白堤神社(しろとりじんじゃ)は 江戸時代以前は゛白鳥明神゛と称し゛日本武尊゛が祀られていました 一方で゛白堤氏゛の氏神との説もあり 創建年代などは不祥です 旧鎮座地は南池〈白鳥池〉と呼ばれる堤の上にあったと伝わります 延喜式内社 大和國 山邊郡 白堤神社(しろつつみの かみのやしろ)とされます
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
白堤神社(Shirotori shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
奈良県天理市長柄町435-2
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》日本武尊(やまとたけるのみこと)〈景行天皇の皇子〉
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
白鳥大明神 延喜式内社
白堤(しろとり)神社
祭神日本武尊(やまとたけるのみこと)〈景行天皇の皇子〉
大和は 国のまほろば
たたなづく 青かき 山ごもれる
大和し 美(うるわ)し古事記にあるこの歌は、日本武尊が東国からの帰り、はるかに大和の国を思い出して歌われたものと伝えられている。景行天皇の命(めい)を受け、国の繁栄のため、九州から出雲の国、さらに関東から東北へと進まれたが、その帰り伊吹山で病にかかり、能煩野(のぼの)(亀山市内)で亡くなられた。ところが、尊(みこと)の魂は白鳥となって陵(みさぎ)から飛び立ち、河内へ、さらに大和へ向かったと伝えられている。
日本武尊のこうしたロマンに満ちた御活躍を偲び、御神徳のいよいよ広まるように全国各地で日本武尊を白鳥(しろとり)大明神としてお祭りするようになった。白堤神社は、県下で尊(みこと)をお祭りするただ一つの神社である。
当社は平安時代に国から幣帛(へいはく)を授受する延喜式内社(えんぎしきないしゃ)に指定された。
現地案内板より
【由 緒 (History)】
白堤神社 ( 長柄町池ノ尻四四一 )
J R桜井線長柄駅西南西方八〇〇メートル、長柄集落の南端に鎮座する。
祭神 日本武尊。
元は白鳥池の西南隅の堤の上の字柿木にあったが、池は昭和十九年に大和海軍航空隊の飛行場建設のため埋めたてられ、当社も同二十一年池の北側に当る現在地に遷座された。
『大和志』 に「在ニ長柄村 今称ニ白鳥明神」とあり『延喜式神名帳』に式内社として登載されている。
『山辺郡記』は「伝説ニ古ハ大熊神社ヲ村社トセリ、然ルニ後世境内社ナル白鳥社ヲ本社トシ白堤ノ社名ヲ襲ヘルヨリ誤ヲ来タセリト云フ此説信ニ近シ」と述べ、白鳥社は元大熊神社の末社であったと伝えるが詳かでない。
例祭は九月二十一日。
『奈良県史』5.神社〈平成元年五月二十五日発行〉より抜粋
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
境内案内板より
・三寶神社《主》保食神
・大熊神社《主》大熊命
・三社神社〈三社合殿〉
右・八幡神社《主》誉田天皇
中・春日神社《主》天児屋根命
左・皇大神宮社《主》天照皇大神
・愛宕神社《主》迦具土神・彦火火出見命
・龍王神社《主》高龗神
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・白堤神社の旧鎮座地(天理市長柄町)
元々 白堤神社は 現在地の南西約300m程のこの地に鎮座していました
昭和十九年(1944)大和海軍航空隊飛行場建設のために小学校の校庭に遷座
戦後の昭和二十一年(1946)現在地に社殿を造営して遷座
現在 旧鎮座地は 水田の中に 石碑のみが立ちます
・白堤神社は 大和神社(天理市新泉町)の所管社です
・大和神社(天理市新泉町)
大和神社(おほやまとじんじゃ)は 延喜式内社 大和國 山邊郡 大和坐大國魂神社三座(並名神大 月次 相嘗 新嘗)です 創建は 第十代崇神天皇の御代 宮中内に天皇と同殿共床で奉斎の二大神(天照大神・大地主大神)の神威を畏れた爲 大地主大神を皇女 淳名城入姫命に勅し 市磯邑に移されたのが始りと伝わります
大和神社(天理市新泉町)〈大和坐大國魂神社三座(並名神大 月次 相嘗 新嘗)〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和國 286座(第128座(な月次新嘗・就中31座預り相詳細)・小158座(波官幣))[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)山邊郡 13座(大7座・小6座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 白堤神社
[ふ り が な ](しろつつみの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Shirotsutsumi no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
白堤神社(天理市長柄町)の祭神についての二説〈①日本武尊②白堤首の祖神 天櫛玉命〉
①日本武尊を祭神とする説
社傳には゛祭神 日木武尊゛と云う 白堤を゛しろとり゛と読み 『大和志』には゛此社を白鳥明神と稱す゛と云う 説
天理市観光協会のHP゛今も残る天理の 昔ばなし゛には次のように伝えています
長柄町に伝わる話 白堤神社
むかし、この大和(やまと)の国に、日本の神話に出て来る神様方が沢山いらっしゃいました。中でもお力の強い日本武尊(やまとたけるのみこと)はいろいろと国のためにお力があり、この尊が亡くなられた時、人民は皆大変悲しんで思い打ち沈んでおりました。その時、突然尊のお姿から三羽の白い鳥が飛んで出たのです。三羽の鳥は尊のお姿を三周して空高く飛んでいきました。尊の魂が鳥となってはばたいたのでしょうと、皆は鳥の行方を見守っていました。その鳥は大和の国原を飛び回り、最後に長柄(ながら)の南五百米のところに降りたちました。村の人は不思議なことに驚きながら、その美しい鳥が、自分たちの村に降りたったことをたいそう喜んで、その地点にお宮を建て、村の守り神としてあがめるようになったのです。
現在長柄にある白堤(しろとり)神社には、このような由来があり、美しい鳥の名をとって白堤神社と呼び、日本武尊を祭神としたこのお宮さんは、毎年九月二十二日村人によってお祭りが行われ、村人の心の支えになっているのです。
②白堤首の祖神 天櫛玉命を祭神とする説 もしくは゛天櫛玉命八世孫 大熊命゛
祭神については゛白堤首の祖神 天櫛玉命を祭れること著し゛とし 『新撰姓氏録』〔大和国神別〕に記される゛白堤首゛の祖神であうと 記しています
『山辺郡記』には
「伝説ニ古ハ大熊神社ヲ村社トセリ、然ルニ後世境内社ナル白鳥社ヲ本社トシ白堤ノ社名ヲ襲ヘルヨリ誤ヲ来タセリト云フ此説信ニ近シ」
と述べ、白鳥社は元大熊神社の末社であったと伝えるが詳かでない。
白堤神社(天理市長柄町)境内には ゛大熊神社《主》大熊命゛あります
櫛玉命を祀る大和國の式内社
延喜式内社
大和國 髙市郡 櫛玉命神社 四座(並 大 月次 新嘗)(くしたまのみことの かみのやしろ)
・櫛玉命神社(高市郡明日香村真弓)
櫛玉命神社(高市郡明日香村真弓)は 式内社 矢田坐久志玉比古神社の分霊と伝わる式内社
延喜式内社
大和國 添下郡 矢田坐久志玉比古神社 二座(並大 月次 新嘗)(やたのます くしたまひこの かみのやしろ ふたくら)
・矢田坐久志玉比古神社(大和郡山市矢田町)
矢田坐久志玉比古神社(やたにいます くしたまひこ じんじゃ)は 延喜式内社です『先代舊事本紀』故事由来には 物部氏の祖神 櫛玉饒速日命が 天神御祖の詔により天孫降臨をされた時 天磐舩(あまのいわふね)に乗り 射放たれた三本の天乃羽羽矢(あめのははや)が この地〈矢田〉に落ちたので゛矢落社(やおちしゃ)゛と称されます
矢田坐久志玉比古神社(大和郡山市矢田町)〈延喜式内社〉
゛櫛玉命(くしたまのみこと)゛゛櫛玉比女命(くしたまひめのみこと)゛を祀る 大和國の式内社について
゛櫛玉命(くしたまのみこと)゛は 饒速日命〈物部氏の祖神〉と同神とする説あり
゛櫛玉比女命(くしたまひめのみこと)゛は 御炊屋姫〈饒速日命の妻〉とする説あり
延喜式内社
大和國 廣瀬郡 廣瀬坐和加宇加乃売命神社(名神大 月次 新嘗)(ひろせにます わかうかめのみことの かみのやしろ)
廣瀬大社(河合町川合)の社家 樋口氏〈曾禰氏〉は 物部氏の子孫と伝えらます
相殿に祀られる神 ゛櫛玉命゛ は 饒速日命〈物部氏の祖神〉と同神であると伝
・廣瀬大社(河合町川合)
廣瀬大社(ひろせたいしゃ)は 創建は崇神天皇9年(前89)゛大和盆地を流れる全ての河川が合流する地点に祀られ治水と五穀豊穣を司る゛と由緒にあり 大和川は 鎮座地から 龍田を抜け奈良盆地を下り流れる 『日本書紀』天武天皇4年4月の条には 風神を龍田の立野〈龍田大社〉に 大忌神を広瀬の河曲〈廣瀬大社〉を祀る と記されます
廣瀬大社(北葛城郡河合町川合)〈崇神天皇九年(前八九)鎮座の式内社〉
延喜式内社
大和國 廣瀬郡 櫛玉比女命神社(貞)(くしたまひめの かみのやしろ)
・櫛玉比女命神社(広陵町弁財天)
櫛玉比女命神社(くしたまひめのみことじんじゃ)は 本殿が前方後円墳の後円部に鎮座するという古墳信仰に基づく古代祭祀の遺跡とされ 古墳は 聖徳太子の築造とも伝わります 延喜式内社 大和國 廣瀬郡 櫛玉比女命神社(くしたまひめのみことの かみのやしろ)の論社です
櫛玉比女命神社(広陵町弁財天)
・〈相殿に合祀 櫛玉比女命神社〉廣瀬大社(河合町川合)
廣瀬大社(ひろせたいしゃ)は 創建は崇神天皇9年(前89)゛大和盆地を流れる全ての河川が合流する地点に祀られ治水と五穀豊穣を司る゛と由緒にあり 大和川は 鎮座地から 龍田を抜け奈良盆地を下り流れる 『日本書紀』天武天皇4年4月の条には 風神を龍田の立野〈龍田大社〉に 大忌神を広瀬の河曲〈廣瀬大社〉を祀る と記されます
廣瀬大社(北葛城郡河合町川合)〈崇神天皇九年(前八九)鎮座の式内社〉
櫛玉饒速日命(くしたま にぎはやひのみこと)が 天下った 河内国゛河上の哮峯(いかるがみね)゛について
祭神である櫛玉饒速日命(くしたま にぎはやひのみこと)が 天神御祖(あまつかみのみおや)の詔により 天磐舩(あまのいわふね)に乗り天降られた 河内国゛河上の哮峯(いかるがみね)゛
河内国河上哮ヶ峰(いかるがみね)に降臨された その゛天磐舩゛がご神体として祀られている゛磐船神社゛
・磐船神社(交野市私市)
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
大和神社から白堤神社の旧鎮座地を経由して 西へ約4.1km 車10分程度
大和神社から出発します
・大和神社(天理市新泉町)
大和神社(おほやまとじんじゃ)は 延喜式内社 大和國 山邊郡 大和坐大國魂神社三座(並名神大 月次 相嘗 新嘗)です 創建は 第十代崇神天皇の御代 宮中内に天皇と同殿共床で奉斎の二大神(天照大神・大地主大神)の神威を畏れた爲 大地主大神を皇女 淳名城入姫命に勅し 市磯邑に移されたのが始りと伝わります
大和神社(天理市新泉町)〈大和坐大國魂神社三座(並名神大 月次 相嘗 新嘗)〉
白堤神社の旧鎮座地(天理市長柄町)に立ち寄ります
元々 白堤神社が鎮座していたのは 現在地の南西約300m程のところで
現在は 水田の中に 石碑のみが立ちます
写真の右奥には 現在の鎮守の杜が見えています
近づいてきました
白堤神社(天理市長柄町)に参着
一礼をして鳥居をくぐり参道を進みます
手水舎があり清めます
手水舎の正面には 境内社・三社神社〈三社合殿〉と・愛宕神社が祀られています
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥には 玉垣に囲まれて本殿が鎮座します
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 白堤神社について 所在は゛長柄村に在す 今白鳥明神と稱す゛〈現 白堤神社(天理市長柄町)〉とし
祭神については゛白堤首祖 歟゛とし 『新撰姓氏録』〔大和国神別〕に記される゛白堤首゛の祖神であうと 記しています
【抜粋意訳】
白堤神社
白堤は志呂都々美と訓べし
〇祭神 白堤首祖 歟
○長柄村に在す、今白鳥明神と稱す、〔大和志、同名所図会〕
〇日本紀、用明天皇元年五月、穴穂部皇子陰謀王天下之事而口詐在於殺逆君、遂與物部守屋大連、率兵団焼盤余池辺、逆君知之、隠於三諸之岳、是日夜半潜自山出、隠後宮、逆之同姓白堤與横山、言逆君在処、
○姓氏録、〔大和国神別〕白堤首、天櫛玉命八世孫大熊命之後也、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 白堤神社について 所在は゛長柄村にあり白鳥明神と云゛〈現 白堤神社(天理市長柄町)〉とし
祭神については゛白堤首の祖神 天櫛玉命を祭る゛とし 『新撰姓氏録』〔大和国神別〕に記される゛白堤首゛の祖神であうと 記しています
【抜粋意訳】
白堤(シラツツミノ)神社
今 長柄村にあり白鳥明神と云、〔大和志、名所圖會〕
盖 白堤首の祖神 天櫛玉命を祭る、〔新撰姓氏録〕〔〇按 櫛玉命疑らくは事代主命の裔也、故類聚三代格、高市郡櫛玉神を以て飛鳥神の裔神とす、且 姓氏録 長柄首 事代主命の裔と云に依らは、本社の長柄村に在て、天櫛玉命を祭るもの、盖其同族を以ての故也、附て考に備ふ、〕
凡 毎年八月二十二日祭を行ふ、〔奈良縣神社取調書〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 白堤神社について 所在は゛名柄村〔字池底〕(長柄村とあり)゛〈現 白堤神社(天理市長柄町)〉とし
祭神については゛白堤首の祖神天櫛玉命を祭れること著し゛とし 『新撰姓氏録』〔大和国神別〕に記される゛白堤首゛の祖神であうと 記しています
【抜粋意訳】
白堤(シロツツミノ)神社
祭神 天櫛玉命
今按 社傳 祭神日木武尊と云るは白堤をしろとりと訓み大和志に此社を白鳥明神と稱すと云より牽つけたる説にて取がたし
白堤は櫛玉命神社の條下に云る如く姓氏錄に白堤首(シロツツミノ)天櫛玉命八世孫 大熊命之後也とみえたるに囚て 考ふるに白堤首の祖神 天櫛玉命を祭れること著し祭日 八月二十二日
社格 村社所在 名柄村〔字池底〕(長柄村とあり)(山邊郡朝和村大字長柄)
【原文参照】
白堤神社(天理市長柄町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る
大和国(やまとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 大和國の286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)の神社のことです
大和国 286座(大128座(並月次新嘗就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)