実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

杉山神社(横浜市港北区新吉田町)

杉山神社(すぎやまじんじゃは 安房の忌部氏によって武蔵国南部 都筑郡に祭祀され 同郡の鶴見川とその支流の早淵川流域の開拓によって広く分祀されていったとされます 神社南側は旧字名を杉山と称した事 武蔵国総社 大國魂神社の社家 猿渡氏の出自がこの吉田村界隈と推測される事 地勢上などから 式内社有力論社とされて明治六年1873に都筑郡の郷社に定められました

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

 【神社名(Shrine name

杉山神社(Sugiyama shrine

 通称名(Common name)

新吉田杉山神社(しんよしだ すぎやまじんじゃ)

【鎮座地 (Location) 

神奈川県横浜市港北区新吉田町4509

  (Google Map)

 【御祭神 (God's name to pray)】

 《主》五十猛命(いたけるのみこと)

《配》権五郎景政(げんごろうかげまさ)
   比野聖廟
   素盞嗚命(すさのをのみこと)

 【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

 【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

 武蔵国都筑郡郷社 杉山神社の由緒

祭神
主座 五十猛命
合祀 鎌倉権五郎景政・比野聖廟・素盞嗚尊

例祭日 十月九日

  当宮の創建は不明であるが式内社(平成時代に制定された延喜式神明帳にある神社)として既にその名を記された「武蔵国六之宮杉山神社」に比定される神社の一つである。

 そもそも杉山神社は安房の忌部氏によって武蔵国南部、都筑郡に祭祀され、同郡の鶴見川とその支流の早淵川流域の開拓によって広く分祀されていったとされる。

  当宮は明治に至り、近在の御霊神社他を合祀し、権五郎景政・比野聖廟・素盞嗚尊を合祀し現在も本殿内に共に祀る。

  社殿は権現造りであるが、本殿は三座あり、主座は五十猛命・次座は御霊大神権五郎景政である。三座目は比野聖廟・素盞嗚尊と思われるがその由緒などは不明である。

  神社南側は旧字名を杉山と称した事、武蔵国総社 大國魂神社の社家猿渡氏の出自がこの吉田村界隈と推測される事、地勢上などから式内社と有力視されて明治六年に都筑郡の郷社に定められ広く崇敬された。

 現在の氏子区域は当地の旧字の北川(早渕)・御霊・稲坂・中里となっている。

 当宮に関する連絡先 高田天満宮まで

現地案内板より

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【由  (History)】

 由緒

 神 五十猛命、配祀 権五郎景政、比野聖廟、素盞嗚命
例祭日 10月9日
 殿 権現造、茅葺、24坪
 内 900坪
由緒沿革
 武蔵式社記に、「都筑郡吉田と云うに杉山という小地名ありて其の処に座す社実蹟なり」とあり、新編武蔵風土記稿には、「除地2段5畝、村の北方にあり、石階数級を登りて社前に鳥居を立つ、本社2間に2間半、拝殿3間に2間、南向、神体不動、村内正福寺の持」と記している。明治6年に郷社に列格、同41年11月、村内の無格社3社を合祀した。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

 神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・〈学芸成就の〉天神社・〈旧中里鎮座〉庚申様・〈出世幸福の〉稲荷社

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

 この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

 『續日本後紀(Shoku nihon koki)〈貞観11年(869)完成〉』に記される伝承

 枌山(スキヤマノ)神社or゛杦(スキヤマノ)名神゛として
承和五年(八三八)官社に預かった事 承和十五年(八四八)神階の奉授 が記されています

 【抜粋意訳】

第七 承和五年(八三八)二月庚戌廿二〉の条

 ○庚戌
武藏國 都筑(ツツキノ) 枌山(スキヤマノ)神社 らむ官幣てなり靈驗あるを

 十八 承和十五年(八四八・嘉祥元年)五月庚辰廿二〉の条

 庚辰
上幸冷泉院を  地震せり 奉授 武藏國 无位 杦山名神從五位下

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

 延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

 [旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵国 44座(大2座・小42座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)都筑郡 1座(小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 杉山神社
[ふ り が な ](すきやまの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Sukiyama no kamino yashiro)

 【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

 延喜式内社 武蔵国 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の論社について

 式内社 杉山神社〈武蔵国 都筑郡 唯一の式内社〉の所在については 諸説がありますが いずれも確証はなく 未だに比定はされていません
しかも その論社の数は非常に多く〈杉山神社(杉山社 椙山神社)と号する神社は 都筑郡(横浜市北部)と周辺に70社程〉存在しました

 現在でも旧跡も含めて40社以上あり この中から 式内社 杉山神社の有力な論社を挙げます

式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)

杉山神社横浜市緑区西八朔町

一緒に読む
杉山神社(横浜市緑区西八朔町)

杉山神社(すぎやまじんじゃ)は 武蔵国の総社 大国魂神社の六之宮とされ 式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の有力な論社とされます 但し 都筑郡(横浜市北部)と周辺には70社程の゛杉山神社(杉山社 椙山神社)゛があり その数多い式内社 論社の所在についても 諸説があり  しかも いずれも證(あかし)はなく 未だに比定がなされていません

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大棚・中川 杉山神社横浜市都筑区中川

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大棚・中川 杉山神社(横浜市都筑区中川)

大棚・中川 杉山神社(おおだな・なかがわ すぎやまじんじゃ)は 旧大棚村(おおだなむら)杉の森に鎮座していた 式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の論社です 明治六年(1873)郷社に列しましたが 都市開発の中 遷座を繰り返し 平成7年(1995)10月 現在地に遷座しました

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・杉山神社(横浜市港北区新吉田町

一緒に読む
杉山神社(横浜市港北区新吉田町)

杉山神社(すぎやまじんじゃ)は 安房の忌部氏によって武蔵国南部 都筑郡に祭祀され 同郡の鶴見川とその支流の早淵川流域の開拓によって広く分祀されていったとされます 神社南側は旧字名を杉山と称した事 武蔵国総社 大國魂神社の社家 猿渡氏の出自がこの吉田村界隈と推測される事 地勢上などから 式内社の有力論社とされて明治六年(1873)に都筑郡の郷社に定められました

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・杉山神社(横浜市都筑区茅ケ崎中央

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杉山神社(横浜市都筑区茅ケ崎中央)

杉山神社(すぎやまじんじゃ)は 社伝に 天武天皇の御代 白鳳三年(663)安房国 安房神社 社主 忌部勝麻呂が 神託に依り朝廷に奏上し 武藏国杉山の國に神籬を立て 大神を奉齋せしめた それ故杉山神社というとあり 式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の有力な論社とされます

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戸部杉山神社横浜市西区中央

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戸部 杉山神社(横浜市西区中央)

戸部 杉山神社(とべすぎやまじんじゃ)は 社伝では 白雉3年(652)当地を開拓した杉山氏族が 出雲大社 大己貴命の御分霊を「塩田の浜」に祀ったのが始まりと伝え 当社の創建後に 近隣に「杉山」の名が付く神社が多くなったとしている 式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の元宮であるとの伝になります

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星川杉山神社(横浜市保土ケ谷区星川

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星川 杉山神社(横浜市保土ケ谷区星川)

星川 杉山神社(ほしかわすぎやまじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 高台にあり 横浜港に灯台が設置される以前は港へ入る船の指標ともされ 地域の人々だけでなく海で働く人々の守り神としても尊ばれていた 『江戸名所圖會(Edo meisho zue)』〈1834~1836〉には゛延喜式内 都筑郡 杉山神社(すきやまのかみのやしろ)是(これ)なり゛と記され 式内社の論社とされています

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・杉山神社(横浜市港北区新羽町

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杉山神社(横浜市港北区新羽町)

杉山神社(すぎやまじんじゃ)は 口碑に伝えるには゛その創立は上古根古屋の庄荷場の郷と唱う水郷一帯の時代 景行天皇の御代四十年東方十二国御平定の折 日本武尊 此の地方を御通過され 尊崩御の後 村民 其の御徳を慕い奉いて祠を造り奉斎したと云う゛と伝えています

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勝田杉山神社横浜市都筑区勝田町

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勝田杉山神社(横浜市都筑区勝田町)

勝田杉山神社(かちだ すぎやまじんじゃ)は 中原街道が早淵川南岸の台地に上がる地点に鎮座 この台地から考古学発掘調査で 奈良・平安時代の竪穴住居址 掘立柱建物址からなる集落址゛勝田原遺跡゛が発見されました 杉山神社の論社とされる茅ヶ崎社・西八朔社・吉田社にはこうした基礎となる集落が判明しておらず 勝田社を式内杉山社の有力候補と推定する説があります

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・鶴見神社杉山大明神横浜市鶴見区鶴見中央

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鶴見神社〈杉山大明神〉(横浜市鶴見区鶴見中央)

鶴見神社(つるみじんじゃ)は 社伝によれば 創建は 第33代 推古天皇の御代〈593~628年〉と伝えられます 古くは゛杉山大明神゛と称されましたが 大正9年(1920)゛鶴見神社゛と改称しています 延喜式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の論社でもあります

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川島 杉山神社(横浜市保土ケ谷区川島町)

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川島杉山神社(横浜市保土ケ谷区川島町)

川島杉山神社(かわしますぎやまじんじゃ)は 旧 川島村の鎮守社 口碑によれば 天文年間(1532~1555年)当地で北条氏康が 上杉朝定と戦い一祠を建て武運長久を祈り 果して凱旋し 直に社殿を新築したのが創建と伝わるが 延喜式内社 武蔵國 都筑郡 杉山神社(すきやまの かみのやしろ)の論社との説もあります

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その他の主な〈杉山神社(杉山社・椙山神社)について

都筑郡(横浜市北部)と周辺
杉山神社 (鶴見区岸谷)《主》日本武尊
杉山神社 (神奈川区片倉)《主》大物主命
杉山大神 (神奈川区六角橋)
杉山社(神奈川区菅田町)《主》五十猛命
杉山社(神奈川区菅田町)《主》五十猛命
杉山神社 (南区南太田) - 横濱水天宮《主》日本武尊,《配》天照皇大神,大物主神,崇徳天皇,豊受比売神,菅原道真《合》大山咋神,木花咲耶姫命,天照皇大神,稲倉魂命,宇気母智命
杉山神社 (南区宮元町)《主》市杵島姫命,《配》木花開耶姫命《合》天照皇大神,宇賀御魂命
杉山神社 (保土ケ谷区和田)《主》日本武尊
杉山社 (保土ケ谷区仏向町)《主》五十猛命
杉山社 (保土ケ谷区上星川)《主》日本武尊
杉山社 (保土ケ谷区西久保町)《主》五十猛命
杉山神社 (保土ケ谷区坂本町)
杉山神社 (港北区岸根町)《主》五十猛命,大山祇命
杉山神社 (港北区新羽町)《主》大己貴命
杉山神社 (港北区樽町四丁目)《主》日本武尊《合》素盞嗚命
杉山神社 (緑区中山町)《主》五十猛命
杉山神社 (緑区青砥町)《主》五十猛命,《配》日本武尊,応神天皇,大日霊貴命,面足尊
杉山神社 (緑区鴨居)《主》日本武尊《合》天照大神
杉山神社 (緑区三保町)《主》日本武尊
杉山神社 (緑区寺山町)《主》五十猛命
千草台杉山神社 (青葉区千草台)《主》五十猛命《合》素盞嗚命,大日霊命,豊受姫命,大己貴命,保食神
市ヶ尾杉山神社 (青葉区市ケ尾町)《主》五十猛命
みたけ台杉山神社 (青葉区みたけ台)《主》五十猛命,《配》誉田別命
上恩田杉山神社 (青葉区あかね台)《主》日本武尊
鐵神社 (青葉区鉄町) - 旧社名:青木明神・杉山明神合社
杉山神社 (都筑区大熊町)《主》日本武尊《合》天御中主命,伊弉諾命,伊弉冉命,面足命,稲田姫命,天照皇大神
杉山神社 (都筑区佐江戸町)《主》五十猛命
杉山神社 (都筑区池辺町)《主》五十猛命

神奈川県(横浜市以外)
杉山大神 (川崎市幸区小倉)
杉山神社 (川崎市高津区末長) 《主》五十猛命
杉山社 (川崎市多摩区西生田)《主》日本武尊
杉山神社(三浦郡葉山町上山口)《主》大物主命,豊佐賀男命,伊邪冉命,早玉命,向津日売命

 東京都
江島杉山神社 (墨田区千歳) - 江戸時代の杉山検校(杉山和一)を祀る
杉山神社 (稲城市平尾)《主》日本武尊,《配》弟橘姫命《合》須佐之男命,猿田彦命
椙山神社 (町田市三輪町)
杉山神社 (町田市成瀬)《主》日本武尊,《配》天照大神,熊野大神
杉山神社 (町田市金森)《主》日本武尊
杉山神社 (町田市金森)《主》日本武尊
杉山神社 (町田市つくし野)
杉山神社 (町田市能ヶ谷) - つくし野出張社務所《主》日本武尊,事代主命,大山咋命

【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

 第三京浜道路 都筑インター入口から東へ約900m 約3分程度

 神社の北側に石鳥居あり

杉山神社(横浜市港北区新吉田町)に参着

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鳥居の扁額には゛郷社 杉山神社゛と刻字されています

一礼をして 鳥居をくぐります

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竹林の中を参道の石段が続きます

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参道を上がると 社殿の斜め後ろ側から境内に通じています
もしかすると ここは裏参道 ? なのかもしれない

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社殿と境内は ほぼ南向きです
私が 上がってきたのは やはり裏参道でした 社殿の向かって左奥へと通じている石畳の参道から上がってきたことになります

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表参道は 南に延びていて 上から見ると 御覧の通りです

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境内の西側〈社殿向かって左〉には 境内社が祀られています

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拝殿にすすみます
拝殿の扁額には゛杉山神社゛と記されています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 幣殿 本殿の覆屋が 一体となっています

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社殿に一礼をして 裏参道を戻ります

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

 式内社 杉山神社について 小六天神(古呂玖宮 ころくみや)〈現 港区赤坂の氷川神社の旧鎮座地(古呂故が岡 ころこがおか)or氷川神社の境内社 四合稲荷に合祀された古呂故天神社境内に鎮座していた呂故稲荷(ころこいなり)〉ではないかと記しています
その他に゛小机庄の内 小机村にあり杉山明神゛゛吉田村゛とも記しています

 【抜粋意訳】

都築郡一座 杉山(スギヤマ)神社

 續日本後記
承和月庚戌、武蔵國 都筑郡 杉山神 之官幣以霊験也、同十五月庚辰、奉授 武蔵國 無位 杉山名神 從五位下

 ゛春村云 古呂玖天神をここに つけたるは 小六と称ちかき故るいみなり 強ことなり 杦山とす橘樹郡宿見村にあり 往古は此地 都築郡ならん為へしこの神社の参あらひに杦の字の事なり附考巻一にたはしく出つしみるべし

 惣風
荏原郡赤坂庄 小六天神 或 古呂故 圭田三十五束三毛田 天武天皇三年甲戌十一月始行神札有神戸巫戸所祭 大己貴命 少彦名韓神也 号小六者以古呂故 岡名之故也

 地考
古呂玖宮 江府赤坂にあり氷川明神と称す
〇或いは曰 都築郡の内 小机庄の内 小机村にあり杉山明神と称す
〇或いは曰 吉田村にあり
〇信友云  對馬嶋上縣郡 胡禄神社 又 胡禄御子神社あり 古呂玖宮と同神也
又云 (スギ)は杉の古書の例之 能登國鳳至郡 神神社あり

 【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

『新編武蔵風土記稿(Shimpen Musashi fudokiko)』文政13年(1830)完成 に記される伝承

 杉山神社(横浜市港北区新吉田町)ついて 吉田村杉山社 と記されています

 【抜粋意訳】

 新編武蔵風土記稿 巻之八十四  都築郡之四 神奈川領 吉田村

 杉山社

 除地 二段五畝 村の北の方にあり 石階數級を登りて社前に鳥居をたつ
本社二間に二間半 拝殿三間に二間南向なり
神體は 不動木の坐像にて長八寸ばかり 彩色を加へたり さして古きものとも見えず
例祭は 毎年九月十九日 村内正福寺の持

 末社 稲荷社 本社に向て左にあり

 【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『新編武蔵風土記稿』 著者:間宮士信[数量]265巻80冊[書誌事項]活版 ,明治17年 , 内務省地理局[旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002820&ID=M2017051812110439332&TYPE=&NO=

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

 式内社 杉山神社の所在について「分明ならず」として いくつかの説を挙げています
吉田村字杉山〈現 杉山神社(新吉田町)
小机郷小机村〈現 ?
茅ケ崎村〈現 茅ケ崎杉山神社(都筑区茅ケ崎中央)

 【抜粋意訳】

杉山神社

 杉山は須岐夜萬と訓べし

〇祭神 五十猛命、地名記
○在所分明ならず、
地名記云、吉田村字杉山、
式社考云、小机郷小机村、
参考云、茅ケ崎村、孰れかしらず、

 神位 官社
日本後紀、承和月庚戌、武蔵國 都筑郡 山神 之官幣以霊験也、同十五月庚辰、奉授 武蔵國 無位 杉山名神 從五位下

 【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

 『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

 式内社 杉山神社の所在について 朔村 六宮椙山大明神〈現 杉山神社横浜市緑区西八朔町〉sと記しています

 【抜粋意訳】

都築(ツヅキノ)郡一座 杉山(スギヤマノ)神社

 〇按 本書一本、及 續日本後紀、杉をに作る、蓋二字互いに通用ふ、

今 八朔村にあり、六宮椙山大明神と云ふ、神道集、松屋外集、

仁明天皇 承和月庚戌、此の神 霊験あるを以て、官幣に預らしめ、十五年五月庚辰、無位より從五位下く、續日本後紀

 【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神祇志料』https://dl.ndl.go.jp/pid/815490著者 栗田寛 著 出版者 温故堂 出版年月日 明治9[1876]

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

 式内社 杉山神社の所在について 論社が多く いずれも明証がなく選ぶことができない と記し 様々な諸説を挙げています

・橘樹郡下星川村字大明神前
・橘樹郡鶴見郡
・都築郡茅ケ崎村字宮谷山
・吉田村字杉山
・大棚村字宮脇山
・西八朔村字宮山
谷本
・佐江戸
小机庄

 【抜粋意訳】

都築郡一座 杉山神社

祭神

神位
仁明天皇 承和月庚戌 武蔵國 都筑郡 山神 之官幣以霊験也、同十五月庚辰、奉授 武蔵國 無位 杉山名神 從五位下

社格 

所在
今按 杉山神社と称ふる社 所々にありて何れか實跡ならん詳かならす
橘樹郡下星川村字大明神前と云に社ありて祭神 日木武尊なりと云ひ
又 同郡鶴見郡にも同名同神の社あり
都築郡茅ケ崎村字宮谷山に 高皇産霊神と天日和志命由布津主命を祭れる神社是なりと云ひ
吉田村字杉山には 祭神 五十猛命と云もを實跡とし
大棚村字宮脇山に 日本武尊を祭る社なりとも
西八朔村字宮山に鎮座の神なりとも云り
然るに 猿渡容盛云 父盛章の考に西八朔村に極樂寺と云る真言佛寺の境内にいと幽(カスカ)にて坐す社 かの茅ケ崎吉田などの社よりも中々に故あるべく覚ゆ
其は都筑郡村々には 大かた杉山大神を崇め祭られぬ里なく
市が尾 谷本(タニモト)西八朔(ハツサク)青砥 佐江戸 池邊 吉田 勝田 大棚 茅が崎 上星川 川島 恩田 久保 中山など云村々何れも此社あり なほ此外 橘樹郡久良郡のうちにもあまた所ありて すべて二十五六ヶ所に及ぶと云り

 容盛郡都筑郡中をあまねく尋ね索めつれど此を實跡と定むべき證もなし 茅ケ崎と吉田とは外より聊故づきて覚ゆれど證とすべき事なし 此二つにつぎては 谷本 佐江戸にます社も同じ程にて故ありけなれどすべて無微にして決しがだし西八朔村なるは未だ誰一人實跡と云る人もなけれど 余が考には中々に茅ケ崎 吉田などの社には勝りて故あるべく覚ゆと云れど 是亦明証あらねば如何に共しがたし
姑く附て後考を俟つ 武蔵演路には杉山神社 小机庄にあり 土俗杉山明神と云 茅ケ崎村とあり

 【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

 杉山神社(横浜市港北区新吉田町)ついて 式内社 杉山神社の数多くある論社の中でも 有力候補であるが 確証はないと記しています

 【抜粋意訳】

神奈川縣 相模國都筑郡新田村大字吉田

 郷社 杉山(スギヤマノ)神社

 祭神 五十猛(イタケルノ)命

 創立年代詳ならず、相模國都筑郡杉山神社は、國史現在社にして式内たり、然るに 都筑郡中杉山神社数社あり、今現に郷社たるもの三、而してその何れが国史現在社にして式内たる杉山神社なるかを詳にせず、式社記は当社を以て、彼の式内の杉山神社の實跡とす、然れども其徽證甚だ薄弱なるが如し、
武藏總社記に説あり、

「吉田村なるも、山上に社ありて、石階十五間ばかりもありぬべし、かの茅が崎なると同じほどなる社にして、前の方は水田にて、南の方なる山間に、杉山と云ふ地名ありと里人いへり、是式社記に云ふものなるべし、別當の坊は正福寺といふ、主僧は外に出て、十二三の小僧ひとり、留守の戸を守れるに、何くれと聞きたれど、ただ杉山明神の實跡といふばかりにて、證とすべき事無し、本地といふは此處も不動なりき、〇中略 すべて無徽にして決しがたし、武蔵演路、式社記などには、何を證として慥に定めたるにか、おぼつかなし、」

御神は、不動、木の坐像にて、長八寸ばかり、彩色を加へたり、さまで古きものとは見えずと、新編武蔵風土記稿に見ゆ、明治六年郷社に列す、社殿は、本殿、拝殿を具備し、境内三百九十五坪(官有地第一種)あり。

 境内神社 稲荷社

 【原文参照】

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

杉山神社(横浜市港北区新吉田町) (hai)」(90度のお辞儀)

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