小野神社(おのじんじゃ)は 延喜式内社 石見國 美濃郡 小野天大神之多初阿豆委居命神社(をのの あめおほみみわのたそあつわけのみことの かみのやしろ)です 明治四十年(1907)合祀された菅野社は 同じく延喜式内社 菅野天財(天射)若子命神社(すかのの あめたから(あめい)わかこのみことの かみのやしろ)の論社です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
小野神社(Ono shrine)
【通称名(Common name)】
・八幡様(はちまんさま)
明治四十年(1907)小野神社の境内狭隘のため 村社 八幡宮の鎮座地に遷座しました 八幡宮とともに・菅野神社・大年神社を合祀し現在に至るので 通称は八幡様と云う
【鎮座地 (Location) 】
島根県益田市戸田町イ857番地
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》小野天大神之多初阿豆委居命(おのの あめのおほかみの・・・あづわけのみこと)
《配》日本武尊,応神天皇,神功皇后,比売大神,須佐之男命,武内宿禰,少彦名神,弥都波能売神,金山彦神,倉稲魂神,猿田彦神,宮比神,大年神,御年神,若年神,事代主神,綿津見神,大己貴神,天射若子神
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
小野神社(村社)
通 称 八幡様
鎮座地 益田市大字戸田町イ八五七
旧地名 美濃郡小野村大字戸田字松雲山イ八五七主祭神 小野天大神之多阿豆委居命
神 紋 四つ目菱形
祭 日 例大祭 四月十七日 祈年祭 三月二日 新嘗祭 十一月二十五日由緒沿革
石見国抄に「人皇第五十九代 宇多天皇の御宇 寛平三年鎮座上る」と記載あり
〇延喜元年 延喜格制度 小野神社記載あり
〇小野郷は その昔 小野族と柿本族が開いた古代文明の発祥の地である
小野は春日族の支族で遠く大和国からこの地に移住し開拓した
小野の地名はその族名に由来し 小野神社はその始祖を奉斎したのである
〇享保八年十月及び天保六年四月再建
〇慶応四年五月六日式内社であることにより津和野藩主 亀井茲監は大宮司を置き祭典料を下賜された 明治四年八月藩主より 八ツ花形の御神体及び四つ目菱形の御紋幕の御奉納あり時に八庄居地下の二十四村 二千二百八十戸の総鎮守社として崇敬された明治六年五月村社に列せらる
明治四十年 神社整理令により村社 八幡宮、式内菅野社、大年社を合祀して戸田松雲山の現在地に 明治四十一年九月二十五日移転遷座された
明治四十四年三月四日に神饌幣帛料供進社に指定せらる
拝殿及び粟島社殿 昭和四十九年新改築
千二百年式年大祭 昭和五十年四月奉祝
小野神社社務所 謹記現地案内板より
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【由 緒 (History)】
小野神社
- 小野族心の拠りどころ -
古代大和から春日族の流れをくむ小野族がこの地に移住し、宇多天皇の891年に鎮座(ちんざ)した。格式ある延喜式内社(えんぎしきないしゃ)で、祭神には小野天大神之多初阿豆委居命(おののあめのおおかみのしたそあづさわけのみこと)ほか13柱が合祀されている。
参道の右手にはマンサク科いすの木(樹齢190年、幹回り2m、樹高20m)があり、当地では「ひょんぐり」と呼び親しまれている。
ひとまろの里小野ボランティア現地立札より
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由緒
本社は小野村大字戸田字小野山に鎮座 宇多天皇の御宇 寛平3年勧請 慶應四辰年5月6日式内神社たるにつき 津和野藩主亀井茲監公より大宮司を置かれ祭典料を供進せらる。
明治4年3月15日藩主より本殿及び神楽殿御再建 藩臣后阿正多良福羽美静をして其の任に当たらしめ同年8月藩主より八ッ花形の御神体及び4つ目御紋幕の御奉納あり時に八庄屋20ヶ村2000有全戸の崇敬神社たり。
明治5年10月浜田県知事佐藤氏大屬高島氏参拝幣帛を供せられ明治六年五月に村社に列せらる。
然るに本社は境内地狭益なるを以て 明治39年12月29日 同村大字同所松雲山元 村社八幡宮境内地へ移転し 其の建物全部使用の件出願自40年3月2日許可を得て同41年9月25日移転を行う
明治44年3月4日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
昭和50年4月吉日1200年式年大祭を奉祝す。皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会・島根県神社庁HPより
https://jinja-net.jp/jinjacho-shimane/jsearch3shimane.php?jinjya=6492
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・小野神社 社殿
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・〈社殿向って左手前 境内社〉粟島神社
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・参道石段
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・社頭・鳥居
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
小野神社(益田市戸田町)は 二つの式内社の論社となっています
②小野神社 本社は 式内社 小野天大神之多初阿豆委居命神社
①明治四十年(1907)神社整理令により 小野神社に合祀 菅野社は式内論社
①小野神社に合祀された菅野社は 式内社・菅野 天財(天射)若子命神社の論社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)石見國 34座(並小)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)美濃郡 5座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 菅野 天財(天射)若子命神社(貞)
[ふ り が な ](すかのの あめたから(あめい)わかこのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Sukano no AmenoTakara(Amei) wakako no kaminoyashiro)
②小野神社は 慶応三年(1867)式内社 小野天大神之多初阿豆委居命神社であると認定され 津和野藩により再興
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)石見國 34座(並小)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)美濃郡 5座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 小野天大神之多初阿豆委居命神社(貞)
[ふ り が な ](をのの あめのおほみわの・・・あづわけのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kusanaki no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 石見國 美濃郡 菅野 天財(天射)若子命神社(すかのの あめたから(あめい)わかこのみことの かみのやしろ)の論社
・小野神社(益田市戸田町)
〈小野神社に合祀 菅野神社〉
小野神社(おのじんじゃ)は 延喜式内社 石見國 美濃郡 小野天大神之多初阿豆委居命神社(をのの あめおほみみわのたそあつわけのみことの かみのやしろ)です 明治四十年(1907)合祀された菅野社は 同じく延喜式内社 菅野天財(天射)若子命神社(すかのの あめたから(あめい)わかこのみことの かみのやしろ)の論社です
小野神社(益田市戸田町)〈『延喜式』小野天大神之多初阿豆委居命神社〉
・豊田神社(益田市横田町)
・若宮神社(益田市匹見町石谷ロ)
小野ノ神の名を冠する 各地の『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の関連神社について
延喜式内社 山城國 愛宕郡 小野神社二座(鍬靫)(をのの かみのやしろ ふたくら)
・小野神社(京都市左京区上高野西明寺山)〈崇道神社 境内社〉
・御蔭神社(京都市左京区上高野東山)
御蔭神社(みかげじんじゃ)は 太古 賀茂の大神が降臨された所〈御生山(みあれやま)〉と所伝があり 現在でも 葵祭に先立って 祭神を降臨地である御蔭山から賀茂社へ迎える御生(みあれ)神事が行われています 綏靖天皇の御代(BC581)に創建起源とされ 二つの式内社〈①出雲髙野神社②小野神社二座 鍬靫〉の論社でもあります
御蔭神社(京都府京都市左京区上高野東山)〈下鴨神社 境外摂社〉
・由岐神社(京都市左京区鞍馬本町)
由岐神社(ゆきじんじゃ)は 天慶年間〈938~947年〉世情不安となった時 天下泰平と万民幸福を祈念し 朱雀天皇が勅により 元は 宮中〈京都御所〉に祀られていた由岐大明神〈大己貴命・少彦名命〉を 都の北方にあたる鞍馬山の地に遷宮をして 鞍馬寺の鎮守社とし 都の北方鎮護を仰せつけられたのが始まりです
由岐神社(京都市左京区鞍馬本町)〈都の北方鎮護の社〉
延喜式内社 相模國 愛甲郡 小野神社(をのの かみのやしろ)
・小野神社〈閑香明神社〉(厚木市小野)
小野神社(おのじんじゃ)は 創建は不祥ですが 延喜式内社 相模國 愛甲郡 小野神社(をのの かみのやしろ)と伝わります 閑香明神社と称されて 小野妹子の子孫と伝えらる横山氏 その分家の愛甲氏が深く崇敬し 江戸時代には小野村の鎮守社と崇敬を受け 明治6年には郷社に列しています
小野神社〈閑香明神社〉(厚木市小野)〈『延喜式』小野神社〉
・秋葉社〈小野神社古社地〉(厚木市小野)
秋葉社(あきばのやしろ)は 延喜式内社 相模國 愛甲郡 小野神社(をのの かみのやしろ)の古社地(通称"神の山")に祀られている祠です 現在の小野神社〈閑香明神社〉西側の住宅街の中を西南方向に200メートル程いった所にある丘陵(通称"神の山")で 口碑には 嘉永年間(1848~1854)頃に現在地へ遷座したと伝わります
秋葉社(厚木市小野)〈『延喜式』小野神社の古社地(通称"神の山")〉
延喜式内社 武蔵國 多磨郡 小野神社(をの かみのやしろ)
・小野神社(府中市)
小野神社(おのじんじゃ)は 社伝によれば 第3代 安寧天皇18年の創建 2000余年の由緒を持つ古社で 古くは武蔵国一之宮でした 御祭神 天下春命(ameno shitaharu no mikoto)は 思金神の御子神であり 武蔵秩父国造の先祖とされます 境内にある「小野宮廟碑」には詳しく語られています
小野神社(府中市住吉町)〈『延喜式』小野神社〉
・小野神社(多摩市)
小野神社(おのじんじや)は 武蔵国一之宮ともされ『延喜式』所載の論社ですが 多摩川を挟んで南北に各々に小野神社が鎮座します 当神社は多摩川南岸で もう一方は北岸の府中市です これは多摩川が氾濫を繰り返し 都度 遷座も繰り返されて2社に別れたとも 北岸には旧址があるので本社であるとも 南岸は分祠であるとも云われます
小野神社(多摩市一の宮)〈『延喜式』小野神社〉
延喜式内社 近江國 滋賀郡 小野神社二座(名神大)(をのの かみのやしろ ふたくら)の論社
・天皇神社(大津市和邇中)
天皇神社(てんのうじんじゃ)は 創立は不祥 社伝によれば 村上天皇 康保3年(966)和邇荘が崇福寺領の頃 京都八坂の祇園牛頭天王を奉遷して和邇牛頭天王社と称したと伝えられる 和邇中 今宿の産土神として崇敬され 明治9年(1876)「天皇神社」と改称されています 『式内社調査報告』には゛小野天皇社゛と記されます
天皇神社(大津市和邇中)〈『延喜式』小野神社 二座 名神大〉
・小野神社(大津市小野)
小野神社(おのじんじゃ)は 第5代孝昭天皇の第一皇子 天足彦国押人命〈小野一族の祖〉と 同命から数えて七代目の米餅搗大使主命〈餅及菓子の匠・司の始祖〉の二柱を祀ります 延喜式内社 近江國 滋賀郡 小野神社二座(名神大)(をのの かみのやしろ ふたくら)とされる古社で 境内には小野篁(たかむら)を祀る篁神社もあります
小野神社(大津市小野)〈『延喜式』小野神社二座(名神大)〉
・小野道風神社(大津市小野)
小野道風神社(おののとうふうじんじゃ)は 小野篁の孫で平安中期の書家ある小野道風を祀ります 道風は 柳に飛び付く蛙の姿を見て発奮努力して 文筆の極地に達せられた 文筆の神として崇められています 延喜式内社 近江國 滋賀郡 小野神社二座(名神大)(をのの かみのやしろ ふたくら)の論社です
小野道風神社(大津市小野)〈『延喜式』小野神社二座(名神大)〉
延喜式内社 近江國 高嶋郡 小野神社(をのの かみのやしろ)
・小野神社〈海津天神社の境内〉(高島市マキノ町海津)
・市杵島神社(高島市朽木大野)
〈境内の三つの式内社・小野神社・大野神社・大川神社〉
延喜式内社 但馬國 出石郡 小野神社(をの かみのやしろ)
・小野神社(豊岡市出石町口小野字砂入)
小野神社(おのじんじゃ)は 創建不祥ですが 延喜式内社 但馬國 出石郡 小野神社(をの かみのやしろ)であると云われます 祭神は天押帶日子命で『古事記』には 小野臣の祖と記されます 口碑に゛神社の裏に流れる川では昔 魚(鮭)が多く捕れたらしいが もしも当社の氏子がこの魚を捕って食すと 罰が当たり腹痛を起こす゛と云われた
小野神社(豊岡市出石町口小野)〈『延喜式』小野神社〉
延喜式内社 石見國 美濃郡 小野天大神之多初阿豆委居命神社(貞)(をのの あめおほみみわのたそあつわけのみことの かみのやしろ)
・小野神社(益田市戸田町)
小野神社(おのじんじゃ)は 延喜式内社 石見國 美濃郡 小野天大神之多初阿豆委居命神社(をのの あめおほみみわのたそあつわけのみことの かみのやしろ)です 明治四十年(1907)合祀された菅野社は 同じく延喜式内社 菅野天財(天射)若子命神社(すかのの あめたから(あめい)わかこのみことの かみのやしろ)の論社です
小野神社(益田市戸田町)〈『延喜式』小野天大神之多初阿豆委居命神社〉
延喜式内社 土佐國 長岡郡 小野神社(をのの かみのやしろ)
・小野神社(南国市岡豊町小蓮)
小野神社(おのじんじゃ)は 伝承によれば 小野氏の先祖神で祭神 天足彦国押人命の子孫が縁あって当地に来住し 城山を本拠に発展し 一族の守護神 また土地の産土神として祀ったものと云う 延喜式内社 南海道 土佐國 長岡郡 小野神社(をのの かみのやしろ)です
小野神社(南国市岡豊町小蓮)〈『延喜式』小野神社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
石見空港から海岸線沿いに西へ約8.2km 車で15分程度
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JR山陰本線 戸田小浜駅から南南西方向へ約600m 車で3分程度
小野神社(益田市戸田町)に参着
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鳥居の扁額には゛式内 小野神社゛と刻字がされています
一礼をして 鳥居をくぐります
手摺の付いた長い石段を上ります
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石段を上がり切ると平らな境内になっていて 社殿は 北を向いています
参道石段は 東側から上がりましたので 境内の参道は 半弧を描くように 北向きの社殿へと向かっています
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北側〈拝殿の正面〉からは 軽車両ならば車で登れるような道が付けられています
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半弧を描く参道なりに
拝殿にすすみます
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拝殿の向かって左手前には境内社 粟島神社が祀られています
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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拝殿の奥は 覆い屋があり その中に本殿が祀られているのだと思います
社殿に一礼をして 参道石段を戻ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 菅野天射若子命神社について 天財若子ではなく 天射若子の神名を採用しています
所在については ゛戸田村に在す、゛〈現 小野神社に合祀 菅野神社〉と記しています
【抜粋意訳】
菅野天射若子命神社
菅野は須賀能、天射若子は阿米伊和加子と訓べし、菅野は地名なるべし、〔此例 當國に多し〕
〇祭神 明らか也
〇戸田村に在す、〔式社考〕
式内社 小野天大神之多初阿豆委居命神社について 所在は゛戸田村に在す、゛〈現 小野神社(益田市戸田町)〉と記しています
又 社號については 小野のあとに続く 天云々は読めないとも記しています
【抜粋意訳】
小野天大神之多初阿豆委居命神社
小野は乎乃と訓べし、和名鈔、〔郷名部〕小野、〔假字の如し〕天云々は、よめず
〇祭神 明らか也
〇戸田村に在す、伴信友云、古事記曰く、天押帶日子命者、小野臣之祖也、』神は押の誤 ,之は轉倒、初は良の誤なるべし、さらば天押多良之云々、唱へて小野櫛代の姓に由ありて聞ゆと云り、古くより此 神號の讀様を考へたるものなし、故 爰に挙げて再考の一助とす、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 菅野天射若子命神社について 所在は゛今 宮田村に在り、菅野大明神と云ふ、゛宮田村は現在の地名は益田市戸田町宮田海岸辺りで 『石見八重葎』には その地名は式内社 菅野神社に付せられた神田に由来するという〈現 小野神社に合祀 菅野神社〉と記しています
【抜粋意訳】
菅野 天財若子命(スガヌノ アメノタカラワカコノミコトノ)神社
〔〇按 本書一本、射を財に作る、未だ孰れか是と云事を知らず、〕
今 宮田村に在り、菅野大明神と云ふ、〔濱田縣神社取調帳、及 同書引本社所蔵天文十二年鏡背銘、〕
式内社 小野天大神之多初阿豆委居命神社について 所在は゛今 戸田郷、戸田村、小野山に在り、゛〈現 小野神社(益田市戸田町)〉と記しています
又 社號については 小野のあとに続く 大神之多初の五字は読めない とも記しています
【抜粋意訳】
小野(オヌノ)天大神之多初 阿豆委居命(アヅワケノミコト)神社
〔〇按 大神之多初の五字讀がたし、恐らくは誤脱ある乎、古事記、新撰姓氏録に、櫛代造、小野臣あり、共に天足彦國押人命の後也、此に據らば、櫛代小野二姓に由縁ありげ也、姑附て考に備ふ、〕
今 戸田郷、戸田村、小野山に在り、〔八重葎、神名帳打聞、神社明細帳〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497
栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 菅野天射若子命神社について 所在は゛戸田村〔松雲山〕(美濃郡小野村大字戸田 小野神社に合併)゛と記しています
【抜粋意訳】
菅野天射若子命神社 (明細帳に菅野神社とあり祭神同所)
祭神
今按 注進状に宗雄云 菅野は地名なるべし 頭注抄に大若子命 乙若子命遷 伊勢大間社とあり 石見外記には射は 躬の誤り 且つ轉倒したるにて 天若躬子命し萬葉集の天探女か乘リたる磐舟の泊し 高津を此郡の高津とせり 又此社 以前は菅原大明神と稱して天満宮と心得たるを 近頃 古き鏡の裏板に奉懸 菅原大明神 式社 御寶殿 御鏡 願主 藤原朝臣兼春 天文十二年癸卯正月十三日敬白と記せし物出たるより 之と定まれり 此村を宮内と云を以て 古き社なるを知るへし 天満宮ならんには大明神とは云ましくなんと説へる 石見外記の説は牽強なるへし 天満宮にあらさる事は宗雄か説に從ふへし さて祭神の事 考ふへきなれと 姑く天射若子命として難(サマタ)げある事なし
祭日 六月二十九日
社格 村社所在 戸田村〔松雲山〕(美濃郡小野村大字戸田 小野神社に合併)
式内社 小野天大神之多初阿豆委居命神社について 所在は゛戸田村〔小野山〕(美濃郡小野村大字戸田)゛〈現 小野神社(益田市戸田町)〉と記しています
【抜粋意訳】
小野天大神之多初阿豆委居命神社 (明細帳に小野神社とあり祭神同所)
祭神 小野天大神之多初阿豆委居命
今按 注進状に頭注抄に啼澤女命象女とあるは信じがたし
小野は知名抄に出たる地名なり さて當社を以前 河内大明神と稱すと云り
神名帳考證に古事記 天押帶日子命者小野臣之祖也 信友書入に神は押の誤 之は轉例 初は良の誤なるへし さらは天押多良志云々と唱へて 小野櫛代の姓に由ありて聞ゆと説ふ 小野櫛代なとに由ある事は實に説はれたり 神名はいかかあらん なほ實地に就てよく訂すへし祭日 四月三十日より五月一日
社格 村社所在 戸田村〔小野山〕(美濃郡小野村大字戸田)
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
小野神社(益田市戸田町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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石見国 式内社 34座(並小)について に戻る
石見国(いわみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 石見国には 34座(並小)の神々が坐します 現在の論社についても掲載しています
石見國(いわみのくに)の 式内社 34座(並小)について