須岐神社(すきじんじゃ)は 創祀年代 鎮座 由来等は詳かでない 昔時は今の社地の西方の宮高森上に在り 建久二年(1191)に地頭 児玉弥太郎がここに遷座して 赤崎大明神と称え椚千本を植え神境としたと伝わります 延喜式内社 陸奥國 黒川郡 須伎神社(すきの かみのやしろ)の論社です
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
須岐神社(Suki shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
宮城県黒川郡大衡村駒場字下宮前4
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》素戔鳴尊(すさのをのみこと)
《合》三渡神(みわたしのかみ)〈合祀 三渡神社〉
大山祇命(おほやまつみのみこと)〈合祀 山神社〉
保食神(うけもちのかみ)
應神天皇(おうじんてんのう)
櫲樟日命(くすひのみこと)〈合祀 村社熊野神社(字 奥田)〉
手力雄命(たちからをのみこと)
素戔鳴尊(すさのをのみこと)〈合祀 須賀神社(字 大森)〉
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
須岐神社(すきじんじゃ)の由来
所在 大衡村駒場字下宮前地内
当社は、延喜式神名帳記載の黒川郡四社の一社で祭神 素盞鳴尊(すさのをのみこと)を祀る。始め西方の宮高森上に在り 建久二年(一一九一)に地頭 児玉弥太郎がここに遷座して、赤崎大明神と稱え椚千本を植え神境とした。里人はこれを千本椚と称した。
中世時代から支配領主たちの崇敬篤く 延亨三年(一七四六)藩主 伊達宗村公は、疾病平癒祈願のため茂庭求馬社参したといわれ、終始一貫して地方の名社として存続し明治六年郷社となる。
社殿は、江戸時代中期 宝暦十年(一七六〇)に神主 斎藤能登守の時に新築造営された。
本殿は、流れ造りこけら葺で小屋組柱露出吹放の覆屋(雨屋)がかけられている。
拝殿は入母屋造萱葺、長床は奇棟造萱葺で大正十三年に再建された。
平成三年(一九九一)拝殿、幣殿、輿殿を神明造りに御大典記念として新改築。伊崎神社境内に遷座 平成四年(一九九二) 長床改築し顕彰碑を建立する。平成二十六年三月
大衡村教育委員会
大衡村文化財保護審議会現地案内板より
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由緒
鎮座地は、旧奥州街道に沿う要地で、その昔源頼朝、奥州諸大名、明治天皇、東北御巡幸の際通られたところである。
創祀年代、鎮座、由来等は詳かでない。延喜式神名帳(平安時代)に登載されている。
宮高森より(現在地より西方向)より当地を領有せる。児玉弥太郎重成が(建久2年)、今の地に遷した。延亨3年(1747年)藩主、伊達宗村、当社に病気平癒を祈願し効験があった。
明治5年3月郷社に列せらる。明治43年3月神饌幣帛料供進社に指定さる。
本殿宝暦10年(1760年)10月建立の実物(流造柿葺)が覆屋にて今も保存されてある。拝殿幣殿は老朽の為、平成3年天皇即位御大典を祝し、新築してある。鐘楼は、亨保3年奉納されたものであるが大東亜戦争に際し供出され、それに変り平成13年新しく氏子崇敬者により奉納建立された。宮城県神社庁HPより
https://miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310020397
【由 緒 (History)】
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
宮城縣 黒川郡 郷社
○宮城縣 陸前國 黒川郡大衡村大字駒場
鄉社 須岐(スキノ)神社
祭神
素戔嗚(スサノヲノ)命
三渡(ミワタシノ)神
大山祇(オホヤマツミノ)命
保食(ウケモチノ)神
應神天皇(オウジンテンワウ)
櫲樟日(クスヒノ)命
手力雄(タチカラヲノ)命創建の年月詳ならざれど、延喜式內の黑川郡四座の中、須岐神社とある之なりといふ、昔時は今の社地の西方 宮高森にありしを、後鳥羽天皇 建久二年、兒玉孫太郎重成 今の地に遷して、清淨の意によりて赤崎明神と云ひ、又 杜地に椚千本を植ゑて千本椚といふ、その駒場と名づくるものは、右大將 賴朝の奥州征討の節、當社に陣して馬に飲かひ、軍士を稿らひしによると云ふ、延享以來 領主 伊達宗村の尊信を受けたりしが、明治五年三月 郷社に列せらる、御神體は享保十九年七月 社士齋藤能登守神祇管領卜部兼雄朝臣に依り勧請せる箱なりとぞ。
觀迹聞老志云、「赤崎社、在ニ 駒場村 建久二年、兒玉孫太郎重成所 建、未詳ニ 所祭何神 也、(神社覈録に據れば、祭神 伊弉諾尊とあり、但し本社の祭神と一致せず)
封内記云、赤崎大明神社、建久三年、本邑舊主 兒玉右近(諱不傳)植ニ 椚千本於社地、
神祇志云、黒川郡 行神社、按、行讀爲ニ 悠紀、凡大嘗祭卜 定 悠紀須伎 國郡、建ニ 齋場於其地、今本郡有ニ 此社 及 須伎社、疑古齋場之遺址也、然史無所考、」
とある如く、かかる避遠の地に大嘗會の悠紀 主基を充課せられしこと疑ふべきにあらずや、後考を挨つ、
明治四十一年十一月二十五日、同所 三渡神社、山神社、及 字大森の須賀神社、字奥田の村社熊野神社を合祀す。社殿は、本殿、拜殿、長床、神饌所等を具備し、境内坪數七百九坪、(官有地第一種)たり、境内に周圍丈餘の樹木あり、風致備れり、寶物は縁起、太刀等とす、又基本財產二千餘圓を有せり。
境内神社 神明神社 八幡神社 熊野神社
例祭日 四月十五日
【原文参照】
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278
由緒
創祀年代、鎮座の由来等は詳らかでないが、延喜式神名帳に黒川郡4座の1として記載され、社伝の縁起書によると、往古は「韓鋤神社」とも称し、現在地の西の方「宮高森」にあったが、建久中の頃当地(駒場・大森・菊田)を領有していた「児玉弥太郎重成」が今の地に遷祀し、「赤坂明神」と称え氏神として尊崇した。その子孫「児玉右近」が社地に椚千本を植え、「千本椚」とも言った。
延享3年 藩主伊達宗村、当社に病気平癒を祈願し、効験があったことから頗る尊崇したことが誌に記されている。また当社の御神体は享保19年、社人能登守源左衛門が、神祇官領吉田兼雄に請い、これを祀ったと伝えている。
明治5年3月郷社に列し、同43年3月神饌幣帛料供進社に指定せられたが戦後廃止され、昭和25年7月神社本庁被包括宗教法人として現在に至る。※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)陸奥國 100座(大15座・小85座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)黒川郡 4座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 須伎神社
[ふ り が な ](すきの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Suki no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載されている「須伎神社(すきの かみのやしろ)」について
延喜式内社 伊勢國 河曲郡 須支神社(すきの かみのやしろ)の論社
・須伎神社(鈴鹿市長太栄町)
須伎神社(すぎじんじゃ)は 社伝には 上古 津島の神を奉じて南下した人々が長太村に祠を建て祀ったと云う 元禄三年(1690)当地に移転鎮座した 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 須支神社(すきの かみのやしろ)とされ 又 明治40年(1907)大木神社(長太の大樟)を合祀し 同じく式内社 大木神社(おほきの かみのやしろ)の論社でもあります
須伎神社(鈴鹿市長太栄町)〈『延喜式』須支神社・大木神社〉
延喜式内社 陸奥國 黒川郡 須伎神社(すきの かみのやしろ)の論社
・須岐神社(大衡村駒場下宮前)
須岐神社(すきじんじゃ)は 創祀年代 鎮座 由来等は詳かでない 昔時は今の社地の西方の宮高森上に在り 建久二年(1191)に地頭 児玉弥太郎がここに遷座して 赤崎大明神と称え椚千本を植え神境としたと伝わります 延喜式内社 陸奥國 黒川郡 須伎神社(すきの かみのやしろ)の論社です
須岐神社(大衡村駒場下宮前)〈『延喜式』須伎神社〉
・鶴ケ峯八幡宮(大和町宮床赤坂)
〈本殿合祀 賀茂明神〉
〈境内社 鳴上賀茂明神宮〉
延喜式内社 加賀国 加賀郡 須岐神社(すきの かみのやしろ)の論社
・須岐神社(金沢市東蚊爪町)
〈参考〉延喜式内社 但馬国 出石郡 湏義神社(すきの かみのやしろ)の論社
・須義神社(豊岡市出石町荒木字竹ヶ原)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR東日本東北新幹線・陸羽東線の古川駅から南方向へ約13.2km 車での所要時間は20~25分程度
県道16号沿いに南を向いて鎮座しています
須岐神社(大衡村駒場下宮前)に参着
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県道16号から7~8段程の石段を上がれば境内参道となっています
石鳥居が建てられていて その先に随神門 奥に拝殿が見えています
鳥居の下に 赤い頭巾のようなものを被った石像のようなものがあります
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近づいて よく見てみると 狛犬に赤頭巾と赤い前垂れが付けられているものでした
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鳥居をくぐり抜けると 随神門があり 一礼をしてくぐり抜けて境内へと進みます
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拝殿にすすみます
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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拝殿 幣殿は神明造り その奥に本殿の覆い屋が一体となった社殿です
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社殿に一礼をして 境内参道を戻ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 須岐神社について 所在は゛駒塲村に在す、゛〈現 須岐神社(大衡村駒場下宮前)〉と記しています
【抜粋意訳】
須岐神社
須岐は假字也
○祭神 伊弉諾尊〔参拜録〕
○駒塲村に在す、〔参拜録〕
類社
伊勢園河曲郡 須伎神社の條見合すべし
【原文参照】
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『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 須岐神社について 所在は゛今 駒場村にあり、赤崎明神と云ふ、゛〈現 須岐神社(大衡村駒場下宮前)〉と記しています
【抜粋意訳】
須岐(スキノ)神社、
今 駒場村にあり、赤崎明神と云ふ、〔封内風土記、巡拝舊祠記、○按 黒川郡行神社あり、行と須岐と並へる社にて、古へ大嘗の悠紀主基の事に由ありて、八神などを祭れる歟、姑附て考に備ふ、〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 須岐神社について 所在は゛駒場村 〇今稱 陸前國 (黑川郡大衝村大字駒場)゛〈現 須岐神社(大衡村駒場下宮前)〉と記しています
【抜粋意訳】
○黑川郡四座並小 〇今宮城縣管下
須岐神社〔稱 赤崎大明神〕
祭神
今按 神社覈錄に祭神 伊弉諾尊 本社緣起には素盞鳴命とあり されど下に行神社あるは ユキスキ と並べる社にて古へ大嘗の悠紀主基のことに由ありて 彼八神などを祭れるには非るか 姑附て考に備ふ
祭日
社格 郷社所在 駒場村 〇今稱 陸前國 (黑川郡大衝村大字駒場)
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
須岐神社(大衡村駒場下宮前)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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陸奥国 式内社 100座(大15座・小85座)について に戻る
陸奥国(むつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 陸奥国には 100座(大15座・小85座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
陸奥國 式内社 100座(大15座・小85座)について