佐紀神社〈亀畑鎮座〉(さきじんじゃ)は 天武天皇御宇 白鳳三年(674)鎮祀 寛平3年(891)官社に列したと伝え 延喜式(927年)には 大和國 添下郡 佐紀神社(さきの かみのやしろ)と所載 治承4年(1180)焼き討ちにより焼失し 文治6年(1190)中御門家忠の奏聞により超昇寺と併せて再興 しかし天正6年(1578)再び兵火のため焼失 その後再興され現在に至ります
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
佐紀神社(Saki shrine)〈亀畑鎮座〉
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
奈良県奈良市佐紀町1716
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天児屋根命(あめのこやねのみこと)
経津主命(ふつぬしのかみ)
六御縣神(むつみあかたのかみ)
※六御縣神〈大和朝廷の六ケ所の直轄地(・高市縣・葛木縣・十市縣・志貴縣・山辺縣・曽布縣)の神とされる〉
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
大和國添下郡 超曻寺村二条 小字亀畑鎭座
式内村社 佐紀神社
御祭神 相殿三座
天児屋根命 文学ニ秀デ君臣ノ間ノ融和シテ 後此子孫ヲ中臣ト申ス之藤原氏ノ祖神ナリ
経津主命 武神ニシテ敬フハ蓋シ此大神ナリ
六御縣神 五穀並食物等ヲ守護シ給フ大神ナリ 農家ニ尊崇スベシ御由緒
今ヲ距ルコト千三百余年 天武天皇御宇 白鳳三年ノ鎮祀ニシテ 即チ神名式ニ記載セル佐紀神社ハ蓋シ当神社ノ事ナリ 後第五十九代宇多天皇御宇 寛平三年九月下旬始メテ官社ニ列シ 春冬二度ノ班幣ニ預リ 演昭大僧正ニ台命アリテ超曻寺ノ別当寺トセラレタリ 降ッテ安徳天皇御宇 治承四年内蔵頭三位中将平重衡ノ兵焚ニ罹リシモ素ヨリ 朝家ノ尊崇厚カリシ故 仲御門左大臣家忠公ノ奏聞ニテ 文治六年四月ニ再建セラレシモ 再ビ天正六年兵火ノ為メ遂ニ狭隘ノ社地トナル 詳シクハ社ノ記録ニ瞭然タリ
佐紀神社社務
當社宝物目録
一、高麗犬 壹對
木彫刻彩色阿形吽形ニシテ各丹塗台上ニ裾ス 年代作者不明一、縁杖 壹柄
松材総長三尺三寸把手漆下地ニ金泥ヲ塗附ク 家康公秘藏ノ杖ト傳ヘラル一、摩利支天像 壹幅
紙本著色表装一文字藍地金欄 作者不明一、日光菩薩十二神將像 壹幅
月光菩薩十二神將像 壹幅
絹本著色表装総地廻赤地鍛子唐木軸
寄超昇寺正徳二蔵大僧正隆光洛陽素運筆一、十二天像 壹幅
絹本著色表装総地廻赤地椴子唐木軸
正徳二年壬辰仲夏京師画工素運筆一、赤童子像 壹幅
紙本著色表装茶地紙銅造鍍金鎮座兆殿子筆一、法華経普門品 壹巻
紺紙金泥書標水色地紙見返銀砂子水晶軸
本地竪九寸五分、長八尺一寸四分、家康公筆右ハ奈良帝室博物館ニ寄託ス
現地案内板より
【由 緒 (History)】
超昇寺
平城天皇皇子、高岳親王(真如親王)の創立
「三代実録」貞観二年 (860)10月15日の条に「大和国平城京中水田五十五町四反二百八十八歩施捨 不退、超昇両寺」とある
南都十五大寺に数えられる
天正六年 井戸若狭守の超昇寺城攻めの際寺も類焼
江戸時代に入り 地元川辺家(藤原魚名に祖を持つ?)より出た護持院隆光が再興するも 明治の廃仏棄釈により廃寺となる。前期の超昇寺は佐紀神社の北方にあり護摩堂と称される小社に梵字の石碑が唯一 往時の遺物か
また 後期の超昇寺は佐紀神社の南、(現佐紀幼稚園)にあり 隆光僧正の墓もある。
二条町(旧超昇寺村)入り口に建つ「日本西方三十二番札所超昇寺」と刻されている石柱は 後期の超昇寺の門前にあったものである佐紀神社
御前池挟んで二つあるが 西側(小字西畑)は東側(小字亀畑)より江戸時代に分祠されたもの
超昇寺村は慶長郷帳によれば村高は2 8 3 8, 0 9石で大和最大の村であったが、元禄13年の「大和国郷帳」によれば超昇寺村は解体しそれぞれ超昇寺村、山陵村、歌姫村 横領村、門外村、常福寺村、西畑村(古超寺村)、山上村(新超昇寺村)の八か村に村高をわけ独立している
亀畑の佐紀神社は超昇寺村(現二条町)の鎮守である
西畑の佐紀神社は古超寺村(現佐紀西町、西畑)の鎮守であるであることから その頃に分神されたものと思われる
延喜式、神名帳添下郡の「佐紀神社」は超昇寺村(現二条町)の鎮守である
佐紀神社〈亀畑鎮座〉の拝殿に置かれた案内紙より
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・本殿
・拝殿
・狛犬
・〈境内社〉大国主神社
・社頭
・〈境内社〉辨財天
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和國 286座(第128座(な月次新嘗・就中31座預り相詳細)・小158座(波官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)添下郡 10座(大4座・小6座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 佐紀神社
[ふ り が な ](さきの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Saki no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 大和國 添下郡 佐紀神社(さきの かみのやしろ)の二つの論社
・佐紀神社(奈良市佐紀町字亀畑)
佐紀神社〈亀畑鎮座〉(さきじんじゃ)は 延喜式内社 大和國 添下郡 佐紀神社(さきの かみのやしろ)です 由緒は 天武天皇御宇 白鳳三年(674)鎮祀 寛平3年(891)官社に列し 治承4年(1180)焼失し 文治6年(1190)超昇寺と併せて再興 天正6年(1578)再び兵火のため焼失 その後再興されて現在に至ります
佐紀神社〈亀畑鎮座〉(奈良市佐紀町)〈延喜式内社〉
・佐紀神社(奈良市佐紀町字西畑)
佐紀神社〈西畑鎮座〉(さきじんじゃ)は 延喜式(927年)所載 大和國 添下郡 佐紀神社(さきの かみのやしろ)の論社です しかし 佐紀神社〈西畑鎮座〉を佐紀神社〈亀畑鎮座〉の分祀とする説もあります 釣殿神社(つりどのじんじゃ)は 佐紀神社〈亀畑鎮座〉の分祀であり 三社は同じ神を祀ります
佐紀神社〈西畑鎮座〉&釣殿神社(奈良市佐紀町字西畑)
御前池(奈良市佐紀町)の東岸と西岸の両方にそれぞれ佐紀神社があり その二つが 式内社 佐紀神社の論社となっています
『延喜式神名帳(927 AD.)』に所載される゛さきのかみのやしろ゛について
若狭國 三方郡 佐支神社(さきの かみのやしろ)
・佐支神社(美浜町久々子)
加賀國 石川郡 佐奇神社(さきの かみのやしろ)
・佐奇神社(金沢市佐奇森町)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
近鉄 大和西大寺駅から県道104号で東へ佐紀池を過ぎると すぐに平城京跡歴史公園の第一太極殿があり その辺りを左折(北へ)御前池の東岸です 約1.3km 車5~10分で到着
御前池の西岸にあるこんもりとした鎮守の杜は 釣殿神社と〈西畑鎮座〉佐紀神社です
・佐紀神社(奈良市佐紀町字西畑)&釣殿神社
佐紀神社〈西畑鎮座〉(さきじんじゃ)は 延喜式(927年)所載 大和國 添下郡 佐紀神社(さきの かみのやしろ)の論社です しかし 佐紀神社〈西畑鎮座〉を佐紀神社〈亀畑鎮座〉の分祀とする説もあります 釣殿神社(つりどのじんじゃ)は 佐紀神社〈亀畑鎮座〉の分祀であり 三社は同じ神を祀ります
佐紀神社〈西畑鎮座〉&釣殿神社(奈良市佐紀町字西畑)
御前池の東岸にあるこんもりとした鎮守の杜は〈亀畑鎮座〉佐紀神社(奈良市佐紀町)
佐紀神社(奈良市佐紀町)〈亀畑鎮座〉に参着
一礼をして鳥居をくぐり 境内へ進みます
鳥居の扁額には゛式内 佐紀神社゛と刻されています
石燈籠が建つ 境内への参道は 6段ほどの石段が組まれ わずかに盛土がある境内地に続いています
西から参道をすすむと 境内の奥に 社殿は南向きに建ち 狛犬が座しています
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥に 玉垣に囲まれた一段高い壇があり 正面に朱色の鳥居があり その奥に本殿が鎮座しています
社殿に一礼をして 社頭まで参道を戻ります
社頭の西側境内に 小さな手水鉢が置かれていて その奥に〈境内社〉辨財天が 御前池の東岸に祀られています
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 佐紀神社について 所在は゛超昇寺村に在す、今大宮と称す゛〈現 佐紀神社(奈良市佐紀町)〈亀畑鎮座〉〉と記しています
【抜粋意訳】
佐紀神社
佐紀は假字也、和名砂、〔郷名部〕佐紀、
○祭神詳ならず
〇超昇寺村に在す、今大宮と称す、〔大和志〕
類社
若狭國三方郡佐支神社、加賀國石川郡佐奇神社、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 佐紀神社について 所在は゛超昇寺村にあり、大宮といふ゛〈現 佐紀神社(奈良市佐紀町)〈亀畑鎮座〉〉と記しています
【抜粋意訳】
佐紀(サキノ)神社
今 超昇寺村にあり、大宮といふ〔大和志〕按 超昇寺は古 佐紀郷の地也、
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 佐紀神社について 所在は゛新古超昇寺村 字大宮だか佐紀神社二社あり゛〈現 佐紀神社(奈良市佐紀町)〈亀畑鎮座〉・佐紀神社(奈良市佐紀町字西畑)〉と記しています
【抜粋意訳】
佐紀(サキノ)神社
祭神 今按 社傳祭神 天ノ兒屋根命 經津主ノ命 六ノ孫ノ神 (六孫神六縣神ならむ)とあれど信がたし されど何神を祭れるにや 詳ならず若狭國三方郡 加賀国石川郡に同名の社あり祭神共に詳ならず
祭日 十月十日
社格 村社所在 新古超昇寺村 字大宮
(今生駒郡都跡村大字佐紀に佐紀神社二社あり)
【原文参照】
佐紀神社(奈良市佐紀町)〈亀畑鎮座〉に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る
大和国(やまとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 大和國の286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)の神社のことです
大和国 286座(大128座(並月次新嘗就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)