高天山佐太雄神社(たかまさたおじんじゃ)は 金剛山の尾根を、千早峠に向かう途中の神福山 (七九二メートル )の頂上に鎮座します 金剛山(kongo san)山麓に東から南に並び鎮座する式内社「高天三座」の一つ 延喜式内社 大和國 宇智郡 髙天山佐太雄神社(鍬)(たかまのやまさたをの かみのやしろ)とされます
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
高天山佐太雄神社(Takamasatao shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
奈良県五條市大澤町592
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
御祭神は不祥
一説には゛高天山佐太雄神゛とも゛須佐雄命゛とも
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
『大和志料』下巻〈大正3〉に記される内容
牧野村 神福山にあるものと牧野村字北山にあるもの の両方が式内社と云われているが どちらかは不明と記しています
【抜粋意訳】
高天山佐太雄(タカマヤマサタヲ)神社
牧野村大字大澤〔神福山〕にあり、式内村社たり、祭神詳かならず、或は云ふ同村字北山にあるもの式内社なりと云ふ、孰(イズレ)か是なるを知らず。
【原文参照】
【由 緒 (History)】
『奈良県史』第五巻 神社〈平成元年 奈良県史編集委員会編集〉より抜粋
9五条市
高天山佐太雄神社 鍬
(大沢町神福山五九二)
金剛山の尾根を、千早峠に向かう途中の神福山 (七九二メートル )の頂上鎮座の社を、式内高天佐太雄神社にあてられている。神福山は円錐形の緑したたる樹々の茂る美しい神体山で、宇智の盆地の各所から望み見ることができ、古来天狗岑とも称し、葛城修験の霊山の一つで、大沢区内の山麓に古来祭祀の跡とおもえる当社の遥拝所 (拝所)がある。
祭神は明確にし難いが、明治の「明細帳」には、高天佐太雄神といい、度合延経の「神名帳考証」に「佐太雄」とは、須佐雄命としている。『大和志』にもあるように高天とは、金剛山の古名で、『延喜式』神名帳の葛上郡に高天彦神社、宇智郡に当社の外高天岸野神社があり、何れも古の高天山系は鎮座の式内社であった。明治の「明細帳」に、大沢寺付近西木戸の式外雑社高天佐太雄神社は、明治二十四年に当社へ合祀したというが、この旧社地もまた神福山の拝所の一であったのでなかろうか。
当社の南方約五メートルの所に、塚状の盛土があり、先年鏡三面出土したというが、『大和志』に記す大沢村の小塚や『葛嶺雑記』神福山大沢寺の条に「此山の嶺上を神福山といふ。 ・・・鷲の窟あり・・・また嶺の林を経塚なりといふ」とみえるが石敷で囲まれているといわれている。
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・「葛城経塚二十八宿」の一つ 神福山は第十九番の経塚
〈本殿向かって右手前〉
19.第十九経塚 神福山(じんぷくさん)法師功徳品(ほっしくどくほん)(五條市)
この経塚は、第十八経塚「岩瀬経塚山・随喜功徳品」から東南へおよそ3km、ダイヤモンドトレールが走る神福山(標高 792 m、別名「笹尾山」)の山頂に存在する。登頂して目に付く盛土は、鏡が三面出土した場所と伝えられるが、現在は経塚と考えられている。
なお、経塚の隣には「延喜式」神名帳の高天山佐太雄神社に比定されている高天佐太雄神社の小祠、麓には修験道に関係する大澤寺、草谷寺、地福寺がある。
『日本遺産葛城修験 里人とともに守り伝える修験道はじまりの地 構成文化財調査報告書』〈発行2023 年 編集・発行 葛城修験日本遺産活用推進協議会〉より抜
・三扉の祠一宇
〈神福山の山頂から南に下った処〉修験道の祠〈神福大金神・龍王神・大久保家祖神〉とされる
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・高天佐大雄神社遥拝所(五條市大澤町704)
〈明治の「明細帳」に 大沢寺付近西木戸の式外雑社高天佐太雄神社は 明治二十四年に当社へ合祀したという〉
『大和志料』下巻〈大正3〉には 式内社の論社とも記しています
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和國 286座(第128座(な月次新嘗・就中31座預り相詳細)・小158座(波官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)宇智郡 11座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 髙天山佐太雄神社(鍬)
[ふ り が な ](たかまのやまさたをの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Takamanoyama satawo no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
金剛山(kongo san)山麓に東から南に並び鎮座する式内社「高天三座」
金剛山(kongo san)は かつては 高間山・高天山(takama yama)や葛城嶺(kazuraki no mine)と云われていました
「式内社「高天三座」地 図」(Google Map)
・金剛山の東麓 「高天彦神社(takama hiko no kaminoyashiro)」
《主》高天彦神(takama hiko no kami)
延喜式内社 大和國 葛上郡 高天彦神社(名神大 月次 相嘗 新嘗)(たかまひこの かみのやしろ)
・高天彦神社(御所市)
高天彦神社(たかまひこじんじゃ)は 高天(たかま)は鎮座地の地名ですが 日本神話に登場する高天原(たかまがはら)であったとの伝説が残ります 古代の大和朝廷に敬われ延喜の制では最高の名神大社となった古社です 古代豪族の葛城氏が祖神を祀り ここに坐ます
高天彦神社(御所市北窪)〈延喜式内社「高天三座」の一つ〉
・金剛山の東南麓「高天岸野神社(takama kishi no kaminoyashiro)」
《主》高天岸野神(takama kishi no kami)
延喜式内社 大和國 宇智郡 髙天岸野神社(鍬)(たかまのきしのの かみのやしろ)
・高天岸野神社(五條市北山町)
高天岸野神社(たかまきしのじんじゃ)は 現在 一尾背神社の境内に祀られています〈一説に 里宮とも遥拝所とも 遷座先とも〉 延喜式内社 大和國 宇智郡 髙天岸野神社(鍬)(たかまのきしのの かみのやしろ)とされ 江戸時代には旧鎮座地にあり 岸野辨天さんと俗称されていました 祭神などの伝承は途切れています
高天岸野神社(五條市北山町)〈延喜式内社「高天三座」の一つ〉
・金剛山の南麓「高天山佐太雄神社(takamano yamasataono kaminoyashiro)」
《主》高天山佐太雄神(takamanoyamasatao no kami)
延喜式内社 大和國 宇智郡 髙天山佐太雄神社(鍬)(たかまのやまさたをの かみのやしろ)
・高天山佐太雄神社(五條市大澤町)
高天山佐太雄神社(たかまさたおじんじゃ)は 金剛山の尾根を、千早峠に向かう途中の神福山 (七九二メートル )の頂上に鎮座します 金剛山(kongo san)山麓に東から南に並び鎮座する式内社「高天三座」の一つ 延喜式内社 大和國 宇智郡 髙天山佐太雄神社(鍬)(たかまのやまさたをの かみのやしろ)とされます
高天山佐太雄神社(五條市大澤町)〈延喜式内社「高天三座」の一つ〉
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR和歌山線 五条駅からR310号経由で北西に約9km 車20分程度
大阪府と奈良県の府県境を超える金剛トンネルの手前
金剛トンネルの手前に 車1~2台程度の小さなスペースがあり ここから徒歩で進みます
登拝口はここ 神福山を目指します
高天山佐太雄神社への参拝のみであれば 登山装備は無くても可てすが 山道なので足回りはしっかりと準備して ゆっくり登拝時間は片道30分程度か
山を上がって行くと ダイヤモンドトレールの金剛トンネネル地点に出ます
ここから右折して 尾根を歩くようなイメージで ダイヤモンドトレールを神福山の標識まで進みます
神福山の標識通りに 山へと上がります
山頂の手前に 修験道の祠〈神福大金神・龍王神・大久保家祖神〉とされる 三扉の祠一宇
すぐに山頂になります
高天山佐太雄神社(五條市大澤町)に参着
山頂に木が伐採された平地があり 境内になっています
境内には 「葛城経塚二十八宿」の一つ 神福山は第十九番の京塚があり
僅かに土盛りがあります
本殿の祠にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿に一礼をして 参道を戻ります
先程の道案内を 紀見峠方面に ダイヤモンドトレールの金剛トンネネル地点まで戻ります
ここから 国道310号まで一気に下ります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 高天山佐太雄神社について 祭神は不明 所在は゛大澤村神福山頭に在す、俗天狗峯と呼ぶ゛〈現 高天山佐太雄神社(五條市大澤町)〉と記しています
【抜粋意訳】
高天山佐太雄神社 鍬
高天山は 多加麻乃夜麻と訓べし、佐太雄は假字也、
○祭神詳ならず
○大澤村神福山頭に在す、俗天狗峯と呼ぶ、(大和志、同名所図会)
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 高天山佐太雄神社について 祭神については記さず不明 所在は゛大澤村神福山頭にあり゛〈現 高天山佐太雄神社(五條市大澤町)〉と記しています
【抜粋意訳】
高天山佐太雄(タカマノヤマサタヲノ)神社
今 大澤村神福山頭にあり、〔大和志、名所圖會〕
凡 毎年六月八月廿五日祭を行ふ、〔奈良縣神社取調書〕
已上 二社、醍醐天皇 延喜の制、祈年祭 並に鍬一口を奉りき、〔延喜式〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 高天山佐太雄神社について 祭神については記さず不明 所在は゛大澤村 字神福山 又 天狗峰゛〈現 高天山佐太雄神社(五條市大澤町)〉と記しています
【抜粋意訳】
高天山佐太雄神社 鍬
祭神
祭日 六月八月並二十五日
社格 (明細帳に村社とあり)所在 大澤村 字神福山 又 天狗峰(字料郡牧野村大字大澤 )
【原文参照】
高天山佐太雄神社(五條市大澤町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る
大和国(やまとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 大和國の286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)の神社のことです
大和国 286座(大128座(並月次新嘗就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)