虎柏神社(とらかしわじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の「武蔵国 幡羅郡 虎柏神社」の論社です 社伝によれば 第10代 崇神天皇の御代に勅祭され これを創建とします 天慶3年(940)に平将門征伐の源経基が 相殿に諏訪神社を勧請し 天正18年(1590)木村常陸介 浅野弾正少弼が 当社の由来を記したとされます
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
虎柏神社(Torakashiwa Shrine)
(とらかしわじんじゃ)
[通称名(Common name)]
おすわさま
【鎮座地 (Location) 】
東京都青梅市根ケ布1-316
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
正殿
《主》大歳御祖神(Ohotoshimioya no kami)
惶根神(Kashikone no kami)
東相殿〈諏訪神社〉
《配》建南方命(Takeminakata no mikoto)
八坂刀売命(Yasakatome no mikoto)
西相殿〈八雲神社〉
《配》素盞嗚尊(Susanowo no mikoto)
事代主命(Kotoshironushi no mikoto)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
東京都指定史跡
虎柏(とらかしわ)神社 境域付 虎柏神社 境域関係資料 2点
所在地 青梅市根ヶ布1-197外
指定 平成5年5月22日虎柏神社は、定かではないが、いわゆる延喜式内社(えんぎしきないしゃ)に比定される古社である。
当神社は永正年間(1504~1521)勝沼城主 三田氏宗により再建されたと伝えられ、享保12年(1727)の「武蔵国 多摩郡 古曽木郷 惣社縁起」には、天正18年(1590)浅野長政が正殿に諏訪神、東の御殿に虎柏神、西の御殿に疫神を定め、古曽木郷の総社を号したと記されており、江戸時代には諏訪明神社と称していた。天正19年11月には徳川氏より朱印地3石を下賜されているが、朱印高は幕末まで変わることはなかった。
明治3年(1870)には社号を旧名の虎柏神社に改め、虎柏神を正殿、諏訪神を東殿に遷座し、明治6年12月郷社に列せられている。
現在の境域には享保19年(1734)建立の本殿を中心に配置された諸殿舎と江戸時代以降に寄進された石造物、及び古木の境内林などが存し、江戸・明治期の旧態をよく留め、宗教的神秘性を有する独特な空間を形成している。
指定面積は45,155.23㎡である。
平成6年3月31日 建設 東京都教育委員会
【由 緒 (History)】
解説文
虎柏神社は、平安時代の「延喜式」神名帳に記されている古い神社です。永正年間(1504-21)に勝沼城主三田氏により再興されたと伝えられます。また、江戸時代中期に作られた縁起によると、天正18年(1590)、浅野長正が正殿に諏訪神、東の相殿に虎柏神、西の相殿に疫神を定め、小曽木郷の総社としたとされます。江戸時代には諏訪明神社と称していました。徳川氏より朱印地3石を賜り、幕末まで続きます。明治3年(1870)に旧名の虎柏神社に改め、正殿に虎柏神、諏訪神を東側に遷座し、明治6年に郷社となりました。
現在の境域は、享保19年(1734)建立の本殿(都指定有形文化財)を中心に配置された諸殿舎と江戸時代以降の寄進による石造物などが境内林の中に存在し、江戸時代以降の旧態を良く留めた静粛な神社空間となっています。
東京都文化財情報データベース 東京都教育委員会HPより
https://bunkazai.metro.tokyo.lg.jp/jp/search_detail.html?page=1&id=565
由緒
創建年代久遠して不祥。
虎柏神社と称し、崇神天皇の御宇 神地を賜わり 延喜式の神名帳に記載された、延喜式内社である。多摩8社の1つに列した。
平安時代、諏訪神社を勧請し、諏訪宮と呼ばれ虎柏の名は、古名と心得しが、維新の際、旧名に復した。
古くは 小曽木郷の総社であり、明治6年郷社に列せらる。※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・朝日の仮屋・夕日の仮屋〈本殿の東西に鎮座〉
仮屋の名の通り 年に一度 本殿の大掃除の時 神使とされる「双頭の蛇」をこの仮屋に遷す そして清掃後に本殿に遷すという神事「御殿入り祭」が執行されます
朝日の仮屋の隣
・藤原神社(フジワラジンジャ)《主》天児屋根命(アメノコヤネノミコト)
夕日の仮屋の隣
・稲荷神社(イナリジンジャ)《主》倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
・高峯神社(タカミネジンジャ)《主》味須気高彦根神(アジスキタカヒコネノミコト)
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵国 44座(大2座・小42座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多磨郡 8座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 虎柏神社
[ふ り が な ](とらかしはの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Torakashiha no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の「武蔵国 幡羅郡 虎柏神社」の2つの論社について
「武蔵国 幡羅郡 虎柏神社」の2つの論社の祭神は 共に大歳御祖神(おおとしみおやのかみ)を祀っています
一方の調布市の虎狛(こはく)神社は 延喜式の写本が「狛むの字を「柏」に写し間違えたものとの説により 論社となっています
・虎狛神社(調布市佐須町)
虎狛神社(こはくじんじゃ)は 今から1430年以上前の崇峻天皇2年(589年)8月に創建され 農業の神様である大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)がお祀りされ祭事が始まったと伝えられています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の「武蔵国 幡羅郡 虎柏神社(とらかしはの かみのやしろ)」の論社の一つです
虎狛神社(調布市佐須町)
・虎柏神社(青梅市根ヶ布)
虎柏神社(とらかしわじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の「武蔵国 幡羅郡 虎柏神社」の論社です 社伝によれば 第10代 崇神天皇の御代に勅祭され これを創建とします 天慶3年(940)に平将門征伐の源経基が 相殿に諏訪神社を勧請し 天正18年(1590)木村常陸介 浅野弾正少弼が 当社の由来を記したとされます
虎柏神社(青梅市根ヶ布)
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
青梅駅から都道28号経由 北上約2.7km 車10分程度
都道28号を進み 根ヶ布地区でバス停「諏訪神社前」の横に社号標「延喜式 郷社 虎柏神社」が建っています
社号標を目印に道を折れると 虎柏神社参道と記された立札があり 神橋の先に 2本の杉が注連縄柱のように生えている その少し先に鳥居が建っていて かつて徒歩での参拝者が通ったであろう 参道入り口があります 現在は横に車道が付いています
その先で 参道は左手の山へと登っていくと駐車場になります
駐車場の先に 車止めがあり いきなり境内の中から参拝のはじまりとなりました
虎柏神社(Torakashiwa Shrine)に参着
参道は すぐにほぼ直角に右(北東)へ折れますので 社殿は 西南向きに建っていることになります
その社殿が向いている所は 参道の左手にある高峯山という小山になります
山の上に境外社・高峯神社(タカミネジンジャ)が鎮座《主》味須気高彦根神(アジスキタカヒコネノミコト)が祀られています
この位置が麓になっていて 鳥居が建ち 山への参道が続いています こちらより遥拝します
参道を右に折れると 正面に社殿が見えてきます 石畳みの参道が ご神威に深く配慮された造りで整備されて 正中を歩まないように緩やかな弧を描いて 社殿に通じています それにしても 驚くのは 神社の御神氣です
これほど 立派な御神氣を漂わせている神社も珍しいと想えるほどのものです
日暮れ時の参拝でしたが 東京都の神社とは思えない静けさのなか 凛とした神氣が覆っています 参道を進みます
境内左手の石碑の脇から「平松の跡」〈文政年間に枯れた 平松と呼ばれた御神木の跡〉へと上がっていく道があります
大きめの石灯篭の先には手水舎が建ち 清めます その先の一段高い社地に社殿は建っています
社殿の建つ 高い社地の檀は 石垣で補強され玉垣が廻されて 御神域を顕しています その手前には手水舎の落成記念の石碑〈昭和52年〉「延喜式内社 虎柏神社」とあり 本殿の案内板もあります
東京都指定有形文化財(建造物)
虎柏(とらかしわ)神社本殿 一棟付 本殿棟札一枚
安永6年丁酉7月吉日の記のあるもの所在地 青梅市根ヶ布1丁目313番地
指定 平成5年3月22日享保19年(1734)多摩郡 青梅村 大柳の張海次郎兵衛が棟梁をつとめ、同郡羽村根岸の大工 宮川善右衛門らが工事に携わり、建立されたものである。
形式および構造は 三間社(さんげんしゃ)、切妻造り、茅葺(かやぶき)で、身舎の規模は 桁行4.877m、梁間2.940mとなっている。
記録によると安永6年(1777)に修理が行われたが、その後、明治25年(1892)に階修理と屋根の葺替え、同29年には屋根の葺替えが実施されている。
当本殿は、公儀普請の建物を除くと東京都内の中で数少ない三間社の遺構の一つで、建築年代も三間社としては古い時期に属し、装飾的要素も控えめで全体的に古式を伝える貴重な神社建築である。
平成6年3月21日建設 東京都教育委員会境内案内板より
拝殿にすすみます 扁額には社号はなく「延喜式内」とあります
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥に本殿が鎮座しています その東西に境内社が鎮座しています お詣りをします
延喜式「虎柏神社」は 調布にも論社があり どちらも有力な論社とされているためなのか 崇敬者の方々が 延喜式内社を意識していることが手に取るようにわかります 「延喜式内社 虎柏神社 東京都文化財指定 記念碑」が建てられています
参道を戻ろうと振り返ると 参道の正面には 高峯山の麓で 高峯山の山頂へと通じる 高峯神社(タカミネジンジャ)の参道鳥居が建っています 祀られているのは 出雲や鴨氏との深い関係がある「鴨の大御神」「味須気高彦根神(アジスキタカヒコネノミコト)」です
詳しい由緒が不詳となっていますが 只ならぬ御神氣を放つ この社に振り返り一礼をします
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
創建は 第10代 崇神天皇2年己酉8月として
祭神は 大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)
論社として 現在と同じく2か所「・調布市佐須町・青梅市根ヶ布」をあげて記しています
【意訳】
虎柏(トラガシハ)神社
捴風
虎柏神社 圭田73束 所祭る 大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)なり 崇神天皇2年己酉8月 初めて祭り事有り之
〇阿波国 賀志波比賣神社地考 佐津村の内にあり この辺りを柏ノ里と云う 古木多し
式考 根筒布村にあり 村山より3里 西の方
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『新編武蔵風土記稿(Shimpen musashi fudoki ko)』〈文政13年(1830)に完成〉に記される伝承
江戸時代の神社通称名の「諏訪明神社」として
社伝では 延喜式内 虎柏神社は 當社のことで 祭神を進雄尊(スサノヲノミコト)と伝えている
いつの頃よりか 諏訪明神を通称としている
式内社の論社には 現在の調布市佐須町にも論社があり そちらの項目も参照すべきと記しています
【意訳】
巻之118 多磨郡之30 三田領 根ヶ布村 の条
諏訪明神社(スワミョウジンノヤシロ)
虎柏神社 高峯神社を相殿に祭る
諏訪明神社 領三石の御朱印を附せらる
本社 三間に一間 拝殿 三間に一間半 前に鳥居を建つ
吉田派の神職 宮崎左近 持
社傳に延喜式の内 虎柏神社は 當社のことにして 祭神 進雄尊(スサノヲノミコト)なりと云
いつの頃よりか 諏訪明神を以て 通稱とし 虎柏の名は 古名とのみ 心得 幷せて 三神鎮座の由来をも失へり 今 小曾木郷の總社とす
しかるに 當郡 柏江郷 佐須村にも 又 虎柏の社あり 別當 虎柏山 日光院 安楽寺といふ 彼村にても 亦 式内のよしをいへり いづれを是とすべきや 佐須村の條を幷せ見べし
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『新編武蔵風土記稿』1830年(文政13年)著者:間宮士信 [旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局 活版 ,明治17年
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002820&ID=M2017051812110439332&TYPE=&NO=
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
祭神を大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)とし 所在は 現在の青梅市根ヶ布を比定していますが 参考として 現在の調布市佐須町にも論社があると記しています
【意訳】
虎柏神社
虎柏は 登良加志波と訓ずべし
〇祭神 大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)風土記
〇小曽木郷 根箇布村に在す 地名記 今 諏訪明神と称す 郷中の惣社なり
〇惣国風土記 七十七残欠云う
武蔵国 多摩郡 虎柏神社 圭田73束 所祭る 大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)なり 崇神天皇2年己酉8月 初めて祭り事有り之
古松軒の筆記には 佐須村に至りての小社あり 虎柏神社と称す また同村に 虎柏山祇園寺と云うもあるよし見えたり
社領 当代 御朱印高3石
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
式内社の虎柏神社として 祭神は どの説も証がなく不詳とし 所在については 現在と同じく2か所「・調布市佐須町・青梅市根ヶ布」ですが 調布市佐須町に軍配を上げて 比定して記しています
【意訳】
虎柏神社
祭神
今 按〈考えるに〉
社伝 祭神 大歳御祖命(オオトシミオヤノミコト)とあるは 総國風土記の説なれば従いがたし
又 武蔵演露に 素戔嗚尊(スサノヲノミコト)とあれど明証なし 姑附て考に備ふ祭日 9月13日
社格 郷社
所在 (北多摩郡佐須村にあり)
今 按〈考えるに〉一説に根ヶ布村 高峯山に虎柏神社ありと云えど 証なければ信じがたし
武蔵演露に 虎柏神社 今 虎柏大明神と云う 佐津村の内なり この辺りを柏ノ里とす この村に虎柏山祇園寺あり 当社の別當歟 と云えるは由縁あり 佐津は佐須の訛なるべし この虎柏山の号にても 虎柏神社の この村にある証とすべし故 今これに従う
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』〈明治45年(1912)〉に記される伝承
式内社 虎柏神社の論社として 現在と同じく2か所「・調布市佐須町・青梅市根ヶ布」をあげていますが どちらとも決め難いので 後考を待つと記しています
【意訳】
東京府 武蔵国 西多摩郡 霞村 大字 根ヶ布 字 後澤
郷社 虎柏(トラカシハノ)神社
祭神 大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)惶根神(カシコネノカミ)
相殿 建南方命(タケミナカタノミコト)事代主命(コトシロヌシノミコト)
素盞嗚尊(スサノヲノミコト)
社伝によれば 崇神天皇 御宇 勅祭せられしが 後 天慶3年経基再び造営すと
惣国風土記 残欠に「武蔵国 多摩郡 虎柏神社 圭田73束 所祭る 大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)なり 崇神天皇2年己酉8月 初めて祭り事有り之」と見ゆ
祭神につき特選神名帳に「今 按〈考えるに〉社伝 祭神 大歳御祖命(オオトシミオヤノミコト)とあるは 総國風土記の説なれば従いがたし 又 武蔵演露に 素戔嗚尊(スサノヲノミコト)とあれど明証なし 云々」と姑く附して参考に備ふ 相殿 諏訪神社は 天慶年間 源経基の創基ありしを 天正18年 木村常陸介 浅野弾正少弼 当社の由来を記し 諏訪上下の神を祭るといふ然るに式内 虎柏神社につき
新編武蔵風土記稿は左の如く述べたり 云く
「諏訪明神社(スワミョウジンノヤシロ)
虎柏神社 高峯神社を相殿に祭る 諏訪明神社 領三石の御朱印を附せらる
本社 三間に一間 拝殿 三間に一間半 前に鳥居を建つ
吉田派の神職 宮崎左近 持 社傳に延喜式の内 虎柏神社は 當社のことにして 祭神 進雄尊(スサノヲノミコト)なりと云 いつの頃よりか 諏訪明神を以て 通稱とし 虎柏の名は 古名とのみ 心得 幷せて 三神鎮座の由来をも失へり 今 小曾木郷の總社とす 云々」然るに同郡 柏江郷 佐須村にも 又 虎柏神社ありて これも式内なりと称し その何れか定かならず由を云えり
即ち
武蔵地名考 四神地名録 山吹日記 神祇志料も佐須の社を以って 式内なりとなし
神社覈録は地名記を引きて 根箇布村の社これなりとなす 姑く記して後考えを俟つ
明治6年11月 郷社に列せらる
社殿は 本殿 拝殿及び神門 水屋等を具へ
境内 2209坪(官有地第一種)あり境内神社
高峯山(タカミネヤマノ)神社
稲荷(イナリノ)神社
藤原(フジハラノ)神社祭日 8月28日
【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用『明治神社誌料』1 『明治神社誌料』2
虎柏神社(Torakashiwa Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
武蔵国 式内社 44座(大2座・小42座)について に戻る
武蔵国(むさしのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 武蔵国には 44座(大2座・小42座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
武蔵國 式内社 44座(大2座・小42座)について