酒船石(さかふねいし)は 長さ約5.5m 幅約2.3m、厚さ約1mの大きさで 上面に丸いくぼみ それにつながる溝が直線で刻まれています 飛鳥坐神社の旧酒殿跡とも御旅所跡とも 飛鳥山口坐神社の旧鎮座地とも云われます 第37代 斉明天皇が 豊穣の祈願などさまざまな祭祀をここで行ったともされますが 用途は不明です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
酒船石(Sakafuneishi)〈飛鳥坐神社 旧酒殿跡〉
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
奈良県高市郡明日香村岡
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社の旧跡
【創 建 (Beginning of history)】
史跡 酒船石(さかふねいし) 昭和2年4月8日 史跡指定
この石造物(せきぞうぶつ)は、現在では長さ5.5m、 幅2.3m、厚さ約1mで花崗岩(かこうがん)で出来ている。北側及び南側の一部は欠損しており、近世にどこかへ運(はこ)びだされたものと考えられ、石割(いしわり)りの工具跡(こうぐあと)がのこっている。石の上面に、円や楕円(だえん)の浅いくぼみを造って、これを細い溝(みぞ)で結んでいる。酒をしぼる槽(そう)とも、あるいは油や薬を作るために道具ともいわれている。しかし、この石の東40mのやや高いところで、ここへ水を引くための土管(どかん)や石樋(せきひ)がみつかっていることから庭園(ていえん)の施設(しせつ)だという説もある。
明日香村 飛鳥保存団現地案内板より
【由 緒 (History)】
酒船石遺跡
この石垣は平成4年に発見された。調査の結果、この丘は版築状に3Мほど盛土された人工の丘陵で、石垣は明日香産の花崗岩を地覆石状に並べて基礎とし、その上に天理市から奈良市にかけて分布する擬灰岩質細流砂岩の切石を積み上げて築かれていた。現在、倒壊していた石垣の一部を復元して公開している。
酒船石遺跡は、『日本書紀』斉明天皇条の「宮の東の山に石を累ねて垣とす」「石の山丘を作る」という記事に該当する遺跡である可能性が強く、その解明は、後飛鳥岡本宮など飛鳥の諸宮跡の所在地を確定する上からもきわめて重要である。
明日香村教育委員会が平成5年度からこの丘陵周辺で範囲確認調査を継続的に実施して酒船石を含めた全容の解明につとめており、石垣が数段にわたって丘陵を取り巻く状況を確認するなどの成果を上げてきている。
ここは、明日香村大字岡です。現地案内板より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
「酒船石(さかふねいし)」は 飛鳥坐神社の酒殿跡とも
・飛鳥坐神社(明日香村飛鳥)
飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)は 『延喜式927 AD.』巻八『出雲国造神賀詞』に「大穴持命が 賀夜奈留美命を飛鳥の神奈備に坐せて 皇孫命の近き守り神にした」とある伝承の社で『延喜式神名帳』所載の大和國 高市郡 飛鳥坐神社 四座(並名神大 月次 相嘗 新嘗)(あすかにます かみのやしろ しくら)とされます
飛鳥坐神社(明日香村飛鳥)
「酒船石(さかふねいし)」は 飛鳥山口坐神社 旧鎮座地の候補地とも
・飛鳥山口坐神社(明日香村飛鳥)〈飛鳥坐神社 境内〉
飛鳥山口坐神社(あすかやまぐちにますじんじゃ)〈飛鳥坐神社 境内〉は 『延喜式』「第8巻 祈年祭祝詞」に「山口坐皇神 等能前白久 飛鳥 石村 忍坂 長谷 畝火 耳無 御名者白」とあり「大和六所山口神社」とされます 大和國 髙市郡 飛鳥山口坐神社(大月次新嘗)(あすかやまくちにます かみのやしろ)とされます
飛鳥山口坐神社(明日香村飛鳥)〈飛鳥坐神社 境内〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式(Engishiki)』巻1 四時祭上 二月祭 祈年祭
〈飛鳥山口坐神社のこと〉祈年祭の項に 水分十九社の一として馬一疋を加う と記されます
【抜粋意訳】
髙御魂神(たかみむすひのかみ)・大宮女神(おほみやのめのかみ) 及び
甘樫(あまかし)飛鳥(あすか)石根(いはね)忍坂(をさか)長谷(はせ)
吉野(よしの)巨勢(こせ)賀茂(かも)当麻(たひま)大阪(おほさか)膽駒(いこま)都祁(つき)養布(やふき)等の山口に吉野(よしの)宇陀(うだ)葛木(かつらき)竹糸(たけいと)等の水分(みまくり)十九社には 加(くわえる)に 馬一疋を
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次祭
月次祭(つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)
「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め三〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」
大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています
【抜粋意訳】
月次祭(つきなみのまつり)
奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所
坐別に絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両・・・・云々
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻2「四時祭下」中の「相嘗祭神七十一座」
【抜粋意訳】
相嘗祭神七十一座
飛鳥社(あすかのやしろ)四座
絹(キヌ)8疋 絲(イト)12絇 綿12屯 調布12端 唐布6段8尺 木綿6斤8両 鮑2斤8両 堅魚8斤10両 腊(きたい)〈干し肉〉2斗 海藻8斤10両 塩4斗 筥4合 瓼(サラケ)缶(モタイ) 水瓫(ホトギ)山都婆波 小都婆波 筥瓶 酒垂匜等 呂須伎 高盤片盤 短女杯 筥杯 小杯 酒杯 陶曰 各8口 酒稲200束 百束は神税 九十二束は正税
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭
新嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り
大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われる
春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する
【抜粋意訳】
新嘗祭(にいなめのまつり)
奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所
座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿
社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺前一百六座
座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を
右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る
伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭(Meijin sai)」の条 285座
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
延喜式巻第3は『臨時祭』〈・遷宮・天皇の即位や行幸・国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で『名神祭(Meijin sai)』の条には 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています
名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています
【抜粋意訳】
巻3 名神祭 二百八十五座
・・・・
・・・・
飛鳥神社 四座(あすかの かみのやしろ しくら)
・・・・
・・・・座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺 綿(ワタ)1屯 絲(イト)1絇 五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺 木綿(ユウ)2兩 麻(オ)5兩嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合〉
加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺 絲(イト)1絇を 布1端に代える
【原文参照】
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
「酒船石(さかふねいし)」は
⑴飛鳥坐神社の酒殿跡ともされる
⑵飛鳥山口坐神社 旧鎮座地の候補地ともされる
⑴飛鳥坐神社の酒殿跡の場合
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和国 286座(大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)髙市郡 54座(大33座・小21座)
[名神大 大 小] 式内名神大社
[旧 神社 名称 ] 飛鳥坐神社 四座(並名神大 月次 相嘗 新嘗)
[ふ り が な ](あすかにます かみのやしろ しくら)(みょうじんだい つきなみ あいなめ にいなめ)
[Old Shrine name](Asukani masu kamino yashiro shikura)
【原文参照】
⑵飛鳥山口坐神社 旧鎮座地の候補地の場合
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和国 286座(大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)髙市郡 54座(大33座・小21座)
[名神大 大 小] 式内大社
[旧 神社 名称 ] 飛鳥山口坐神社(大月次新嘗)
[ふ り が な ](あすかやまくちにます かみのやしろ)(だい つきなみ にいなめ)
[Old Shrine name](Asuka yamakuchi nimasu kamino yashiro)(Dai Tsukunami Niiname)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式』〈延長5年(927)〉巻八『出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)』に記される伝承
⑴飛鳥坐神社の酒殿跡の場合
「賀夜奈流美命ノ御魂ヲ飛鳥ノ神奈備ニ坐テ皇孫命ノ近守神ト貢置」と書かれ
大国主神が 皇室の守護神として 賀夜奈流美命の御魂を 飛鳥の神奈備に奉斎したと記されます
【抜粋意訳】
延喜式 巻8 神祇 祝詞 出雲国造神賀詞
その時 大穴持命は 御自分の和魂を 倭の大物主なる櫛厳玉命と御名を唱え 大御和の社〈大神神社〉に坐(ましま)す
御自分の御子 阿遅須伎高孫根命(あぢしきたかひこねのみこと)の御魂を葛木の鴨の社〈高鴨神社〉に坐(ましま)す
事代主命(ことしろぬしのみこと)の御魂を宇奈提〈河俣神社〉に坐(ましま)す
賀夜奈流美命の御魂を飛鳥の社〈飛鳥坐神社〉に坐(ましま)す
〈御自分の和魂と三柱の御子神を〉皇御孫命〈天皇〉の守護神として置かれた
〈御自分は〉杵築宮〈出雲大社〉に坐(ましま)す
【原文参照】
『出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)』に記される
大穴持命が〈御自分の和魂と三柱の御子神を〉皇御孫命〈天皇〉の守護神として置かれた4つの神社と御自分の鎮まる出雲大社について
⑴御自分の和魂祀る 大御和の社〈大神神社〉に坐(ましま)す
〈延喜式内社〉大和國 城上郡 大神大物主神社 名神大 月次相嘗新嘗
・大神神社(桜井市三輪)
大神神社(おおみわじんじゃ)は 『記紀神話』に創建に関わる伝承が記されており 『延喜式』には名神大社と所載される 大和国一之宮です 古来から本殿は設けず 拝殿の奥にある三ッ鳥居を通し 三輪山〈御神体〉に祈りを捧げる原初の神祀りで 我が国最古の神社と呼ばれています 神社の社殿が成立する以前の祭祀の姿を今に伝えています
大神神社(桜井市三輪)〈三輪山を〈御神体〉とする大和國一之宮〉
⑵御自分の御子 阿遅須伎高孫根命(あぢしきたかひこねのみこと)の御魂を葛木の鴨の社〈高鴨神社〉に坐(ましま)す
〈延喜式内社〉大和國 葛上郡 高鴨阿治須岐託彦根命神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗
・高鴨神社(御所市鴨神)
高鴨神社(たかかもじんじゃ)は 阿遅志貴高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)別名 迦毛之大御神〈かものおほみかみ〉を祀ります 記紀神話に 大御神と名のつく神は 天照大御神 伊邪那岐大御神と同神の三神のみ 死した神々をも甦えらせる御神力の強き神で『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の大和國 葛上郡 高鴨阿治須岐託彦根命神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗とされます
高鴨神社(御所市鴨神)
⑶事代主命(ことしろぬしのみこと)の御魂を宇奈提〈河俣神社〉に坐(ましま)す
〈延喜式内社〉大和國 高市郡 高市御縣坐鴨事代主神社 大
・河俣神社(橿原市雲梯町)
河俣神社(かわまたじんじゃ)は 『出雲国造神賀詞』に「事代主命(ことしろぬしのみこと)の御魂を宇奈提(うなて)に坐(ましま)す」と記され《式内社》髙市御県坐鴨事代主神社 大月次新嘗(たかいちの みあかたにます かものことしろぬしの かみのやしろ)に比定されます また《式内社》川俣神社三座 並大月次新嘗(かわまたの かみのやしろ)の論社でもあります
河俣神社(橿原市雲梯町)
⑷賀夜奈流美命の御魂を飛鳥の社〈飛鳥坐神社〉に坐(ましま)す
〈延喜式内社〉大和國 高市郡 飛鳥坐神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗
・飛鳥坐神社(明日香村飛鳥)
飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)は 『延喜式927 AD.』巻八『出雲国造神賀詞』に「大穴持命が 賀夜奈留美命を飛鳥の神奈備に坐せて 皇孫命の近き守り神にした」とある伝承の社で『延喜式神名帳』所載の大和國 高市郡 飛鳥坐神社 四座(並名神大 月次 相嘗 新嘗)(あすかにます かみのやしろ しくら)とされます
飛鳥坐神社(明日香村飛鳥)
・酒船石(明日香村岡)〈飛鳥坐神社 旧鎮座地〉
酒船石(さかふねいし)は 長さ約5.5m 幅約2.3m、厚さ約1mの大きさで 上面に丸いくぼみ それにつながる溝が直線で刻まれています 飛鳥坐神社の旧酒殿跡とも御旅所跡とも 飛鳥山口坐神社の旧鎮座地とも云われます 第37代 斉明天皇が 豊穣の祈願などさまざまな祭祀をここで行ったともされますが 用途は不明です
酒船石(明日香村岡)〈飛鳥坐神社 旧酒殿跡〉
⑸〈御自分は〉杵築宮〈出雲大社〉に坐(ましま)す
〈延喜式内社〉出雲國 出雲郡 杵築神社 名神大
・出雲大社(出雲市)
出雲大社(いずも おおやしろ)は ”遠き神代に 国を譲られた”「大国主大神(おほくにぬしのおほかみ)」の偉業と その誠に感謝なさって 「天神(あまつかみ)」が 天日隅宮(あめのひすみのみや)を献上されたことに始まるとされています
出雲大社(出雲市)【前編】
詳しくは
出雲國造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)について
出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています
出雲國造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)について
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
奈良県立万葉文化館の南にある小高い丘の上に酒船石(さかふねいし)がある万葉文化館西口から100m南下した住宅街の中を東に折れると 入口の階段があります
竹藪の中を階段が続いています
酒船石遺跡の案内矢印があり すぐです
酒船石(明日香村岡)〈飛鳥坐神社 旧酒殿跡〉に参着
大きな岩には うがたれた円形や楕円形の窪みがあり それらを直線でむすぶ細い溝があり 見るからに謎めいた石造物です
山の麓 北側にある亀形石造物へと向かう途中には 酒船石遺跡と記された砂岩石垣・版築などの周辺の遺構があります
竹林の中を戻ります
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』貞観元年(859)正月に記される伝承
京畿七道の諸神267社が記され その名で大和国の上位の神々と共に 神階の奉授が記されています
【抜粋意訳】
貞観元年(859)正月27日(甲申)の条
京畿七道の諸神に進む階(くらいを)及び 新たに叙(のべる)惣(すべ)て267社なり
奉り授くに
大和国(やまとのくに)
従一位 大己貴神(おほあなむちのかみ)に 正一位正二位 葛木御歳神(かつらきのみとしのかみ)
従二位勲八等 鴨阿治須岐宅比古尼神(かもあじすきたかひこねのかみ)
従二位 高市御縣鴨八重事代主神(たかいちみあがたのやえことしろぬしのかみ)
従二位勲二等 大神大物主神(おおみわのおおものぬしのかみ)
従二位勲三等 大和大国魂神(おほやまとおほくにたまのかみ)
正三位勲六等 石上神(いそのかみのかみ)
正三位 高鴨神(たかかものかみ)に並びに 従一位を
正三位勲二等 葛木一言主神(かつらきひとことぬしのかみ) 髙天彦神(たかまひこのかみ) 葛木火雷神(かつらきほのいかつちのかみ)
に並びに 従二位を従三位 廣瀬神(ひろせのかみ)龍田神(たつたのかみ)
従三位勲八等 多坐弥志理都比古神(おほにますやしりつひこのかみ)
金峯神(かねのみたなのかみ)
に並びに 正三位を
正四位下 丹生川上雨師神(にふのかわかみあめしのかみ)に従三位
従五位下 賀夜奈流美神(かやなるみのかみ)に正四位下
従五位下勲八等 穴師兵主神(あなしひょうずのかみ)片岡神(かたおかのかみ)夜岐布山口神(やきふやまくちのかみ)
に並びに 正五位上を従五位下
都祁水分神(つけのみこもりのかみ)都祁山口神(つけのやまくちのかみ)
石寸山口神(しはれやまくちのかみ)耳成山口神(みみなしやまくちのかみ)
飛鳥山口神(あすかやまくちのかみ)畝火山口神(うねひやまくちのかみ)
長谷山口神(はせやまくちのかみ)忍坂山口神(おしさかやまくちのかみ)
宇陀水分神(うだのみこもりのかみ)吉野水分神(よしのみこもりのかみ)
吉野山口神(よしのやまくちのかみ)巨勢山口神(こせやまくちのかみ)
葛木水分神(かつらきみこもりのかみ)鴨山口神(かもやまくちのかみ)
當麻山口神(たヰまやまくちのかみ)大坂山口神(をほさかやまくちのかみ)
伊古麻山口神(いこまやまくちのかみ)
に並びに 正五位下従五位下
和邇赤坂彦神 山邊御縣神 村屋祢富都比賣神 池坐朝霧黄幡比賣神
鏡作天照御魂神 十市御縣神 目原髙御魂神 畝尾建土安神 子部神
天香山大麻等野知神 宗我都比古神 甘樫神 稔代神
牟佐坐神 高市御縣神 軽樹村神 天高市神 太玉命神 櫛玉命神
川俣神 波多井神 坐日向神 巻向若御魂神 他田天照御魂神 志貴御縣神
忍坂生根神 葛木倭文天羽雷命神 長尾神 石園多久虫玉神 調田一事比古神
金村神 葛木御縣神 火幡神 往馬伊古麻都比古神 平群石床神
矢田久志玉比古神 添御縣神 伊射奈岐神 葛木二上神並びに 従五位上
无位 綱越神 に 従五位下
【原文参照】
『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』貞観元年(859)九月に記される伝承
畿内に鎮座する42の神々と共に 遣使奉幣して風雨の祈り が記されます
【抜粋意訳】
貞観元年(859)九月八日庚申の条
山城國 月讀神・・・
大和國 大和神・・・飛鳥神 飛鳥山口神・・・
河内國 枚岡神・・・
和泉國 大鳥神
摂津國 住吉神・・・名次神等に
遣使 幣(みてぐら)を奉る 為に 風雨を祈る焉
【原文参照】
『大和名所図会(Yamato Meisho Zue)』〈寛政3年(1791年)刊〉に記される伝承
祭神は 本社四座 事代主神 高照光神 建御名方神 下照姫命
酒殿は 岡村のうえにある大石〈現 酒船石(明日香村岡)〉であるという
絵図は 現在とほとんど同様の神社の様子が記されています
【意訳】
飛鳥坐(あすかにいます)神社
飛鳥村にあり
神名帳出 四座合殿 小祠五十余り
又 酒殿は岡村のうえにあり大石あり 縦一丈五尺 横五尺 石面に槽七道が彫刻をされており 枡酒がこした沃宿をといふ本社四座 事代主神 高照光神 建御名方神 下照姫命
中社二座 素戔嗚尊 大己貴神
奥社二座 天照太神宮 豊氣太神宮
末社 八十座
【原文参照】
酒船石(明日香村岡)〈飛鳥坐神社 旧酒殿跡〉に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る
大和国(やまとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 大和國の286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)の神社のことです
大和国 286座(大128座(並月次新嘗就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)