実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

白山比咩神社(白山市三宮町)【前編】

白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)は 全国にある白山神社(約3000社)の総本宮とされ 御祭神は「白山比咩大神(shirayama hime no okami)」 境内にある「白山奥宮 遥拝所」からお詣りをすると 霊峰白山奥宮を参拝したのと同じご利益とされています 神体山として崇められる 白山(haku san)標高2,702 mは 日本三霊山(富士山・立山・白山)の一つで その山頂に奥宮は鎮座します

Please do not reproduce without prior permission.

 

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(shrine name)】

  白山比咩神社(shirayama hime shrine)
 (しらやまひめじんじゃ)

[通称名(Common name)]

  白山さん

【鎮座地 (location) 】

  石川県白山市三宮町ニ105-1

[地 図 (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》白山比咩大神(shirayama hime no okami)
   = 菊理媛神(kukuri hime nokami)

   伊弉諾尊(izanagi no mikoto)
   伊弉冉尊(izanami no mikoto)

【御神格 (God's great power)】

・五穀豊穣 Pray for good harvest
・大漁満足 Good harvest and big catch
・開運招福 Bring good luck and happiness
・家内安全 Safe and comfortable home life
・良縁成就 Deepen connections and intimacy with the good people
・交通安全 Traffic safety
・生業繁栄 Family business prosperity
・学業成就 Want to acquire knowledge and skills
・身体健全 Strong and healthy body
・夫婦円満 married couples swearing to God want good relationships with each other
・福徳長寿 Happy and longevity
・家運長久 Longer household luck
・子孫繁栄 Prosperity of descendants
・神人和楽 God and people prosper together and become happy together
・等 etc

【格 式 (Rules of dignity) 】

・ 加賀國一之宮
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
・ 別表神社

【創 建 (Beginning of history)】

今から2000年前

崇神天皇(すじんてんのう)7年(前91)、本宮の北にある標高178mの舟岡山(白山市八幡町)に神地を定めたのが創建と伝わります。

応神天皇(おうじんてんのう)28年(297)には手取川の河畔「十八講河原」へ遷り(うつり)ましたが、氾濫のためしばしば社地が崩壊するので、霊亀2年(716)に手取川沿いの「安久濤の森」に遷座しました。

文明12年(1480)の大火によって、40余りの堂塔伽藍がことごとく焼失し、末社三宮が鎮座していた現在地へ遷りました。

公式HPより

Please do not reproduce without prior permission.

【由 緒 (history)】

当社は、遠く神代(かみよ)の昔、霊峰「白山(はくさん)」を神体山として、生きとし生けるものの、「いのち」の祖神(おやがみ)と仰ぎまつる“白山比咩大神を奉斎したことにはじまり、その創立は遠く崇神(すじん)天皇の御代と伝えられます。

延喜式内の名社でありまして、古来「下白山(しもしらやま)と称せられた本社は、霊峰白山の「まつりのにわ」として設けられた「白山本宮」で、「加賀一の宮」として尊崇され、「白山(しらやま)さん」としてあまねく親しまれている北陸鎮護の大社であります。

養老元年(717)僧泰澄(たいちょう)が はじめて白山に登拝してから後は、朝野の信仰益々篤く、修験道場として隆盛を極め「白山衆徒三千を数う」と称せられました。その後、文明12年(1480)の大火によって40有余の堂塔伽藍が悉く烏有に帰しましたので、末社三ノ宮の鎮座地である現在地に遷られて今日に至りました。

明治維新の後は「下白山」を本社、「白山天嶺(はくさんてんれい)」を奥宮とし、“国幣中社”として国家から特別の重い待遇を受けましたが、終戦後の今日では、全国に奉斎されている3千有余の白山神社の総本宮として“白山信仰”の中心をなしております。

このようにして当社には白山比・大神の大御稜威(おおみいつ)を欽仰して、神恩奉賽の誠を捧げ、神楽(かぐら)を奉奏する崇敬者が四季を通じて跡を絶たず、とりわけ正月・5月及び9月は「おまいり月」と称して参拝者が多く、御社頭が賑わいます。

日ごと月ごと「白山さん」の神前に奏でまつるみやびやかな神楽の音が、神さびた神苑の老杉古欅にこだまして、御霊験愈々いやちこなるものを拝します。

「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]

【境内社 (Other deities within the precincts)】

公式HPより境内図 

・大国主神社《主》大国主神
・荒御前神社《主》日本武尊
      《合》日吉神・高日神・住吉神

・白山奥宮遥拝所 「霊峰 白山三山」に鎮座
 白山奥宮《主》白山比咩大神
 大汝神社《主》大己貴神
 別山神社《主》大山祇神

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています 

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)The shrine record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338 

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)加賀国 42座(並小)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)石川郡 10座(並小)

[名神大 大 小] 小社

[旧 神社名 ] 白山比咩神社

[ふ り が な ](しらやまひめの かみのやしろ)
[How to read ](shirayamahimeno kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

白山信仰について

当社「白山比咩神社(shirayama hime shrine)」の奥宮は 日本三霊山(富士山・立山・白山)の一つに数えられる白山(haku san)の山頂に鎮座します

白山(haku san)は 石川・富山・福井・岐阜の4県にまたがる両白山地の中央位置にあり
その最高峰で 古くから霊山信仰の聖地として仰がれてきました 当社は 全国にある白山神社(約3000社)の総本宮です

白山(haku san)の麓に暮らす人々や 平野に住み 遥かに秀麗な山容を望む人々は
生活に必要な“命の水”を恵む神々の座を 神秘な「山の神」の聖域として眺め仰がれ「遥拝(yo hai)」して感謝を捧げます

遠く都人たちには「越のしらやま」は憧れの山とされていて「白き神々の座」(古くから「白」は神聖な色)として 歌人の歌にも詠まれています

養老元年(717)越前(福井県)の僧「泰澄(taicho)」が 初めて白山に登拝して 翌年山頂に奥宮を祀りました
その後 山中に分け入って厳しい修行を積む「修験」の地として 全国から修験者(山伏)が集まり 白山信仰は急速に広まったとされています

Please do not reproduce without prior permission.

本殿と境内の「白山奥宮遥拝所」の両方にご参拝します

Please do not reproduce without prior permission.

ご参拝の際に 拝殿でお参りした後に 境内にある「白山奥宮遥拝所」から白山奥宮の遥拝をお勧めします

当社「白山比咩神社(shirayama hime shrine)」は 全国にある白山神社(約3000社)の総本宮で 白山を神体山としていますので 境内には「白山奥宮遥拝所」があります

ご参拝の際に 拝殿でお参りした後に ここ「白山奥宮遥拝所」から白山奥宮の遥拝をお勧めします

神門をくぐった右側にあり「霊峰 白山三山」の形に大岩が祀られています
・大汝峰(onanjimine) 大汝神社《主》大国主神
・御前峰(gozengamine)白山奥宮《主》白山比咩大神
・別山(betsuzan)   別山神社《主》大山祇命

Please do not reproduce without prior permission.

ここでのお詣りは 霊峰白山奥宮を参拝したのと同じご利益とされています

Please do not reproduce without prior permission.

白山比咩神社(白山市三宮町) 後編につづく

一緒に読む
白山比咩神社(白山市三宮町)【後編】

白山比咩神社(白山市三宮町)は 全国にある白山神社(約3000社)の総本宮とされています 御祭神は「白山比咩大神(shirayama hime no okami)」で 境内には「白山奥宮 遥拝所」があり ここからお詣りをすると 霊峰白山奥宮を参拝したのと同じご利益とされています 奥宮が鎮座するのは 日本三霊山(富士山・立山・白山)の一つに数えられる白山(haku san)標高2,702 mです 神体山として崇められて その山頂に奥宮は鎮座します

続きを見る

「全国 一之宮(Ichi no miya)」について に戻る 

一緒に読む
日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」について

日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」は 律令時代に発生した制度・社格で 律令時代の国司の参拝に伴う制度・社格として生じました 全国各地に現在でも「一宮」の地名が沢山あり 呼び方については「いちのみや」は同じでも 標記の仕方は「一宮」・「一之宮」・「一の宮」「一ノ宮」など様々です

続きを見る

加賀国 式内社 42座(並小)について に戻る        

一緒に読む
加賀國(かがのくに)の 式内社 42座(並小)について

加賀国(かがのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 加賀国には 42座(並小)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

続きを見る

  • B!

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています