鎭岡神社(しづめがおか じんじゃ)は 称徳天皇(764~)の御代に勧請『安永風土記(1772~81年)』とある延喜式内社 陸奥國 江刺郡 鎭岡神社(しつめをかの かみのやしろ)です 又 天明5年(1784)国学者 菅江眞澄が「かしこしな あらふるとても ぬさとらば こころしつめの 岡の神籬(ひもろぎ)」と歌を詠みました
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
鎭岡神社(Shizumegaoka shrine)
【通称名(Common name)】
・鎮岡神社(じんがおかじんじゃ)
・ぢんがおか
【鎮座地 (Location) 】
岩手県奥州市江刺岩谷堂字五位塚179
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大己貴命(おほなむちのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
延喜式内社 鎭岡神社(しづめがおか じんじゃ)御由緒
当神社 御祭神は天(あめ)の下造らしし大神(おおかみ)にして、神事を主宰し、農耕を保障する穀神として国民(くにたみ)の生業(なりわい)を守護(しゅご)し給う大己貴命(おおなむちのみこと)(大国主神=大国さま)である。
律令(りつりょう)国家当時は、神階を授かり幣帛をあずかる官社として保護が厚く、「延喜式(えんぎしき)」の神名帳(じんみょうちょう)に記されている神社である。(陸奥国百座内 岩手県十四座)
とりわけ前九年、後三年の役のあと亘理権大夫(わたりのごんのたいふ)藤原経清(ふじわらのつねきよ)と安倍頼時(あべのよりとき)の娘との間に生れた藤原清衡(ふじわらのきよひら)公は、篤くこの神を尊崇(そんすう)し、豊田城を構えた際 当神社の御社殿を修築し、天下泰平(てんかたいへい)武運長久(ぶうんちょうきゅう)祈願のしるしとし、荘園(しょうえん)十町歩を献奉、宝庫を建立、武具一式を奉納せしが、のち兵火で炎上したと伝えられる。
その後、時経りて天明五年秋、三河の国の国学者 菅江眞澄(すがえますみ)が当神社にぬさたいまつらんと訪れ、今当神社の御神歌と奉る「かしこしな あらふるとても ぬさとらば こころしつめの 岡の神籬(ひもろぎ)」は、眞澄遊覧記「委波氐廼夜麼(いわてのやま)」に記されている。
明和五年 御社殿修築、天保六年 再建奉遷、明治六年 村社に列格され、その後、御神威を仰ぐ県内外の氏子崇敬者崇信の誠を捧げし寄進をもって、境内を拡張整備、昭和二十年十一月八日郷社に列せられる。
鎭岡神社社務所現地案内板より
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【由 緒 (History)】
神社名 延喜式内 鎭岡(しづめがおか)神社(通称 ぢんがおか)
御祭神 大己貴命(おほなむちのみこと)(大国主命)
鎮座地 江刺市岩谷堂字五位塚一七九番地
創 建 胆沢城築城(西暦八○二年)以前
旧社格 郷社
由 来
奥州藤原文化の礎を築いた豊田城主の藤原清衡公が、社殿の修築・荘園献奉宝庫建立等々 信仰篤かった。 のち兵火で焼失したが 天保六年修築奉遷御神歌
かしこしな あらぶるとても ぬさとうば こころしづめの 岡の神籬(ひもろぎ)
菅江眞澄拝殿案内板より
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鎭岡神社(江刺岩谷堂)由緒
安永風土記によれば称徳天皇(764~)の御代に勧請されたとある。「延喜式」神名帳に記載されている延喜式内社であり、律令国家当時は、神階を授かり、祈年祭には国幣を預かる官社であった。
鎭岡の社名は、「天神地祇八百万神遥拝所岩清水八幡宮公文所」と表記し版行された軸物、奥の細道随行した河合曽良「旅日記」の行脚予定路の中などに散見する。
とりわけ、前九年・後三年の役の後、亘理権太夫経清と安倍頼時の娘との間に生まれた藤原清衡公は、神仏信仰厚く、豊田城を構えた際、当神社の社殿を修築、天下太平・武運長久祈願のしるしとして荘園献納、宝庫を建立、武具一式を奉納したと伝えられる。
菅江眞澄(三河国・国学者)が天明五年(1784)から3年間岩手を旅行した。その記録である日記「けふのせはのの」「岩手の山」に当社の記述がある。
廃藩置県で江刺県を置いた際、郷社に列せられたが、後、一郷一郷の制により、明治六年村社となり、昭和二十年再度郷社に列せられる。
岩手県内 神社検索(岩手県神道青年会作成)HPより
https://ganshinsei.livedoor.blog/archives/14043639.html
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・鎭岡神社 社殿
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・鎭岡神社 社殿 渡り廊下 社務所
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・〈境内社〉不動堂〈鎮岡創建の頃からあった不動明王を祀る〉
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・〈境内社〉稲荷社か?
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・三の鳥居
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・社頭〈一の鳥居・二の鳥居〉
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・社頭〈社号標〉
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)陸奥國 100座(大15座・小85座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)江刺郡 1座(小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 鎭岡神社
[ふ り が な ](しつめをかの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Shitsumewoka no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 陸奥國 江刺郡 鎭岡神社(しつめをかの かみのやしろ)の論社について
延喜式内社 陸奥國 江刺郡 鎭岡神社(しつめをかの かみのやしろ)については 現在「鎭岡神社(奥州市江刺岩谷堂字五位塚)」が比定社とされています
しかし
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)の写本「九条家本・武田家本など」には 「 鎭岡神社(しつめをかの かみのやしろ)」について「偵岡(ものみおか)神社」と記されています
これを誤記とする説もありますが 「偵岡(もみおか)神社」は゛種山の偵岡に鎮座していた神゛として「物見山〈種山〉」の遥拝所として「国見山神社」とする説があります
〈参考論社〉・國見山神社(岩手県北上市稲瀬町内門岡26)
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延喜式内社 偵岡(ものみおか)神社(国見山神社)のいわれ
延暦二十一年(八〇二)坂上田村麻呂将軍が胆沢城を築き胆沢郡を置かれたとき胆沢郡の東北の隅を偵岡(もみのおか)(種山 たねやま)としそこに神を鎮座させた。大同三年(八〇八)胆沢郡を分けて江刺郡を建てられ、弘仁二年(八一一)には江刺郡の北へ和賀郡が置かれた
文徳天皇は天安元年(八五七)偵岡神の遙拝所を国見山に建て神社としその別当を極楽寺の役僧に掌らせたこの時から極楽寺は政府経営の官寺となり僧が祝詞を奏し舞楽(ぶがく)も行い神社を護りつづけた、延喜(えんぎ)五年(九〇五)醍醐天皇が「式」の編さんを命じ延長五年(九二七)脱稿したその中に神名帳があり陸奥国江刺郡偵岡神社も官社に指定された
御神体は倉稲魂命(うけもちのみこと)とも大物忌神(おおものいみのかみ)とも稲荷神(農業の神商売繁昌の神)ともいい江刺郡へ徳として顕われて偵岡神(ものみおかのかみ)といったのである。
それから後祭典には国司が親しく奉幣する事になった、世移り度々の野火ですべてを失ない廃れていた明治になって国見山神社と改称し村民すべて氏子となり四月(現五月)三日の祭典日には南は石巻北は花巻辺までの参詣で賑った。石鳥居献納の日司東眞雄略して記す
寄贈高弥建設株式会社
現地案内板より
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
東北新幹線 水沢江刺駅から北方向へ約4.6km 車での所要時間は7~10分程度
R456号に看板があり その先に社頭の鳥居があります
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鎭岡神社(奥州市江刺岩谷堂字五位塚)に参着
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一礼をしてから 鳥居をくぐり抜けると 石段を上がると二の鳥居があります
社頭は西を向いていますが 境内入口の三の鳥居 境内 社殿は南を向いています
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拝殿にすすみます
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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社殿の向かって右手には〈鎮岡創建の頃からあった不動明王を祀る〉不動堂があります
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社殿の向かって左側には 渡り廊下があり 社務所と繋がっています
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社殿に一礼をして境内を戻ります
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境内を出て 西方向の社頭へと帰ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 鎭岡神社について 所在は゛餅田村に在す、゛〈現 鎭岡神社(奥州市江刺岩谷堂字五位塚)〉と記しています
【抜粋意訳】
鎭岡神社
鎭岡は志都袁加と讀り
○祭神詳ならず
○餅田村に在す、〔参拝録、参考、〕
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 鎭岡神社について 所在は゛餅田村 鎭岡地にあり、八幡と云ふ、゛〈現 鎭岡神社(奥州市江刺岩谷堂字五位塚)〉と記しています
【抜粋意訳】
鎭岡(シヅヲカノ)神社
今 餅田村 鎭岡地にあり、八幡と云ふ、〔陸奥式社考、封内風土記、巡拝舊祠記、○按 江刺縣神社調云、社地舊今の社より四町東に五位林あり、其岡より清い泉湧出つ、蓋 鎭岡清水岡の傳訛也と云り、姑附て考に備ふ、〕
毎年七月十七日祭を行ふ、〔江刺縣神社調〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 鎭岡神社について 所在は゛餅田村〔字豐田○今属 陸中國〕(江刺郡岩谷堂町大字片岡)゛〈現 鎭岡神社(奥州市江刺岩谷堂字五位塚)〉と記しています
【抜粋意訳】
鎭岡神社
祭神 大己貴神
祭日 七月七日
社格 村社所在 餅田村〔字豐田○今属 陸中國〕(江刺郡岩谷堂町大字片岡)
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
鎭岡神社(奥州市江刺岩谷堂字五位塚)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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陸奥国(むつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 陸奥国には 100座(大15座・小85座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
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