豊原神社(とよはらじんじゃ)は 古くより豊原に鎮座した五社〈大櫛神社・三熊野神社・穂卸神社・宇気比神社・宇気比神社〉が合祀令(1908)によって飯野高宮神山神社に合祀されました その後 昭和29年(1954)氏子の熱願により 神山神社から五社が復祀され元の宇気比神社(宮ノ腰)の地に新社殿が建立されたものです
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
豊原神社(Toyohara shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
三重県松阪市豊原町1910
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
飯野高宮神山神社から復祀された五社の御祭神
〈元の大櫛神社(字西町)の御祭神〉
《主》大彦命(おほひこのみこと)
〈元の三熊野神社(字東町)の御祭神〉
伊弉冊尊(いざなみのみこと)
速玉男命(はやたまをのみこと)
事解尊(ことさかをのみこと)
〈元の穂卸神社(字西出)の御祭神〉
大歳命(おほほとしのみこと)
〈元の宇気比神社(字中垣内)の御祭神〉
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
〈元の宇気比神社(字宮ノ腰)の御祭神〉
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社の復祀された神社
【創 建 (Beginning of history)】
『神社復祀の研究』に記される内容
【抜粋意訳】
・氏神鎮守社の再生 !式年遷宮祭と神社復祀に関連して—
松阪市豊原町の豊原神社は山添町の神山神社より昭和二八年に復祀されたもので、その節に伊勢神宮より古材の下賜を受けている。
【原文参照】
櫻井治男 [著]『神社復祀の研究』. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3119702
【由 緒 (History)】
豊原神社御由来之碑
古くより豊原に鎮座されていた村社大櫛神社 三熊野神社穂卸神社宇気比神社は、明治四十一年二月十一日合祀令によりて現在の宮地山添町の飯野高宮神山神社に合社神遷された。
その後明治大正昭和と歳月の流れる中、昭和二十九年三月氏子の熱願漸く成つて元宇気比神社宮地字宮ノ腰に新社殿が建立され神山神社から五社をご遷座申しあげこゝに豊原神社の創立をみたのである。
説によれば大櫛神社は多気飯野両郡に鎮座される延喜式内社五十六座の一にして人皇六十代醍醐天皇の御宇神籍に列ねられ櫛田郷に奉斎された尓来往昔には朝廷より造宮使の派遣があり神殿の造替があつた由緒高い神社であると言われる祭神は大彦命にして人皇八代孝元天皇の御子であると伝えられている。
祭神
大 彦 命大櫛神社(字西町)
伊弉冊 尊 三熊野神社(字東町)
速玉男 命 三熊野神社(字東町)
事 解 尊三熊野神社(字東町)大 歳 命穂卸神社(字西出)
天忍穂耳命宇気比神社(字中垣内)
天忍穂耳命宇気比神社(字宮ノ腰)例祭
七月十四日
十二月十五日平成六年四月吉日 建之
現地石碑文より
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢國 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多氣郡 52座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 大櫛神社
[ふ り が な ](おほくしの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ohokushi no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 伊勢國 多氣郡 大櫛神社(おほくしの かみのやしろ)の論社
・豊養稲荷大明神(松阪市豊原町)
〈飯野高宮神山神社に合祀された 大櫛神社の旧鎮座地〉
豊養稲荷大明神(ほうよういなりだいみょうじん)は 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 大櫛神社(おほくしの かみのやしろ)の旧鎮座地です 大櫛神社は 明治41年(1908)神山神社に合祀され その後 豊原神社(昭和29年創立)に5社〈大櫛神社・三熊野神社・穂卸神社・宇気比神社・宇気比神社〉と共に分祀されています
豊養稲荷大明神(松阪市豊原町)〈飯野高宮神山神社に合祀された 大櫛神社の旧鎮座地〉
・飯野高宮神山神社(松阪市山添町)
〈大櫛神社の旧鎮座地は 飯野高宮神山神社に合祀された〉
飯野高宮神山神社(いいのたかみやこうやまじんじゃ)は 『倭姫命世紀』には 垂仁天皇22年 倭姫命が天照大神の宮処を求めて遷られた゛飯野の高宮゛と載り 『延喜式』には伊勢國 飯野郡 神山神社(かむやまの かみのやしろ)と所載の古社 明治期に〈櫛田神社・流田神社・櫛田槻本神社・大櫛神社〉の4つの式内論社を合祀しました
飯野高宮神山神社(松阪市山添町)〈『倭姫命世紀』飯野の高宮〉
・豊原神社(松阪市豊原町)
〈飯野高宮神山神社に合祀された 大櫛神社の旧鎮座地は 飯野高宮神山神社から豊原神社に遷座合祀〉
豊原神社(とよはらじんじゃ)は 古くより豊原に鎮座した五社〈大櫛神社・三熊野神社・穂卸神社・宇気比神社・宇気比神社〉が合祀令(1908)によって飯野高宮神山神社に合祀されました その後 昭和29年(1954)氏子の熱願により 神山神社から五社が復祀され元の宇気比神社(宮ノ腰)の地に新社殿が建立されたものです
豊原神社(松阪市豊原町)〈『延喜式』大櫛神社の復祀先〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
近鉄山田線 櫛田駅から南方向へ約700m 徒歩での所要時間は10分程度
豊原神社の西側50mほどに 県道701号と756号の交差点は 豊原琵琶垣内 があります
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豊原神社(松阪市豊原町)に参着
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社頭には 九月の祭事が記されています
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一礼をしてから 社頭の鳥居をくぐり抜けます
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境内参道の左手には手水舎があり 正面に二の鳥居が建ち その先には拝殿が建てられています
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拝殿にすすみます
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拝殿にあった張り紙
これは
鎌倉幕府の武家法「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」第一条の「神社修理し祭祀専らにすべき事」の条文に標記されている言葉です
「神者依人之敬増威 人者依神之徳添運」
゛読み方 神は人の敬に依りて威を増し 人は神の徳に依りて運を添う゛
意 味 神様は人々から敬われる程、ご神威を発揮される。人々は神様のご神徳により、幸運をいただく事ができる。現地張り紙より
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拝殿の扁額には゛豊原神社゛とあります
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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拝殿の奥には 御垣に囲まれて本殿が鎮座しています
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社殿に一礼をして 参道を戻ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 大櫛神社について 祭神・在所は詳らかではない と記しています
【抜粋意訳】
大櫛神社
大櫛は於保久志と訓べし
○祭神在所等詳ならず
勢陽俚諺に、櫛田村、一説 豊原村、又 稲木村どいへり、此皆 飯野郡に属したる村々也、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 大櫛神社について 所在は゛今 豊原村 袖引社 盖是也゛〈現 豊養稲荷大明神(松阪市豊原町)〉と記しています
【抜粋意訳】
大櫛神社
今 豊原村 袖引社 盖是也、〔伊勢式内社検録、津藩神社取調、〕
凡 本郡五十二座の神並に斎宮祈年祭に預る、〔延喜式〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 大櫛神社について 所在は゛三重縣飯野郡豊原村(飯南郡櫛田村 郷社 神山神社に合併)゛〈現 飯野高宮神山神社(松阪市山添町)〈大櫛神社の旧鎮座地は 飯野高宮神山神社に合祀された〉〉と記しています
【抜粋意訳】
大櫛神社
祭神
祭日 六月十四日
社格 村社所在 三重縣飯野郡豊原村(飯南郡櫛田村 郷社 神山神社に合併)
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
豊原神社(松阪市豊原町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です
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