佐紀神社〈西畑鎮座〉(さきじんじゃ)は 延喜式(927年)所載 大和國 添下郡 佐紀神社(さきの かみのやしろ)の論社です しかし 佐紀神社〈西畑鎮座〉を佐紀神社〈亀畑鎮座〉の分祀とする説もあります 釣殿神社(つりどのじんじゃ)は 佐紀神社〈亀畑鎮座〉の分祀であり 三社は同じ神を祀ります
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
佐紀神社(Saki shrine)
釣殿神社(Tsuridono shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
奈良県奈良市佐紀町2701
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天児屋根命(あめのこやねのみこと)
経津主命(ふつぬしのかみ)
六御縣神(むつみあかたのかみ)
※六御縣神〈大和朝廷の六ケ所の直轄地(・高市縣・葛木縣・十市縣・志貴縣・山辺縣・曽布縣)の神とされる〉
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代不詳
佐紀神社(奈良市佐紀町字亀畑)よりの分祀とも云う
【由 緒 (History)】
『奈良県史』第五巻 神社〈平成元年 奈良県史編集委員会編集〉より抜粋
1、奈良市 7、都跡地区
佐紀神社
(佐紀町一七一六)
佐紀池と御前池との間の小字亀畑にある森に鎮座する。祭神は経津主命・天児屋根命・六御県命。
社伝では天武天皇の二年 (六七三)に創祀、超昇寺の建立と同時に鎮守神として崇敬されたという。貞観元年 (八五九)に社殿改修、寛平三年 (八九一 )官社に列し、超昇寺が別当寺となった。 治承四年 (一一八〇 )の兵火で焼失、文治六年(一一九〇 )再建、天正六年 (一五七八 )再度兵火に焼失したという。
『大和志』の神廟に「在ニ超昇寺村今称ニ大宮」」とあり、当社を『延喜式』神名帳添下郡下の佐紀神社にあてている。例祭は十月十日。
当社と御前池を隔てた西佐紀町二七〇一にも同名の神社があり、祭神も同じである。由緒は明らかでないが、『平城旧社考』によると、亀畑の当社より分神したものといわれる。
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・本殿
・狛犬〈本殿の前〉
・御神木
・拝殿
・社頭・鳥居
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・釣殿神社(奈良市佐紀町字西畑)
〈佐紀神社〈西畑鎮座〉東隣に鎮座〉
村社 釣殿神社
奈良市佐紀町字西畑2700番地
御祭神
天児屋根命
釣殿神(経津主命・六御縣命)
市杵嶋姫命神木 モチの木 推定樹齢約200年以上と思料される
什物 セミ燈籠(鉄製)一対
狛 犬(木製)一対御由緒
釣殿神社の鎮祀起源については不詳であるが、寛永16年(西暦1639年)から元禄15年(西暦1702年)までの間に超昇寺村から門外村として独立した時代に、御前池の東側亀畑の地に鎮座する、「元官社 式内佐紀神社」から分神鎮祀されたものであると推定される。現地案内板より
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和國 286座(第128座(な月次新嘗・就中31座預り相詳細)・小158座(波官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)添下郡 10座(大4座・小6座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 佐紀神社
[ふ り が な ](さきの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Saki no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 大和國 添下郡 佐紀神社(さきの かみのやしろ)の二つの論社
・佐紀神社(奈良市佐紀町字亀畑)
佐紀神社〈亀畑鎮座〉(さきじんじゃ)は 延喜式内社 大和國 添下郡 佐紀神社(さきの かみのやしろ)です 由緒は 天武天皇御宇 白鳳三年(674)鎮祀 寛平3年(891)官社に列し 治承4年(1180)焼失し 文治6年(1190)超昇寺と併せて再興 天正6年(1578)再び兵火のため焼失 その後再興されて現在に至ります
佐紀神社〈亀畑鎮座〉(奈良市佐紀町)〈延喜式内社〉
・佐紀神社(奈良市佐紀町字西畑)
佐紀神社〈西畑鎮座〉(さきじんじゃ)は 延喜式(927年)所載 大和國 添下郡 佐紀神社(さきの かみのやしろ)の論社です しかし 佐紀神社〈西畑鎮座〉を佐紀神社〈亀畑鎮座〉の分祀とする説もあります 釣殿神社(つりどのじんじゃ)は 佐紀神社〈亀畑鎮座〉の分祀であり 三社は同じ神を祀ります
佐紀神社〈西畑鎮座〉&釣殿神社(奈良市佐紀町字西畑)
御前池(奈良市佐紀町)の東岸と西岸の両方にそれぞれ佐紀神社があり その二つが 式内社 佐紀神社の論社となっています
『延喜式神名帳(927 AD.)』に所載される゛さきのかみのやしろ゛について
若狭國 三方郡 佐支神社(さきの かみのやしろ)
・佐支神社(美浜町久々子)
加賀國 石川郡 佐奇神社(さきの かみのやしろ)
・佐奇神社(金沢市佐奇森町)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
佐紀古墳群の主だった御陵を遥拝します
五社神古墳(神功皇后陵)
佐紀高塚古墳(称徳・孝謙天皇陵)
佐紀石塚山古墳(成務天皇陵)
佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵)
これらの南側に御前池があり この東岸に佐紀神社〈西畑鎮座〉&釣殿神社が鎮座します
御前池の西岸に釣殿神社は鎮座しますが 道が狭いので通過
釣殿神社(奈良市佐紀町字西畑)に参着
改めて御前池沿いに向かいます
鳥居の右手の案内板を見ると 佐紀神社〈亀畑鎮座〉からの分祀とのこと 祭神は佐紀神社と同じ神を祀ります
一礼をして 御前池の脇に立つ鳥居をくぐります
扁額には゛釣殿神社゛とあります
社殿は南を向きます 参道は参拝者が正中を進まないように配慮がされていて わずかに折れて社殿に向かっています
左手には 恐らく゛御神木゛の切り株と想われる 注連縄が廻された切り株があります
拝殿の中に飾られていた写真には その御神木が元気であった頃の写真が奉納されていました
参道の右手 御前池沿いに手水舎があります
割拝殿の様になっていて その入り口に石灯籠・狛犬・朱色の鳥居が構えます
本殿の覆い屋の前 石段の下に賽銭箱があり
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿に一礼をして 参道を戻ります
境内を出ると 左手には御前池があり 右手の垣根の内が佐紀神社〈西畑鎮座〉になります
振り返ると右手に御前池
佐紀神社〈西畑鎮座〉(奈良市佐紀町字西畑)に参着
一礼をして鳥居をくぐります
社号標や扁額には゛式内 佐紀神社゛とあります
佐紀神社〈亀畑鎮座〉からの分祀との説もあり 式内社を強く主張はしていませんが 譲ってはいない様です
鳥居をくぐり参道を進みます
左手に手水舎があり 両サイドに参集所などがあり 正面に拝殿があります
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿に一礼をして 参道を戻ります
御前池の対岸 東岸にあるこんもりとした鎮守の杜は〈亀畑鎮座〉佐紀神社(奈良市佐紀町)です 向かいます
・佐紀神社(奈良市佐紀町字亀畑)
佐紀神社〈亀畑鎮座〉(さきじんじゃ)は 延喜式内社 大和國 添下郡 佐紀神社(さきの かみのやしろ)です 由緒は 天武天皇御宇 白鳳三年(674)鎮祀 寛平3年(891)官社に列し 治承4年(1180)焼失し 文治6年(1190)超昇寺と併せて再興 天正6年(1578)再び兵火のため焼失 その後再興されて現在に至ります
佐紀神社〈亀畑鎮座〉(奈良市佐紀町)〈延喜式内社〉
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 佐紀神社について 所在は゛超昇寺村に在す、今大宮と称す゛〈現 佐紀神社(奈良市佐紀町)〈亀畑鎮座〉〉と記しています
【抜粋意訳】
佐紀神社
佐紀は假字也、和名砂、〔郷名部〕佐紀、
○祭神詳ならず
〇超昇寺村に在す、今大宮と称す、〔大和志〕
類社
若狭國三方郡佐支神社、加賀國石川郡佐奇神社、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 佐紀神社について 所在は゛超昇寺村にあり、大宮といふ゛〈現 佐紀神社(奈良市佐紀町)〈亀畑鎮座〉〉と記しています
【抜粋意訳】
佐紀(サキノ)神社
今 超昇寺村にあり、大宮といふ〔大和志〕按 超昇寺は古 佐紀郷の地也、
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 佐紀神社について 所在は゛新古超昇寺村 字大宮だか佐紀神社二社あり゛〈現 佐紀神社(奈良市佐紀町)〈亀畑鎮座〉・佐紀神社(奈良市佐紀町字西畑)〉と記しています
【抜粋意訳】
佐紀(サキノ)神社
祭神 今按 社傳祭神 天ノ兒屋根命 經津主ノ命 六ノ孫ノ神 (六孫神六縣神ならむ)とあれど信がたし されど何神を祭れるにや 詳ならず若狭國三方郡 加賀国石川郡に同名の社あり祭神共に詳ならず
祭日 十月十日
社格 村社所在 新古超昇寺村 字大宮
(今生駒郡都跡村大字佐紀に佐紀神社二社あり)
【原文参照】
佐紀神社〈西畑鎮座〉&釣殿神社(奈良市佐紀町字西畑)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る
大和国(やまとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 大和國の286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)の神社のことです
大和国 286座(大128座(並月次新嘗就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)