実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

玉列神社(桜井市慈恩寺)

玉列神社(たまつらじんじや)は 『延喜式神名帳(927年編纂)所載の大和国 城上郡 玉列神社(たまつらの かみのやしろ)です 御祭神の玉列王子神たまつらみこのかみ)は 大神大物主神の御子神とされ 大神神社とは 古代から深い繋がりがあるとされています

Please do not reproduce without prior permission.

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

玉列神社(Tamatsura shrine

 [通称名(Common name)]

玉椿明神(たまつばきみょうじん)

【鎮座地 (Location) 

奈良県桜井市慈恩寺383

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》玉列王子神(たまつらおおじのかみ・たまつらみこのかみ

《配》天照大御神(あまてらすおほみかみ)
   春日大御神(かすがのおほかみ)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

・子授け
・生育安全
・諸願成就

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社
・ 大和國一之宮 大神神社 境外摂社
 〈大正十年(1921)八月十一日 官幣大社 大神神社 境外摂社に指令あり〉

【創  (Beginning of history)】

(ご祭神)
玉列王子神(たまつらのみこのかみ)
【相殿】天照大御神・春日大神

(由 緒)
ご祭神は大神神社の大物主大神のお子様で、親神のご神徳を受けつぎ産業を興し人々の暮らしを守る神様として信仰されています。
平安時代の『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』に記載される古社で、大神神社の例祭「大神祭(おおみわさい)」にあわせ織物がお供えとして奉られるという格式をもっていました。
三輪山には椿が自生し、南麗にあるこの神社も古くから「玉椿大明神」(たまつばきだいみょうじん)と称されるほど椿が有名でした。現在も地元の氏子の手により多くの椿が境内に植栽され、椿の名所となっています。
例祭日10月12日
大神神社 公式HPよりhttp://mobile.oomiwa.or.jp/tamatura.html

【由  (History)】

大神神社摂社
玉列(たまつら)神社 御由緒略記

 鎮座地 桜井市慈恩寺
 祭 神 玉列王子神(たまつらおおじのかみ)
 配 祀 天照大御神
     春日大御神
 例 祭 十月一二日

由緒
 御祭神 玉列王子神(たまつらおおじのかみ)は、御本社 三輪の大物主大神の御子神で 延喜式(延長五年、西暦九二七) 神名帳にも見える初瀬谷に於ける最古の神社であります
昔から玉椿大明神として地元 氏子区民は勿論遠く京阪神 東海地方に至るまで厚い信仰を集め 特に金色のお砂は招福のしるしとして尊ばれております。

現地案内板より

Please do not reproduce without prior permission.

【境内社 (Other deities within the precincts)】

祓戸社(はらへどじんじゃ)〈もろもろの罪穢れを祓え清め給う神様〉

Please do not reproduce without prior permission.

向かって 右より
金山彦神社(かなやまひこじんじゃ)〈金の神様〉
猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)〈道と教えの神様〉
愛宕神社(あたごじんじゃ)〈火(かまど)の神様〉

Please do not reproduce without prior permission.

誕生石(たんじょうさん)

誕生石(たんじょうさん)

古くから「誕生さんと親しみをもって呼ばれ ご祭神 玉列王子命(たまつらおおじのみこと)に因(ちな)んで子宝石(こだからいし)として古くから信仰を集めています
また初宮詣の折には この石の周囲を周りながら「ヘイチョウ カイチョウ…」と三度唱えれば元気で健やかな子に育つと云われています

現地立札より

Please do not reproduce without prior permission.

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

玉列神社(桜井市慈恩寺)は 大和国一之宮の大神神社の境外摂社になります

・大神神社(桜井市三輪)

一緒に読む
大神神社(桜井市三輪)〈三輪山を〈御神体〉とする大和國一之宮〉

大神神社(おおみわじんじゃ)は 『記紀神話』に創建に関わる伝承が記されており 『延喜式』には名神大社と所載される 大和国一之宮です 古来から本殿は設けず 拝殿の奥にある三ッ鳥居を通し 三輪山〈御神体〉に祈りを捧げる原初の神祀りで 我が国最古の神社と呼ばれています 神社の社殿が成立する以前の祭祀の姿を今に伝えています 

続きを見る

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和国 286座(大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)城上郡 35座(大15座・小20座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 玉列神社
[ふ り が な ]たまつらの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Tamatsura no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻15 内蔵寮 諸祭幣帛

大神祭(おほみわのまつり)
夏祭料

・・・・
帛一丈五尺 玉列王子(たまつらみこ)の幣料盛に筥一合
・・・・

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

大神神社摂社 末社について

大神神社(桜井市三輪)の・境内社・境外社 の記事を見る

一緒に読む
大神神社(桜井市三輪)摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)・別宮(べつぐう)巡り

〈三輪山を〈御神体〉とする大和國一之宮〉゛大神神社(おほみわじんじゃ)゛奈良県桜井市三輪に鎮座は 日本で最も古い神社の一つで 摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)の数も非常に多く 本社域と参道の南北に分けて表示して 分かりやすいように記載しています 各々の記事をクリックすると 各神社の詳細が確認できます

続きを見る

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

三輪山の山麓あたります
近鉄大阪線 大和朝倉駅から北へ大和川を渡り 約800m 徒歩10分程度
参道の入口に 三輪明神 摂社 玉列神社の案内があります

Please do not reproduce without prior permission.

三輪山の南麓に鎮座しています

境内入口には鳥居が南向きに建ち 社号標には「官幣大社 大神神社 攝社 玉列神社」と刻字
玉列神社(桜井市慈恩寺)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

鳥居をくぐると すぐ左側西側に手水舎があり 清めます

椿(つばき)の名所あって 参道には 椿が植えられています
三輪山周辺には 古代から椿が自生し 椿の花が咲いていた 海柘榴市(つばいち)の名前も椿(つばき)に由来と伝わります

Please do not reproduce without prior permission.

境内は 三輪山の南麓にあり 社殿までは二ヶ所の石段を上りながら 椿の参道を進みます

Please do not reproduce without prior permission.

最初の石段を上ると左側西側に玉垣に囲まれて「祓戸神社」が東向きに祀られています
大神神社では 本社参拝前に 祓戸神社にて 罪穢れを祓い清める風習があり 当社も同様なのでしょう

Please do not reproduce without prior permission.

石段の先はやや広い踊り場で 石畳を進むと 二つ目の石段の上に社殿が南向きに建ちます
拝殿は 桟瓦葺の平入切妻造で 内部へは 土間へ入って参拝

賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿の奥には 石段があり その上に鳥居 その後方に銅板葺 一間社春日造の本殿が鎮座

Please do not reproduce without prior permission.

本殿石段下の]向かって右側 石垣の上に 境内社 三社が南向きに祀られています 向かって左側から・愛宕神社・猿田彦神社・金山彦神社
賽銭をおさめ お祈りをします

Please do not reproduce without prior permission.

社殿に一礼をして 参道を戻ります

Please do not reproduce without prior permission.

途中 二つ目の石段下に「誕生石」があり 注連縄で囲まれ 祀られています
子宝石として信仰を集めていて この石を回り「ヘイチョウ カイチョウ…」と三度唱えれば子供が健やかに育つと伝わります

Please do not reproduce without prior permission.

その後 社務所にて お守り御朱印など

Please do not reproduce without prior permission.

神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

所在は 慈恩寺村と記しています

【抜粋意訳】

玉烈(たまつらの)神社

〇信友按 古書に列を烈と作るは 常の列はナミ 弥ツラ 弥内蔵式 大神祭 夏祭の中に 緋帛一丈五尺 玉列王子幣料盛筥一合とあり 大神の摂社ときこゆ
慈恩寺村

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

所在は 慈恩寺村と記しています

【抜粋意訳】

玉列神社

玉列は、多麻都良と訓ベし
〇祭神 大神神御子 玉列王子歟
〇慈恩寺村に在す、大和志、同名所図会、
○式十五、内蔵寮 大神祭、夏祭料云々、緋帛一丈五尺、玉列王子幣料、盛筥一合、

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

所在は 慈恩寺村と記しています

【抜粋意訳】

玉列(たまつらの)神社

祭神 大神御子神

今按〈今考えるに〉
社伝 祭神 大巳貴命とあれど 延喜式内蔵寮に玉列王子幣料 云々と云ことみえたる王子の字を玩ふに 必ず大三輪神の御子神なるべし 故 今之を訂せり

祭日 十月二十一日
社格 村社 官幣大社 大神神社 境外摂社

所在 慈恩寺村(磯城郡朝倉村大字慈恩寺)

今按〈今考えるに〉
神名帳考証には出雲村かとあり されど此村の神社は十二社権現にて 式社には非ずと土人も云えば據りがたし 今 慈恩寺と出雲と両村の間なる黒崎村に玉貫と云字の地は此れに由ありて聞ゆ

渡邊玄包曰く
社伝 祭神 大巳貴命とあれど これの旧神官どもの注進に因りて記されたるならん 欺その寶は如 この社伝は決して無きことなり
列は烈と書く例なり この例 古書に多かり

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

『大和志料(Yamato shiryo)』〈大正3年(1914)〉に記される伝承

『延喜式AD.927内蔵寮には 大神神社の夏祭料で 玉列王子(たまつらみこ)として 幣帛が記され 古くから 大神神社との関連〈玉列王子は 大神大物主命の御子神〉がありますが 摂社となったのは 大正十年(1921)と記されています

【抜粋意訳】

玉列(タマツラ)神社

延喜式神名帳「玉烈神社」と見ゆ、 烈、列に作るを是とす。下に引ける内蔵寮式証とすべし。
朝倉村大字慈恩寺にあり、俗に玉椿(タマツバキ)明神と称す、今 村社たり、
玉列王子(たまつらのみこの)命を祭る、玉列王子は 大神大物主命の子なり。
故に古 当社の幣帛は 大神祭の料物より班附するを例となせり。内蔵寮式に「大神祭、夏祭料、・・帛一丈五尺 玉列王子(たまつらみこ)の幣料盛に筥一合」と 即ち是。

註 神社明細帳に、指定村社たりしが 大正十年(1921)八月十一日 官幣大社 大神神社 境外摂社に指令あり。

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『大和志料』著者 奈良県 編 出版年月日 大正3年 出版者 奈良県教育会https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813

玉列神社(桜井市慈恩寺)に (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

大神神社(桜井市三輪)の・境内社・境外社 の記事を見る

一緒に読む
大神神社(桜井市三輪)摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)・別宮(べつぐう)巡り

〈三輪山を〈御神体〉とする大和國一之宮〉゛大神神社(おほみわじんじゃ)゛奈良県桜井市三輪に鎮座は 日本で最も古い神社の一つで 摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)の数も非常に多く 本社域と参道の南北に分けて表示して 分かりやすいように記載しています 各々の記事をクリックすると 各神社の詳細が確認できます

続きを見る

大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る

一緒に読む
大和国 286座(大128座(並月次新嘗就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)

大和国(やまとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 大和國の286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)の神社のことです

続きを見る

  • B!

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています