星川 杉山神社(ほしかわすぎやまじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 高台にあり 横浜港に灯台が設置される以前は港へ入る船の指標ともされ 地域の人々だけでなく海で働く人々の守り神としても尊ばれていた 『江戸名所圖會(Edo meisho zue)』〈1834~1836〉には゛延喜式内 都筑郡 杉山神社(すきやまのかみのやしろ)是(これ)なり゛と記され 式内社の論社とされています
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
杉山神社(Sugiyama shrine)
【通称名(Common name)】
・星川杉山神社(ほしかわすぎやまじんじゃ)
・明神さま(みょうじんさま)
【鎮座地 (Location) 】
神奈川県横浜市保土ケ谷区星川1-19-1
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》日本武尊(やまとたけるのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・商売繁盛・家内安全・交通安全・災難除・子孫繁栄また、学業成就・芸能上達など
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
ご由緒について
およそ千二百年の歴史を持つ星川杉山神社は、東に横浜の港、西に霊峰富士山を望む横浜市保土ケ谷区の高台に鎮座しています。
古くから杉や松などの緑に恵まれ、昭和以前の時代にはそれらの木々が境内全体を真四角に囲むほどだったといいます。高台に置かれた木々の重箱のような姿は昔の人々に「杉山大明神(すぎやまだいみょうじん)の重箱山(じゅうばこやま)」という愛称で親しまれ、敬われました。横浜港に灯台が設置される以前は港へ入る船の指標ともされ、地域の人々だけでなく海で働く人々の守り神としても尊ばれていたようです。
平安時代や江戸時代に書かれた古い書物をひもとくと、杉山神社の霊験の高さ、すなわち神さまのご神徳に関する記述がいくつも見つかります。そのため、昔も今も近隣の人々はもちろんのこと、遠くからお参りに訪れる人々が後を絶ちません。
星川杉山神社公式HPより
https://www.sugiyamajinja.or.jp/about
【由 緒 (History)】
由緒
◎杉山神社の御祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)
国土平定の第一人者、日本武尊は第十二代景行天皇の第一子としてお生まれになり、敵方から日本一強いと尊称され、草薙剱(くさなぎのつるぎ)も一段と冴えわたり、たちまち東国を一蹴しました。
◎御例祭・・9月19日[杉山まつり]
例祭日は九月の十九日を中心として、第二週または第三週の土・日曜日に行われます。
当日は、本殿での祭儀に引き続き神輿(みこし)の渡御(とぎょ)があり、境内では献画展や奉納行事などが催されます。
また、参道には露店など数多く並び、秋まつりにふさわしい神賑わいを見せております。◎杉山神社のいわれ
東にはるか上総の山々、西に霊峰富士をのぞむ神の丘に鎮まります
当社が初めて国史上にあらわれるのは、『続日本後記』です。その承和五年(八三八)の二月の条に「武蔵国都築郡枌(杉)山神」が霊験あらたかなるをもって官社に列せられたとあり、同十五年(八四八年)五月の条には「武蔵国旡位扮(杉)山名神」が従五位下を奉授されたとあります。
さらに降って、『江戸名所図会』に「新町より八町あまり北の方下星川村にあり、延喜式内(えんぎしきない)の神社にして云々」とあるように「延喜式」神名帳に武蔵国四十四座の中に「都築郡一座(小社)」と記載されており、多摩川以南、都築・橘樹・久良岐三郡において唯一の式内社との伝承が古くより語り継がれております。
御祭神日本武尊は、三種の神器草薙剣の神話にもあるように強い意志と決断力の御神格があり、この剱が知恵のことをあらわすことから出世・開運祈願・厄除および商売繁盛・縁結び・交通安全・金運に恵まれるとの御神徳が伝えられ、人々は幾世代にわたりその御神助を祈ってまいりました。◎御神紋の三本杉
古来より、神の御心は、神託(しんたく)、神符(しんぷ)などで人々に伝えられておりましたが、やがて神の御心は具体的な形でも伝えられるようになりました。それが神紋といわれるものです。
当社の神紋は、社名の通り天に高くそびえる杉の紋で、三本杉はうっそうとした神聖な森を表わしております。
特に、杉の枝は安産の御守りや魔除にされたほか、杉の脂は火傷や吹出物などの塗り薬に使用され、杉の樹木そのものは、屋敷の宅神、商売繁盛の福の神として広く信仰されております。
また、屋久杉・神代杉に見られるように長寿のシンボルとして樹木の崇拝の中心的存在であり、全国的に見ても杉を神木とする神社が数多くあります。◎境内神社・・伏見稲荷社
・御祭神
本社と同一境内に鎮座する伏見稲荷社の御祭神、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)の「うか」「うけ」は古く食物を意味する言葉で、また稲荷は「稲生り」「稲成り」の意味で神像が稲を荷なっているところから「稲荷」の字があてられたといわれます。
稲荷の神はもともと農業の神ですが、米一粒が何倍にも殖えるように、広く殖産の神として商売繁盛の福の神はもとより諸産業の守護神として、あらゆる職業の人から信仰されています。・御神徳
商売繁盛・家内安全・交通安全・災難除・子孫繁栄また、学業成就・芸能上達などです。現地案内板より
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・社殿
・御神紋〈天に高くそびえる杉の紋〉
・稲荷神社《主》倉稲魂神
〈社殿向かって 右横隣〉
・御神木
・参道
・社号標゛鎮守 杉山神社゛
・社頭の鳥居
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『續日本後紀(Shoku nihon koki)〈貞観11年(869)完成〉』に記される伝承
゛枌山(スキヤマノ)神社゛or゛杦山(スキヤマノ)名神゛として
承和五年(八三八)官社に預かった事 承和十五年(八四八)神階の奉授 が記されています
【抜粋意訳】
巻第七 承和五年(八三八)二月庚戌〈廿二〉の条
○庚戌
武藏國 都筑(ツツキノ)郡 枌山(スキヤマノ)神社 預らむ之を官幣に以てなり靈驗あるを也巻十八 承和十五年(八四八・嘉祥元年)五月庚辰〈廿二〉の条
〇庚辰
上幸冷泉院に避く暑を 是の日 地震せり 奉授に 武藏國 无位 杦山名神に從五位下を
【原文参照】
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵国 44座(大2座・小42座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)都筑郡 1座(小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 杉山神社
[ふ り が な ](すきやまの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Sukiyama no kamino yashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 武蔵国 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の論社について
式内社 杉山神社〈武蔵国 都筑郡 唯一の式内社〉の所在については 諸説がありますが いずれも確証はなく 未だに比定はされていません
しかも その論社の数は非常に多く〈杉山神社(杉山社 椙山神社)と号する神社は 都筑郡(横浜市北部)と周辺に70社程〉存在しました
現在でも旧跡も含めて40社以上あり この中から 式内社 杉山神社の有力な論社を挙げます
式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)
・杉山神社(横浜市緑区西八朔町)
杉山神社(すぎやまじんじゃ)は 武蔵国の総社 大国魂神社の六之宮とされ 式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の有力な論社とされます 但し 都筑郡(横浜市北部)と周辺には70社程の゛杉山神社(杉山社 椙山神社)゛があり その数多い式内社 論社の所在についても 諸説があり しかも いずれも證(あかし)はなく 未だに比定がなされていません
杉山神社(横浜市緑区西八朔町)
・大棚・中川 杉山神社(横浜市都筑区中川)
大棚・中川 杉山神社(おおだな・なかがわ すぎやまじんじゃ)は 旧大棚村(おおだなむら)杉の森に鎮座していた 式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の論社です 明治六年(1873)郷社に列しましたが 都市開発の中 遷座を繰り返し 平成7年(1995)10月 現在地に遷座しました
大棚・中川 杉山神社(横浜市都筑区中川)
・杉山神社(横浜市港北区新吉田町)
杉山神社(すぎやまじんじゃ)は 安房の忌部氏によって武蔵国南部 都筑郡に祭祀され 同郡の鶴見川とその支流の早淵川流域の開拓によって広く分祀されていったとされます 神社南側は旧字名を杉山と称した事 武蔵国総社 大國魂神社の社家 猿渡氏の出自がこの吉田村界隈と推測される事 地勢上などから 式内社の有力論社とされて明治六年(1873)に都筑郡の郷社に定められました
杉山神社(横浜市港北区新吉田町)
・杉山神社(横浜市都筑区茅ケ崎中央)
杉山神社(すぎやまじんじゃ)は 社伝に 天武天皇の御代 白鳳三年(663)安房国 安房神社 社主 忌部勝麻呂が 神託に依り朝廷に奏上し 武藏国杉山の國に神籬を立て 大神を奉齋せしめた それ故杉山神社というとあり 式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の有力な論社とされます
杉山神社(横浜市都筑区茅ケ崎中央)
・戸部杉山神社(横浜市西区中央)
戸部 杉山神社(とべすぎやまじんじゃ)は 社伝では 白雉3年(652)当地を開拓した杉山氏族が 出雲大社 大己貴命の御分霊を「塩田の浜」に祀ったのが始まりと伝え 当社の創建後に 近隣に「杉山」の名が付く神社が多くなったとしている 式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の元宮であるとの伝になります
戸部 杉山神社(横浜市西区中央)
・星川杉山神社(横浜市保土ケ谷区星川)
星川 杉山神社(ほしかわすぎやまじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 高台にあり 横浜港に灯台が設置される以前は港へ入る船の指標ともされ 地域の人々だけでなく海で働く人々の守り神としても尊ばれていた 『江戸名所圖會(Edo meisho zue)』〈1834~1836〉には゛延喜式内 都筑郡 杉山神社(すきやまのかみのやしろ)是(これ)なり゛と記され 式内社の論社とされています
星川 杉山神社(横浜市保土ケ谷区星川)
・杉山神社(横浜市港北区新羽町)
杉山神社(すぎやまじんじゃ)は 口碑に伝えるには゛その創立は上古根古屋の庄荷場の郷と唱う水郷一帯の時代 景行天皇の御代四十年東方十二国御平定の折 日本武尊 此の地方を御通過され 尊崩御の後 村民 其の御徳を慕い奉いて祠を造り奉斎したと云う゛と伝えています
杉山神社(横浜市港北区新羽町)
・勝田杉山神社(横浜市都筑区勝田町)
勝田杉山神社(かちだ すぎやまじんじゃ)は 中原街道が早淵川南岸の台地に上がる地点に鎮座 この台地から考古学発掘調査で 奈良・平安時代の竪穴住居址 掘立柱建物址からなる集落址゛勝田原遺跡゛が発見されました 杉山神社の論社とされる茅ヶ崎社・西八朔社・吉田社にはこうした基礎となる集落が判明しておらず 勝田社を式内杉山社の有力候補と推定する説があります
勝田杉山神社(横浜市都筑区勝田町)
・鶴見神社〈杉山大明神〉(横浜市鶴見区鶴見中央)
鶴見神社(つるみじんじゃ)は 社伝によれば 創建は 第33代 推古天皇の御代〈593~628年〉と伝えられます 古くは゛杉山大明神゛と称されましたが 大正9年(1920)゛鶴見神社゛と改称しています 延喜式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の論社でもあります
鶴見神社〈杉山大明神〉(横浜市鶴見区鶴見中央)
・川島 杉山神社(横浜市保土ケ谷区川島町)
川島杉山神社(かわしますぎやまじんじゃ)は 旧 川島村の鎮守社 口碑によれば 天文年間(1532~1555年)当地で北条氏康が 上杉朝定と戦い一祠を建て武運長久を祈り 果して凱旋し 直に社殿を新築したのが創建と伝わるが 延喜式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の論社との説もあります
川島杉山神社(横浜市保土ケ谷区川島町)
その他の主な〈杉山神社(杉山社・椙山神社)について
〈都筑郡(横浜市北部)と周辺〉
杉山神社 (鶴見区岸谷)《主》日本武尊
杉山神社 (神奈川区片倉)《主》大物主命
杉山大神 (神奈川区六角橋)
杉山社(神奈川区菅田町)《主》五十猛命
杉山社(神奈川区菅田町)《主》五十猛命
杉山神社 (南区南太田) - 横濱水天宮《主》日本武尊,《配》天照皇大神,大物主神,崇徳天皇,豊受比売神,菅原道真《合》大山咋神,木花咲耶姫命,天照皇大神,稲倉魂命,宇気母智命
杉山神社 (南区宮元町)《主》市杵島姫命,《配》木花開耶姫命《合》天照皇大神,宇賀御魂命
杉山神社 (保土ケ谷区和田)《主》日本武尊
杉山社 (保土ケ谷区仏向町)《主》五十猛命
杉山社 (保土ケ谷区上星川)《主》日本武尊
杉山社 (保土ケ谷区西久保町)《主》五十猛命
杉山神社 (保土ケ谷区坂本町)
杉山神社 (港北区岸根町)《主》五十猛命,大山祇命
杉山神社 (港北区新羽町)《主》大己貴命
杉山神社 (港北区樽町四丁目)《主》日本武尊《合》素盞嗚命
杉山神社 (緑区中山町)《主》五十猛命
杉山神社 (緑区青砥町)《主》五十猛命,《配》日本武尊,応神天皇,大日霊貴命,面足尊
杉山神社 (緑区鴨居)《主》日本武尊《合》天照大神
杉山神社 (緑区三保町)《主》日本武尊
杉山神社 (緑区寺山町)《主》五十猛命
千草台杉山神社 (青葉区千草台)《主》五十猛命《合》素盞嗚命,大日霊命,豊受姫命,大己貴命,保食神
市ヶ尾杉山神社 (青葉区市ケ尾町)《主》五十猛命
みたけ台杉山神社 (青葉区みたけ台)《主》五十猛命,《配》誉田別命
上恩田杉山神社 (青葉区あかね台)《主》日本武尊
鐵神社 (青葉区鉄町) - 旧社名:青木明神・杉山明神合社
杉山神社 (都筑区大熊町)《主》日本武尊《合》天御中主命,伊弉諾命,伊弉冉命,面足命,稲田姫命,天照皇大神
杉山神社 (都筑区佐江戸町)《主》五十猛命
杉山神社 (都筑区池辺町)《主》五十猛命
〈神奈川県(横浜市以外)〉
杉山大神 (川崎市幸区小倉)
杉山神社 (川崎市高津区末長) 《主》五十猛命
杉山社 (川崎市多摩区西生田)《主》日本武尊
杉山神社(三浦郡葉山町上山口)《主》大物主命,豊佐賀男命,伊邪冉命,早玉命,向津日売命
〈東京都〉
江島杉山神社 (墨田区千歳) - 江戸時代の杉山検校(杉山和一)を祀る
杉山神社 (稲城市平尾)《主》日本武尊,《配》弟橘姫命《合》須佐之男命,猿田彦命
椙山神社 (町田市三輪町)
杉山神社 (町田市成瀬)《主》日本武尊,《配》天照大神,熊野大神
杉山神社 (町田市金森)《主》日本武尊
杉山神社 (町田市金森)《主》日本武尊
杉山神社 (町田市つくし野)
杉山神社 (町田市能ヶ谷) - つくし野出張社務所《主》日本武尊,事代主命,大山咋命
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
相鉄本線 星川駅から西へ約850m 帷子川の西の河岸段丘の上 車5分程度
明神台の高台へと上ると 星川杉山神社の案内板があります
星川杉山神社(横浜市保土ケ谷区星川)に参着
一礼をして 鳥居をくぐり 参道の石畳を進みます
鳥居の柱には 間もなく訪れる゛夏越祭゛の看板が立てられています
゛夏越祭゛のポスターも制作されていました
石畳みの参道を進むと 右手に手水舎 正面に社殿 左手に社務所
廻りを高層の住宅が立ち並ぶのがウソのように 静かな空間となっています
拝殿にすすみます
扁額には゛星川杉山神社゛と記されています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
一礼をして 参道を戻ります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
式内社 杉山神社について 小六天神(古呂玖宮 ころくみや)〈現 港区赤坂の氷川神社の旧鎮座地(古呂故が岡 ころこがおか)or氷川神社の境内社 四合稲荷に合祀された古呂故天神社境内に鎮座していた呂故稲荷(ころこいなり)〉ではないかと記しています
その他に゛小机庄の内 小机村にあり杉山明神゛゛吉田村゛とも記しています
【抜粋意訳】
都築郡一座 杉山(スギヤマ)神社
續日本後記
承和五年二月庚戌、武蔵國 都筑郡 杉山神社 預之官幣以霊験也、同十五年五月庚辰、奉授 武蔵國 無位 杉山名神 從五位下゛春村云 古呂玖天神をここに つけたるは 小六と称ちかき故るいみなり 強ことなり 杦山とす橘樹郡宿見村にあり 往古は此地 都築郡ならん為へしこの神社の参あらひに杦の字の事なり附考巻一にたはしく出つしみるべし゛
惣風
荏原郡赤坂庄 小六天神 或 古呂故 圭田三十五束三毛田 天武天皇三年甲戌十一月始行神札有神戸巫戸所祭 大己貴命 少彦名韓神也 号小六者以古呂故 岡名之故也地考
古呂玖宮 江府赤坂にあり氷川明神と称す
〇或いは曰 都築郡の内 小机庄の内 小机村にあり杉山明神と称す
〇或いは曰 吉田村にあり
〇信友云 對馬嶋上縣郡 胡禄神社 又 胡禄御子神社あり 古呂玖宮と同神也
又云 枌(スギ)は杉の古書の例之 能登國鳳至郡 神枌神社あり
【原文参照】
『新編武蔵風土記稿(Shimpen Musashi fudokiko)』文政13年(1830)完成 に記される伝承
星川杉山神社(横浜市保土ケ谷区星川)について 下星川村にある゛杉山社゛と記し とくに 式内社 杉山神社との関係性については述べていません
【抜粋意訳】
新編武蔵風土記稿 巻之六十九 橘樹郡巻之十二 神奈川領 下星川村
杉山社
村の中央にあり 社地は小山にして松杉の古木繁茂せり 山を登ること凡三十間ばかりにして 上に社あり 二間四方はかりなり 本地釋迦にして 一尺六寸の立像なり 拝殿二間に三間 前に鳥居をたつ すべて巽に向へり 村内法性寺持
【原文参照】
『江戸名所圖會(Edo meisho zue)』〈1834~1836〉に記される伝承
杉山明神社について 式内社 杉山神社であると記し
挿絵の右下 階段を登ると゛法性寺゛゛七面゛とあり その山門から参道を上がり 挿絵の中央上に゛杉山社゛と記されています
法性寺(ほっしょうじ)は 杉山明神社の別当です
【抜粋意訳】
巻之六
【挿絵】
杉山明神社(すぎやまみょうじんしゃ)
延喜式内(えんぎしきない)都筑郡(つつきこおり)杉山神社(すぎやまじんじゃ)是(これ)なり
【本文】
杉山神社(すぎやまじんじゃ)
新町(しんまち)より八町あまり北の方 下星川村(しもほしかわむら)にあり 延喜式内の神社にして 霊蹤(れいしょう)尤(もっとも)も掲然(けつせん)たり 今は日蓮宗(にちれんしゅう)法性寺(ほうしょうじ)といへるより兼帯奉祀(けんたいほうし)して 釈迦如来を本地佛(ほんちふつ)とせり 例祭は毎年六月十四日に修行す
延喜式神名帳曰 都筑郡一座小 杉山神社
續日本後紀 第七曰 承和五年二月庚戌○庚戌 武藏國 都筑郡 枌山神社 預之官幣以靈驗也
同書曰 同十五年五月庚辰〇庚辰 奉授 武藏國 无位 杦山名神從五位下按に刊本の續日本後紀に枌山(すぎやま)に作るを誤(あやまり)なり
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 杉山神社の所在について「分明ならず」として いくつかの説を挙げています
吉田村字杉山〈現 杉山神社(新吉田町)〉
小机郷小机村〈現 ?〉
茅ケ崎村〈現 茅ケ崎杉山神社(都筑区茅ケ崎中央)〉
【抜粋意訳】
杉山神社
杉山は須岐夜萬と訓べし
〇祭神 五十猛命、地名記
○在所分明ならず、
地名記云、吉田村字杉山、
式社考云、小机郷小机村、
参考云、茅ケ崎村、孰れかしらず、神位 官社
續日本後紀、承和五年二月庚戌、武蔵國 都筑郡 枌山神社 預之官幣以霊験也、同十五年五月庚辰、奉授 武蔵國 無位 杉山名神 從五位下
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 杉山神社の所在について 八朔村 六宮椙山大明神〈現 杉山神社(横浜市緑区西八朔町)〉sと記しています
【抜粋意訳】
都築(ツヅキノ)郡一座 杉山(スギヤマノ)神社
〇按 本書一本、及 續日本後紀、杉を枌に作る、蓋二字互いに通用ふ、
今 八朔村にあり、六宮椙山大明神と云ふ、神道集、松屋外集、
仁明天皇 承和五年二月庚戌、此の神 霊験あるを以て、官幣に預らしめ、十五年五月庚辰、無位より從五位下を授く、續日本後紀
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 杉山神社の所在について 論社が多く いずれも明証がなく選ぶことができない と記し 様々な諸説を挙げています
・橘樹郡下星川村字大明神前
・橘樹郡鶴見郡
・都築郡茅ケ崎村字宮谷山
・吉田村字杉山
・大棚村字宮脇山
・西八朔村字宮山
・谷本
・佐江戸
・小机庄
【抜粋意訳】
都築郡一座 杉山神社
祭神
神位
仁明天皇 承和五年二月庚戌 武蔵國 都筑郡 枌山神社 預之官幣以霊験也、同十五年五月庚辰、奉授 武蔵國 無位 杉山名神 從五位下社格
所在
今按 杉山神社と称ふる社 所々にありて何れか實跡ならん詳かならす
橘樹郡下星川村字大明神前と云に社ありて祭神 日木武尊なりと云ひ
又 同郡鶴見郡にも同名同神の社あり
都築郡茅ケ崎村字宮谷山に 高皇産霊神と天日和志命由布津主命を祭れる神社是なりと云ひ
吉田村字杉山には 祭神 五十猛命と云もを實跡とし
大棚村字宮脇山に 日本武尊を祭る社なりとも
西八朔村字宮山に鎮座の神なりとも云り
然るに 猿渡容盛云 父盛章の考に西八朔村に極樂寺と云る真言佛寺の境内にいと幽(カスカ)にて坐す社 かの茅ケ崎吉田などの社よりも中々に故あるべく覚ゆ
其は都筑郡村々には 大かた杉山大神を崇め祭られぬ里なく
市が尾 谷本(タニモト)西八朔(ハツサク)青砥 佐江戸 池邊 吉田 勝田 大棚 茅が崎 上星川 川島 恩田 久保 中山など云村々何れも此社あり なほ此外 橘樹郡久良郡のうちにもあまた所ありて すべて二十五六ヶ所に及ぶと云り容盛郡都筑郡中をあまねく尋ね索めつれど此を實跡と定むべき證もなし 茅ケ崎と吉田とは外より聊故づきて覚ゆれど證とすべき事なし 此二つにつぎては 谷本 佐江戸にます社も同じ程にて故ありけなれどすべて無微にして決しがだし西八朔村なるは未だ誰一人實跡と云る人もなけれど 余が考には中々に茅ケ崎 吉田などの社には勝りて故あるべく覚ゆと云れど 是亦明証あらねば如何に共しがたし
姑く附て後考を俟つ 武蔵演路には杉山神社 小机庄にあり 土俗杉山明神と云 茅ケ崎村とあり
【原文参照】
星川杉山神社(横浜市保土ケ谷区星川)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
武蔵国 式内社 44座(大2座・小42座)について に戻る
武蔵国(むさしのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 武蔵国には 44座(大2座・小42座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
武蔵國 式内社 44座(大2座・小42座)について