 天皇が我御命に爾坐,御壽を乎手長の乃御壽と止,湯津如磐村常磐堅磐に爾,伊賀志御世に爾幸倍給ひ比,阿禮坐皇子等をも乎毛惠給ひ比。百官人等、天下四方國の能百姓に爾至まで萬天,長平く久作食る留五穀をも乎毛豐に爾令榮給ひ比,護惠ひ比幸給と止,三郡國國處處に爾,御調絲,由貴の能御酒、御贄を乎,如海山置足成て天。大中臣、太玉串に爾隱侍て天。今年六月十七日の乃朝日の乃豐榮登に爾稱申事を乎。神主部、物忌等諸聞食と止宣。【神主部共稱:「唯。」】荒祭宮、月讀宮にも爾毛,如是く久申進と止宣。【神主部亦稱:「唯。」】

九月神嘗祭

 皇御孫命御命以,伊勢の能度會五十鈴河上に爾,稱辭竟奉る流天照坐皇太神の能太前に爾申給く久。常も毛進る流九月之神嘗の乃大幣帛を乎,某官某位某王、中臣某官某位某姓名を乎為使て氐。忌部弱肩に爾太襁取懸,持齋はり波理令捧持て氐。進給ふ布御命を乎申給くと久止申。

豐受宮同祭

 天皇が我御命以て氐,度會の能山田原に爾,稱辭竟奉る流皇神前に爾申給く久,常も毛進る留九月之神嘗の能大幣帛を乎,某官某位某王、中臣某官某位某姓名を乎為使て氐。忌部弱肩に爾太襁取懸,持齋はり波理令捧持て氐,進給ふ布御命を乎申給くと久止申。

同神嘗祭

 度會の乃宇治の能五十鈴の乃川上に爾大宮柱太敷立て氐,高天原に爾千木高知て天,稱辭竟奉る留天照坐皇太神の乃太前に爾,申進る留天津祝詞の乃太祝詞を乎,神主部、物忌等諸聞食と止宣。【禰宜、內人等,共稱:「唯。」】

 天皇が我御命に爾坐,御壽を乎手長の乃御壽と止,湯津如磐村常磐堅磐に爾,伊賀志御世に爾幸倍給ひ比,阿禮坐皇子等をも乎毛惠給ひ比,百官人等、天下四方國の乃百姓に爾至まで萬天,長平く久護惠美幸ひ比給と止。三郡國國處處寄奉れる禮留神戶人等の能,常も毛進る留由紀の能御酒、御贄,懸稅千稅餘五百稅を乎,如橫山く久置足成て天,大中臣,太玉串に爾隱侍て天,今年九月十七日朝日豐榮登に爾,天津祝詞の乃太祝詞辭を乎稱申事を乎,神主部、物忌等諸聞食と止宣。【禰宜、內人等稱:「唯。」】荒祭宮、月讀宮にも爾毛,如此く久申進と止宣。【神主部共稱:「唯。」】

齋內親王奉入時

 進神嘗幣詞申畢,次即申云。辭別て氐申給く久。今進る流齋內親王は波,依恒例て氐,三年齋ひ比清まはりて麻波理氐,御杖代と止定て氐進給事は波,皇御孫之尊を乎天地日月と止共に爾,常磐、堅磐に爾平けく氣久安く久御座坐しめむと志米武止,御杖代と止進給ふ布御命を乎。大中臣茂桙中取持て氐。恐美恐美も毛申給くと久止申。

遷奉太神宮祝詞【豐受宮准此。】

 皇御孫の能御命を乎以て氐,皇太御神の能太前に爾申給く久。常の乃例に爾依て氐,廿年に爾一遍ひ比,大宮新仕奉て氐。雜御裝束物五十四種,神寶廿一種を乎儲備て天,祓清め賣持忌はりて波理氐,預供奉辨官某位某姓名を乎差使て氐,進給狀を乎申給くと久止申。

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273537/1/17

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小34座)

[名神大 大 小] 式内大社

[旧 神社 名称 ] 度會宮四座 相殿坐神三座 並大 月次新嘗
[ふ り が な ]わたらひのみや しくら
[Old Shrine name]Watarahi no miya shikura

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻十五 內藏寮

【抜粋意訳】

內藏寮 諸祭幣帛

伊勢太神宮祭

錦一疋,【寮物。】兩面一疋,深紫綾、淺紫綾、緋綾、中綠綾、黃綾各一疋,【已上五綾若無者。用生綾。】白綾一疋,【以上太神宮幣料。】緋、中縹、黃、皂帛各一疋,【以上度會宮幣料。】盛裹料柳筥二合,【各方一尺四寸,宮別一合。餘祭筥准此。】庸布二段,木綿小二斤,葉薦一枚,【分用兩宮。已上官物。】

右,件幣預前依例擬備。九月十一日平旦,寮官一人率史生一人,藏部二人,執件幣物,於大極後殿下候之。內侍已下四人從內退出,依例裹修。訖寮取置案上,立葉薦上。臨時幣帛亦同。

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

元伊勢(もといせ)伝承をたずね

 皇大神宮(内宮)の御祭神は 皇祖神 天照大御神です
かつて 天照大御神と天皇は〈共に皇居内に祀られていた〉゛同床共殿゛であったと伝えらています
やがて 第10代 崇神天皇の時代 崇神天皇6年(BC92年)疫病を鎮めるべく 従来から宮中に祀られていた天照大神と倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外に遷したと伝わります

それは゛同床共殿゛の状態を畏怖した崇神天皇が 皇女・豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)に その神霊を託して 倭国 笠縫邑 磯城の厳橿の本に゛磯堅城の神籬゛を立てたことに始まり さらに理想的な鎮座地を求めて各地を転々と遷座し  第11代 垂仁天皇の第四皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)がこれを引き継ぎ およそ90年をかけて現在地三重県伊勢市宇治館町〉に遷座したとされます

遷座の経緯については
『古事記』では記載なし
『日本書紀』では簡略に
『皇太神宮儀式帳』にやや詳しく
中世の『神道五部書』の一書 『倭姫命世記』に より詳しく記される

元伊勢(もといせ)とは 〈伊勢神宮皇大神宮(内宮) 現在地三重県伊勢市宇治館町に定まるまで 遷座を繰り返し その時に一時的に祀られていた場所のことで
 元伊勢の伝承地は 主に近畿・東海地方に点在します

又 豊受神宮外宮〉は 雄略天皇の時代に 丹波國の比沼乃真名井爾坐(ひぬまのまないなまします)我御饌津神(わがみけつのかみ)由氣太神(とゆけのおおかみ)を招き 度会の山田原に立派な宮殿を建て 祭祀を始められたものです その際の遷座先も゛元伊勢゛とも呼びます

元伊勢伝承は 『皇太神宮儀式帳』・『止由氣宮儀式帳』や『古語拾遺』・『延喜式』などの所伝から派生しています

詳しくは゛元伊勢(もといせ)伝承をたずねて゛

【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

伊勢市駅から 外宮の社頭まで 約450m 徒歩8分程度

外宮参道を進みます

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伊勢街道を渡れば外宮です

豊受神宮外宮伊勢市に参着

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火除橋を渡り 左手にある手水舎で清めて そのまま左側通行で参道を進むと
一の鳥居があります

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二の鳥居を過ぎると 御祈祷受付・授与所があります

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九丈殿五丈殿・四至神を過ぎると 右手に古殿地〈この時は2015年なので手前が古殿地〉

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境内の案内図は

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因みに

内宮と外宮 正宮神域の平面図
神社仏閣地図〈明治8年(1875)〉』を見ると

『[神社仏閣地図]』,多田留五郎等,明8-11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/814929 (参照 2024-01-12)

『[神社仏閣地図]』,多田留五郎等,明8-11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/814929 (参照 2024-01-12)

〈正宮神域には・正殿・西宝殿・東宝殿の3つ〉
古殿地からは・蕃塀・板垣・外玉垣 越しに・四丈殿・東宝殿・正殿の側面が見えます

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正宮の正面には 板垣に鳥居が設けられていて その前に蕃塀があります

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一般参拝位置にすすみ お祈りをします

賽銭おさめません
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと 柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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・多賀宮・土宮・風宮の別宮 摂社・末社・所管社を巡りお参りをします

 詳しくは お伊勢さん125社について

一緒に読む
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉

゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉

続きを見る

参道を戻ります

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外宮先祭(げくうせんさい)

神宮の祭典は 外宮先祭(げくうせんさい)といって まず外宮で祭儀が行われるならわしがあります
豊受大御神は 天照大御神の御饌都神ですので 内宮の祭儀に先だって御饌都神にお食事を奉る為です
祭典の順序にならい 参拝も外宮から内宮の順にお参りするのがならわしです

内宮に向かいます

・皇大神宮(内宮)

一緒に読む
皇大神宮〈内宮〉(伊勢市宇治館町)〈伊勢神宮〉

皇大神宮(こうたいじんぐう)は 私たち日本人の総氏神「伊勢へ行きたい 伊勢路が見たい せめて一生に一度でも」と全国の人々で賑わう伊勢詣が有名です 通称を゛伊勢の内宮(ないくう)゛鎮座は゛垂仁天皇26年〈今から2000年前〉 御祭神は゛皇祖神 天照大御神゛御神体は皇位のしるし三種の神器の一つ゛八咫鏡(やたのかがみ)゛です

続きを見る

神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 度會宮四座 相殿坐神三座 並大 月次新嘗について 現 豊受神宮外宮〉であると記し
その鎮座由来について 各文献『止由気宮儀式帳』『豊受皇太神御鎮座本紀』等を挙げて 雄略天皇の時代に 天照大御神が天皇の夢に現れてお告げがあり 丹波國の比沼乃真名井爾坐(ひぬまのまないなまします)我御饌津神(わがみけつのかみ)等由氣太神(とゆけのおおかみ)を招き 度会の山田原に立派な宮殿を建て 祭祀を始められたことが記されています

【抜粋意訳】

度會宮四座 相殿坐神三座 並大 月次新嘗

度曾は 郡名に同じ
〇祭神 豊受大神御食津神也
 相殿  天津彦々火瓊々杵尊、右 屋命、天太命、
○沼木郷山田原に在す、外宮と称す、神名秘書云、度會宮者外座故申外宮

○古事記、神代段 宇氣神、此者坐外宮之度相神者也、
 日本紀、神代巻下 天照大神之子 正哉吾勝々速日天忍穗耳尊、娶高皇産霊尊之女 拷幡干々姫、生 天津彦々火瓊々杵尊、
 御鎮座次第記云、左一座、皇御孫尊、御霊形金鏡坐、右二座、天屋命、霊形笏坐、牙像也、下略 太玉命、霊形瑞八坂瓊之曲玉、奉納圓筥也、下略、』
 倭姫世記云、泊瀬朝倉宮大泊瀬稚武天皇〈雄略天皇〉即位二十一年丁巳冬月、倭姫命夢教覚給久、皇太神吾一所不座、御饌毛安不聞食、故率手置帆負彦荻知二神之裔、以齋斧齋鋤等、始採山材、構立宝殿、而明年戊午秋七月七日、以大佐々命天、從 丹波國余佐郡 真井原志天、奉迎 止由氣皇大神 度遇山田原、
 外宮儀式帳云、天照坐皇太神、始 巻向玉城宮御宇天皇御世、國々処々大宮処求賜時、度曾乃 宇治乃 伊須々乃 河上乃大宮供奉、爾時 大長谷天皇 御夢爾誨覚賜天、吾高天原坐弖、見志真岐賜志処爾、志都真利坐奴、然吾一所耳坐波甚苦、加以 大御饌毛 安不聞食坐故爾、丹波國 比沼乃真名井爾坐我御饌津神、等由氣太神乎、我許欲止誨覚奉支、爾時天皇驚悟賜弖、即從 丹波國令行幸弖、度会乃山原、下石根爾宮柱太知立、高天原爾知疑高知弖、宮定齋仕奉始支、是似 御饌殿造奉弖、天照坐皇太神乃朝乃大御饌、夕乃大御饌乎 日別供奉、
 御鎭座伝記云、皇太神重託宣、吾祭奉仕之時、先須祭止山氣大神宮也、然後我宮祭事可勤仕也、故則諸祭事以止由氣宮為先也
 神名秘書云、天照大神與豊受大神則、無上之宗霊而尊無二、故異 於天下諸社、是則 天地精明之本源也、無相無為大祖也、故不記佛見法見、以無相鏡假表妙体也、

連胤云、伊勢神宮と称せば、必内外両宮の事にて、官幣以下尤異ならず、故に大神宮の下に抄出して爰には略す、大神宮の下を見るべし、

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 度會宮四座 相殿坐神三座 並大 月次新嘗について 現 豊受神宮外宮〉であると記しています

【抜粋意訳】

度會宮四座 相殿坐神三座 並大 月次新嘗

祭神 登由宇氣大神

祭日
社格
所在 三重縣沼木郷山田原

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

豊受神宮外宮伊勢市 (hai)」(90度のお辞儀)

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・皇大神宮(内宮)

一緒に読む
皇大神宮〈内宮〉(伊勢市宇治館町)〈伊勢神宮〉

皇大神宮(こうたいじんぐう)は 私たち日本人の総氏神「伊勢へ行きたい 伊勢路が見たい せめて一生に一度でも」と全国の人々で賑わう伊勢詣が有名です 通称を゛伊勢の内宮(ないくう)゛鎮座は゛垂仁天皇26年〈今から2000年前〉 御祭神は゛皇祖神 天照大御神゛御神体は皇位のしるし三種の神器の一つ゛八咫鏡(やたのかがみ)゛です

続きを見る

お伊勢さん125社について

一緒に読む
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉

゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉

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伊勢國 式内社 253座(大18座・小235座)について

伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です

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二十二社について

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二十二社について

二十二社(にじゅうにしゃ)は 平安時代中期から中世にかけて 国家の重大事や天変地異に際して朝廷から特別の奉幣に預かつた〈上七社・中七社・下八社〉二十二の神社で 当時は 最高の社格とされていた

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています