高天岸野神社(たかまきしのじんじゃ)は 現在 一尾背神社の境内に祀られています〈一説に 里宮とも遥拝所とも 遷座先とも〉『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載 延喜式内社 大和國 宇智郡 髙天岸野神社(鍬)(たかまのきしのの かみのやしろ)とされます 江戸時代には旧鎮座地にあり 岸野辨天さんと俗称されていました 祭神などの伝承は途切れています
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
高天岸野神社(Takamakishino shrine)
【通称名(Common name)】
・岸野弁天さん(きしのべんてんさん)
【鎮座地 (Location) 】
奈良県五條市北山町249
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》高天岸野神(たかまきしのかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
『大和志料』下巻〈大正3〉に記される内容
【抜粋意訳】
高天岸野(タカマキシノ)神社
牧野村大字北山にあり、式内村社たり、祭神詳かならず。
【原文参照】
【由 緒 (History)】
『奈良県史』第五巻 神社〈平成元年 奈良県史編集委員会編集〉より抜粋
【抜粋意訳】
9五条市 牧野地区
高天岸野神社 鍬
(北山町字岸野一二八九)
千早峠の北、弁天山中腹 (標高約八〇〇メートルの高所 )に鎮座の宮を、式内高天岸野神社に比定されている
『大和志』の大和国六葛上郡に、「葛城山葛上・忍海•葛下三郡ノ西ニ連亘ス・・・第一峯高天山卜曰ヒ、又金剛山卜呼ブ」と記し、高天岸野神社は岸野弁才天と称すとある。本来の祭神についての所伝は失われて、地元でも弁天さんと俗称しているが、明治の「明細帳」には、祭神高天岸野神で、往古より伊都伎島命と口碑し来るとあり、弁財天神像を祀る。元付近にあった草谷寺の奥の宮として祀られたのが当社だとの説もある。今山麓の北山町東谷に移っているが、岸野山と号し真言宗で、本尊薬師如来立像、不動明王像は何れも平安後期の作風で、国の重要文化財になっている。
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
高天岸野神社(五條市北山町)は 式内社 一尾背神社(五條市北山町)の境内に鎮座
高天岸野神社の〈里宮とも遥拝所とも 遷座先とも〉云われます
延喜式内社 大和國 宇智郡 一尾背神社(ひとをせの かみのやしろ)
・一尾背神社(五條市北山町)
一尾背神社(いちおせじんじゃ)は 創建について年代等は不祥ですが その歴史は古く 延喜式内社 大和國 宇智郡 一尾背神社(ひとをせの かみのやしろ)とされます 江戸時代以前は゛水分社゛と称し 現在も通称゛水分さん゛と呼ばれ 里人から篤い信仰があります
一尾背神社〈通称゛水分さん゛〉(五條市北山町)
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・〈旧鎮座地〉高天岸野神社(五條市北山町1289)
旧鎮座地への参拝路 入口
一尾背神社 横の沢沿いに上がる
或はこの地点から上がる
〈旧鎮座地〉高天岸野神社のすく傍にある゛龍頭塚゛
伝説には
むかし 修験僧〈役行者とも〉が 悪さをした龍を退治した時 龍の身が3つに裂け 村人は 龍の祟りを畏れ 龍の尾 胴体 頭が落ちた所に塚を作り寺を建てたと伝わる
「龍頭塚」「龍胴塚」「龍尾塚」があり 龍尾塚は草谷寺(五條市北山町906)
こちらのサイトに詳しい くりんとの登山ガイド
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和國 286座(第128座(な月次新嘗・就中31座預り相詳細)・小158座(波官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)宇智郡 11座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 髙天岸野神社(鍬)
[ふ り が な ](たかまのきしのの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Takamanokishino no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
金剛山(kongo san)山麓に東から南に並び鎮座する式内社「高天三座」
金剛山(kongo san)は かつては 高間山・高天山(takama yama)や葛城嶺(kazuraki no mine)と云われていました
「式内社「高天三座」地 図」(Google Map)
・金剛山の東麓 「高天彦神社(takama hiko no kaminoyashiro)」
《主》高天彦神(takama hiko no kami)
延喜式内社 大和國 葛上郡 高天彦神社(名神大 月次 相嘗 新嘗)(たかまひこの かみのやしろ)
・高天彦神社(御所市)
高天彦神社(たかまひこじんじゃ)は 高天(たかま)は鎮座地の地名ですが 日本神話に登場する高天原(たかまがはら)であったとの伝説が残ります 古代の大和朝廷に敬われ延喜の制では最高の名神大社となった古社です 古代豪族の葛城氏が祖神を祀り ここに坐ます
高天彦神社(御所市北窪)〈延喜式内社「高天三座」の一つ〉
・金剛山の東南麓「高天岸野神社(takama kishi no kaminoyashiro)」
《主》高天岸野神(takama kishi no kami)
延喜式内社 大和國 宇智郡 髙天岸野神社(鍬)(たかまのきしのの かみのやしろ)
・高天岸野神社(五條市北山町)
高天岸野神社(たかまきしのじんじゃ)は 現在 一尾背神社の境内に祀られています〈一説に 里宮とも遥拝所とも 遷座先とも〉 延喜式内社 大和國 宇智郡 髙天岸野神社(鍬)(たかまのきしのの かみのやしろ)とされ 江戸時代には旧鎮座地にあり 岸野辨天さんと俗称されていました 祭神などの伝承は途切れています
高天岸野神社(五條市北山町)〈延喜式内社「高天三座」の一つ〉
・金剛山の南麓「高天山佐太雄神社(takamano yamasataono kaminoyashiro)」
《主》高天山佐太雄神(takamanoyamasatao no kami)
延喜式内社 大和國 宇智郡 髙天山佐太雄神社(鍬)(たかまのやまさたをの かみのやしろ)
・高天山佐太雄神社(五條市大澤町)
高天山佐太雄神社(たかまさたおじんじゃ)は 金剛山の尾根を、千早峠に向かう途中の神福山 (七九二メートル )の頂上に鎮座します 金剛山(kongo san)山麓に東から南に並び鎮座する式内社「高天三座」の一つ 延喜式内社 大和國 宇智郡 髙天山佐太雄神社(鍬)(たかまのやまさたをの かみのやしろ)とされます
高天山佐太雄神社(五條市大澤町)〈延喜式内社「高天三座」の一つ〉
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
京奈和自動車道 五條インターチェンジから北上 約4.3km 車10分程度
国道310号の金剛トンネルから 五條市方面に下ると 標高400m程に左に分かれる小道があり これを下るとすぐです
道路沿いに゛割拝殿゛が建つのですぐにわかります
一尾背神社(五條市北山町)に参着
・一尾背神社(五條市北山町)
一尾背神社(いちおせじんじゃ)は 創建について年代等は不祥ですが その歴史は古く 延喜式内社 大和國 宇智郡 一尾背神社(ひとをせの かみのやしろ)とされます 江戸時代以前は゛水分社゛と称し 現在も通称゛水分さん゛と呼ばれ 里人から篤い信仰があります
一尾背神社〈通称゛水分さん゛〉(五條市北山町)
一尾背神社の向かって右隣の鳥居が 高天岸野神社
高天岸野神社(五條市北山町)に参着
社殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
高天岸野神社の向かって左並びには 一尾背神社
社殿に一礼をして 参道を戻ります
すぐ脇を流れる沢沿いに道を上がると〈旧鎮座地〉高天岸野神社(五條市北山町1289)
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 高天岸野神社は 所在について゛北山村に在す、今 岸野辨財天と稱す゛〈現 高天岸野神社(五條市北山町)〉と記しています
【抜粋意訳】
高天岸野神社
高天は多加麻、」岸野は岐之能と訓べし、
〇祭神詳ならず
〇北山村に在す、今 岸野辨財天と稱す、〔大和志、同名所圖會〕
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 高天岸野神社は 所在について゛北山村にあり、岸野辨才天といふ゛〈現 高天岸野神社(五條市北山町)〉と記しています
【抜粋意訳】
高天岸野(タカマノキシヌノ)神社
今 北山村にあり、岸野辨才天といふ、〔大和志、名所圖會〕
醍醐天皇 延喜の制、祈年祭に鍬一口を奉る、〔延喜式〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 高天岸野神社は 所在について゛北山村字岸野゛〈現 高天岸野神社(五條市北山町)〉と記しています
【抜粋意訳】
高天岸野(タカマノキシヌノ)神社 鍬
祭神 市杵烏姫命
祭日 十月亥日
社格 村社所在 北山村字岸野 (宇智郡牧野村大字北山)
【原文参照】
高天岸野神社(五條市北山町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る
大和国(やまとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 大和國の286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)の神社のことです
大和国 286座(大128座(並月次新嘗就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)