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薩摩国 式内社 2座(並小)について

薩摩国(さつまのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 薩摩国 2座(並小)の神社です

薩摩国(さつまのくに)について

薩摩国Satsumanokuniは  令制国の一つ〈西海に属する
現在の鹿児島県西部

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当初 日向国(ひむかのくに) 薩摩(さつま)・大隅(おおすみ)を含む九州の南東部一帯の総称であった
8世紀の初め頃 薩摩・大隅両国が分置され 日向の国域が定まったとされる

『続日本紀(しょくにほんぎ)』702年(大宝2)10月条
唱更(はやひと)国司の言上に 唱更国はやひとくに)〈隼人国 いまの薩摩国(さつまのくに)とある
このころには 日向国(ひむかのくに)から分出していた

薩摩国(さつまのくに) 2座(並小)

大社0は0
小社2は2
 2は2

※座は神の柱数 社は神社数

〈延喜式神名帳に記載〉
穎娃郡(えの こおり) 1座(小)
出水郡(いつみの こおり) 1座(小)

穎娃郡(えの こおり) 1座(小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

枚聞神社(ひらききの かみのやしろ)

・枚聞神社(指宿市開聞十町)

一緒に読む
枚聞神社(薩摩国一之宮)

枚聞神社(ひらききじんじゃ)は 薩摩一之宮とされています 特に交通・航海の安全や 漁業守護の神として 人々から厚い信仰を寄せられる古社です 歴代の島津藩主からの崇敬も厚く 修理・改造・再建等は幾多に及んでいますので 優雅な朱塗りの社殿は見事な造りです 特に中央の勅使殿の向拝に彫られた彫刻は必見です 又 宝物殿には通称「玉手箱」が収蔵されています 正式名を「松梅蒔絵櫛笥一合」(国の重要文化財に指定)といいます

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出水郡(いつみの こおり) 1座(小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

加紫久利神社(かしくりの かみのやしろ)

・加紫久利神社(出水市下鯖町)

一緒に読む
加紫久利神社(出水市下鯖町)

加紫久利神社(かしくりじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の式内社で 薩摩国の二ノ宮とされる古社です 社名は元宮とされる「箭筈嶽〈加紫久利山〉」 薩摩國の建国と同時(702年)に肥後との国境にそびえる 加紫久利山からの由来と伝わります

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西海道に鎮座する 107座『延喜式神名帳』の所載一覧 に戻る

一緒に読む
西海道に鎮座する 107座『延喜式神名帳』の所載一覧

『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています 

このページは
「西海道」に鎮座する(107座…大38・小69)神社の一覧表です

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています