実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

多氣比賣神社(桶川市)

多氣比売神社(たけひめじんじゃ)は 創建年代は不詳ですが 社伝によれば 3代安寧天皇の代の創建と伝えられます とすれば2500年程は前の鎮座となります 『延喜式神名帳(927年12月編纂)所載の武蔵国足立郡「多氣比賣神社」に比定される格式の高い古社です

1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

多氣比賣神社Takehime Shrine)
(たけひめじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

姫宮様(himemiya sama)

【鎮座地 (Location) 

埼玉県桶川市篠津58

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》豊葺健姫命Toyoashitakehime no mikoto)

【御神格 (God's great power)】

・安産 Healthy childbirth
・子宝 Blessed with children like a treasure

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

創建年代は不詳ですが
社伝には 第3代安寧天皇の御代の創建と伝えられます
とすれば2500年程は前の鎮座となります

多気比売神社 御由緒

御縁起 (歴史)   桶川市篠津(しのづ)58

『延喜式』神名帳に戴る足立郡四座のうちの一座「多気比売神社」に比定される当社は、篠津の集落の南に、赤堀川を望んで鎮座する。
赤堀川を挟んで対岸は一面の水田となっているが、かつては「篠津沼」という大きな沼があった。篠津とは篠の生い茂った中の船着き場に由来するといい、

祭神である豊葦建(とよあしたけ)〔竹〕姫(ひめ)命を考え合わせるに、
恐らくは篠や葦・竹の茂った付近一帯を領(うしは)く女神を祀ったものであろう。

『風土記稿』篠津村の項に「姫宮社 当社は〔延喜式〕内 多気比売神社にて、祭神は豊葦建姫命なり 神体は女体にて十二単衣冠の坐像〔中略〕金剛寺の持」と載り、江戸期、当社は姫宮社と呼ばれており、延喜式内社の多気比売神社に比定されていたことがわかる。

しかし、吉田東伍氏は「大日本地名辞書」の中でこれを否定し、さいたま市緑区三室の氷川女体神社を本来の多気比売神社であるとしている。

別当の金剛寺は、真言宗の寺院で、社蔵の文化5年(1808)の「姫宮大明神」再建棟札にも「別当金剛寺専教」の名が見える。

明治初年、当社は社名を姫宮社から多気比売神社に改め、明治6年に村社となった。同40年大字五丁台字上耕地の稲荷社を合祀した。

祀職は、明治初年の神仏分離により金剛寺の僧が姓を金田と名乗って復飾し神職となり、当社の東隣に居住して昭和20年ごろまで務めたが、その後、加納の桜井家が継いで、現在に至っている。

御祭神と御神徳
豊葦建姫命(とよあしたけひめのみこと)  安産、子宝

末社
天神社 稲荷社 三峯社

御祭日
・祈年祭(2月11日)
・例大祭(3月15日)
・ふせぎ(4月1日)
・新嘗祭(11月23日)

境内案内板より

【由  (history)】

市指定天然記念物

多気比売神社の大シイ   昭和36年4月1日指定

この多気比売神社(たけひめじんじゃ)は、平安時代の書物である「延喜式」(927年完成)に収められている神名帳にその名が記されている
市内で最も古い神社であり、その祭神は「豊葦建姫命(とよあしたけひめのみこと)」である。
また、この神社は「ひめみやさま」と親しまれ、古くから安産の神として婦人の信仰を集めてきた。
現在、市指定天然記念物となっている「多気比売神社の大シイ」は、樹齢約600年と推定され、その規模は以下のとおりである。
樹 高 13m 根廻り 6.7m
枝張り 17m(南北)  14.1m(東西)

境内にある他の樹木とともにこの大シイは、鎮守の森として篠津地区の人々の信仰と親愛の情によって守られ、今なお、5月末ごろには黄色い房状の花が咲き、やがて小さなシイの実をつける。

昭和62年3月 桶川市教育委員会

境内案内板より

【境内社 (Other deities within the precincts)】

・天神社(tenjin sha)
・稲荷社(inari sha)
・三峯社(mitsumine sha)

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

延喜式神名帳】(engishiki jimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679 
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵国 44座(大2座・小42座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)足立郡 4座(大1座・小3座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 ] 多気比売神社
[ふ り が な  ](たけのひめの かみのやしろ)
[How to read ]Take no hime no kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

御祭神の「豊葺健姫命Toyoashitakehime no mikoto)」を祀る神社について

「豊葺健姫命(Toyoashitakehime no mikoto)」は 謎の女神です

境内の由緒書案内板によれば
「祭神である豊葦建(とよあしたけ)〔竹〕姫(ひめ)命を考え合わせるに、
恐らくは篠や葦・竹の茂った付近一帯を領(うしは)く女神を祀ったものであろう」とされています

この御祭神を祀る神社が 徳島県阿南市に鎮座しています
古烏神社Kogarasu Shrine)
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)の所載社で
阿波国 那賀郡 建比売神社Takehime no kamino yashiro)とされています

由緒には「・・・この神は諸説あるが 大国主命の娘 建比売命 下照姫 或いは 豊葦建姫命と称され 社務所に巫女等がいて神事を司っていたと言う」と記されています

古烏神社Kogarasu Shrine)」の記事をご覧ください

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『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)
武蔵国 足立郡 多気比売神社Take no hime no kamino yashiro)のもう一つの論社

境内の案内板によれば 別の説が記されています
それによると

日本初の全国的地誌として 在野の歴史家「吉田東伍」氏が 個人によって13年をかけて編纂した『大日本地名辞書(dainihon chimei jisho)』〈明治33年(1900年)3月に第1冊上が出版された地名辞典〉には
さいたま市緑区三室の氷川女体神社を本来の多気比売神社であるとしている

氷川女神社の記事をご覧ください

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

桶川駅から北西へ 県道12号経由 約4.6km 車15分程度

神社の正面には 元荒川の支流・赤堀川が流れて 篠津の桜堤となっています 神社の御由緒によれば 赤堀川の対岸にある工業団地一帯はかつて「篠津沼」という大きな沼があったそうです
田の中にこんもりとした鎮守の杜が見えてきます

多氣比賣神社Takehime Shrine)に参着

境内の鳥居脇にある樹齢600年の大シイ
一本の木が 障害物もなく自然の枝葉を丸く伸ばした濃い緑のかたまりとなっていて なんとも古社の漂い

社号標には「延喜式内 多氣比賣神社」とあります
木製の両部鳥居が建ち 細い石畳の参道が真っ直ぐに伸びています

一礼して鳥居をくぐり抜けます
鳥居の扁額は見えにくいのですが 肉眼で良く見ると「多氣比賣神社」と崩して書かれています

参道の右手には手水舎があります

参道右手の大シイの根元には、二つの丸い「力石」があります
案内板には 力石には「享保八年(1723年) 篠津村奉納力石三十三貫目卯二月吉日岩崎氏」の文が刻まれている と書かれています

境内は 大木の翳りで 静寂です
石畳の参道 左には 境内社があり お詣りをします
・天神社(tenjin sha)
・稲荷社(inari sha)
参道正面には 拝殿が建ちます

拝殿にすすみます 扁額にはかっての社号「姫宮大明神」とあります

賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

拝殿の向かって左側にも古木があり 本殿が仰げます
本殿の後ろには 境内社があり お詣りをします
・三峯社(mitsumine sha)

この社殿の横の古木も立派です 御神木とされているようで注連縄が掛かります

社殿の横から 境内を戻ります こちらがからは 境内社の稲荷社が見えています

鳥居を抜けて 振り返り一礼をします

神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『新編武蔵風土記稿(Shimpen musashi fudoki ko)』篠津村の条に記される伝承

篠津村の条に 旧 社号の「姫宮社(himemiya no yashiro)」として記されています

意訳

姫宮社

当社は 延喜式内 多氣比賣神社にて
祭神は 豊葦建姫命なり
神体は 女体にて 十二單衣冠の坐像

本社の
前に 幣殿拝殿
側に 椎の大木2株あり 往古は1樹なりと云
何の頃にや枯て その朽たる根際 2樹合して生ぜり
根の圍み2株合して 2丈餘
又 1樹は周径1丈6尺餘 何れも古木にして神木とす
金剛寺の持

末社 稲荷社 三峰社

寺院 金剛寺 新義眞言宗、瀧馬室村常勝寺門徒、本尊不動を安置せり

地蔵堂 村民の持

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『新編武蔵風土記稿』1830年(文政13年)著者:間宮士信 [旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局 活版 ,明治17年
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002820&ID=M2017051812110439332&TYPE=&NO=

多氣比賣神社Takehime Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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