清水神社(しみずじんじゃ)は 江戸時代に俗称 午頭天王と呼ばれた 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 流田神社(なかれたの かみのやしろ)の論社です 明治41年(1908)神山神社〈現 飯野高宮神山神社(山添町)〉に合祀され 昭和28年(1953)清水のこの地に分祀 清水神社として再建された 飯野高宮神山神社の飛び地境内社です
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
清水神社(Shimizu shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
三重県松阪市清水町大里
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》水靈神、埴安神 他
〈清水神社 に合祀された 流田神社は 俗に午頭天王と称していましたが 明治41年(1908)2月11日 神山神社〈現 飯野高宮神山神社(松阪市山添町)〉に合祀され 昭和28年(1953)清水の地に清水神社として分祀されました
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
『勢陽五鈴遺響』8飯野郡全に記される内容
【抜粋意訳】
清水
櫛田の東にあり 長田郷に属す 正税三百九石津領なり 神鳳抄云 長田郷四十六丁五段三十步 和名類聚 長田郷なり後世の流田の郷こそ此地より朝田にいたり 古の長田郷なり長田は流田の轉なり
式内 流田神社
同處伏拜と云にあり 方俗 午頭天王と稱す生土神とす 八王子とも云 祭神未詳 立利村穴師社より十丁
流田上社神社
同處 流田神社の西に奮墟にあり 明暦中圖にも載たり 祭神未詳
【原文参照】
安岡親毅 著『勢陽五鈴遺響』8 飯野郡 全,飯高郡 自1ノ巻至7ノ巻,鈴木嘉兵衛,明16. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/765791
【由 緒 (History)】
『大神宮叢書』第3 後篇に記される内容
【抜粋意訳】
○區別帳、飯野郡〓水村。流田神社、津藩調書流田神社飮野
○流田(ナタレタノ)神社。
字爾日記に云く、なかれたちノ宮。
此社名は倭名鈔に、多氣郡流田〔奈加禮多〕、とある郷名を以て稱するなり。
考證に云く、今 魚海社の北東の隅の田間、鍾殘の地を稱す美與度利と、爲に社趾也、其北の田を呼ぶ流田と、流田神社の跡歟、とあれど、其地は上古は江湖の中にして、千古の舊社あるべきに非ること、魚海神社の下に辨するが如し。
又 考證のー本に云く、今 清水村の東 稱すに伏拜と、為に遙拜所、有に大松二株、此邊の田も亦字云に伏拜と、按るに拜と與 龗同訓にて、水靈の名也、此社趾なる欺、と云へり。案内記以下これに從て清水村に在と云ひながら、天王とも、八王子とも稱する産神に配す。
伏拜の松樹は 村の東の松林中に在り。源國永年代和歌抄にも載て、舊き松なから本社に関係する樹木にはあらず。拜は ガミ、龗はオガミにて同音ならぬ事を辨知せず妄に牽強をなせり。
又 産神は八村の内 北方に在て伏拜とは別なるを遺響には混同せり。況や清水は櫛田郷に属すべき地方にて、流田の稱ある本社の所在とすべき村に非ず。必舊説の妄談を信受すべからず。依て熟を檢するに、雜例集に流田郷服村とある服村、後世支別して眼部八郷と唱へ、大垣内、蓮華寺、牛草、出間、土古路、神守、垣内田、柿木原等の八村になれる事は既に伊刀麻社の下にも辨す。其各邑の北位に柿木原村あり。後世建置の村なる事明かにして、東方にある産神社〔宇氣比神社〕古風ある事なし。然るに村の西方に千歳を經たりと見ゆる大樟樹の稠茂したる舊社地ありて、古色論を俟たす。其大樹の蟠根下に神殿ー宇を建て奉祀するあり。〔區別帳に、村内九戸の産神 事代主社とあり。〕里民の口傳に、往古洪水に流た社を ここに留め祭る、蛭子ノ神なり、と神代卷の葦船の故事に依て生識者の祭伸を附會するなり。按るに此社村邑建置の前より ここに在て流田社と稱せるを、俚諺に流たるを流たとのみいふに謬混して、漂流せし社と口傳せるならむ。此社 流田の稱あるを以て本社に配すべし。流田上社神社 神守村にありて、此社の南四五町許を隔て相對す。此社は流田下社たる事 地勢よく協へりと謂ふへし。
【原文参照】
神宮司庁 編『大神宮叢書』第3 後篇,西濃印刷岐阜支店,昭和10至15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1239755
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・飯野高宮神山神社(松阪市山添町)
清水神社(松阪市清水町)は 江戸時代には 俗に午頭天王と称したが 明治41年2月11日 神山神社〈現 飯野高宮神山神社(松阪市山添町)〉に合祀されました
昭和28年 清水神社(松阪市清水町)は 清水の地に清水神社を分祀して 飯野高宮神山神社(松阪市山添町)の飛び地境内社として現在に至っています
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢國 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多氣郡 52座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 流田神社
[ふ り が な ](なかれたの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Nakareta no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 伊勢國 多氣郡 流田神社(なかれたの かみのやしろ)の論社
・〈二十五柱神社に合祀された流田神社〈明治23年 宇気比神社相殿に合祀された事代主神社〉(松阪市柿木原町)〉
現在は私有地の為 未参拝
・〈二十五柱神社に合祀された流田神社〉二十五柱神社(松阪市柿木原町)
二十五柱神社(にじゅうごはしらじんじゃ)は 三重県令に依り旧東黒部村内25社の神社を明治41年(1907)9月30日に合祀して二十五柱神社が創建 合祀社の内 伊勢國多氣郡の8つの式内社〈・須麻漏賣神社・服部伊刀麻神社・林神社・服部麻刀方神社二座・流田神社・流田上社神社・火地神社・牛庭神社〉の論社を含みます
二十五柱神社(松阪市柿木原町)〈多氣郡の式内社論社8つを合祀〉
・清水神社(松阪市清水町)
〈清水神社 に合祀された 流田神社〉
清水神社(しみずじんじゃ)は 江戸時代に俗称 午頭天王と呼ばれた 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 流田神社(なかれたの かみのやしろ)の論社です 明治41年(1908)神山神社〈現 飯野高宮神山神社(山添町)〉に合祀され 昭和28年(1953)清水のこの地に分祀 清水神社として再建された 飯野高宮神山神社の飛び地境内社です
清水神社(松阪市清水町)〈『延喜式』流田神社〉
・飯野高宮神山神社(松阪市山添町)〈清水神社を合祀〉
清水神社(松阪市清水町)は 江戸時代には 俗に午頭天王と称したが 明治41年2月11日 神山神社〈現 飯野高宮神山神社(松阪市山添町)〉に合祀されました
昭和28年 清水神社(松阪市清水町)は 清水の地に清水神社を分祀して 現在は 飯野高宮神山神社(松阪市山添町)の飛び地境内社となっています
飯野高宮神山神社(いいのたかみやこうやまじんじゃ)は 『倭姫命世紀』には 垂仁天皇22年 倭姫命が天照大神の宮処を求めて遷られた゛飯野の高宮゛と載り 『延喜式』には伊勢國 飯野郡 神山神社(かむやまの かみのやしろ)と所載の古社 明治期に〈櫛田神社・流田神社・櫛田槻本神社・大櫛神社〉の4つの式内論社を合祀しました
飯野高宮神山神社(松阪市山添町)〈『倭姫命世紀』飯野の高宮〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
近鉄山田線 櫛田駅から北上して約1.7km 車での所要時間は4~5分程度
櫛田川の西岸の清水町に鎮座します
清水町公民館の脇の道を進んでいくとスグです
境内には 社務所前が広場の様になっています
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そこからは参道と社殿の全景を見ることが出来ます
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清水神社(松阪市清水町)〈清水神社 に合祀された 流田神社〉に参着
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一礼をしてから鳥居をくぐります
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参道をあゆみ
拝殿にすすみます
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拝殿と本殿の間には 格子戸のような神門があります
扁額には 清水神社と記されています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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本殿は 拝殿の奥に 玉垣に囲まれて白玉石が敷き詰められた神地に祀られています
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 流田神杜について 所在は゛清水村に在す゛〈現 (合祀)清水神社(松阪市清水町)〉と記しています
【抜粋意訳】
流田神杜
流田は奈加禮多と訓べし、和名鈔〔郷名部〕流田、〔假字上の如し〕
○祭神詳ならず
○清水村に在す、〔俚諺〕今 飯野郡に属す、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 流田神杜について 所在は゛柿木原村あり、村西に千年の古樟樹あり、下に舊祠あり゛〈現 〈二十五柱神社に合祀された流田神社〈明治23年 宇気比神社相殿に合祀された事代主神社〉(松阪市柿木原町)〉〉と記しています
【抜粋意訳】
流田(ナガレタノ)神社
〔〇按 伊勢式内社検録云、雑例集、に流田郷 服村とある 服村 後世分かれて八村となる、八村の内に柿木原村あり、村西に千年の古樟樹あり、下に舊祠あり、土人傳へて 往古 洪水に流多(ナカレタ)社を此に留め祭ると、盖 里俗 流田を漂流の事に混訛しなるへしと云り、〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 流田神杜について 所在は゛流田郷柿木原村の西北隅に大樟樹ある森あり 其處に祭れる社゛〈現 〈二十五柱神社に合祀された流田神社〈明治23年 宇気比神社相殿に合祀された事代主神社〉(松阪市柿木原町)〉〉と記しています
【抜粋意訳】
流田神社
祭神
祭日
社格所在
今按るに 清水村に在といへど 其村は流田郷に非ざれば從がたし 檢錄に流田郷柿木原村の西北隅に大樟樹ある森あり 其處に祭れる社は村内九戸の産神にして 往昔流たるを拾て祭る蛭子神なりとの口傅あり 是流田社と云を謬り蛭子をさへ附會せしなりと云り 尚下の流田上神社の條と合考べし
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
清水神社(松阪市清水町)〈清水神社 に合祀された 流田神社〉に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です
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