幣之池神社(しでのいけじんじゃ) は 『延喜式神名帳』所載社の「天健金草神社(amatake kanakaya shrine)」の元宮とされています 御祭神の「抓津媛命(tsumatsuhime no mikoto)」は 佐山の湧泉「幣(shide)の池」のほとりに居を構えたと云われ 清冽な水源地に祠が鎮座する古社です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(shrine name)】
幣之池神社(shidenoike shrine)
(しでのいけ じんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (location) 】
島根県隠岐郡隠岐の島町都万
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》抓津媛命(tsumatsuhime no mikoto)
【御神格 (God's great power)】
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社の元宮
【創 建 (Beginning of history)】
不詳
【由 緒 (history)】
天健金草神社 由緒略記
一、 社格、社號、鎮座地、
村社 天健金草神社 穩地郡都万村大字都万靈亀山鎮座二、 祭神、
大屋津媛命 抓津媛命 應神天皇
息長帯姫命 玉依姫命 塩土老翁 建御名方命三、 由緒沿革、
當社は 延喜式神名帳に隠岐國郡三座と列記せられたる中の天健金草神社として 人皇46代孝謙天皇 天平勝寶7年 八幡原に神社を建立す
今より1200有余年是則ち本社の創立なり祭神 大屋津媛、抓津媛二神は素盞鳴尊乃御女にして御兄五十猛命と共に八十木種を植ゐしめて 此國土を開拓し給ひて 終に大屋津媛命は大屋仙洞に座し抓津媛命は狹山涌泉に座すと、依りて 地號を都萬院と稱す、
旦 狹山涌泉わ 神仙院霊沼と号して毎年幣帛を奉る 流水漲漾りて大屋の仙洞に通ふと神代より今日まで及んで、未だ不乾国土旱すれば必ず神仙院に祈る有霊験土俗呼んで幣之御池と云う。四、 神階、
人皇56代清和天皇 貞観13年閏8月29日授 隠岐國從五位上天健金草神從四位下
人皇58代光孝天皇 仁和元年授 隠岐國從四位下天健金草神從四位上
光嚴院御宇 正慶2年癸酉 後醍醐天皇 御座當嶋時依還幸丹祈特當社、祷于當社而女神二座に贈正一位五、 祭祀、祭日、
古来より 當社恒例の最も重き祭祀は御幸祭、百手的祭、放生会の三大祭にして 御幸祭は往古の寛弘3年3月に始りしも一時中断せしを明治維新の際、再興し 本村大字蛸木津戸都万那久油井の五大字にて舉行せしも 其後分離して現今大字都万崇敬者にて執行せり 放生会は明治初年より秋大祭と改稱し今尚ほ續行せり
祈年祭 3月 1日 例 祭 4月15日
秋祭 9月15日 新嘗祭12月1日大正13年4月15日 社掌 謹誌
境内 由緒記より
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)隠岐国 16座(大4座・小2座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)穏地郡 3座(大2座・小1座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社名 ] 天健金草神社
[ふ り が な ](あまたけかなくさの かみのやしろ)
[How to read ](amatakekanakusa no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
隠岐の式内社〈16座〉について
隠岐国には16座(大4座・小2座)の式内社があります
その論社も含めてご紹介します
隠岐の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 隠岐國の16座(大4座・小12座)の神社のことです 現在の論社は 22神社となり 隠岐の固有の神々を祀る神社が多く貴重です
隠岐国 式内社16座(大4座・小2座)について
神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
天健金草神社から 北北東へ約4.4km 車20分程度
現地についても 車道からの入口はわかりにくく 何度か山道を沢へ下るが GPSも効かず 沢の水音がする方へ向かうも 藪も深く 沢まで下りられません まったくわからない
諦めかけたその時に ありがたい事に 偶然に地元の林業の方と行き違います
赤いコーンがあると入口を教えて頂いた ちょうど車道が大雨で崩れて危険防止のコーンが置かれていました
車道から下に 立派な鳥居が見える場所があり その道を下ります
一礼して鳥居をくぐります
ここからは 細い道なりに下ります
幣之池神社(shidenoike shrine)に到着
最初は気付きませんでしたが 水源地なので 祠の周りの地面には 湧水が流れていて 地盤は緩く 迂闊に進むと足がめり込んで歩けないほどです
しかし 祠の周りを流れている清冽な水は清々しく この水源を 手水として 清めます
祠にすすみます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
祠の土台はコンクリートで補強されていて すぐ脇の木々の根元から 清らかな湧水がで出来ています
Please see the video VTR幣之池神社(shidenoike shrine)
参道を戻り 鳥居をくぐり振り返り一礼します
幣之池神社(shidenoike shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
天健金草神社の 御祭神「大屋津媛命(oyatsuhime no mikoto)・抓津媛命(tsumatsuhime no mikoto)」の2柱について
御祭神の2柱の姫神は 素盞鳴尊(susanowo no mikoto)の御子神で 五十猛命(itakeru no mikoto)の妹神でもあります
兄神と共に樹木の種を諸国に植えた神々とされています
隠岐島は 太古から 日本海の中心地でした この2柱の姫神の滞在した伝承が 島に残っていることは興味深い事です
隠岐の伝承によれば
神代の昔
大屋津姫は 都万村の大津久(ozuku)の海岸に上陸して そこにあった洞窟に住んだ それで「大屋のわんど」といっている
抓津姫は 佐山の湧泉「幣(shide)の池」のほとりに居を構えた
都万村の村名は 抓津姫の名にちなむと云われていて
のちに この2柱の姫神は 砂子谷(sakodani)にある霊亀山に合祀され これが 現在の天健金草神社です
御祭神の抓津姫命は 当初 狭山涌泉に鎮座したとされ
式内社調査報告には 狭山涌泉は現社地の東北北約2kmのところにある幣池とあります
隠岐 島後「天健金草神社(amatake kanakaya shrine)」の記事もご覧ください
天健金草神社(あまたけかなかやじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載されている古社です 伝説によれば 延喜6年(906年)には「台風をおこして新羅の船を退けた」と伝え また第96代 後醍醐天皇が 隠岐在島中に使いを立てて還幸を祈願したところ 脱出がかなったといわれる由緒ある神社です
天健金草神社(隠岐の島町 都万)
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隠岐の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている 隠岐國の16座(大4座・小12座)の神社のことです 現在の論社は 22神社となり 隠岐の固有の神々を祀る神社が多く貴重です
隠岐国 式内社16座(大4座・小2座)について