実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

田村神社(八雲町西岩坂)

田村神社(たむらじんじゃ)は 「御塔祭」が 現在は2月11日 古くは旧正月7日にあり 七日塔祭(なぬかどまつり)と呼ばれています 氏子全員が 集合し年頭の挨拶の後 五穀豊穣を祈願し弓矢を持って害獣を取り 田植えをして その後大餅を下ろす祭り「大餅(おおもち)神事」が続いています 今でも里人に篤く崇敬されています

ここからは 掲載神社の呼称名を時代順に説明していきます

まず初めは 今から約1300年前・天平5年(733年)2月30日に完成した『出雲國風土記』
次に 今から約1100年前・平安時代中期(延長5年927年)に完成した『延喜式神名帳』
最後に『出雲國風土記』と『延喜式神名帳』の論社(現在の神社)となっています

【約1300年前】About 1300 years ago

【出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in February 733 AD.

【國】 出雲國(izumo no kuni)
【郡】 意宇郡(ou no kori) 条
    不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)

【社名】 田村社

【読み】(たむら の)やしろ
【How to read】(tamura no) yashiro

国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国風土記』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用

【約1100年前】About 1100 years ago

【延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社(Place of publication)】The shrine record was completed in December 927 AD.

非官社のため 該当しません

【現在】At the moment の【論社】Current specific shrine

【神社名】(shrine name) 

 田村神社(tamura shrine)
       (たむらじんじゃ)

【通称名】(Common name)

【鎮座地】(location) 

島根県松江市八雲町西岩坂2302

【地 図】(Google Map)

【御祭神】(God’s name to pray)

《主》金山彦命(kanayama hiko no mikoto)

【御神格】(God’s great power)

・五穀豊穣 Pray for good harvest
・諸業繁栄 Prosperity of various industries
・家内安全 Safe and comfortable home life
・開運厄除 Prayer at an age considered a milestone in life.Bring good luck and happiness.
・延命長寿 Healthy and longevity

【格式】(Rules of dignity)

『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』所載社

【創建】(Beginning of history)

中世の戦乱で古記録・社宝の類は失い 詳細な社史を遡れない 秋吉銀山の守り神として 信仰をあつめてきた

【由緒】(history)

出雲風土記に金田大明神とある。

古くはこの地に鉱山があり、その氏神として祭られてきた。

御塔祭が現在は2月11日、古くは旧正月7日にあり、七日塔と言われ、氏子全員集合し年頭の挨拶の後、五穀豊穣を祈願し弓矢を持ちて害獣を取り、田植えをし、その後大餅を下ろす祭りとし・・・・

島根県神社庁HPより

【境内社】(Other deities within the precincts)

・大元神社《主》国常立尊
・鷺神社 《主》稲背脛命

【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)

七日塔祭(nanukado matsuri)(神事名)「大餅神事(omochi shinji)」

大餅さん「七日塔」の当日の様子が詳しく載る映像が
『八雲村の祭祀習俗』 昭和56年3月 八雲村教育委員会 にあります
良くわかりますので 写真をお借りします

『八雲村の祭祀習俗』昭和56年3月 八雲村教育委員会より 写真撮影(1981)当時と変わらず 祭りは現在も続いています

祭日2月11日
この里に 長年伝わる神事で 神前に直径60cmの大鏡餅を3枚供え 豊作祈願や狩猟祈願をします
その後 神前に供えた直径60cmの餅を背負って 里人が境内を疾走します
雪玉に邪気を込めて 神聖な餅にぶつけ 当たると厄払いになるとされていて
餅を背負った子供もいますが 待ち構えた里人らが 狙いを定めて雪玉を投げつけます
餅を背負う役は 里では名誉なこととされ 雪が餅に的中すると幸せになれると伝わります

【神社にお詣り】(Pray at the shrine)

松江駅から R432号経由 約14.5km 車30分程度

意宇川の支流 桑並川の上流に 河川の織り成す狭隘な谷に田があり 集落が形成されている秋吉地区に鎮座します

車道から桑並川を挟んで 鳥居や境内が見えます 車を止めて歩きます

田村神社(tamura shrine)に到着

大きな石灯篭があり 一礼して鳥居をくぐります 左に手水鉢があります

参道は 多少弧を描くようになっていて 古い神社では 設計者の意図で 人が正中を歩かないようにする配慮がなされています
石段の上に 狛犬と神門が構えます 狛犬は古く風化し始めています

神門を抜けると 参道は ここでも斜めにすすみ 人が正中を歩かないようにする配慮がなされています 社殿に向かいます 

社殿や境内社は 見事に立派で 境内もしっかりと手入れが行き届き 里人の信仰の深さを感じ取れます
参道を進むと 唐破風向拝付の拝殿の軒下に細かな彫刻が施されています

拝殿には 太い注連縄 扁額に「神恩至渥」とあります

拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

左手から 奥の本殿を仰ぎます 重層な大社造で改めて 里人の崇敬の篤さを感じます

左手の境内社にお詣り 右手奥の境内社にお詣り

神門をくぐり 参道を戻り 鳥居をくぐり 振り返り一礼

【神社の伝承】(Old tales handed down to shrines)

『雲陽志(unyo shi)』意宇郡 西岩坂  にある伝承

『雲陽志(unyo shi)』では

現在の「田村神社(tamura shrine)」が
「金田明神(kaneta myojin)」として記されています

※『雲陽志(unyo shi)』[黒沢長尚著]天保6 [1835]『原文』参照 国立公文書館デジタルアーカイブ『雲陽志』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002424&ID=&TYPE=&NO=画像利用

七日塔祭(nanukado matsuri)の如く里人に篤く崇敬されています
田村神社(tamura shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳(Jimmeicho)』に戻る

一緒に読む
『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳』399社

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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