倭文神社(しずりじんじゃ)は 古代 穂坂御牧(ほさかのみまき)の役人の妻や娘などが織った精巧な織物の技芸上達を祈り天羽槌雄命・天棚機姫命を祀ったのが起りとされ 山宮(柳平)の古社地より現在地へ降られた伝承と織宮(おりみや)の意から 降宮(おりみや)と呼称される 延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)の論社です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
倭文神社(Shizuri shrine)
【通称名(Common name)】
・降宮明神(おりみやみょうじん)
・穂坂総社(ほさかそうじゃ)
【鎮座地 (Location) 】
山梨県韮崎市穂坂町宮久保6051
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天羽槌雄命(あめのはつちをみこと)
天棚機姫命(あまのたなばたひめのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
倭文神社(しずりじんじゃ)
祭 神・天羽槌雄命(あめのはづちをみこと)・天棚機姫命(あまのたなばたひめのみこと)
鎮座地・穂坂町大字宮久保字降宮六〇五一
由 緒・ 甲斐国所在の延喜式内二〇社の一
甲斐国志には倭文神社(しずりしんじゃ)降宮明神(おりみやみょうじん)とある。
穂坂総社といい、郷中で最も格式高い神社であった、倭文はしずおりで、麻、などの繊維を 赤・青などに染めて横糸として織った古代織物である、穂坂御牧(ほさかのみまき)が栄えたころ、御牧の役人の妻や娘などが中心となって織った精巧な織物でこれらの女性たちが技芸の上達を祈るために天羽槌雄命・天棚機姫命を祀ったのが、この神社の起りである。降宮は おりみやで、織宮を意味する、江戸時代に幕府は一二石五斗の社領を寄進した。昭和五十八年十二月 山梨県韮崎市
現地案内板より
【由 緒 (History)】
倭文神社(旧郷社) ■由緒沿革:
甲斐国所在の延喜式内社二十社の一、甲斐国志には倭文神社降宮大明神とある。穂坂総社といひ宮久保、柳平、三ツ沢三村の産神で郷中最も格式の高い神社であった。穂坂の御牧の役人や妻女たちが織った倭文織りの守護神で又産婦の守護神としても崇敬厚い神社である。
山梨県神社庁HPより
https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/6011
『甲斐志料集成』に記される内容
【抜粋意訳】
七 甲斐地名辭典 吉田東伍
北巨麻郡
倭文(シヅリ)神社
今 穗坂村宮久保に在り、降(オリ)宮と云ふ、蓋 織宮の義とす。一説、同村柳平の棚機宮かと云へり、塩崎村字津野谷の諏訪明神も倭文宮と冒稱し、石頭椎長一尺四寸なるを所藏す。 (名勝志・國志)
【原文参照】
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・社殿
・神楽殿
・境内参道
・隋神門
・社頭の鳥居
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
倭文神社〈降宮明神〉の山宮であるとされる本宮倭文神社について
別記事を参照
・本宮倭文神社(山梨県韮崎市)
本宮倭文神社(ほんぐうしずりじんじゃ)は 延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)とされる倭文神社降宮明神(宮久保)の山宮であった棚機宮〈七夕社〉が 神明社(上村組)・貴船神社(窪村組)・天神社(武田の烽火台と云われる城山)と貴船神社の地に(1959)合併し 本宮倭文神社と社名を改めたものです
本宮倭文神社(韮崎市穂坂町柳平)〈延喜式内社の元宮〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)甲斐國 20座(大1座・小19座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)巨麻郡 5座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 倭文神社
[ふ り が な ](しとりの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Shitori no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の13社「倭文神社」と論社について
倭文氏の祖神「天羽雷命(アマハイカヅチノミコト)=建葉槌命」を祀る式内社とされ 各国に13社が記されています それぞれの現在の論社もご紹介します
1.畿内 大和國 葛下郡 葛木倭文坐天羽雷命神社 大
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・葛木倭文座天羽雷命神社(奈良県葛城市)
・博西神社(奈良県葛城市)
2.東海道 伊勢國 鈴鹿郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・加佐登神社(三重県鈴鹿市)〈合祀先〉
3.駿河國 富士郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社(静岡県富士宮市)
倭文神社(しどりじんじゃ)は 古代 布織技術を誇った倭文氏が 祖神 健羽雷神(たけはつちのかみ)〈織物の神〉を祀った『延喜式神名帳927 AD.』所載の 駿河国 富士郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)とされます 又 鎮座地の星山は 星神として君臨して居た香々背男との関連も示唆し 常世国神(とこよのかみ)を奉じて大和朝廷に反した大生部 多(おおうべ の おお)〈不尽河〈富士川〉の辺に住む人〉の伝承にも通じています
倭文神社(富士宮市星山)
4.伊豆國 田方郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社(伊豆市大野)
倭文神社(しどりじんじゃ)は 伊豆市大野にある倭文山の山頂に鎮座する『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 式内社゛倭文神社(しとりの かみのやしろ)゛の論社です 縄文遺跡もあり この地が古くから 渡来文化(機織技術など)で開けていたことを示すものとされています
倭文神社(伊豆市大野)
・鍬戸神社(三島市長伏)
鍬戸神社(くわとじんじゃ)は 江戸期には 鍬手明神と云われていました 同じ境内地の中に 同じく延喜式内社の高橋神社〈東北東向き〉と背中合わせに 鍬戸神社の本殿〈南南東向き〉が並び建てらけて お祀りされています
鍬戸神社(三島市長伏)
・小坂神社(伊豆の国市小坂)に合祀
小坂神社(おさかじんじゃ)は 明治6年(1873) に 地区内各所に祀られていた17の神社が合祀されました その中の一祠は 古来から葛城山の山頂に鎮座し 合祀当時は 山麓の寺に遷されて小祠として祀られていた「葛城神社」〈式内社「倭文神社(しとりの かみのやしろ)」の論社〉です
小坂神社(伊豆の国市)
・聖神社(伊豆市月ヶ瀬)
聖神社(ひじりじんじゃ)は 聖ヶ森に鎮座していた聖宮大明神を明治9年(1876)この社殿に合祀し主神として祀ったものです 最古の上梁文に永正9年(1512)のものがあり 村名に「槻瀬村」とあり 現在の地名『月ヶ瀬』の由来を示す者とされています
聖神社(伊豆市月ヶ瀬)
5.甲斐國 巨麻郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社本宮(山梨県韮崎市)
本宮倭文神社(ほんぐうしずりじんじゃ)は 延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)とされる倭文神社降宮明神(宮久保)の山宮であった棚機宮〈七夕社〉が 神明社(上村組)・貴船神社(窪村組)・天神社(武田の烽火台と云われる城山)と貴船神社の地に(1959)合併し 本宮倭文神社と社名を改めたものです
本宮倭文神社(韮崎市穂坂町柳平)〈延喜式内社の元宮〉
・倭文神社降宮明神(山梨県韮崎市)
倭文神社(しずりじんじゃ)は 古代 穂坂御牧(ほさかのみまき)の役人の妻や娘などが織った精巧な織物の技芸上達を祈り祀ったのが起りとされ 山宮(柳平)の古社地より現在地へ降られた伝承と織宮(おりみや)の意から 降宮(おりみや)と呼称される 延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)の論社です
倭文神社〈降宮明神〉(韮崎市穂坂町宮久保)〈延喜式内社〉
・諏訪大神社(山梨県甲斐市)
6.常陸國 久慈郡 靜神社 名神大
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・靜神社(茨城県那珂市)
7.東山道 上野國 那波郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社(群馬県伊勢崎市)
倭文神社(しとりじんじゃ)は 第十一代 垂仁天皇の御代の創建と伝えられ 貞観元年(859)には官社に列せられています 上野国九之宮とされる 式内社 倭文神社(しとりの かみのやしろ)です 利根川北岸に鎮座し 南岸に鎮座する式内社 火雷神社(上野国八之宮 下之宮)に対して「上之宮(うえのみや)」と称されます
倭文神社(伊勢崎市東上之宮町)〈上野國九之宮〉
8.山陰道 丹後國 加佐郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社(京都府舞鶴市)
倭文神社(しどりじんじゃ)は 927 AD.延喜式内社 丹後國 加佐郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)とされ 創立は それより相当古くから当地に鎮座されていた云う 伝説によれば 一条天皇正暦元年(990)源頼光が大江山の鬼退治に出陣の途中 当神社に山伏の姿で武運の長久を祈願したとも伝えられています
倭文神社(舞鶴市今田 小字津ノ上)〈延喜式内社 倭文神社〉
9.丹後國 與謝郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社(京都府与謝郡与謝野町)
倭文神社(しどりじんじゃ)は 和銅五年(712)この地で綾錦を織ることとなり 丹後國一之宮 籠神社 海部直愛志(あまべのあたいえし)が勅命を奉じて 倭文神を祀り創建した 延喜式内社 丹後國 與謝郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)とされ 貞応二年(1223)ご神託があり 筬(おさ)村から現今の石崎の社に奉遷されました
倭文神社(与謝郡与謝野町三河内)〈延喜式内社〉
10.但馬國 朝來郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社〈鮭の宮〉(兵庫県朝来市)
倭文神社(しどりじんじゃ)は 和銅5年(712年)創建された 延喜式内社 但馬國 朝來郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)と伝わります 正徳3年(1713年)遷宮の時 偶然下流から鮭が遡上し 村人達は めでたい前兆として喜び〈鮭の宮〉と呼ぶようになったと伝わります
倭文神社〈鮭の宮〉(朝来市生野町円山)〈延喜式内社論社〉
・妙見宮〈国常神社〉(兵庫県朝来市)
國常神社(くにのとこじんじや)は 北辰信仰の妙見宮(みょうけんぐう)とも呼ばれ 国常立尊(くにのとこたちのみこと)を祀ります この地は 式内社 倭文神社〈鮭の宮〉(ここから500m程の 円山川の下流)の旧鎮座地 円山字鹽谷であると伝わります
國常神社〈妙見宮〉(朝来市生野町円山)
11.因幡國 高草郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社(鳥取県鳥取市)
倭文神社(しとりじんじゃ)は 倭文(しとり/しづり)」とも読み「しづ織り」という絹織物のことを指し 機織り(はたおり)を業(なりわい)とする倭文部の民がこの地に居住し 祖神「倭文神・建葉槌命(たけはづちのみこと)」を奉斎したと伝わる 延喜式内社 因幡國 高草郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)です
倭文神社(鳥取市倭文)〈延喜式内社 倭文神社〉
12.伯耆國 川村郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社(鳥取県湯梨浜町) 伯耆 一之宮
倭文神社(しとりじんじゃ)は 云い伝えによれば 大国主命の娘神「下照姫命」が 一匹の海亀の導きによって 宇野の海岸に着船し この小高い丘からの眺めに癒され 住居を定め 農業指導や 医薬普及に努めたと云い 人々は敬い 古くから格式高く 伯耆国の一之宮として 湯梨浜町(ゆりはまちょう)に鎮座します 境内には「安産岩」と呼ばれる岩があり 安産の神様としても知られます
倭文神社(湯梨浜町)安産の神として崇敬される伯耆国の一之宮
13.伯耆國 久米郡 倭文神社
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』所載
・倭文神社(鳥取県倉吉市) 伯耆 三之宮
倭文神社(しとりじんじゃ)は 御祭神の武葉槌神(一説には 経津主神とも)が 出雲の国譲りの際 豊原中国を平定せよとの詔勅により 出雲へ出陣をされます この時 御陣営をかためられたのがこの地で 倭文神社はこの神跡であると伝えられています
倭文神社(倉吉市志津)伯耆国三之宮
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR中央本線 韮崎駅から県道27号経由で北東方向へ約5km 車で11分程度
玉垣に囲われた境内の南に社頭の鳥居が建ち
鳥居の扁額には゛穂坂惣社 正一位 降宮大明神゛と刻字されています
倭文神社〈降宮明神〉(韮崎市穂坂町宮久保)に参着
鳥居をくぐると すぐに石燈籠と隋神門が構えます
参道正面には拝殿が建ち 右手には神楽殿が建っています
参道の出口に聳えている杉の大木が二本あり 注連柱のように 注連縄が渡されています だからここで 再度 深く一礼をして 拝殿にすすみます
賽銭箱に張られているのは 鹿島神が地震鯰を要石で押さえる「鹿島大神宮御歌」
゛ゆるぐとも よもやぬけじの かなめいし 鹿島の神のあらんかぎりは゛
なぜ ここに張られているのかは不明です
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿に一礼をして 参道を戻ります
こちらからですと 杉が二本あり 注連柱のように 注連縄が渡されている様子が良くわかります
ここから さらに1.7km程山を上がると倭文神社〈降宮明神〉の山宮であるとされる本宮倭文神社があります
別記事を参照
・本宮倭文神社(山梨県韮崎市)
本宮倭文神社(ほんぐうしずりじんじゃ)は 延喜式内社 甲斐國 巨麻郡 倭文神社(しとりの かみのやしろ)とされる倭文神社降宮明神(宮久保)の山宮であった棚機宮〈七夕社〉が 神明社(上村組)・貴船神社(窪村組)・天神社(武田の烽火台と云われる城山)と貴船神社の地に(1959)合併し 本宮倭文神社と社名を改めたものです
本宮倭文神社(韮崎市穂坂町柳平)〈延喜式内社の元宮〉
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 倭文神社について 所在は゛在所分明ならず、゛よくわからないと記した上で
゛柳平村に在す、今 織女社と称す、゛〈現 本宮倭文神社(韮崎市穂坂町柳平)〉
゛北山筋宮久保村に在す、降宮神と称す、゛〈現 倭文神社降宮明神(韮崎市)〉
の2説を挙げていますが どちらも未熟な説と記しています
【抜粋意訳】
倭文神社
倭文は志圖利と訓べし
○祭神 建葉槌神、〔名勝志〕
在所分明ならず、〔名勝志云、柳平村に在す、今 織女社と称す、」参考云、北山筋宮久保村に在す、降宮神と称す、〕両説未孰れかしらず、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 倭文神社について 所在は゛今 宮久保村にあり、降宮大明神と云、゛〈現 倭文神社降宮明神(韮崎市)〉と記しています
【抜粋意訳】
倭文(シトリノ)神社
今 宮久保村にあり、降宮大明神と云、〔巡拝舊祠記、甲斐國志、〇按 降宮は、織宮の義也、〕
盖 天羽槌雄神、棚機姫神を祭る、〔参酌古語拾遺、延喜式、倭文社記〕
上古二神 文布を織り、神衣を織て、大御神に仕奉り給ひき、〔古語拾遺〕
凡 正月十七日、七月七日、九月二十九日 祭を行ふ、〔甲斐國志〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 倭文神社について 所在は゛宮久保村 (北巨摩郡穗坂村大字宮久保)゛〈現 倭文神社降宮明神(韮崎市)〉と記しています
【抜粋意訳】
倭文神社 稱 降宮大神
祭神 天羽槌雄命 棚機姫神
祭日 七月七日 九月廿九日
社格 郷社所在 宮久保村 (北巨摩郡穗坂村大字宮久保)
今按 甲斐國志 山宮の地は柳平村界にあり
名勝志に 降宮明神の本社なりと云り
社記に 所祭二注は衣服の祖神なり 州俗織女と稱し 古棟札に穂坂總社 倭文神社 降宮大明神とある由 記せるを合考るに 柳平村の本社を宮久保に移してより本社は自ら廃絶したるなるべし
【原文参照】
倭文神社〈降宮明神〉(韮崎市穂坂町宮久保)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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甲斐国(かひのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 甲斐国には 20座(大1座・小19座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
甲斐國 式内社 20座(大1座・小19座)について