実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

玉作神社(沼津市黒瀬町)〈【延喜式】玉作水神社『伊豆国神階帳』玉作明神〉

玉作神社(たまつくりじんじゃ)は 社殿によると 玉造郷は一千年以上の昔 平安朝初期に伊豆と駿河の国境 玉作郷に住んでいた玉作部氏族祖神 玉祖命を祀ったもので 延喜式内社 伊豆國 田方郡 玉作水神社(たまつくりのみづの かみのやしろ)とされます 又『伊豆国神階帳』に「従四位上 玉作明神」と所載されるる古社です

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

玉作神社(Tamatsukuri shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

静岡県沼津市黒瀬町1

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》玉祖命(たまのおやのみこと)
   水波廼女命(みずはのめのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

 

延喜式内 玉作水神社

 この神社は玉作水神社として神社名鑑に載っております

 御祭神は昔 玉作郷に住んでいた玉作部氏族の祖神 玉祖命と水神 水波廼女命の二座であります

 延喜式内神社として一千年以上を経た古社であり 香貫地区には 楊原神社・大朝神社とともに由緒ある神社であります

関東 玉造郷

 玉造郷は一千年以上の昔 平安朝初期に伊豆と駿河の国境として 狩野川の辺り香貫山麓一帯を指し玉造部氏族が住んでいた集落跡と言われております

 玉作部は朝廷に貢納する丸玉や服飾用の勾玉管玉等を造る職業的部民で古代において祭祀用には欠くことのできない重要な役割をもった氏族でありました

 全国に数少ない玉造郷として諸文献に記載されております

玉作神社新築落成記念塔

沼津市上香貫黒瀬町六番地なる境内地が沼津市都市計画施行により区画整理 にかかり境内地全面を約四尺土盛りその上に社殿及び公会堂を全面改築並び に立木を移すこととなり市との交渉を委員長に一任され諸経費として一金弐 千百四拾弐萬円を捻出願いよって茲に新社殿及び公会堂を造営致しました

現地案内板より

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【由  (History)】

『静岡県史』苐二卷に記される内容

【抜粋意訳】

第二十章 氏姓及び部
第 三節 駿河國

6 玉作部同上

 和名抄駿河郡に玉造郷がある。地理を按ずるに是れ 延喜式内 伊豆國 山方郡 玉作水神社の所在地、即ち今の沼津市上香貫であらう。
同社の對岸なる縣社 日枝神社 参道の入口に、玉を研ける砥石二基存す。以て此邊に玉作部の住せしことが知られる。神護景雲二年〔一四二八〕紀駿河員外介玉作金弓、萬葉集廿駿河防人玉作部廣目がある。

【原文参照】

『静岡県史』苐二卷,静岡県,昭和6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1915582

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆國 92座(大5座・小87座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)田方郡 24座(大1座・小23座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 玉作水神社
[ふ り が な ](たまつくりのみづの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Tamatsukurino mizu no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳』に記される 「玉造・玉作」(たまつくり)に関連する神社について

「玉造・玉作」(たまつくり)を郷名や社名に持つ式内社について いずれも温泉や泉と深く関わっています

延喜式内社 出雲國 意宇郡 玉作湯神社(たまつくりゆの かみのやしろ)

・玉作湯神社(玉湯町玉造)

一緒に読む
玉作湯神社(松江市玉湯町玉造)【前編】

玉作湯神社(たまつくりゆじんじゃ)は その名のとおり 古代から勾玉や各種玉類の一大生産地で 且つ・1300年を遡る「神の湯・美肌の湯」といわれる玉造温泉の地に鎮座しています 御祭神は・玉作の神「櫛明玉神( kushi akarutama no kami)」・温泉の神「大名持神(onamochi no kami) 少毘古那神(sukunahikona no kami)の2柱の神」を祀ります

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一緒に読む
玉作湯神社(松江市玉湯町玉造)【後編】

玉作湯神社は その名のとおり 古代から勾玉や各種玉類の一大生産地で 且つ・1300年を遡る「神の湯・美肌の湯」といわれる玉造温泉の地に鎮座しています 御祭神は・玉作の神「櫛明玉神( kushi akarutama no kami)」・温泉の神「大名持神(onamochi no kami) 少毘古那神(sukunahikona no kami)の2柱の神」を祀ります

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延喜式内社 伊豆國 田方郡 玉作水神社(たまつくりのみの かみのやしろ)

・玉作神社(沼津市黒瀬町)

</strong><strong><b>一緒に読む</b></strong><strong>
玉作神社(沼津市黒瀬町)〈【延喜式】玉作水神社『伊豆国神階帳』玉作明神〉

玉作神社(たまつくりじんじゃ)は 社殿によると 玉造郷は一千年以上の昔 平安朝初期に伊豆と駿河の国境 玉作郷に住んでいた玉作部氏族が祖神 玉祖命を祀ったもので 延喜式内社 伊豆國 田方郡 玉作水神社(たまつくりのみづの かみのやしろ)とされます 又『伊豆国神階帳』には「従四位上 玉作明神」と所載されるる古社です

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・愛鷹神社(三島市三好町)

・神明宮(三島市平田)

延喜式内社 近江國 伊香郡 玉作神社(たまつくりの かみのやしろ)

・石作神社・玉作神社(長浜市木之本町千田)

延喜式内社 陸奥國 玉造郡 温泉神社(ゆのいつみの かみのやしろ)

・温泉神社(大崎市鳴子温泉字湯元)

一緒に読む
温泉神社(大崎市鳴子温泉字湯元)〈『續日本後記』玉造温泉神『延喜式』温泉神社〉

温泉神社(おんせんじんじゃ)は 承和4年(837)の大噴火により噴出した温泉 この湯を鳴声(なごえ)の湯と称し これを鎮めるために建立されたと伝わる 『續日本後記』承和10年玉造温泉神に従五位下が授けられ 『延喜式』には陸奥國 玉造郡 温泉神社(ゆのいつみの かみのやしろ)と所載されています

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延喜式内社 陸奥國 玉造郡 温泉石神社(貞)(ゆのいつみのいしの かみのやしろ)

・温泉石神社(大崎市鳴子温泉字川渡)

一緒に読む
温泉石神社(大崎市鳴子温泉字川渡)〈『延喜式』温泉石神社(貞)〉

温泉石神社(ゆのいし/おんせんいし/じんじゃ)は 承和四年(837)この地に大噴火が起り 雷が響きふるえ昼夜止まず 周囲二十余尺の大石の根本から温泉〈その色水漿の如し〉が流れ出した この石を温泉石神社として祀ったのが始まりと云う 延喜式内社 陸奥國 玉造郡 温泉石神社(貞)(ゆのいつみのいしの かみのやしろ)です

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玉造部(たまつくりべ)の祖神 玉祖命(たまのおやのみこと) 同神〈・豊玉神(とよたまのかみ)・天明玉命(あめのあかるたまのみこと)〉を祀る式内社について

延喜式内社 甲斐國 山梨郡玉諸神社(たまもろの かみのやしろ)

・玉諸神社 奥宮(甲州市塩山竹森)
〈玉諸神社(甲州市塩山竹森)の奥宮(御神体)〉

一緒に読む
玉諸神社 奥宮(甲州市塩山竹森)〈『延喜式』玉諸神社〉

玉諸神社 奥宮(たまもろじんじゃ おくみや)は 社伝によれば かつて高さ7尺 周囲6尺8寸の水晶の玉が神体として祀られおり この神体が神社名の由来と云う 玉諸神社(甲州市塩山竹森)の北東約600m竹森山(水晶山)中腹に奥宮として鎮座する 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 玉諸神社(たまもろの かみのやしろ)の論社です

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・玉諸神社(甲州市塩山竹森)

一緒に読む
玉諸神社(甲州市塩山竹森)〈『延喜式』玉諸神社〉

玉諸神社(たまもろじんじゃ)は 創建勧請の年代は不祥ですが 祭神は 天羽明玉命〈八坂瓊五百箇御統玉(やさかにのいほつみまるのたま)を造った神〉を祀り 高さ七尺余(約212cm)周囲六尺八寸(約206cm)許りの水晶を御神体としていると伝わる 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 玉諸神社(たまもろの かみのやしろ)の論社です 

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延喜式内社 周防國 佐波郡 玉祖神社二座(たまのをやの かみのやしろ ふたくら)

・玉祖神社(防府市)

一緒に読む
玉祖神社(周防国一之宮)

玉祖神社(たまのおやじんじゃ)は 『延喜式神名帳』に「玉祖神社二座」と所載されています 三種の神器の一つ 八坂瓊曲玉(yasakanino magatama)を造られた「玉祖命(tamanoya no mikoto)」が御祭神 他一座は不詳です また 社伝では『日本神話』でも有名な「天照大神の天の岩戸隠」の時に 集めて鳴かせた「常世 長鳴鶏」を 玉祖命が この地に この鶏をつれて留まられたとして「黒柏 発祥の地」としています 黒柏は 天然記念物に指定されて境内で飼育されています

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR東海道本線 沼津駅から狩野川を越えて東へ約1.6km 車での所要時間は5~6分程度

玉作神社(沼津市黒瀬町)に参着

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社号標には゛延喜式内社 玉造神社゛
鳥居の扁額には゛玉造宮゛と刻字されていて「玉造(たまつくり)」の文字が使われています

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一礼をしてから鳥居をくぐり抜けます

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 玉作水神社について 所在は゛駿河國 駿東郡香貫村に在す゛〈現 玉作神社(沼津市黒瀬町)〉と記しています

【抜粋意訳】

玉作水神社

玉作は多末都久里と訓べし、和名鈔、郷名部駿河國駿河郡玉造、」

○祭神 水神歟

○駿河國 駿東郡香貫村に在す、

例祭

神位 國内神階記云、從四位上玉作明神、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 玉作水神社について 社名のみ記しています

【抜粋意訳】

玉作水(タマツクリミツノ)神社

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 玉作水神社について 所在は゛上香貫村〔字黒瀬〇今属 駿河國駿東郡〕(駿東郡楊川村大字香貫)゛〈現 玉作神社(沼津市黒瀬町)〉と記しています

別説として
゛玉川村の神社なるべし 玉川村に愛鷹(アシタカ)明神あり゛〈現 愛鷹神社(三島市三好町)〉
゛平田村に神明社あり゛〈現 神明宮(三島市平田)〉

【抜粋意訳】

玉作水(タマツクリミヅノ)神社

祭神 水波能女(ミヅハメノメノ)命

 今按 式社攷證に引る駿河草云 玉ノ祖ノ神を祭る 又曰 水德神 瀬織津姫ならむか 狩野川出水守護神ならんとあり この玉ノ祖ノ神と云るは 玉作の字によりて云出たろものなるべければ信がたし 玉作に座す水神と聞ゆれば水波能女神にますべきを瀬織津姫と云るは如何あらん 故今之を訂せり

祭日 六月一日
社格 村社

所在 上香貫村〔字黒瀬〇今属 駿河國駿東郡〕(駿東郡楊川村大字香貫)

 今按 式社攷證に上香貫村舊社ともみえず 玉作川の稱に協はざる社地なれば疑ひ無きに非ず
 一説に玉川村の神社なるべし 玉作水は沸湧する清泉の玉なして流るるよる起り玉作川の意なるべし 玉川村に副て玉川 又 界川あり上源に玉水池あり 其 玉川村は東岸にあり 其 西岸は駿河國にて玉川村あり 此川に添たる諸村を索るに玉川村に愛鷹(アシタカ)明神あり 平田村に神明社あり されど考徵すべきものなしと云り 此玉川村由ありて聞ゆれど徵なければ考べき由なし 故今姑く靜岡縣の註進に從ふ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

玉作神社(沼津市黒瀬町) (hai)」(90度のお辞儀)

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伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る

一緒に読む
伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について

伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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