大棚・中川 杉山神社(おおだな・なかがわ すぎやまじんじゃ)は 旧大棚村(おおだなむら)杉の森に鎮座していた 式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の論社です 明治六年(1873)郷社に列しましたが 都市開発の中 遷座を繰り返し 平成7年(1995)10月 現在地に遷座しました
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
杉山神社(Sugiyama shrine)
【通称名(Common name)】
大棚・中川 杉山神社(おおたな・なかがわ すぎやまじんじゃ)
【鎮座地 (Location) 】
神奈川県横浜市都筑区中川6丁目1-1
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》日本武尊(やまとたけるのみこと)
五十猛命(いたけるのみこと)
《配》伊弉諾命(いざなぎのみこと)
伊弉册命(いざなみのみこと)
《合祀》
八幡社配《主》応神天皇(おうじんてんのう)
吾妻社《主》橘姫尊(たちばなひめのみこと)
神明社《主》天照皇大神(あまてらすおほみかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
宗教法人 杉山神社移築記念碑
横浜市は昭和四十年二月、六大事業の一つとして「横浜国際港都建設事業・横浜北部新都市土地区画整理事業」を発表、同四十九年建設大臣の事業認可。横浜市高速三号線の免許取得、着工に至る。
杉山神社は中川町一〇八四番地から同町七五七番の元吾妻社の跡地へ五十八年十一月三十日仮社殿を設けここに遷座し、元旦祭・大祭は此処で執行された。換地も間近く建設委員会の結成に着手、資金計画に入る。 移設補償金と寄付金を念頭においたが、神社地の一部八〇坪を売却し基金とすることに決し、その承認を神社本庁に申請し、同時に社殿・社務所・鳥居等の新築・改築・移築をも承認された。
平成四年四月、中川町一一九四番地に仮換地指定された社殿は木造とし長野県諏訪市大字四賀、株式会社石田組と、同五年三月工事契約を結び六年九月竣工し、同十月十三日祭神勧請と配神遷座式を行い社務所・鳥居・付属建物・植栽等の完成を待ち平成七年十月十五日遷宮式典と落慶祝賀に及ぶ。
御霊璽については杉山神社と最も由緒深いとされている和歌山県の伊太邪曽神社へ赴き親しく御分霊を受け五十猛命の霊璽を拝受し御主神日本武尊と並び崇め祭る。
社頭石碑文より
【由 緒 (History)】
杉山神祠之碑
杉山祠碑銘
武蔵国都筑郡大棚郷杉山祠 祭 日本武尊 延喜式 所謂四十四座之一 而是為杉山明神本祠 蓋大棚之為郷 和名抄載 都筑七郷内綴喜店屋郷後為大店 又称 大棚郷 實為式兵部省 所謂武蔵国四驛之一郷中有 古道蹠 今尚 寂然可尋有地称宿根入者武蔵演路以為驛址 又 荒原往往出有文古瓦郷人以為古驛之徴 續日本後記曰承和三年二月授武蔵国無位杉山名神従五位下 蓋謂 此祠也 又 聞昔者祠在後山一旦 罹災因従之於山下 天正十九年所製税載 祭田四段五拾六歩 至文禄三年為 官所収遂失祭田而方今因循伝訛以郷為 村祠 亦殆廃 天保五年別当龍福寺住僧長傳 深慨其祠之衰替之具其町傳之神璽 以請 白川神祇官総司乃賜以 杉山神社四字題額 實係神祇伯雅壽王所書掲之於祠前焉間者村民恵吉等相謀将立碑書 其顛末以傳 無窮而請文於余乃記其所説又係以銘曰
白鳥之神 英武之質西伐東討偉功無匹 杉山古祠久就埋没貞舐載文神威斯述嘉永五年歳次壬子嘉平月 林司成家塾都講河田興撰并書
社頭の石碑文より
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・第六天社〈鳥居横の石神〉
・正面の鳥居
・東側の鳥居〈区役所通り沿い〉
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
大棚 杉山神社の歴代の鎮座地について
大棚 杉山神社は 再開発などもあり 度々遷座をしています
遷座
当社は現在までに3度ほど遷座(転社)している。元々は大棚477番地の杉の森(龍福寺付近)に鎮座しており、1914年(大正3年)まで旧跡があった。
1912年(明治45年)1月には中川町1084番地(大塚・歴博付近)に遷座したが、横浜市の六大事業の一つである「横浜国際港都建設事業・横浜北部新都市(港北ニュータウン)土地区画整理事業」による再開発のためその後も度々遷座している。1983年(昭和58年)11月30日には同町757番地の吾妻山山頂(元吾妻社跡地)に仮社殿を設け遷座した。さらに、1992年(平成4年)4月に新たな社地として同町1194番地(現:中川6-1-1)が仮換地指定され社殿が1994年(平成6年)9月に竣工、同年10月13日に祭神勧請および配神遷座式が執り行われ、翌1995年(平成7年)10月15日には鳥居や社務所などその他の建造物や植栽整備も完了し遷宮式典および落慶祝賀が執り行われている。なお、この遷座の際に当社に最も関わりがあるとされる和歌山県の伊太祁曽神社に赴いて五十猛命の霊璽を拝受しており、以来旧来の祭神である日本武尊と共に祀られている。
By Wikipedia
・〈当初の鎮座地〉大棚 杉の森 旧鎮座地跡〈大棚公民館の裏庭辺に祠〉
・1912年(明治45年)1月に遷座 中川町1084
・昭和58年(1983)11月30日 中川町757番地 吾妻山山頂(元吾妻社跡地)に遷座
・1995年(平成7年)10月 現在地に遷座
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『續日本後紀(Shoku nihon koki)〈貞観11年(869)完成〉』に記される伝承
゛枌山(スキヤマノ)神社゛or゛杦山(スキヤマノ)名神゛として
承和五年(八三八)官社に預かった事 承和十五年(八四八)神階の奉授 が記されています
【抜粋意訳】
巻第七 承和五年(八三八)二月庚戌〈廿二〉の条
○庚戌
武藏國 都筑(ツツキノ)郡 枌山(スキヤマノ)神社 預らむ之を官幣に以てなり靈驗あるを也巻十八 承和十五年(八四八・嘉祥元年)五月庚辰〈廿二〉の条
〇庚辰
上幸冷泉院に避く暑を 是の日 地震せり 奉授に 武藏國 无位 杦山名神に從五位下を
【原文参照】
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵国 44座(大2座・小42座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)都筑郡 1座(小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 杉山神社
[ふ り が な ](すきやまの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Sukiyama no kamino yashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 武蔵国 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の論社について
式内社 杉山神社〈武蔵国 都筑郡 唯一の式内社〉の所在については 諸説がありますが いずれも確証はなく 未だに比定はされていません
しかも その論社の数は非常に多く〈杉山神社(杉山社 椙山神社)と号する神社は 都筑郡(横浜市北部)と周辺に70社程〉存在しました
現在でも旧跡も含めて40社以上あり この中から 式内社 杉山神社の有力な論社を挙げます
式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)
・杉山神社(横浜市緑区西八朔町)
杉山神社(すぎやまじんじゃ)は 武蔵国の総社 大国魂神社の六之宮とされ 式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の有力な論社とされます 但し 都筑郡(横浜市北部)と周辺には70社程の゛杉山神社(杉山社 椙山神社)゛があり その数多い式内社 論社の所在についても 諸説があり しかも いずれも證(あかし)はなく 未だに比定がなされていません
杉山神社(横浜市緑区西八朔町)
・大棚・中川 杉山神社(横浜市都筑区中川)
大棚・中川 杉山神社(おおだな・なかがわ すぎやまじんじゃ)は 旧大棚村(おおだなむら)杉の森に鎮座していた 式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の論社です 明治六年(1873)郷社に列しましたが 都市開発の中 遷座を繰り返し 平成7年(1995)10月 現在地に遷座しました
大棚・中川 杉山神社(横浜市都筑区中川)
・杉山神社(横浜市港北区新吉田町)
杉山神社(すぎやまじんじゃ)は 安房の忌部氏によって武蔵国南部 都筑郡に祭祀され 同郡の鶴見川とその支流の早淵川流域の開拓によって広く分祀されていったとされます 神社南側は旧字名を杉山と称した事 武蔵国総社 大國魂神社の社家 猿渡氏の出自がこの吉田村界隈と推測される事 地勢上などから 式内社の有力論社とされて明治六年(1873)に都筑郡の郷社に定められました
杉山神社(横浜市港北区新吉田町)
・杉山神社(横浜市都筑区茅ケ崎中央)
杉山神社(すぎやまじんじゃ)は 社伝に 天武天皇の御代 白鳳三年(663)安房国 安房神社 社主 忌部勝麻呂が 神託に依り朝廷に奏上し 武藏国杉山の國に神籬を立て 大神を奉齋せしめた それ故杉山神社というとあり 式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の有力な論社とされます
杉山神社(横浜市都筑区茅ケ崎中央)
・戸部杉山神社(横浜市西区中央)
戸部 杉山神社(とべすぎやまじんじゃ)は 社伝では 白雉3年(652)当地を開拓した杉山氏族が 出雲大社 大己貴命の御分霊を「塩田の浜」に祀ったのが始まりと伝え 当社の創建後に 近隣に「杉山」の名が付く神社が多くなったとしている 式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の元宮であるとの伝になります
戸部 杉山神社(横浜市西区中央)
・星川杉山神社(横浜市保土ケ谷区星川)
星川 杉山神社(ほしかわすぎやまじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 高台にあり 横浜港に灯台が設置される以前は港へ入る船の指標ともされ 地域の人々だけでなく海で働く人々の守り神としても尊ばれていた 『江戸名所圖會(Edo meisho zue)』〈1834~1836〉には゛延喜式内 都筑郡 杉山神社(すきやまのかみのやしろ)是(これ)なり゛と記され 式内社の論社とされています
星川 杉山神社(横浜市保土ケ谷区星川)
・杉山神社(横浜市港北区新羽町)
杉山神社(すぎやまじんじゃ)は 口碑に伝えるには゛その創立は上古根古屋の庄荷場の郷と唱う水郷一帯の時代 景行天皇の御代四十年東方十二国御平定の折 日本武尊 此の地方を御通過され 尊崩御の後 村民 其の御徳を慕い奉いて祠を造り奉斎したと云う゛と伝えています
杉山神社(横浜市港北区新羽町)
・勝田杉山神社(横浜市都筑区勝田町)
勝田杉山神社(かちだ すぎやまじんじゃ)は 中原街道が早淵川南岸の台地に上がる地点に鎮座 この台地から考古学発掘調査で 奈良・平安時代の竪穴住居址 掘立柱建物址からなる集落址゛勝田原遺跡゛が発見されました 杉山神社の論社とされる茅ヶ崎社・西八朔社・吉田社にはこうした基礎となる集落が判明しておらず 勝田社を式内杉山社の有力候補と推定する説があります
勝田杉山神社(横浜市都筑区勝田町)
・鶴見神社〈杉山大明神〉(横浜市鶴見区鶴見中央)
鶴見神社(つるみじんじゃ)は 社伝によれば 創建は 第33代 推古天皇の御代〈593~628年〉と伝えられます 古くは゛杉山大明神゛と称されましたが 大正9年(1920)゛鶴見神社゛と改称しています 延喜式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の論社でもあります
鶴見神社〈杉山大明神〉(横浜市鶴見区鶴見中央)
・川島 杉山神社(横浜市保土ケ谷区川島町)
川島杉山神社(かわしますぎやまじんじゃ)は 旧 川島村の鎮守社 口碑によれば 天文年間(1532~1555年)当地で北条氏康が 上杉朝定と戦い一祠を建て武運長久を祈り 果して凱旋し 直に社殿を新築したのが創建と伝わるが 延喜式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の論社との説もあります
川島杉山神社(横浜市保土ケ谷区川島町)
その他の主な〈杉山神社(杉山社・椙山神社)について
〈都筑郡(横浜市北部)と周辺〉
杉山神社 (鶴見区岸谷)《主》日本武尊
杉山神社 (神奈川区片倉)《主》大物主命
杉山大神 (神奈川区六角橋)
杉山社(神奈川区菅田町)《主》五十猛命
杉山社(神奈川区菅田町)《主》五十猛命
杉山神社 (南区南太田) - 横濱水天宮《主》日本武尊,《配》天照皇大神,大物主神,崇徳天皇,豊受比売神,菅原道真《合》大山咋神,木花咲耶姫命,天照皇大神,稲倉魂命,宇気母智命
杉山神社 (南区宮元町)《主》市杵島姫命,《配》木花開耶姫命《合》天照皇大神,宇賀御魂命
杉山神社 (保土ケ谷区和田)《主》日本武尊
杉山社 (保土ケ谷区仏向町)《主》五十猛命
杉山社 (保土ケ谷区上星川)《主》日本武尊
杉山社 (保土ケ谷区西久保町)《主》五十猛命
杉山神社 (保土ケ谷区坂本町)
杉山神社 (港北区岸根町)《主》五十猛命,大山祇命
杉山神社 (港北区新羽町)《主》大己貴命
杉山神社 (港北区樽町四丁目)《主》日本武尊《合》素盞嗚命
杉山神社 (緑区中山町)《主》五十猛命
杉山神社 (緑区青砥町)《主》五十猛命,《配》日本武尊,応神天皇,大日霊貴命,面足尊
杉山神社 (緑区鴨居)《主》日本武尊《合》天照大神
杉山神社 (緑区三保町)《主》日本武尊
杉山神社 (緑区寺山町)《主》五十猛命
千草台杉山神社 (青葉区千草台)《主》五十猛命《合》素盞嗚命,大日霊命,豊受姫命,大己貴命,保食神
市ヶ尾杉山神社 (青葉区市ケ尾町)《主》五十猛命
みたけ台杉山神社 (青葉区みたけ台)《主》五十猛命,《配》誉田別命
上恩田杉山神社 (青葉区あかね台)《主》日本武尊
鐵神社 (青葉区鉄町) - 旧社名:青木明神・杉山明神合社
杉山神社 (都筑区大熊町)《主》日本武尊《合》天御中主命,伊弉諾命,伊弉冉命,面足命,稲田姫命,天照皇大神
杉山神社 (都筑区佐江戸町)《主》五十猛命
杉山神社 (都筑区池辺町)《主》五十猛命
〈神奈川県(横浜市以外)〉
杉山大神 (川崎市幸区小倉)
杉山神社 (川崎市高津区末長) 《主》五十猛命
杉山社 (川崎市多摩区西生田)《主》日本武尊
杉山神社(三浦郡葉山町上山口)《主》大物主命,豊佐賀男命,伊邪冉命,早玉命,向津日売命
〈東京都〉
江島杉山神社 (墨田区千歳) - 江戸時代の杉山検校(杉山和一)を祀る
杉山神社 (稲城市平尾)《主》日本武尊,《配》弟橘姫命《合》須佐之男命,猿田彦命
椙山神社 (町田市三輪町)
杉山神社 (町田市成瀬)《主》日本武尊,《配》天照大神,熊野大神
杉山神社 (町田市金森)《主》日本武尊
杉山神社 (町田市金森)《主》日本武尊
杉山神社 (町田市つくし野)
杉山神社 (町田市能ヶ谷) - つくし野出張社務所《主》日本武尊,事代主命,大山咋命
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
センター北駅から西へ約300m 歩道橋を渡って 徒歩5分程度
大棚・中川 杉山神社(横浜市都筑区中川)に参着
鳥居前の石碑には゛式内 本宮 杉山神社゛と刻字
一礼をして 鳥居をくぐります
手水舎があり 清めます
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿に一礼をして 参道を戻ります
東側の鳥居〈区役所通り沿い〉から出ます
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
式内社 杉山神社について 小六天神(古呂玖宮 ころくみや)〈現 港区赤坂の氷川神社の旧鎮座地(古呂故が岡 ころこがおか)or氷川神社の境内社 四合稲荷に合祀された古呂故天神社境内に鎮座していた呂故稲荷(ころこいなり)〉ではないかと記しています
その他に゛小机庄の内 小机村にあり杉山明神゛゛吉田村゛とも記しています
【抜粋意訳】
都築郡一座 杉山(スギヤマ)神社
續日本後記
承和五年二月庚戌、武蔵國 都筑郡 杉山神社 預之官幣以霊験也、同十五年五月庚辰、奉授 武蔵國 無位 杉山名神 從五位下゛春村云 古呂玖天神をここに つけたるは 小六と称ちかき故るいみなり 強ことなり 杦山とす橘樹郡宿見村にあり 往古は此地 都築郡ならん為へしこの神社の参あらひに杦の字の事なり附考巻一にたはしく出つしみるべし゛
惣風
荏原郡赤坂庄 小六天神 或 古呂故 圭田三十五束三毛田 天武天皇三年甲戌十一月始行神札有神戸巫戸所祭 大己貴命 少彦名韓神也 号小六者以古呂故 岡名之故也地考
古呂玖宮 江府赤坂にあり氷川明神と称す
〇或いは曰 都築郡の内 小机庄の内 小机村にあり杉山明神と称す
〇或いは曰 吉田村にあり
〇信友云 對馬嶋上縣郡 胡禄神社 又 胡禄御子神社あり 古呂玖宮と同神也
又云 枌(スギ)は杉の古書の例之 能登國鳳至郡 神枌神社あり
【原文参照】
『新編武蔵風土記稿(Shimpen Musashi fudokiko)』文政13年(1830)完成 に記される伝承
大棚・中川 杉山神社(横浜市都筑区中川)について 大棚村の旧鎮座地を記し 現在 合祀されている3社〈・八幡社・吾妻社・神明社〉と境内社1社〈第六天社〉についても記されています
【抜粋意訳】
新編武蔵風土記稿 巻之八十七 都築郡之七 小机領 大棚村
杉山社
除地一段 村ノ東鵜目ニアリ 本社二間四方 拝殿三間ニ二間 南向ナリ 例祭ハ十月二日 村内龍願寺ノ持
第六天社
除地十歩程 村ノ中央ニテ祠モ廃セシママ未再造セス 慈照寺ノ持 以下九祠モ同寺ノモノナリ
太神宮
除地十六歩 字清水谷ニアリ コレモ祠ヲ廃ス
吾妻社
除地一畝九歩 村ノ中央ニアリ 吾妻山ト号ス社一軒ニ一間半 南向丘上ニ登ルコト二十五間ハカリ
八幡社
除地二十五歩村ノ中程ニアリ 社二間ニ三間 坤向ナリ 例祭ハ十月二日
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 杉山神社の所在について「分明ならず」として いくつかの説を挙げています
吉田村字杉山〈現 杉山神社(新吉田町)〉
小机郷小机村〈現 ?〉
茅ケ崎村〈現 茅ケ崎杉山神社(都筑区茅ケ崎中央)〉
【抜粋意訳】
杉山神社
杉山は須岐夜萬と訓べし
〇祭神 五十猛命、地名記
○在所分明ならず、
地名記云、吉田村字杉山、
式社考云、小机郷小机村、
参考云、茅ケ崎村、孰れかしらず、神位 官社
續日本後紀、承和五年二月庚戌、武蔵國 都筑郡 枌山神社 預之官幣以霊験也、同十五年五月庚辰、奉授 武蔵國 無位 杉山名神 從五位下
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 杉山神社の所在について 八朔村 六宮椙山大明神〈現 杉山神社(横浜市緑区西八朔町)〉sと記しています
【抜粋意訳】
都築(ツヅキノ)郡一座 杉山(スギヤマノ)神社
〇按 本書一本、及 續日本後紀、杉を枌に作る、蓋二字互いに通用ふ、
今 八朔村にあり、六宮椙山大明神と云ふ、神道集、松屋外集、
仁明天皇 承和五年二月庚戌、此の神 霊験あるを以て、官幣に預らしめ、十五年五月庚辰、無位より從五位下を授く、續日本後紀
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 杉山神社の所在について 論社が多く いずれも明証がなく選ぶことができない と記し 様々な諸説を挙げています
・橘樹郡下星川村字大明神前
・橘樹郡鶴見郡
・都築郡茅ケ崎村字宮谷山
・吉田村字杉山
・大棚村字宮脇山
・西八朔村字宮山
・谷本
・佐江戸
・小机庄
【抜粋意訳】
都築郡一座 杉山神社
祭神
神位
仁明天皇 承和五年二月庚戌 武蔵國 都筑郡 枌山神社 預之官幣以霊験也、同十五年五月庚辰、奉授 武蔵國 無位 杉山名神 從五位下社格
所在
今按 杉山神社と称ふる社 所々にありて何れか實跡ならん詳かならす
橘樹郡下星川村字大明神前と云に社ありて祭神 日木武尊なりと云ひ
又 同郡鶴見郡にも同名同神の社あり
都築郡茅ケ崎村字宮谷山に 高皇産霊神と天日和志命由布津主命を祭れる神社是なりと云ひ
吉田村字杉山には 祭神 五十猛命と云もを實跡とし
大棚村字宮脇山に 日本武尊を祭る社なりとも
西八朔村字宮山に鎮座の神なりとも云り
然るに 猿渡容盛云 父盛章の考に西八朔村に極樂寺と云る真言佛寺の境内にいと幽(カスカ)にて坐す社 かの茅ケ崎吉田などの社よりも中々に故あるべく覚ゆ
其は都筑郡村々には 大かた杉山大神を崇め祭られぬ里なく
市が尾 谷本(タニモト)西八朔(ハツサク)青砥 佐江戸 池邊 吉田 勝田 大棚 茅が崎 上星川 川島 恩田 久保 中山など云村々何れも此社あり なほ此外 橘樹郡久良郡のうちにもあまた所ありて すべて二十五六ヶ所に及ぶと云り容盛郡都筑郡中をあまねく尋ね索めつれど此を實跡と定むべき證もなし 茅ケ崎と吉田とは外より聊故づきて覚ゆれど證とすべき事なし 此二つにつぎては 谷本 佐江戸にます社も同じ程にて故ありけなれどすべて無微にして決しがだし西八朔村なるは未だ誰一人實跡と云る人もなけれど 余が考には中々に茅ケ崎 吉田などの社には勝りて故あるべく覚ゆと云れど 是亦明証あらねば如何に共しがたし
姑く附て後考を俟つ 武蔵演路には杉山神社 小机庄にあり 土俗杉山明神と云 茅ケ崎村とあり
【原文参照】
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
杉山神社(横浜市緑区西八朔町)について 式内社 杉山神社の数多くある論社の中でも 有力候補であるが 確証はないと記しています
【抜粋意訳】
神奈川縣 相模國都筑郡中川村大字大棚
郷社 杉山(スギヤマノ)神社
祭神 日本武(ヤマトタケルノ)尊
創立年月及由緒詳ならず、明治六年郷社に列せられ、社殿一宇、境内四百六十八坪(官有地第一種)あり、彼の式社たる杉山神社を当社に擬せるものありといへども、証據しがたし、
武蔵総社誌に云く、「又近き年、かの大棚村に座す社を實跡とする説も出来たりと聞て、土人の傳説を問ひ試るに、微證に備ふべきものとてはあること無し、然るに去る嘉永五年、村民栗原恵吉、社前に碑を立つ、其文に、「武藏国都筑郡大棚郷杉山祠、祭日本武尊、延喜式所謂四十四座之一、而是爲杉山明神本祠、蓋大棚之爲郷、和名抄載都筑七郷内、綴喜店屋郷、後為大店、又称大棚郷、實爲式兵郁省所謂武蔵国四驛之二郷中有古道跡、今尚宛然可尋、有地称宿根入者、武蔵演路以為駅趾、又荒原往々出有文古瓦、郷人以爲古驛之微、續日本後紀曰、承和五年二月、授武蔵國無位杉山名神従五位下、蓋謂此祠也、又聞、昔者祠在後山、一旦罹災因徒之於山下、天正十九年所製税籍、載祭田四段五十六歩、至文禄三年為官所収、遂失祭田、而方今因循伝訛、以郷為村、祠亦殆廃、天保五年、別当龍福寺住僧長伝、深慨其祠之衰替、乃具其所伝之神璽、以称白川神祇官総司、乃賜以杉山神社四字題額、實係神祇伯雅壽王所書、掲之於祠前焉、間者村民恵吉等相謀、将立碑書顛未以傅無窮、而請文於余、乃記其所説、又係以銘曰、白鳥之神、英武之質、西伐東討、偉功無匹、杉山古祠、久就埋没、貞砥載文、神威斯述、嘉永五年歳次壬子嘉平月、林司成家塾都講河田興撰并書」と記せり、〇中略 鹿漏なる事多し〇中略 此御社に日本武尊を祀れりと云ふも無稽の説なるを、聞くがまゝに諾なひて、白鳥之神云々と事もなげに〇中略 又式社記に、祭神五十猛命と説るも、例の信じがたくなむ。」
境内神社 稲荷神社
【原文参照】
大棚・中川 杉山神社(横浜市都筑区中川)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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武蔵国(むさしのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 武蔵国には 44座(大2座・小42座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
武蔵國 式内社 44座(大2座・小42座)について