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志摩國 式内社 3座(大2座・小1座)について

志摩国(しまのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 志摩国 3座(大2座・小1座)の神社のことです

志摩國(しまのくに)について

志摩国(Shimanokuni)は  令制国の一つ東海道に属する
現在の三重県東部(志摩半島東端)

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令制国設置に伴い 伊勢国(いせのくに)が成立
その後
7世紀後半から8世紀初め 伊勢国(いせのくに)から 志摩国(しまのくに)として分立

明治4年1871)7月 廃藩置県 鳥羽県となる
明治4年187111月 度会 (わたらい) 県に併合
明治9年(1876)現在の三重県が成立

志摩国(しまのくに) 3座(大2座・小1座)

大社2座は 1社
小社1座は 1社

 計3座は 2社

※座は神の柱数 社は神社数

郡として 2郡
英虞(あご)郡答志(とうし)郡

答志郡(とうしの こおり) 3座(大2座・小1座)の論社について

粟嶋坐伊射波神社二座(貞・並大)(あはしまのます いさはの かみのやしろ ふたくら)

・伊雜宮(志摩市磯部町)志摩国一之宮

一緒に読む
伊雑宮(志摩市磯部町)〈皇大神宮(内宮)別宮〉

伊雑宮(いざわのみや)は 謎多き「志摩國 一之宮」とされています 伊勢の別宮としての高い格式も持ち「遙宮(tono miya)」と尊崇を集めます 「懸税(kake chikara)神事」の発祥の地として 御田植式(otaue shiki)があり 香取神宮・住吉大社とあわせて日本三大植祭の一つとされています

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・伊射波神社(鳥羽市安楽島町)志摩国一之宮

一緒に読む
伊射波神社(鳥羽市安楽島町)

伊射波神社(いさわじんじゃ)は 稚日女尊(わかひめのみこと)を海の道から加布良古崎(かぶらこざき)へ祭祀したのが起源とされ 本来は海から参拝する社で 海に向かって鳥居が建ちます 昭和初期頃までは 社頭の海岸まで船寄せしてお参りしたとされ 現在は 縁結びの御神威でも知られ 志摩国一之宮の巡拝者も多くいます

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同嶋坐神乎多乃御子神社(おなしきしまにます かむをたのみこの かみのやしろ)

・佐美長神社(志摩市磯部町)

一緒に読む
佐美長神社・佐美長御前神社(磯部町恵利原)〈伊雑宮所管社〉

佐美長神社(さみながじんじゃ) ・佐美長御前神社四社(さみながみまえじんじゃ)は ともに『皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に記される伊雑宮の所管社です 『延喜式神名帳(927)』志摩国 答志郡 同島坐神乎多乃御子神社(おなしきしまにます かむをたのみこの かみのやしろ)の論社でもあります

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・伊雜宮(志摩市磯部町)志摩国一之宮

一緒に読む
伊雑宮(志摩市磯部町)〈皇大神宮(内宮)別宮〉

伊雑宮(いざわのみや)は 謎多き「志摩國 一之宮」とされています 伊勢の別宮としての高い格式も持ち「遙宮(tono miya)」と尊崇を集めます 「懸税(kake chikara)神事」の発祥の地として 御田植式(otaue shiki)があり 香取神宮・住吉大社とあわせて日本三大植祭の一つとされています

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東海道に鎮座する 731座『延喜式神名帳』の所載一覧 に戻る

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東海道に鎮座する 731座『延喜式神名帳』の所載一覧

『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています

このページは
「東海道」に鎮座する(731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679)神社の一覧表です

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています