戸部 杉山神社(とべすぎやまじんじゃ)は 社伝では 白雉3年(652)当地を開拓した杉山氏族が 出雲大社 大己貴命の御分霊を「塩田の浜」に祀ったのが始まりと伝え 当社の創建後に 近隣に「杉山」の名が付く神社が多くなったとしている 式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の元宮であるとの伝になります
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
杉山神社(Sugiyama shrine)
【通称名(Common name)】
戸部杉山神社(とべすぎやまじんじゃ)
【鎮座地 (Location) 】
神奈川県横浜市西区中央1-13-1
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大己貴神(おほなむちのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
白鳳3年弥生20日の創建
※白鳳(はくほう)は 寺社の縁起や地方の地誌や歴史書等に多数散見される私年号で 書物によって年代差があり 白鳳3年であれば 西暦(663年)とも(674年)ともされます
又 白鳳(はくほう)は 元号゛白雉(650〜654年)゛の別称とも云われ 白雉3年と同じとするならば(652年)
いずれを採用しても 7世紀の後半となります
戸部 杉山神社由緒
御祭神 大己貴神
当神社ハ 白鳳三年弥生二十日 出雲大社ノ御分霊ヲ勧請ス 武相ノ地杉山神社多キモ 延喜式内ノ杉山神社ハ当社ナリト云傳フ 当神社ノ効顕ノ著シキヲ以テ各近隣ニ杉山社ノ名称多クナレリトモ云フ 古クヨリ武蔵国戸部村ノ鎮守ニシテ当地開拓ノ祖神ナリ 歴代ノ国守 地頭 代官等ノ尊信甚ダ厚ク 幕府ヨリハ 御朱印ヲ附与シアリ 御祭神ハ天孫降臨以前ニ己ニ国土開拓経営ニ威霊ヲ発揮セラレ給フ 即チ日本最初ノ神社祭神ナリ 貧賤病弱ヲ救癒シ産業ヲ授ケテ富益ヲ増シ 醫薬ノ道ヲ興シテ氏族ノ繁栄ノ基ヲ計リ 剣争ヲ用ヒズシテ温和ノ中ニ諸事泰平ノ國本ヲ培養セラレ 國治家斎ノ法ヲ授ケ給フ 知謀悟道ノ祖ヲ開キ 國利民福ヲ念トシ 自ヲ苦反シ以テ他ヲ憐ミ給フ 即チ当地開拓ノ先哲達人先ズ此ノ大神ヲ奉祀シ 鎮護祈願センタメ勧請セシナリ
昭和丙辰年弥生二十日 奉納 学校法人石川学園理事長 石川和平
拝殿前の石碑文より
【由 緒 (History)】
由緒
当神社は、白鳳3年弥生20日の創建と言う。武相の地 杉山社多きも、延喜式内の杉山神社は当社なりと言伝う。
当神社の効顕の著しきを以て近隣に杉山社の名称多くなれりとも言う。古くより武蔵国戸部村の鎮守にして当地開拓の祖神なり。歴代の国守、地頭、代官等の尊信甚だ厚く、幕府よりは、御朱印を附与しありと言う。
御祭神は天孫降臨以前に己に国土開拓経営に威霊を発揮せられ給う。即ち日本最初の神社祭神なり。貧賊病弱を救癒して産業を授けて富益を増し、医薬の道を興して氏族の繁栄の基を計り、剣爭を用いずして温和の中に諸事泰平の国本を培養せられ、国政家斎の法を授け給う。知謀悟道の祖を開き、国利民福を念とし給う。自ら苦反して以て他を憐み給ひ、即ち当地開拓の先哲達人先ず此の大神を奉祀し、鎮護の祈願せんため、勧請せしなり。※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・社殿
〈現在の社殿は 昭和三十一年八月当時鉄筋コンクリート造のさきがけとして竣功したもので 同年の神奈川県建築コンクール第一部に入賞している〉
・五社殿〈天神社、稲荷社、山王社、社宮祠社、厳島社、浅間社、三峯社〉
・聖徳太子殿
〈境内社への立ち入りは 社務所の許可が必要 夜間のため未参拝〉
・拝殿前 回転する狛鼠
大国主命(おおくにぬしのみこと)と鼠(ねずみ)
当神社の御祭神の大国主命(大己貴命 おおなむちのみこと)が、須勢理比売(すせりひめ)に結婚を申し込みに行ったところ、 ヒメの父神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)から、いくつかの試練が課せられました。
その中一つに、野原に射た鳴鏑(なりかぶら)の矢を拾ってくるという試練ががありました。
大国主命が野原に入ると、素戔嗚尊は野原に火を放ち、大国主命はまたたく間に火の中に閉じ込められてしまいました。すると、そこへネズミがあらわれ、大国主命はネズミの案内で穴の中に逃げ込み、なんとか火をやり過ごすことができました。また射込まれた矢もネズミが探し出してきてくれて、無事に試練を乗り越えることが出来ました。
それから、ネズミは大国主命のお使いとなりました、
狛鼠は神社に向かって右がオス、左がメスとなっています現地案内板より
・手水舎
・御神木
〈横浜大空襲の際 境内の樹木が当社を守ったと伝わる その痕が残る〉
・社号標
・社頭の鳥居
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『續日本後紀(Shoku nihon koki)〈貞観11年(869)完成〉』に記される伝承
゛枌山(スキヤマノ)神社゛or゛杦山(スキヤマノ)名神゛として
承和五年(八三八)官社に預かった事 承和十五年(八四八)神階の奉授 が記されています
【抜粋意訳】
巻第七 承和五年(八三八)二月庚戌〈廿二〉の条
○庚戌
武藏國 都筑(ツツキノ)郡 枌山(スキヤマノ)神社 預らむ之を官幣に以てなり靈驗あるを也巻十八 承和十五年(八四八・嘉祥元年)五月庚辰〈廿二〉の条
〇庚辰
上幸冷泉院に避く暑を 是の日 地震せり 奉授に 武藏國 无位 杦山名神に從五位下を
【原文参照】
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵国 44座(大2座・小42座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)都筑郡 1座(小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 杉山神社
[ふ り が な ](すきやまの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Sukiyama no kamino yashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 武蔵国 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の論社について
式内社 杉山神社〈武蔵国 都筑郡 唯一の式内社〉の所在については 諸説がありますが いずれも確証はなく 未だに比定はされていません
しかも その論社の数は非常に多く〈杉山神社(杉山社 椙山神社)と号する神社は 都筑郡(横浜市北部)と周辺に70社程〉存在しました
現在でも旧跡も含めて40社以上あり この中から 式内社 杉山神社の有力な論社を挙げます
式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)
・杉山神社(横浜市緑区西八朔町)
杉山神社(すぎやまじんじゃ)は 武蔵国の総社 大国魂神社の六之宮とされ 式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の有力な論社とされます 但し 都筑郡(横浜市北部)と周辺には70社程の゛杉山神社(杉山社 椙山神社)゛があり その数多い式内社 論社の所在についても 諸説があり しかも いずれも證(あかし)はなく 未だに比定がなされていません
杉山神社(横浜市緑区西八朔町)
・大棚・中川 杉山神社(横浜市都筑区中川)
大棚・中川 杉山神社(おおだな・なかがわ すぎやまじんじゃ)は 旧大棚村(おおだなむら)杉の森に鎮座していた 式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の論社です 明治六年(1873)郷社に列しましたが 都市開発の中 遷座を繰り返し 平成7年(1995)10月 現在地に遷座しました
大棚・中川 杉山神社(横浜市都筑区中川)
・杉山神社(横浜市港北区新吉田町)
杉山神社(すぎやまじんじゃ)は 安房の忌部氏によって武蔵国南部 都筑郡に祭祀され 同郡の鶴見川とその支流の早淵川流域の開拓によって広く分祀されていったとされます 神社南側は旧字名を杉山と称した事 武蔵国総社 大國魂神社の社家 猿渡氏の出自がこの吉田村界隈と推測される事 地勢上などから 式内社の有力論社とされて明治六年(1873)に都筑郡の郷社に定められました
杉山神社(横浜市港北区新吉田町)
・杉山神社(横浜市都筑区茅ケ崎中央)
杉山神社(すぎやまじんじゃ)は 社伝に 天武天皇の御代 白鳳三年(663)安房国 安房神社 社主 忌部勝麻呂が 神託に依り朝廷に奏上し 武藏国杉山の國に神籬を立て 大神を奉齋せしめた それ故杉山神社というとあり 式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の有力な論社とされます
杉山神社(横浜市都筑区茅ケ崎中央)
・戸部杉山神社(横浜市西区中央)
戸部 杉山神社(とべすぎやまじんじゃ)は 社伝では 白雉3年(652)当地を開拓した杉山氏族が 出雲大社 大己貴命の御分霊を「塩田の浜」に祀ったのが始まりと伝え 当社の創建後に 近隣に「杉山」の名が付く神社が多くなったとしている 式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の元宮であるとの伝になります
戸部 杉山神社(横浜市西区中央)
・星川杉山神社(横浜市保土ケ谷区星川)
星川 杉山神社(ほしかわすぎやまじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 高台にあり 横浜港に灯台が設置される以前は港へ入る船の指標ともされ 地域の人々だけでなく海で働く人々の守り神としても尊ばれていた 『江戸名所圖會(Edo meisho zue)』〈1834~1836〉には゛延喜式内 都筑郡 杉山神社(すきやまのかみのやしろ)是(これ)なり゛と記され 式内社の論社とされています
星川 杉山神社(横浜市保土ケ谷区星川)
・杉山神社(横浜市港北区新羽町)
杉山神社(すぎやまじんじゃ)は 口碑に伝えるには゛その創立は上古根古屋の庄荷場の郷と唱う水郷一帯の時代 景行天皇の御代四十年東方十二国御平定の折 日本武尊 此の地方を御通過され 尊崩御の後 村民 其の御徳を慕い奉いて祠を造り奉斎したと云う゛と伝えています
杉山神社(横浜市港北区新羽町)
・勝田杉山神社(横浜市都筑区勝田町)
勝田杉山神社(かちだ すぎやまじんじゃ)は 中原街道が早淵川南岸の台地に上がる地点に鎮座 この台地から考古学発掘調査で 奈良・平安時代の竪穴住居址 掘立柱建物址からなる集落址゛勝田原遺跡゛が発見されました 杉山神社の論社とされる茅ヶ崎社・西八朔社・吉田社にはこうした基礎となる集落が判明しておらず 勝田社を式内杉山社の有力候補と推定する説があります
勝田杉山神社(横浜市都筑区勝田町)
・鶴見神社〈杉山大明神〉(横浜市鶴見区鶴見中央)
鶴見神社(つるみじんじゃ)は 社伝によれば 創建は 第33代 推古天皇の御代〈593~628年〉と伝えられます 古くは゛杉山大明神゛と称されましたが 大正9年(1920)゛鶴見神社゛と改称しています 延喜式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の論社でもあります
鶴見神社〈杉山大明神〉(横浜市鶴見区鶴見中央)
・川島 杉山神社(横浜市保土ケ谷区川島町)
川島杉山神社(かわしますぎやまじんじゃ)は 旧 川島村の鎮守社 口碑によれば 天文年間(1532~1555年)当地で北条氏康が 上杉朝定と戦い一祠を建て武運長久を祈り 果して凱旋し 直に社殿を新築したのが創建と伝わるが 延喜式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の論社との説もあります
川島杉山神社(横浜市保土ケ谷区川島町)
その他の主な〈杉山神社(杉山社・椙山神社)について
〈都筑郡(横浜市北部)と周辺〉
杉山神社 (鶴見区岸谷)《主》日本武尊
杉山神社 (神奈川区片倉)《主》大物主命
杉山大神 (神奈川区六角橋)
杉山社(神奈川区菅田町)《主》五十猛命
杉山社(神奈川区菅田町)《主》五十猛命
杉山神社 (南区南太田) - 横濱水天宮《主》日本武尊,《配》天照皇大神,大物主神,崇徳天皇,豊受比売神,菅原道真《合》大山咋神,木花咲耶姫命,天照皇大神,稲倉魂命,宇気母智命
杉山神社 (南区宮元町)《主》市杵島姫命,《配》木花開耶姫命《合》天照皇大神,宇賀御魂命
杉山神社 (保土ケ谷区和田)《主》日本武尊
杉山社 (保土ケ谷区仏向町)《主》五十猛命
杉山社 (保土ケ谷区上星川)《主》日本武尊
杉山社 (保土ケ谷区西久保町)《主》五十猛命
杉山神社 (保土ケ谷区坂本町)
杉山神社 (港北区岸根町)《主》五十猛命,大山祇命
杉山神社 (港北区新羽町)《主》大己貴命
杉山神社 (港北区樽町四丁目)《主》日本武尊《合》素盞嗚命
杉山神社 (緑区中山町)《主》五十猛命
杉山神社 (緑区青砥町)《主》五十猛命,《配》日本武尊,応神天皇,大日霊貴命,面足尊
杉山神社 (緑区鴨居)《主》日本武尊《合》天照大神
杉山神社 (緑区三保町)《主》日本武尊
杉山神社 (緑区寺山町)《主》五十猛命
千草台杉山神社 (青葉区千草台)《主》五十猛命《合》素盞嗚命,大日霊命,豊受姫命,大己貴命,保食神
市ヶ尾杉山神社 (青葉区市ケ尾町)《主》五十猛命
みたけ台杉山神社 (青葉区みたけ台)《主》五十猛命,《配》誉田別命
上恩田杉山神社 (青葉区あかね台)《主》日本武尊
鐵神社 (青葉区鉄町) - 旧社名:青木明神・杉山明神合社
杉山神社 (都筑区大熊町)《主》日本武尊《合》天御中主命,伊弉諾命,伊弉冉命,面足命,稲田姫命,天照皇大神
杉山神社 (都筑区佐江戸町)《主》五十猛命
杉山神社 (都筑区池辺町)《主》五十猛命
〈神奈川県(横浜市以外)〉
杉山大神 (川崎市幸区小倉)
杉山神社 (川崎市高津区末長) 《主》五十猛命
杉山社 (川崎市多摩区西生田)《主》日本武尊
杉山神社(三浦郡葉山町上山口)《主》大物主命,豊佐賀男命,伊邪冉命,早玉命,向津日売命
〈東京都〉
江島杉山神社 (墨田区千歳) - 江戸時代の杉山検校(杉山和一)を祀る
杉山神社 (稲城市平尾)《主》日本武尊,《配》弟橘姫命《合》須佐之男命,猿田彦命
椙山神社 (町田市三輪町)
杉山神社 (町田市成瀬)《主》日本武尊,《配》天照大神,熊野大神
杉山神社 (町田市金森)《主》日本武尊
杉山神社 (町田市金森)《主》日本武尊
杉山神社 (町田市つくし野)
杉山神社 (町田市能ヶ谷) - つくし野出張社務所《主》日本武尊,事代主命,大山咋命
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
京急本線 戸部駅から南西へ約500m 徒歩8分程度
戸部杉山神社(横浜市西区中央)に参着
一礼をして 鳥居をくぐり 参道をすすみます
参道の狛ネズミは 社殿に向かって 右側がオス 左側がメスなので
参拝者の男性はオス 女性はメスにお願をかけるとのこと
これは メスネズミです
拝殿にすすみます
拝殿の扁額は゛武州 式内 杉山神社 神社本廰 総長 黒神直久゛と刻字されています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
現在の社殿は 昭和三十一年八月当時鉄筋コンクリート造のさきがけとして竣功したもので 同年の神奈川県建築コンクール第一部に入賞している とのこと
社殿に一礼をして 参道をもどります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
式内社 杉山神社について 小六天神(古呂玖宮 ころくみや)〈現 港区赤坂の氷川神社の旧鎮座地(古呂故が岡 ころこがおか)or氷川神社の境内社 四合稲荷に合祀された古呂故天神社境内に鎮座していた呂故稲荷(ころこいなり)〉ではないかと記しています
その他に゛小机庄の内 小机村にあり杉山明神゛゛吉田村゛とも記しています
【抜粋意訳】
都築郡一座 杉山(スギヤマ)神社
續日本後記
承和五年二月庚戌、武蔵國 都筑郡 杉山神社 預之官幣以霊験也、同十五年五月庚辰、奉授 武蔵國 無位 杉山名神 從五位下゛春村云 古呂玖天神をここに つけたるは 小六と称ちかき故るいみなり 強ことなり 杦山とす橘樹郡宿見村にあり 往古は此地 都築郡ならん為へしこの神社の参あらひに杦の字の事なり附考巻一にたはしく出つしみるべし゛
惣風
荏原郡赤坂庄 小六天神 或 古呂故 圭田三十五束三毛田 天武天皇三年甲戌十一月始行神札有神戸巫戸所祭 大己貴命 少彦名韓神也 号小六者以古呂故 岡名之故也地考
古呂玖宮 江府赤坂にあり氷川明神と称す
〇或いは曰 都築郡の内 小机庄の内 小机村にあり杉山明神と称す
〇或いは曰 吉田村にあり
〇信友云 對馬嶋上縣郡 胡禄神社 又 胡禄御子神社あり 古呂玖宮と同神也
又云 枌(スギ)は杉の古書の例之 能登國鳳至郡 神枌神社あり
【原文参照】
『新編武蔵風土記稿(Shimpen Musashi fudokiko)』文政13年(1830)完成 に記される伝承
戸部杉山神社(横浜市西区中央)について 戸部村にある゛杉山明神社゛と記し とくに 式内社 杉山神社との関係性については述べていません
【抜粋意訳】
新編武蔵風土記稿 巻之七十七 久良岐郡之五 本牧領 戸部村
杉山明神社
除地 五畝十二歩 西の方にあり 小社南向 上屋二間に三間 拝殿二間に四間 本地 薬師を神體とす 村の鎮守 例祭 九月廿日 村内 願成寺持
〇社宮司社
除地二畝餘
〇稲荷社
除地少許
〇第六天社
除地 二畝 以上三社も同じ邊にあり 皆 願成寺持
〇太神宮
除地 三畝許 村内 延命寺持
〇第六天社
除地 少許 村内 東光寺持 下同じ
○山王社
除地 少許
〇子神社
除地 三畝 野毛の鎮守なり 村内 大楽院持 以上四社皆東の方らあり
○天神社
除地 少許 東北の方にあり 延命寺持
〇稲荷社
除地 少許 南の方にあり 太田村普門院持
〇姥神社
除地 少許 野毛の内にて海邊にあり 本地佛十一面観音 此像は洲乾湊姥嶋の邊より出現せしと云 大聖院持
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 杉山神社の所在について「分明ならず」として いくつかの説を挙げています
吉田村字杉山〈現 杉山神社(新吉田町)〉
小机郷小机村〈現 ?〉
茅ケ崎村〈現 茅ケ崎杉山神社(都筑区茅ケ崎中央)〉
【抜粋意訳】
杉山神社
杉山は須岐夜萬と訓べし
〇祭神 五十猛命、地名記
○在所分明ならず、
地名記云、吉田村字杉山、
式社考云、小机郷小机村、
参考云、茅ケ崎村、孰れかしらず、神位 官社
續日本後紀、承和五年二月庚戌、武蔵國 都筑郡 枌山神社 預之官幣以霊験也、同十五年五月庚辰、奉授 武蔵國 無位 杉山名神 從五位下
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 杉山神社の所在について 八朔村 六宮椙山大明神〈現 杉山神社(横浜市緑区西八朔町)〉sと記しています
【抜粋意訳】
都築(ツヅキノ)郡一座 杉山(スギヤマノ)神社
〇按 本書一本、及 續日本後紀、杉を枌に作る、蓋二字互いに通用ふ、
今 八朔村にあり、六宮椙山大明神と云ふ、神道集、松屋外集、
仁明天皇 承和五年二月庚戌、此の神 霊験あるを以て、官幣に預らしめ、十五年五月庚辰、無位より從五位下を授く、續日本後紀
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 杉山神社の所在について 論社が多く いずれも明証がなく選ぶことができない と記し 様々な諸説を挙げています
・橘樹郡下星川村字大明神前
・橘樹郡鶴見郡
・都築郡茅ケ崎村字宮谷山
・吉田村字杉山
・大棚村字宮脇山
・西八朔村字宮山
・谷本
・佐江戸
・小机庄
【抜粋意訳】
都築郡一座 杉山神社
祭神
神位
仁明天皇 承和五年二月庚戌 武蔵國 都筑郡 枌山神社 預之官幣以霊験也、同十五年五月庚辰、奉授 武蔵國 無位 杉山名神 從五位下社格
所在
今按 杉山神社と称ふる社 所々にありて何れか實跡ならん詳かならす
橘樹郡下星川村字大明神前と云に社ありて祭神 日木武尊なりと云ひ
又 同郡鶴見郡にも同名同神の社あり
都築郡茅ケ崎村字宮谷山に 高皇産霊神と天日和志命由布津主命を祭れる神社是なりと云ひ
吉田村字杉山には 祭神 五十猛命と云もを實跡とし
大棚村字宮脇山に 日本武尊を祭る社なりとも
西八朔村字宮山に鎮座の神なりとも云り
然るに 猿渡容盛云 父盛章の考に西八朔村に極樂寺と云る真言佛寺の境内にいと幽(カスカ)にて坐す社 かの茅ケ崎吉田などの社よりも中々に故あるべく覚ゆ
其は都筑郡村々には 大かた杉山大神を崇め祭られぬ里なく
市が尾 谷本(タニモト)西八朔(ハツサク)青砥 佐江戸 池邊 吉田 勝田 大棚 茅が崎 上星川 川島 恩田 久保 中山など云村々何れも此社あり なほ此外 橘樹郡久良郡のうちにもあまた所ありて すべて二十五六ヶ所に及ぶと云り容盛郡都筑郡中をあまねく尋ね索めつれど此を實跡と定むべき證もなし 茅ケ崎と吉田とは外より聊故づきて覚ゆれど證とすべき事なし 此二つにつぎては 谷本 佐江戸にます社も同じ程にて故ありけなれどすべて無微にして決しがだし西八朔村なるは未だ誰一人實跡と云る人もなけれど 余が考には中々に茅ケ崎 吉田などの社には勝りて故あるべく覚ゆと云れど 是亦明証あらねば如何に共しがたし
姑く附て後考を俟つ 武蔵演路には杉山神社 小机庄にあり 土俗杉山明神と云 茅ケ崎村とあり
【原文参照】
戸部杉山神社(横浜市西区中央)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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武蔵国(むさしのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 武蔵国には 44座(大2座・小42座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
武蔵國 式内社 44座(大2座・小42座)について