実践和學 Cultural Japan heritage

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砥鹿神社 奧宮(豊川市上長山町)〈三河国一之宮〉

砥鹿神社 奧宮(とがじんじゃ おくみや)は 愛知県豊川市にあり 古くから「霊山」とされている海抜789mの本宮山の山頂近くに鎮座しています 1300年以上前には 麓にも社殿が造営されたと伝わり 山頂の社(yashiro)を奥宮 里の社殿を里宮(砥鹿神社)と称しています どちらも 三河国一之宮として 二所一体の崇敬をあつめています

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

 砥鹿神社 奧宮(Toga Shrine Okumiya
(とがじんじゃ おくみや)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (location) 】

 愛知県豊川市上長山町本宮下4

 [地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大己貴命(onamuchi no mikoto)

【御神格 (God's great power)】

・家内安全 Safe and comfortable home life
・商売繁盛 Wishing business prosperity
・厄除   Prayer at an age considered a milestone in life
・心願成就 Realization of wish of heart
・諸難防除 Prevents and eliminates various difficulties
・車の祓い Please pray for road safety and pledge safe driving to your heart.
・健康長寿 Health and longevity
・等 etc

【格 式 (Rules of dignity) 】

・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
・ 三河国一之宮
・ 別表神社

【創 建 (Beginning of history)】

鳥観図

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海抜七八九メートルの本宮山(ほんぐうさん)は、神代より大己貴命の神霊が鎮まります霊山である。
その姿が秀麗で、東三河平野の何処からも拝することが出来る為、古代の人々の崇敬の対象とされて来た。
 また、御山の頂上を始め山中に横たわる巨巌や杉の巨木の存在は、神々の鎮まる磐座(いわくら)・磐境(いわさか)として崇められ、宝川を始め御山から平野に流出する幾筋もの渓流は、稲作の豊かな水源として尊ばれてきた。

 大宝年間(701年~704年)には、神託により里へ社殿を造営するに及び、山頂の社(やしろ)を奥宮、里の社殿を里宮と称し、二所一体の崇敬をあつめるに至った。

 今も昔も、大神の御神徳を慕って御山に登拝する人々は年中絶えることがない。
近年山頂までは自動車での参拝が容易であるが、長山登山口より徒歩にて表参道を登拝する人々は、休日ともなると数百人を数える。

公式HPより

【由 緒 (history)】

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由 緒

 本宮山砥鹿神社奥宮の創祀は、文武天皇 大宝年間以前より鎮座さられた事は、社伝に明らかである(約千三百年以前)、
海抜789.2mに位する、本宮山の秀麗な山姿と全山を覆う樹林は、昔より東海無双の霊域として神聖視され、
殖産の神、護国救人の守護神として広く尊崇され、
明治4年の官制より三河国唯一の国幣小社に列格された、砥鹿神社の奥宮である。
 大神の御神徳は弥々輝き、除災招福、交通安全、等にも広く御神威を垂れ給っている。


社名 三河国一宮 砥鹿神社 奥宮(とがじんじゃ おくみや)
祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)
  (別称 大国主命おおくにぬしのみこと)
例祭 2月6日
特殊神事  1月6日 宝印祭(守見殿神社例祭)
      1月15日 粥占祭
     10月14日 荒羽々気神社例祭

境内案内板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

・荒羽々気神社(arahabagijinja)

《主》大己貴命荒魂(onamuchinomikotonoaramitama)

・八柱神社(yahashirajinja)

 《主》田心姫命(tagorihimenomikoto)
    湍津姫命(tagitsuhimenomikoto)
    杵島姫命(ichikishimahimenomikoto)
    天忍穂耳命(amenoshihomiminomikoto)
    天穂日命(amenohohinomikoto)
    天津彦根命(amatsuhikonenomikoto)
    活津彦根命(ikutsuhikonenomikoto)
    熊野櫲樟日命(kumanokusuhinomikoto)

・守見殿神社(morimidenjinja)

  《主》大己貴命和魂(onamuchinomikotononigimitama)

・岩戸神社(iwadojinja)

  《主》大己貴命(onamuchinomikoto)

境外末社 ・乙女前神社(otomenomaejinja

《主》大山祇命(oyamazuminomikoto)
    天鈿女命(amenozumenomikoto)
    少名彦名命(sukunahikonanomikoto)

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)The shrine record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)参河国 26座(並小)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)宝飫郡 6座(並小)

[名神大 大 小] 式内 小社

[旧 神社名 ] 砥鹿神社

[ふ り が な  ](とかの かみのやしろ)
[How to read ](tokano kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

縄文の神とも云われる「アラハバギ神」が祀られています

砥鹿神社 奧宮(toga jinja okumiya)の境内社として

・荒羽々気神社(arahabagijinja)
《主》大己貴命荒魂(onamuchinomikotonoaramitama)が祀られています

また 里宮の境内社としても
・荒羽々気神社(arahabagijinja)
《主》大己貴命荒魂(onamuchinomikotonoaramitama)が祀られています

この「荒脛巾神(arahabaki no kami)」は 三河 出雲 伊予 武蔵にも点在していて 出雲は出雲国造 伊予は小市国造・風速国造 三河は三川蘰連 武蔵は武蔵国造と深く関わる神社です 

これらの国造(kuninomiyatsuko)諸氏は いずれも武人・製鉄技術を持つ氏族であった物部氏(饒速日命を祖神とする天神系の神別氏族)と密接に関連していている出雲族です

本宮山は 三河國を守る大神 として祀られたのか?

神社が鎮座する「本宮山」は 一般には 元々は縄文期より信仰されていた山と考えられています

これを元に ある説によれば「本宮山の神」は 今は境内社となっていますが 実は「荒羽々気神社(arahabagijinja)」ではないのかと云われていて その場合には もともと縄文の神として信仰されていたであろう御祭神は「荒脛巾神(arahabaki no kami)」とされています 

「蝦夷」の自然崇拝の対象の山に「荒脛巾神(arahabaki no kami)」が祀られていたのであろうとする主張です

史実では 縄文期から弥生期への移行は 弥生文明が 西日本から東日本に移動しながら融合発展していきます 当然のように 大和朝廷の初期の頃には 東方は「蝦夷の国」であることは明らかです

『記紀神話』での「日本武尊の東征」などもこうした一面を語っているものと思います 史実では 大和朝廷による「蝦夷の平定」は 奈良・平安期になってようやく秋田・青森に至ります

これは かつて 尾張より東方が「東国=蝦夷の国」であった頃があったことを示唆しているとも言えます

古代の尾張地方は 出雲の末裔である「尾張氏一族」が 東方の蝦夷と西国との交易により 経済基盤を確立し栄えていました

丁度 その分岐点にあたるところに「三河国」があり 現在の豊川市は「弥生」と「縄文」の接点となる場所に位置していた頃がありました

東三河地方では中心的な孤峰789m「本宮山」は 東三河平野(海)の何処からも拝することが出来る場所です
ここに縄文の神「荒脛巾神(arahabakinokami)」が祀られ「東国の蝦夷国」を見守るように鎮座して 西国から東国への国境侵入を妨げるようにしていたのかもしれないと思うと 妙に納得してしまうのです 

ご参考までに 縄文海進8mと想定して 当時の様子を想像作成した地図を掲載します 正しく東国の守り神となっているような気がします

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

新城駅より 県道526号経由 約13km 車30分程度
本来の参拝道は 豊川市上長山町東原にある「ウォーキングセンター」から登山口を南側から参道を徒歩で山へ上がります Google マップ参照

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当日は 正月の参拝で 足元が氷結しているので軽装備では表参道は不可 本宮山スカイラインを車で上ります(こちらも氷結です)

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山頂にある駐車場に停めて ここから裏参道経由でお詣りです

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駐車場から看板があり 矢印に従い南へ歩きます

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路面は氷結していて つるつるの状態です スパイクシューズは履いていないので 歩くのには一苦労です

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再び広場に出て 大きな朱の鳥居が建ちます

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砥鹿神社 奧宮(toga jinja okumiya)に到着

一礼して鳥居をくぐります

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木々の茂った参道の足元は 氷でツルツル ほとんど足元ばかり見ている状態で 周りの方々も同じ様子です
石の鳥居が建ち その横の社号標には「三河國一宮 本宮山鎮座 砥鹿神社 奧宮」とあります

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参集殿のような建物があります 登山客の休憩所にもなっている様子です
粥占祭と関係するのか?大きなお釜と御神木があります

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そこから 緩やかな参道と石段があります こちらは除氷して頂いてあり 滑らずに歩けますので一安心です

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石段途中の右手には「宝印祭 1/6」の案内板とその横に境内社 

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・守見殿神社(morimidenjinja)
  《主》大己貴命和魂(onamuchinomikotononigimitama)が鎮座

お詣りをします

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スギの巨樹木に囲まれた石畳みの段を登ります

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石段を登ると南を向いて社殿が建ちます 正月でもあり 多くの人が参拝に訪れています

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拝殿にすすみます 扁額には「砥鹿神社 本宮」とあります

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賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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すぐ横にある 社務所にて
御神紋が 亀甲紋に変わった記号のような印なので ご神職にお伺いしてみると

「亀甲にト定(boku jo)を表しています」とのことでした 
なるほど つまり亀卜(ki boku)のことでした
名前は「砥鹿神社」ですが「鹿卜(roku boku)」ではなく
出雲の神々の亀甲紋に亀卜(ki boku)の際に現れる「甲羅のヒビ」を示している訳です 

縄文だなあと ひとり嬉しくなり 「ありがとうございます」とお礼を述べながら ご朱印などを拝領し 社務所を離れます

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社殿の目の前には 表参道からの石段があります
但し 凍結していて降りませんでした 

この石段を下りた先には 境内社

・荒羽々気神社(arahabagijinja)
  《主》大己貴命荒魂(onamuchinomikotonoaramitama)

・八柱神社(yahashirajinja)
  《主》田心姫命(tagorihimenomikoto)
     湍津姫命(tagitsuhimenomikoto)
     杵島姫命(ichikishimahimenomikoto)
     天忍穂耳命(amenoshihomiminomikoto)
     天穂日命(amenohohinomikoto)
     天津彦根命(amatsuhikonenomikoto)
     活津彦根命(ikutsuhikonenomikoto)
     熊野櫲樟日命(kumanokusuhinomikoto)が鎮座します

こちらから 一礼をします

あわせて遥拝所からお詣りです

境外末社
・乙女前神社(otomenomaejinja)遥拝所
  《主》大山祇命(oyamazuminomikoto)
     天鈿女命(amenozumenomikoto)
     少名彦名命(sukunahikonanomikoto)

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・富士山遥拝所

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境内を後にして 参道を戻ります

途中 当社の奥の院とされている

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・岩戸神社(iwadojinja)
  《主》大己貴命(onamuchinomikoto) の赤鳥居がたっています

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参道を進みましたが 途中から氷結していましたので そこから一礼

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参道に戻りますと 氷でツルツル滑りながら

石の鳥居・赤い大きな鳥居とくぐり 振り返り一礼

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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『足助八幡宮 縁起(asuke hachimangu engi)』に記される伝承

『足助八幡宮縁起(asuke hachimangu engi)』は 建武四年(1337)の事項まで記載されていて 室町時代頃の成立といわれています

参河国(三河国)の 本宮山の神と 一之宮について記しています

本宮山(砥鹿神社の御神体山)に現れた「猿・鹿・鬼の姿」の3つの怪異(kai i)が それぞれ

「猿」が猿投神社(三河国 一之宮)

「鹿」が砥鹿神社(三河国 三之宮)
「鬼」の身体を持つ修験者と記しています

意訳

「 ここに東海道三河国加茂郡足助惣社 八幡大菩薩の元興を窺ふに 
 第39代 天武天皇の御代に 当国(三河国)宝飫郡の大深山という山に怪異な者が3つ出来た

一つは 猿の形
一つは 鹿の姿
一つは 鬼の躰 にして

大木の梢 巌石の上 を自在に飛行するのが見えて 人々があやしんでいましたところ

猿の形なるは 岩舟に乗り飛行するのは 高橋庄の猿投大明神 これなり
鹿の姿なるは ここに留まりすなわち 砥鹿大并と化現れた 当国一之宮これなり
鬼神なるは 紀州熊野本宮より 国廻りする者なりと言い 彼が 大深山で鬼となったるによって その後 鬼見山と云います

又 本宮山と云います その後 鬼形は黒雲に乗って 北方へ飛び去る 足助の郷の深山という所に至れり・・・・・・・・・・・・・・・・ 」 

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『足助八幡宮縁起』 続群書類従 写本[旧蔵者]教部省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000037315&ID=M1000000000000066846&TYPE=&NO=

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砥鹿神社 奧宮は 愛知県豊川市にあり 古くから「霊山」とされている海抜789mの本宮山の山頂近くに鎮座しています 1300年以上前に 麓にも社殿が造営されたと伝わり 山頂の社(yashiro)を奥宮 里の社殿を里宮(砥鹿神社)と称しています どちらも 三河国一之宮として 二所一体の崇敬をあつめています

砥鹿神社 奧宮(toga jinja okumiya)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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砥鹿神社 里宮の記事もご覧ください

一緒に読む
砥鹿神社 里宮(豊川市一宮町)〈三河国一之宮〉

砥鹿神社 里宮(とがじんじゃ さとみや)は 約1300年前 大宝年中(701~704年)に本宮山の奥宮より分霊し 御祭神 大己貴命をお祀りしたのが 里宮の始まりと伝わります 社殿は荘厳な檜造りです また 摂社「三河えびす社」が並び建ち こちらには 本社の御子神「智徳の神・事代主命」と「体徳の神・建御名方命」を祀ります

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